ねこかぶり
「暇ねえ」
私は殺風景な部屋のソファに腰掛け、呟くように口を開いた。
部屋には窓がひとつもなく、息が詰まるような閉塞感を感じる。
「そうだね」
テーブルを挟んで正面に座るのは少々露出の多い部屋着に身を包んでいる女。
女はソファの背もたれに右肘を乗せて頬杖をつき、左手でテーブルの上にあるチェス盤から黒のナイトをつまみ、つまらなそうに眺めている。
それにつられ、私のサブ職<木工職人>で制作したチェス盤に視線を落とす。
「チェスでもする?」
もう何度目かわからない提案をすると、女は頬杖をついたまま、視線をこちらに向けてため息をつく。
「嫌だよ、勝てないもの」
チェス盤の上では黒のキングがチェックメイトをかけられている。
「それなら勝てるまで努力するとか、そういう発想はないの?」
ナイトを盤上に戻しながら改めてこちらに向き直って、言った。
今までに10戦ほどしただろうか。 結果は私の全勝だが。
「こういうのは向いてないんだ」
「それは知ってるけど……」
言葉を続けようとするも、女はその話は聞き飽きたとでも言いたげに手で払う仕草をすると、こちらに背を向けてソファに寝ころんだ。
こうなるともうこちらの話は聞いてくれない。 私は言おうとしていた続きの言葉を飲み込んだ。
……知ってるけど、それは「設定」の話でしょう?
露出が多い服を好み、短絡的。
貴族の出身だがそれを隠して冒険者稼業を続けている。
考えることが苦手で飽きっぽい。
しかし心根は真っ直ぐで困っている人がいるとじっとしていられず、実はさみしがり。
……今私の目の前で不貞寝しているセリア=ルードベルグの設定だ。
私、ジェミー=フォールンとセリアはロールプレイと呼ばれる、「自分のキャラクターに架空の設定を作り上げ、それを演じる」プレイをしていた。
少数派ではあるかもしれないが、別に珍しいことではない。
ボイスチャットが主流である<エルダー・テイル>では異性を演じるロールプレイはあまり見かけなかったものの、こういった遊び方をするプレイヤーはどんなゲームにもいる。
ただ、それは<エルダー・テイル>がゲームであった頃の話。 <大災害>に巻き込まれ、ゲームが現実となってしまった今となっては誰も進んでそんなことはしないだろうと思われた。
……セリア以外は。
私にはセリアが何を考えているのかはわからない。
ただ単にゲームが現実になったという事実を認められずに混乱しているだけかもしれないし、「ゲームの中に居るのはセリア」であることで今もモニターの向こうから自分を操作しているプレイヤーが居ると信じたいのかもしれない。
ともかくセリアはロールプレイをやめようとせず、今も架空のキャラクターを演じ続けている。
なぜ私がそんなセリアを見捨てないかと言えば、私自身他に頼れるツテがなく不安だったというのもあるが……。
……私が離れようとしたときのセリアの寂しそうな顔が演技には見えなかったから、だろうか。
いずれにせよ、大した理由ではない。
「街にでも出てみましょうか」
別段やることもない。 ちょうど買い置きの食料も切らしていたし、気分転換にぶらぶらするのもよいかと思った。
確かに雰囲気は悪いが、そうそう厄介ごとに巻き込まれるとも思えない。
「……嫌だ」
しかし、返答は素っ気ないものだった。
ソファに寝ころんだまま出した、くぐもった声には億劫さではなく、恐怖が滲むように感じられた。
プレイヤータウンのひとつ、ここススキノでは<大地人>を相手に略奪や奴隷商を行うプレイヤー達が幅を利かせている。
<大災害>直後の頃は街の外に出て冒険の真似事もしていたが、一度そういったプレイヤーに襲われかけてからは小さな住居のゾーンを買い取り、食料調達以外一日中部屋に籠もるような生活を続けていた。
こんな生活を始めてもう何週間だろうか。 半月程度しか経ってないとは思うのだが、異常に時間が長く感じる。
「どっちにしろ食べ物を切らしてるし、出かけてくるわね。 すぐ帰ってくるけど、留守番しててね」
