B-2 守りたいもの
遅くなりました。
先週(先々週?)の続きです。
ゲームの世界に入り込んでしまった日の昼過ぎ、キニアスはギルドの厨房で顔をしかめていた。
厨房の中に居るのはキニアスの他にキョウジとユーリネス。
「そろそろお昼だし、私、何か軽く作りますよ」と申し出たユーリネスが食材を買ってきて厨房に立ったのだ。
しかし調理を始めて一時間ほどしてもユーリネスは厨房にこもりきりで、やけに遅いなと思ったキニアスとキョウジが様子を見に来た所だ。
目の前にはユーリネスが調理した料理らしきものの数々。 様子を見るに作ろうとしていたものはサラダとか、炙って味付けした肉をパンで挟んだもののようだ。 ただ目の前に広がるそれらは黒コゲになっていたり、あるいは原型を留めずに流動体になってしまっていたりした。
その有様を唖然として見ながら、キョウジは嫌味を口にする。
「お前、料理できないならそう言えよ。 見栄を張ってこの有様かよ」
これなら俺のほうがましだぜ、と吐き捨てるキョウジにユーリネスは言い訳するように反論する。
「ち、違うの! いや違わないけど、私もここまでひどくない! 料理が上手いとか下手とかじゃなくて、どうしてもこうなっちゃうの!」
キニアスは言い争いをするユーリネスとキョウジを横目に、そのうちのひとつ、何故か流動体になってしまったサラダを掬ってみた。
その味については詳しく言及しないことにするが、とても食べ物とは思えなかった、とだけ。 元の世界では数度、ユーリネスと調理実習をしたこともあったが、記憶の中では手際もよく、むしろ料理が上手い方であった気がする。
調理実習が何かの間違いであったか、それ以降何らかの理由でユーリネスの料理の腕前が壊滅的なレベルまで落ちたのでない限り、この世界では料理ができないらしい。 そしてキニアスが顔をしかめている目の前で、業を煮やしたキョウジがこの仮説を証明してしまった。
この世界では、料理ができない。
ひとまずこの事実をみんなに伝え、今にも鳴り出しそうな腹の虫を押さえるために食料を調達しに行かなければならない。
キニアスの報告に半信半疑になりながら、確かめるため厨房へ向かうメンバーをよそにキニアスはそのままでも食べられるものを買ってくると言い残して一人でホールを出た。 幸い<魔法の鞄>があるためその容量内ならばいくら買っても重さはない。 サンドイッチやおにぎりといった手軽な物を種類問わず、これだけあれば充分だろうというだけ買い、ホールへと戻った。
その十数分後、ギルメンはホールのテーブルを埋め尽くすように並べられた食べ物を前に、お通夜のように静まりかえっていた。
味がない。 いくらメンバーのほとんどが『料理は味より量』と言いかねない男子学生だとはいえ、まさか味がない料理を美味しくは食べられないだろう。
見た目だけは立派なものの味も香りもなく、食感さえ湿気た煎餅のようで実に食欲を奪うそれらを前に、誰もがげんなりと俯いていた。
「あー、食べながらでいいんだけど、ちょっと話があるんだ」
トルネイラが言うまでもなくその手をほとんど止めていっるメンバーらが顔を上げ、トルネイラを見る。
「これから具体的にどうするかなんだけど、俺は戦闘訓練を積んでおくべきだと思う。 この世界から出れないならこの世界で生きていくために、出られるとしてもその条件に戦闘を伴うクエストがあるというのは充分考えられるし。 死んだらどうなるかもわからないから低レベルのところで様子を見ながら、四人ずつくらいに分かれてこの世界に慣れていこう」
何か意見があれば、とトルネイラが言い切る前にホールが興奮でざわめき出した。 <同窓の勇士>のギルドメンバーのレベルは低くとも70。 そこまで育ててきた力をいざ自分で振るえるのだ。 魔法などというロマン溢れる物も使えるかもしれない。
特撮ヒーローを見て育ち、学校の掃除の時間に箒でチャンバラしてきた男どもにとって、それはひどく心躍ることであった。
ホール内が興奮した話し声で満たされ、皆がはやく試したくてたまらない、と言わんばかりに浮き足立っていた。
女であるユーリネスと、何かを心配するように眉間に皺を寄せるキニアスを除いて。
眉間の皺を伸ばすこともせず、キニアスは黙って手の中のサンドイッチを一口かじる。
