「グッドグッドモーニング」
ぺちぺちぺちぺち。
ぺろぺろぺろぺろ。
ぺちぺちぺちぺち。
ぺろぺろぺろぺろ。
べちべちべちべち。
べろべろべろべろ。
べちべちべちべちべちべちばしばしばしばし
べろべろべろべろんべろんぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃばしばしべろべろぺちゃぺちゃばしぺろぴちゃがじ
「あああああああああああああうっせええええええ!!!!!!
そしてくっせえええええ!!!!!!!!!??????」
「あ、起きた。おはようございまーす。」
「ぅわふっ!!わん、わん!!」
はっはっはっは。となんとも愉快気な女のひとっぽい声と、犬っぽい生き物の息を荒げる音が奇跡のハモリを奏でている。
なんだか可愛い声だけど、顔は見えない。
っていうか、その、顔がぬれて力が出ない。
べっちゃべちゃする。もう、目が開けられない。
すっごい犬くさい。嫌。
口じゃりじゃりする。なにこれ。
「嫌っ・・・俺、汚されちゃった・・・傷物になっちゃった・・・・!!!」
両手で顔を覆って思わず涙が出る。親父、母さん、ごめんなさい。
貴方たちの息子は清い体を守り抜けませんでした。
「嫌ですね、せっかく行き倒れのお兄さんを助けてあげたのにー。ねぇ、ふーちゃん。」
「きゅん、ふわー、わぅん」
とても優しげで可愛らしい声が会話をしているが、そちらを見ることができない。
それほどべっちゃべちゃ。しっとりどころじゃない。乾燥肌なんて一切関わりがない世界のレベル。
犬派を名乗る俺だけどこれは無理。 無理。
「ふーちゃんには聖なる力が宿っていて、その毛並みは傷ついた者を包み込み、
その唾液は万物すべてを癒し、その声にはありとあらゆるものを魅了し、天上へと通ずる波長を含んでいるというのに・・・まったく、文句を言うとは何事ですか」
「きゃふん。ひゃう。わんわん。」
「ほーら、しっかり確かめてみてくださいよ、お兄さん。もうどこもいたくないでしょう?
ふーちゃんのおかげなんですよ」
「わん!!」
「えっ?? な、何か今凄いこと言わなかった・・・か・・・??」
俺の耳が確かであれば、彼女は今、
「ふーちゃんは、なんでも治す」
と、そういった。
俺は慌てて目を袖口で拭い、自分の体を確かめる。
どこにも痛む箇所はないし、顔が唾液でべったべたして口ん中が土でジャリッジャリなのを除けば、
体は絶好調な感じさえする。
立ち上がろうとして少々よろけはしたものの、むしろ、軽い。
飛び跳ねたいくらいだ。エネルギーが、溢れている感覚。
「う、うわっ、マジで・・・?そういえば、俺、メガネ・・・!メガネもしていないのに、
なんでこんなに周りが見えるんだ!!?」
そう、顔をぬぐったときに、いつもしている黒縁クールな眼鏡がなかった。落としたのかと見渡したが、
どうやら近くには見当たらない。 見当たらないのが「解かる」くらいにはっきりくっきりと周りが見えるのだ。
「えええええ・・・・!!!??二万円したのに・・・眼鏡・・・!! じゃねぇ!!
もしかしてこれ、視力が回復してるのか!?? 夢?!夢じゃなくて!??
本当に、その、ふーちゃんとやらいう、 犬が、俺の体を治して・・・??!!」
在り得ない。 科学的に言ってそのような現象など、起こりうるはずがない。
ただ、俺はあの油に濡れたように煌めく刃が、俺の体に吸い込まれる瞬間を、覚えていた。
其の場所にも、改めて恐る恐る手をやる。
何もなかった。
筋肉の凹凸があるばかりだった。
「た、確かに怪我があったはずなのに・・・な、ない。どこにも。そのうえ、こんな、いきなり
見えるようになるなんて・・・!!犬の、ふーちゃんの唾液でぇ・・・??!!」
犬が全てを治してくれた。
そんなわけがあるはずない。あるはずがないのにそうでなければこんな奇跡が起こるほうが、おかしい。
どうしようもなく興奮して、俺は、女性のほうに振り返った。何が何だかわからないけれど、
彼女が俺を見つけて助けてくれた。 「あれ」は確実に致命傷だった。
となれば、彼女は俺の命の恩人だ。そして、恩犬か。
「あのっ!!あ、ありがとう!!!俺のこと・・・」
続く言葉は出なかった。
やっときちんと見た彼女は、美しかった。
雪のような真白の、流れる髪と。
青空をそのまま閉じ込めた双眸と。
カラーリングは冷たく寒い冬のようであるのに、優しげな笑顔は、まるで春そのものだった。
うふふ、と唇から漏れ出る音は小鳥のようで、桜色の微笑みから、彼女は俺に、語り掛けた。
この世界中のどんな音楽より聞き惚れる音色で。
「何を勘違いしてるのかはわからないんですが、ふーちゃんの癒し効果は
単なる心の問題ですよ。リラックス効果です。効果抜群でしょう」
「とりあえずタオル寄越せよ唾液拭かせて」
美少女がくれたタオルはいい匂いだったが、一緒にスコップも要求して埋まりたいと思った。
心は確実に傷んでた。
とりあえず、うちに来てゆっくりしてください、何か事情があるんでしょう?
という彼女の後を、情けない歩調でとぼ、とぼとついていった。
冷静になるとふーちゃんががじっとやりやがったところも痛かった。