一番近い<大地人>の商店まで行って、適当に買い込んでくるだけだ。 どうせ味は変わらないのだし。
ここは騒がしく、タチの悪いプレイヤーがうろつく街の中心部から離れた家のため多少便利は悪いが、それでも30分はかからないだろう。
しかし、その言葉を聞いたセリアはむくり、と体を起こし不機嫌そうな顔で呟いた。
「……ついてく」
その言葉が(設定通りに)寂しさからのものなのか、私のことを心配してのものなのかはわからない。
ともかくセリアはソファから立ち上がると、メニューを操作し装備を身につけていく。
<戦闘禁止区域>から出ない限り戦闘の必要はないはずだが、街ではどの冒険者も周りを威圧し、また周りに怯えながら装備を身につけて歩いている。
何の変哲もない女二人があっという間に歴戦の冒険者になり、扉の前に立つ。
「行きましょうか」
「うん」
セリアはやはり不安げに私の袖をつまんでいる。 そんな風に弱みを見せればかえって厄介ごとを呼び込むような気もしたが、振り払うことはしない。 不安げなセリアの手を振り払い、見栄を張るのは無闇矢鱈に威圧する冒険者たちと同じ種類の行いのように思われた。
私は掴まれていない右手でドアを押し開ける。
寒さを避けるため二重に作られている壁(というより、大きな建造物の中にさらに住居が作られている)を抜ける。
辺りに人の気配はないようだ。 薄く積もった雪を踏みしめ、通りへ出る。
この世界は元の世界に比べ、随分と涼しいようだ。 いくら北国とはいえ、現実の北海道でも4月中にはほとんどの積雪が解けてしまうはず。
その割に寒さを感じないのは装備などの効果だろうか。 ともあれ季節ごとの服装を用意しなくてよいのはありがたい。 反面、季節に合わせたおしゃれの余地がないのは少し寂しくもあるけれど。
「大丈夫、寒くない?」
私は左後ろについて歩くセリアに話しかける。
設定上、露出の多い装備ばかり所持するセリアは、上からマントを羽織ってはいるものの、今も腕やおへそを外気に晒している。
「大丈夫だよ」
「そう、ならいいけど」
相変わらず袖はつまんだまま、けれどセリアは強がるように答えた。
この世界では布面積よりも装備の冷気耐性が服の暖かさに関係するのだろうか。 ぼんやりと考えるが、別にそこまで興味もない。
会話もなく、目的の店にたどり着くまで、固まりかけた雪を踏む、二人分のざくざくとした音だけが響いた。
ススキノの店はアキバなどとは趣が異なる。
一年の半分ほどが雪に覆われる都合上、店の種類にもよるが商品に雪がかからないように、また寒さから逃れるために露店というものはほぼない。
ススキノで一般的な住居と同じく、防寒防雪のための大きな建物の中にそれぞれの店が建物ごと並ぶのだ。 結果商店街のように店が並ぶことになるが、どちらかといえばショッピングモールなどに近いだろうか。
二人はその内の一つ、食料品店に足を運ぶ。
店主の<大地人>は入ってきたのがものものしい装備に身を包む<冒険者>だとわかると一瞬びくりと怯えるように震えたが、すぐに平常を取り戻す。
「……いらっしゃいませ」
そう言った店主の頭を下げるのは、商売人としてのプライドではなく、暴力から逃れるための処世術であろう。
こちらも、怯えられているのはわかっている。 日持ちしそうな食料(この世界では腐るかどうかもわからないが、古くなった食べ物に手をつけるのは気が進まなかった)を中心に食べきれるだけ、会話も最小限に購入するとすぐにその場を後にした。
怯えられているのがわかっていながら長く居座るのも居心地のよいものではない。
「ありがとうございました」
少ない会話の中、ほっとしたような店主の声が妙に耳に残った。
二人分の足跡が残る道を反対から辿っていると、自分たちのものではない足跡を見つけた。
さっきまではなかったのだから、そう時間は経っていない。
おそらく二人分。 そしてなにやら争った形跡がある。
「これって……」
セリアは眉をひそめ、足跡の向かった方向を目で追う。