これから先、いつになるかわからない現実世界の帰還まで味気ない食事に耐えなければならないと思っても憂鬱ではあったが、現状気にかかっているのは別のこと。
キニアスは坂上悠里のことはよく知らないが、ユーリネスのことはよく知っている。 曲がりなりにもレベル90になるまで共に冒険した仲間であり、性別と素性を隠されていたとはいえ、今までの冒険が消えてなくなったわけではないからだ。
そのキニアスの経験上からすれば、ユーリネスは特別扱いを好まない。
ひょっとするとそれは自分が実は女であるから、男所帯のギルドに溶け込もうとしたがゆえなのかもしれないが、ともかく「自分だけ」ということを避ける。
キニアスが何を心配しているのかと言えば、ユーリネスのことだ。 ユーリネスが冒険の舞台、言い換えれば<モンスター>と<冒険者>が、または<冒険者>同士が命を奪い合う戦場に身を投じるのではないか、と心配しているのだ。
彼自身、ただのエゴであることはわかっている。 この世界の全ての女性を戦場に立たせないなど出来ないと分かっているから。 けれどせめて、手の届く範囲、同級生の女の子くらいは、とも思った。 彼は<妖術士>であり彼女の<武士>としての役割、壁役を代わってあげられないこともその考えを強めているのかもしれない。
元の世界でどうであろうと、今この世界に於いて彼は、彼が守るべき対象と考える人よりも非力な存在でしかないのだ。
だから、できることならユーリネスには街の中で安全に過ごしてほしかった。 料理番ならば生活していく上で必要不可欠なものであるから丁度良いと思っていたのだが、この世界ではそううまくいかないらしい。
街からほとんど出ないでゲームをプレイするスタイルのひとつにサブ職を利用しての武具や家具などを生産するものもある。 しかしユーリネスのサブ職は<狂戦士>であり、今まで育ててきたサブ職を捨ててまで生産職には転向しないだろう。
今持つアドバンテージを捨ててまで安全をとる、とらせてもらうのは「特別扱い」であるから。
もちろん、こう思うというのもキニアスが考えたことであり、間違っているかもしれない。 だからやんわりとではあるが本人に言っってみた。
女性がわざわざ危ない真似をする必要はない、街の中でもギルドに貢献することはできる、と。
しかしユーリネスは脳天気に笑ってこう答えた。
「私みたいなガサツな女までレディー扱いしてくれるのは嬉しいけど、大丈夫だよー。 だって私、今じゃマサ……キニアスくんより強いんだよ?」
そうおどけながら力こぶを作る真似をした。
「でも、しばらくはあんまり危ない所には行かないようにするね。 低レベルゾーンから慣らしていこっ」
緊張感の欠片もないユーリネスと向かい合って、わかってない、とキニアスは思った。
モンスターのレベルなんて関係ないのだ。
レベル90の<冒険者>と同じか、それ以上に強い存在がこの<アキバの街>の中でも何百人と居るのだから。
それ以降、何度かトルネイラにもユーリネスに戦闘させないように言ったが、「ユーリネス自身がやると言っているんだから、お前が口をだすことじゃない」と返された。 もっともだ。
他のメンバーにはフェミニストか、あるいはただユーリネスに気があるだけかとからかわれ、ユーリネス本人にはなぜか照れられた。
しつこくトルネイラに言い縋ったが、「お前の気持ちもわからんではないが常に守れないなら、せめて自分で身を守れるようにしてやるべきだ」と一蹴される。 もっともだ。
トルネイラは、もっともなことしか言わない。
ならせめて、パーティ分けの時はできるだけ俺とユーリネスを一緒にしてくれと頼み、トルネイラはできるだけな、と答えた。
それから戦闘訓練は順調に進んだ。 ユーリネスもキニアスの心配をよそにこの世界での戦闘に慣れてゆく。
そして十数日が経った頃には4人パーティで50レベル程度のゾーンで戦えるようになる一方で、街に不穏な空気が漂い始めた。
「最近、街の様子おかしくねぇ?」
訓練を終えてホールでくつろいでいるキニアスにキョウジが話しかけてきた。
「ああ、それは俺も感じてた。 ギルドの縄張り争いみたいな……。 今日は狩り場の独占してた奴らにも逢ったしな」
苦々しい顔をしながら頷く。 今日はやや高レベルの水棲モンスターが出現する河原に向かったのだが、いざ行ってみると何度か名前を聞いたことがある程度のギルドが狩り場一帯を占領していたのだ。
文句をつけると「ここは俺たちの場所だから」「文句があるなら力尽くで来てみろ」などと言い張る。 そのせいで予定より2時間余計に移動したゾーンへ向かうことになったのだ。
移動に時間を多く割かれるということはそれだけ訓練の時間が減り、狩り場を独占する奴らに比べて練度が落ちることになる。 一度差が出来れば、力を振りかざす奴らはより横暴になり、さらに差を広げていく。
街の中でも無所属プレイヤーの囲い込みがそこかしこで起こっているようだ。
サーバで十指に入るような巨大ギルドがまだマナーを守ろうとしているのが救いと言えば救いだが、それも時間の問題であるという感が否めない。
「俺らもどっかに吸収合併される運命なのかねえ……」
「それはなんか……嫌だよなあ」
ふぅー、と二人が深いため息をつく。 するといつの間にかトルネイラが後ろに立っていた。
「<D.D.D>あたりならそう悪いことにはならないと思うけど、それも嫌ならな何か対策しなきゃね」
「対策というと?」
後ろを振り向きながらキニアスが尋ねるとトルネイラはうーんと唸り、悩みながらたとえば、と呟いた。
「縄張り争いに打ち勝てるほど力を付けるか、いっそこの街を出ちゃうか……。 あるいは、この街を変えるか」
キニアスが考える限りどれも問題があるにしろ、一番現実的なのは二つ目だ。 次点は一つ目だが、力を付けるために狩り場を独占するような嫌な奴らと同じことをしなければならないと考えるとあまり気は進まない。
そして思いつきをただ口にしたように付け足した、三つ目が妙に気持ちが籠もっている気がした。 前二つはまだ達成するための手段が思いつくが、三つ目だけは何をどうすればそういうことができるのかわからない。
「何をどうすれば街を変えるなんてできるんですか」
トルネイラはもっともなことしか言わない。 ならば、その言葉には根拠があるのではないかと思った。
「いや、俺には無理だけどね。 ……これからどうするかとかいろいろ考えてたらちょっと昔のこと思い出しちゃってさ。
ギルド同士で縄張り争いしてるけど、ギルドでもなんでもない集まりでサーバの最前線を突っ走ってた彼女らだったらこんな時どうするか、って思ったのさ」
「それって、あれですよね。 俺たちは見たこと無いけど<茶会>でしたっけ」
懐かしむように話すトルネイラにキョウジは半ば伝説となりつつある集団の名前を挙げる。
「そそ。 <放蕩者の茶会>。 実はメンバーの何人かがログインしてるのは確認してるんだよ。 だから他力本願ながら、この状況をどうにかしてくれるんじゃないかって、期待してる」
「ログインを確認って……見たんですか?」
トルネイラ含めギルドのメンバーはほぼ毎日フィールドに出かけ、ほとんど街には居合わせなかった。 そこが少し引っかかってキニアスは尋ねる。
「いや……。 <茶会>が現役だったころに見かけたメンバーを勝手にフレンドリストに……ね。 あはは」
照れ隠しに笑うトルネイラにつられ、二人も笑う。
たぶん、街中で偶然尊敬するスポーツ選手に逢ったときのようなものなのだ、とキニアスは思う。 失礼だと思いつつ声をかけてみるだとか、あまつさえ写真を撮らせてもらうだとか、そういう。
その後話は本筋に戻り、メンバー総出の会議の結果、しばらくは様子見を続けるもののいつでも街を出られるように準備を進めておく、という結論になった。
数日後、<同窓の勇士>のメンバーたちは30レベルほどの薬草生い茂る森のゾーンにいた。
街の雰囲気はますます悪くなり、水面下で進んでいたギルドの『格付け』も表面化しつつあり、一行がアキバ離れを決意する日もそう遠くなさそうだ。
一行は避難先の目星もつけており、今日は消費アイテムであるポーション類の補充をするために薬草採取に来ていた。
ただ、この森ゾーンはおおまかに4つのゾーンに分けられ、それぞれ違う薬草が採取できる。 予定では4人パーティを2組に分け、2カ所ずつ回るはずだった。 しかし道中不運にもレベル80程のパーティランクのレアモンスターを発見し、遭遇を避けて回り道をした所時間の余裕がなくなってしまった。
アキバ脱出にあたって野営の練習もしたが、今回はその用意をしておらず、低レベルゾーンということもあり4人パーティをさらに半分に分けることで対応していた。