ここはまだ<戦闘禁止区域>。 しかしだからといって全ての暴力行為が禁止されるわけではないというのはススキノの<冒険者>たちにとって常識である。
例えば、怪我をさせないように大地人一人を連れ去るくらいなら問題ない。
足跡はススキノを暴力で支配するギルド<ブリガンディア>の溜まり場へ向かっていた。
セリアは私の袖から手を離し、そちらへ足を向ける。
「セリア!」
声をかけるとセリアはその脚を止める。
「……帰りましょう?」
自分から厄介ごとに首を突っ込む必要はない。 優しい声でそう言って手を差し伸べるとセリアはゆっくりと振り返る。
その顔は今にも泣き出しそうになっていた。
「だって……『セリア』はここで見捨てたりなんてしないもん……。 私は『セリア』だから。 だから助けに行かなきゃ……」
自分に言い聞かせるように小さい声で言い張るセリアは目に涙を浮かべてすらいる。
自分は見て見ぬふりをしたいのに、するべきだとわかっているのに、「設定」がそれを邪魔するのだ。
私はそんなセリアを抱きしめ、大丈夫と言い聞かせるように口にする。
遠くでガンと壁を殴りつける音が聞こえ、同時に男の怒鳴り声と少女の悲鳴が響く。
セリアは私にすがりつきながらもぶつぶつと呟いている。
「大丈夫……。 本当に大丈夫……?」
遠くからの音は止み、すすり泣く少女とそれを抱きしめる女だけが残される。
やがて少女は顔を上げ、嗚咽混じりに話し始める。
「大丈夫なの? あなたは、ジェミーは、『わたし』が『セリア』じゃなくなっても一緒にいてくれるの?」
泣き続ける少女は堰が切れたかのように言葉を続ける。
「いままで一緒に冒険したのはセリアなのに、わたしとは話したこともないのに、何も知らない赤の他人と一緒にいてくれるの? ねえ!」
衛兵が来ることを心配するくらい強くすがりつき、セリアは詰問するように声を荒げる。
「わたしなんて、のろまで暗くて何の取り柄もないのに、そんなわたしでも見捨てないでくれるの?」
最後にはもう消え入りそうな声になりながら、少女は私の胸に顔を埋める。
「お願いだから、ひとりにしないで……」
私は泣き続ける少女をあやすようにその背を撫でる。
撫でながらも、少し考える。 利害だけを考えれば、この少女とともにいる意義はあまりない。
街の外へ出るならともかく、引きこもっているうちは<冒険者>の力を発揮する機会はないし、女二人で悪目立ちする可能性の方が強いように思われる。
メリットがない割にリスクだけを高める結果になると言えるだろうか。
……けれど。
「大丈夫よ。 私はずっとあなたと一緒にいるから。 あなたがセリアでなくともね」
間接的にとはいえ、長く付き合ってきた仲間を見捨てられるほど私は薄情じゃないみたいだ。
だからもう仮面を捨てていいのだと、諭し続ける。
よしよしと背中を撫でる。 背はわたしとそう変わらないのだが、背中はとても小さく感じる。
この少女が何歳なのか、私は知らない。
どんなことに悩んでいるのか、私は知らない。
何が好きで何が嫌いか。 私は『セリア』を通した情報でしかそれを知らない。
けれど、きっとこれから知ることができる。
少女の上げていた泣き声はだんだんと小さくなり、少女は私の塗れた胸元から顔を上げる。 ある程度は落ち着いたようだ。
顔をぐしゃぐしゃにした少女は泣いたせいで緩くなった洟をすすりあげる。
「……帰りましょう?」
わたしたちの家へ。
「うん……」
さっきまで袖を掴むだけだった手は私の手と繋がれている。
私の手より随分と幼さを感じさせる手を握りしめ、また二人分の足跡を辿る。
辿りながら、妹がいたらこんな感じだったのかな、と考える。
そういえばジェミーとセリアは設定上、義理の姉妹を名乗っていたのだったか。
役割は剥がれてしまったけれど、もう一度貼り直すのも悪くはないかもしれないな、と私はぼんやり思った。
そろそろネタが尽きそうです。
アニメに合わせた二次創作組の更新チキンレースに敗れる日も近い。