赤みが増し始めた太陽を背にキニアスとユーリネスが薬草を集めながら歩いている。
メニューを確認する時と同様集中すればアイテムの場所と名称はわかるが、薬草を見つけるたびに屈みこみ、摘み取ってまた歩くという作業は地味ながらも疲労がたまる。
キニアスは軽装の自分でもそうなのだから鎧を身にまとうユーリネスはなおさらだろう、と思う。 それとも<武士>の体力は<妖術師>のそれとは比べものにならないのだろうか。
また一株<朝露草>を鞄に放り込み、立ち上がるとユーリネスの様子を見る。 ユーリネスは鎧と鞘や脚甲をがちゃがちゃと鳴らし、屈み込んでせわしなく手を動かしている。
何か適当な話題を振ってあげられればいいのだが、キニアスはユーリネスにゲーム仲間として接するべきか学校の同級生として接するべきか未だ決めあぐねており、そのためにどうにも居心地の悪い沈黙が続く。
作業の手を止めていたからかユーリネスが振り向く。 キニアスはユーリネスのことを見ていたのだから、自然目が合う。
するとユーリネスは頬を染め(夕陽の赤みではなかったと思う)、目をそらす。 これもキニアスを悩ませる問題のひとつだ。
俺の思い上がりでなければどうやらユーリネスこと坂上悠里は俺、飯田雅之に好意を持っているらしい。 元の世界では一度彼女らしきものが居たこともあるが、特に何もないまま別れてしまったため、元々恋愛沙汰への経験値はそう多くないのだ。
しかもいまはゲームの世界という特殊な状況である。
正直お手上げだった。
ユーリネスは誤魔化すように動きを速め、木の根にでも躓いたのか、しゃがんだまま体勢を崩す。 キニアスは思わずあ、と声が漏らし、ユーリネスはそのまま前のめりに転ぶ。
キニアスの声が聞こえることはなかっただろう。 小さい声だったということもあるが、他の音でかき消されてしまったのだ。
風を切りながらユーリネスの体があった所を通り、地面につきささる一本の矢。 矢には黄色く光るエフェクトがかかり、なんらかの追加効果があることがわかる。
他のプレイヤーによるものだ。 それもおそらくは、かなりタチの悪い。
「外してんじゃねーよ!」
「何やら青春してるの見てたら我慢できなくなった」
「それぐらい許してやれよ。 これから酷い目に合わせるんだ、落差が大きい方が見てて楽しいだろ?」
油断した。 PKはいずれ現れるとは思っていたが、まさか二人だけの時に出会うとは。 近頃はゲーム時ほどでないにしろ、まともに戦闘できたいたためか気がゆるんでいた。
下卑た話し声とともに近づいてくるのは男の三人組。
距離が遠く確認できないが、装備から察するに三人とも武器攻撃職。 ずいぶんバランスが悪いが少人数同士の戦いの場合は連携で数の差を覆すのは難しい。
ユーリネスともども武器を構え、戦闘隊形を作りながら尋ねる。
「PKか」
警戒しながら問いかけると、こちらを馬鹿にするように笑ってくる。
「おぉよ、PKさまだ。 光栄に思えよ、おまえらが被害者第一号だ」
「三人がかりでご苦労なことだな。 目的はなんだ。 言っておくが金ならほとんどないぞ」
今日は狩りの帰りではなく採集にきただけで、現金や価値のある物はほとんど持ってきていない。
もっとも、こんな場所でPKを仕掛けてくる以上、相手もそんなことは承知の上だろう。 でも、ならば何が目的なのか計りかねた。 いや、まさか、と思うことはあったがそうでないと信じたかった。
「いらねぇよ、金なら俺らも持て余して金庫に山とある。 俺らの要求は簡単だよ。 その女、置いてけ」
こういう時は一番当たって欲しくない予想が当たるものだ……噂には聞いていた。 <冒険者>の力を振りかざし、女性のNPCやプレイヤーに対して乱暴する者がいる、と。
まさか自分が目的だとは思わなかったのか、PKたちと向かい合うユーリネスの体が震える。
その反応に笑いを強めるPKたちは調子にのったように続ける。
「だーいじょうぶだ、安心しろよ。 酷い扱いはしないさ、アジトには回復職も用意してあるんだぜ? 死ね(にげられ)ないように、な」
そう言って一際大きく笑うと向こうも距離を詰め、攻撃を仕掛けてくる。 一人がユーリネスと向かい合って武器を振るい、あとの二人が距離を置いて攻撃のタイミングを伺っている。
(逃げるのは……厳しいか)
相手には弓による遠距離攻撃があるし、また三人の内一人が<吟遊詩人>のようで、今も援護歌を歌って移動速度を上げている。
二刀による連続攻撃に精細を欠く太刀捌きで対応するユーリネスを見ながら歯噛みする。
俺はこんな事態を招かないために立ち回るべきだったのに。
そんなことを考えてる暇はないとわかっていながらも、そう思えば思うほど頭から離れなくなってゆく。
守るべきユーリネスは同じプレイヤー、人間に刃を向ける恐怖からか、同じ人間からの悪意と欲望の混じった視線に晒されているからか、目に見えて動きが悪い。 積極的に攻撃を加えることはせず、後手後手に回ってしまっている。
しかし無理に攻撃を狙わないため、遠距離攻撃を狙う後衛の二人も攻めあぐねているようだ。 武器を構えながらイライラしていることを隠そうともしていない。
俺は妨害系の魔法を優先的に展開しながら戦力分析をし、相手の目的を推し量る。
相手は高レベルのプレイヤー三人、おそらく構成は二刀流の<盗剣士>、弓使いの<暗殺者>、そして<吟遊詩人>。 この三職に共通しているのは状態異常による妨害特技。
<盗剣士>は流血や速度低下のデバフに加え、『既にかかっている状態異常を延長する』という特徴的な特技を有する。
<暗殺者>は毒の状態異常を付加する特技を多く持つ。 ユーリネスが幸いにもかわした最初の一撃はそのバリエーションのひとつ、矢に麻痺毒を塗るタイプのものだ。
<吟遊詩人>には単体でなく範囲を標的とする特技が多く揃い、その代表として混乱や眠りを付加するものが挙げられる。
人をさらうならば女性とはいえ<冒険者>である以上肉体的にはなんら遜色なく、一筋縄ではいかない。 おそらくそういった状態異常を駆使して抵抗出来ない内に連れ去るのだろう。
今も後衛の二人は威力の低い攻撃でプレッシャーをかけつつ、<盗剣士>と武器を打ち付けあうユーリネスに状態異常をかけようと狙っている。
しかし特技に頼りすぎている弊害か、最初の不意打ちを外したことからも推測できるとおりプレイヤーとしてのスキルは低いようで、防御一辺倒ながらうまく<盗剣士>を盾にするユーリネスに苛立ちを募らせている。
……しかしこちらもこのままではじわじわと追いつめられていくだけ。 現状維持は出来ても現状打破の方針が浮かばず、炎の攻撃魔法を放つと悔しさを噛みしめるように強く歯噛みした。
ユーリネスはよく守ってはいるがそれでもHPは残り半分ほどまでに削られてしまっており、三割も減っていない<盗剣士>と比べると被害の大きさが際だつが、相手の攻撃の手も緩みはじめている。
PKにしてみれば攫うことが目的である以上、殺して大神殿送りにしてしまっては意味が無い。 いたぶるように、状態異常で無力化し俺を殺してから連れ去るつもりだったのだろうが思うようにいかずに焦れたのか、弓使いが叫び声をあげた。
「おいっ! 先に後ろの魔法使いをやるぞ! 回り込め!」
叫び声に<吟遊詩人>はおおよ、と頷きユーリネスを迂回するように、弓使いとは逆方向に走り出した。
まずい。
相手がユーリネスだけを狙っていたからこそできていた均衡が崩れる。
<妖術師>の防御力は紙と揶揄されるほど。 仮にユーリネスがもう一人を押さえ込めたとしても、俺は一対一でさえそう長くは保たない。
「っ……キニアスッ!」
相手の動きに対処しようとしたユーリネスが、弓使いに<武士>の遠距離攻撃、飯綱切りを放つ。
「だめだ! ユーリネス!」
……<吟遊詩人>に背を向けて。
「やっと隙を見せたな? <月照らす人魚のララバイ>!」
<吟遊詩人>が特技を発動させると、ユーリネスを巻き込んで水色の波紋が広がった。 時間差で眠りの状態異常を引き起こす技を食らい、まだ意識までは落ちないものの、抗えない、理不尽に襲い来る眠気にユーリネスが片膝をつく。
追いつめられた。
「やっとかよ! てこずらせやがって……! さっさと男を殺してずらかるぞ!」
弓使いの言葉に、ユーリネスの相手をしていた<盗剣士>までもが俺のほうへ向かってくる。 三人が相手では、時間稼ぎすらできるかどうか。
ならばせめて、と覚悟を決めて出来る限りの特技を駆使して魔法の威力を高める。
一人くらい、一番HPの減っている<盗剣士>くらいなら……!
今この段階に於いて、俺に他に打てる手はない。 俺は何かミスをしたんじゃないか? うまくやれば、一人くらいの戦力差は覆せたんじゃないか?
そんな後悔が頭を過ぎるが、いまさら対策が浮かんだ所で遅いのだ。
わかっていることはひとつだけ。 俺は同級生の女の子を守れなかった。
坂上さん、ごめん。
相打ち覚悟で魔力を練り紫電を弾けさせる俺に、<吟遊詩人>が武器を振りかざしたした、その時。
「うあああああああぁぁぁっ!!」
叫び声、いや咆哮。
<吟遊詩人>は武器を振りかぶったまま動きを止め、俺も出かかっていた魔法を不発に終える。
その場にいる全員が咆哮の聞こえた方を向く。
そこには状態異常を受けて眠っているはずのユーリネスが目に赤い光を灯しながら立っていた。
自力で回復する手段を持たないはずの<武士>がなぜか立っていることもそうだが、狂気を感じさせる目つきで睨む少女の姿の迫力に皆が呑まれていた。
自己強化系の特技を発動させ体からエフェクトと立ち上らせる姿は、もはや報復のために殺気を纏う肉食動物にしか見えない。
事実、PKたちはその野獣が自分たちに向かって近づいて来ているにも関わらず、動けない。 動いたら狙われるとでも思いこんでいるように、息を殺してさえいる。
そんな中俺が多少なりとも落ち着いていられるのは、ユーリネスが自分に害を及ぼそうとしていない……からではなく、ユーリネスが何をしたのか想像がついていたからだ。
<狂化の雄叫び>(バーサク・ハウル)。
同じハウルであっても敵を威嚇しヘイトを集める<守護戦士>の<アンカーハウル>とは真逆。 サブ職業<狂戦士>の特技にして、己を昂らせ<狂化>(バーサク)状態にする効果を持つ。 <狂化>したキャラクターは攻撃力、攻撃速度の大幅上昇などの効果を得る代わり、一切の防御行動が取れなくなり……眠り状態にならなくなる。 <月照らす人魚のララバイ>には着弾して眠りの追加効果が表れるまでにラグがある。 眠りが発動し、一切の行動が不可能になる前に<狂化>したのだろう。
ゲーム時代には好んで使用していた特技であるが、この世界では一度試した際<狂化>と同時に理性がなくなり、まともな連携が取れなくなるため使用を控えていた。 その特技を使用した今、ユーリネスの視界には倒すべき憎き敵しか入っていないだろう。
「く、来るなぁっ!」
恐怖に打ち勝ったのか、はたまた恐怖が限界を超えたのか、弓使いがつがえた矢をユーリネスに向けて放つ。
が、震える腕で放たれた矢はユーリネスが避けるまでもなく外れ、後ろの木にがつん、と当たって刺さりもせずに地面に落ちた。
威圧するでもなく、ただ殺意のみが浮かぶ瞳に見据えられて弓使いはがちがちと歯を鳴らす。
その横で<盗剣士>が逃げようとしてユーリネスに背を向けて、脚をもつれさせながら走り出す。 ……俺の方向へ。
PKが向かってくるとはいえその顔にはユーリネスへの恐怖しか浮かんでおらず、俺なんか見えてもいない様子だったので杖を構えつつも呪文を唱えなかったのだが、ユーリネスはそう判断しなかったらしい。
俺の方へもたもたと走る<盗剣士>の背を追いかけ、特技を発動させて飛びかかりその背を大きく切り裂く。 そしてそのまま前のめりに倒れる<盗剣士>にとどめとばかりに太刀を突き立て、HPを0にする。
ユーリネスは返り血を盛大に浴びながら、俺に一番近い相手<吟遊詩人>に向けて<武士の挑戦>を発動させ、名乗りを上げる。
「……二年C組坂上悠里、雅之くんには指一本触れさせねぇぇぇぇ!!」
名乗りを受けた<吟遊詩人>はユーリネスから目が離せなくなり、逃げも抗いもできずにいる。 俺に背を向けているため顔は見えないが、その有様は想像に難くない。
ユーリネスはゆっくりと<吟遊詩人>に近づき、棒立ちになっているその首を叩き切った。
首が落ち、その死体が倒れるころには<狂化>が切れたのか、目から赤い光が消える。 血塗れの太刀を握りながら状況を確認するようにきょろきょろと辺りを見回し、弓使いを見つめた。
見つめられた弓使いはひぃ、と情けない声を上げながら森の奥へと消えてゆく。
それと入れ替わるように反対側からがさがさと人の近づいてくる音が聞こえる。
「……増援、いらなかったか?」
出てきたのは、全速力で走ってきたのだろう、額に玉のような汗を浮かべるキョウジとトルネイラだった。
「結果としていらなかったというか、ちょっと遅かったというか」
俺が苦笑を浮かべ、ユーリネスはえ? え? と俺と二人を交互に見ている。
「PKと話してる時点で、トルネイラさんに念話をかけておいたんだよ」
大した情報は送れなかったけど、同じゾーンなら方向はわかるはずだから、と説明するとユーリネスはなるほど、と納得していた。
「で、さっきのはどういう状況だったんだ?」
「さっきのって?」
「あれだよ。 ……三年C組」
「あ、あー!!」
にやにやしながら先ほどの名乗りのことを聞き出そうとするキョウジの言葉をユーリネスが遮る。
本人も<狂化>状態にしでかしたことだから朧気ながらも覚えているのだろう。 恥ずかしがって呻きながら屈みこむが、彼女が俺に気があるらしいことは彼女以外皆察しているため周りにしてみれば『何を今更』感が否めない。
「……せっかくなら、はっきりさせておいたほうがいいと思うよ、うん」
若干目を逸らしながらトルネイラが提案する。 たぶん、ギルドで唯一の女性メンバーとなると人間関係の拗れが怖いため、早めに関係性を定めてしまいたいのだろう。
ユーリネスと俺とをなるべく同じパーティに入れるようにした目的は、俺の要望もあっただろうが本音はそこらへんにある気がする。
提案を受けてユーリネスは悩みながらも呻くことをやめ、立ち上がる。 恥ずかしそうに少し視線を逸らしながらも俺の方を向く。
その様子を見てトルネイラとキョウジはそそくさと立ち去る。
二人の気配がなくなってから、ユーリネスは深呼吸をして口を開く。
「えっと……その。 ずっとキニ……ううん、雅之くんのことだけを見てました。 ……好きです」
簡潔に言い切ったユーリネスは一層顔を赤くして俺のことを見つめる。
……返り血に塗れた顔で。
実の所、ユーリネスに対しては申し訳なさを感じている。
一方的に守ると決めていながらも守れず、それどころか俺を守るためにその手を汚させまでさせてしまった。
守れなかったし、これからも守れるとは思えないから、恋人になるだなんて無責任なことはできない、と思う。
けれど、だからこそ。 それ以上に思うことがある。
この子を、野放しにしちゃいけない。
人間二人を斬り殺し(復活するとはいえ!)、それから十数分も経っていないのに恋愛空間を作ることの出来るこの子は、きっとどこかおかしい。
この子をそうさせてしまったのが俺である以上、責任をとらなければならない気がする。 この責任感はきっと彼女が望んだものではないのだろうけれど、俺が背負わなければならない。
「ふわっ?!」
俺が無言のまま彼女を抱きしめると、彼女は驚きながらも抱擁を返してきた。 鎧越しで体の感触は伝わらず、むしろ金属の冷たさがじんわりと広がる。
彼女が俺を見上げたまま目を閉じたので、『そういうこと』なんだろうと思って、その唇にキスを落とす。
俺のファーストキスは、ひどく鉄臭かった。
この世界では「強さ」と「性別」にはなんの関係もないよ、という話。
一話分は書き溜めがあるので今週末は遅れないと思います。