距離は半分
頭の中で念話の発信音が鳴り響く。
静かな室内にひどく反響するように感じられたが、この音は自分の脳内でしか鳴っていないので錯覚である。
発信音が三ループもする前に発信先が念話に出たので、待ちきれなくて口を開く。
「こんばんわ、睦希」
いつも通りの挨拶で口火を切ると、相手もまた、いつも通りの返事を返す。
『おはよう、リク。 今日はどんな話を聞かせてくれるの?』
俺がこの世界に来て頼れる相手もおらず、どうにか見つけた念話機能を初めて使った時、俺が感じたのは相手も巻き込まれていたことに対する残念さでも、同じ境遇の仲間がいたことに対する安心でもなかった。
それはなんというか、感動、だろうか。
何の障害もなく回線が繋がった感覚。
ゲーム時代からボイスチャットはしていたが、それはマイクを通し、短くないラグを越え、避けようのないノイズが混じり、安いヘッドホンから出力されていた音でしかなかった。
睦希がイギリスに引っ越してもう何年にもなる。
話題というより、話す場所が欲しくて二人でエルダー・テイルを始めたのは引っ越す直前。
その長い時間で慣れたと言えば慣れていたが、しかし繋がったことによって、逆に今までは偽物だったと思い知った、と言うべきか。
カセットテープからCDになった時の感動はきっとこういうものだったのだろう。
だから、初めは<大災害>に巻き込まれてよかった、とさえ思ってしまった。
……越えようもない長い長い距離は半分になったとはいえ、依然そこにあり続けたのだが。
今の世界でもまた、サーバの壁というものは健在である。 むしろ、より高くなったとも言える。
<大災害>前は、海外が相手でもメールやSNSで簡単に連絡を取ることができたから。
けれどその壁を越える方法は存在する。
空路や海路……自力で境界を越えたり、<妖精の輪>を使うのもそのひとつ。
そしてそれぞれのサーバにいながらにして連絡を取り合う方法がひとつ。
同じギルドに属する者同士が念話をすること。
俺、リクと睦希……サーバに合わせMutsukiという名前にしているが……は構成人数たった二人のギルド<ホットライン>のメンバー。
俺がマスターで、睦希がサブマス。
このギルドははるか遠い距離を隔ててもなお繋がっていたくて、俺たちが仮想世界に作り上げた回線だ。
『へぇ、初心者プレイヤーの強化合宿なんてやってるんだ。 そうだよね、レベルが低いってのはそれだけで大変だもんね』
話題はお互いの街のこと。
けれどどちらも情報通というわけでもなく、相手のことが知りたいというよりは、ただなんのことでもいいから、話すことで不安を紛らわせていた。
「そうなんだよ。 まあ、言い出した人が人だったから、初めからそういう案だったんじゃなくて、遊びにいきたいって話の体裁を整えた結果っぽいんだけどね」
『ふふ、それでもいいじゃん。 ギルドに関わらず面倒を見てあげるだなんて、こっちじゃ考えられないよ』
「……だよな」
睦希がこちらと向こうを比べる発言をするたび、胸がちくり、と痛む。
向こう……イギリスだけでなく西欧サーバ全体に言える話だが、ギルド単位で大地人の住む街に雇われる形で、一種の傭兵のようなシステムを作り上げているらしい。 睦希が今も住んでいるロンデニウムのように、多くの冒険者にとって拠点となるプレイヤータウンも、一時は重要施設の占拠合戦で迂闊に街中へも出られないほどだったという。
運がいいとか悪いで済ませてしまうのは簡単だが、何もしていないのに、「たまたまアキバにいた」というだけで自分が恩恵に与っている、とそう思うだけで罪悪感が生まれる。
日本とイギリスの時差は9時間ある。
俺が、こちらでのパッチ導入に無理に付き合わせたりしなかったら。
あるいは、睦希のキャラクターもアキバへ連れてきていたら。
運命の分かれ道が些細であったからこそ、「もしも」の考えが頭を離れなくなる。
「……そっちの話も聞かせてくれよ」
どうにも居たたまれなくて、話を振る。
このままアキバの話を続けるのは、ただの自慢話のように思えたから。
『うーん、面白い話はないよ? それでもいいなら、そうだなあ、レイド戦を伴うフィールドモンスターが大量発生して、挑戦権で大ギルドが揉めた話とか?』
こうしてまた、辛い辛い、楽しい時間はすぎていく。
睦希は小学校を卒業するまで日本にいた。
特別男勝りなわけでもなかったが、どうにも女子の輪に混ざれなかったようで、同じように男子の輪に混ざれなかった俺とよくつるんでいた。
別れを惜しんだ俺達は世界中でプレイされている、MMORPGの老舗タイトル、エルダー・テイルに手を出した。
住むところは変わってもせめて話題を共有できたら、と思ってのことだったが、調べてみるとゲーム内でもサーバを越えてボイスチャットをできることがわかった。
プレイをはじめたての頃に「これで電話代が浮くね」なんて話をした記憶がぼんやりと残っている。
それから俺が中学時代を経て、卒業し、高校に入学(イギリスは教育制度が違うので睦希は違ったが)してもなお、画面越しの友達という関係は続いている。
写真の類は送りあっていなかったから、今外見的にどのように成長を遂げているのかはわからないが、それでも互いに得難い友人であると感じていた、と思う。 ……恋愛感情も混じっているかもしれないが、それをもっとも強く感じた思春期を過ぎて、自分ではよくわからなくなっている。
街の中を歩きながら、自分に何ができるか考える。
屋台で香ばしい匂いを漂わせる焼きそばを眺めながら、せめてアイテムだけでも送れたら、と。
そうすれば美味しい食べ物くらいは楽しませてやれるのに。
開発中の新造船について楽しそうに語る生産ギルドの二人を横目に見ながら、イギリスまで船で迎えに行けたら、と。
そうすればこの街で一緒に歩けたのに。
何が出来るか考えても、何もできない、現状を維持するしかないという結論しか出ない。
それでも、何かしらの手がかりはあるのではないか、と期待してギルド会館へ足を運ぶ。
ギルド会館はアキバで最も活発な建物であると言える。
多くのギルドがギルドホールをここに構えているうえ、銀行機能を持ち、かつ<円卓会議>の本拠地にもなっているのだ。
ギルドホールでの物音はシステム的に隔てられているため会館までは届かないが、それでも多くの話し声を耳に出来る。
街の外へ出かけるにあたって不要な金貨を預ける者、あるいは、狩りから帰ってきて換金した稼ぎを預けに来る者。 そして、<円卓>に依頼された調査等の報告のために足を運ぶ者。
銀行機能を利用するわけでもなく、壁際でただ冒険者達の会話に聞き耳を立てる。
何の成果もなく、今日もダメだったかとため息をつき、諦めて帰ろうとした所で……会館に入ってきた三人のパーティから聞き捨てならない話が聞こえた。
頭の中に響く念話の着信音が目覚まし代わりとなった。
ここイギリスと日本……エルダー・テイル風に言えばアルビオン島と弧状列島ヤマトには、9時間の時差がある。 そのため向こうが夕方、こちらが朝の時間帯に念話をするのが約束だった。
眠い目を擦り、ひとしきりぼーっとして、頭がしゃっきりしてきた頃に朝ご飯を摘みながら話すのがここ最近のリズムだったが……どうやら、よほど話したいことがあるらしい。
ちょっと待って欲しいなと思いつつも、あの幼なじみは昔からそういう思い立ったら一直線なところがあったな、と苦笑して念話に出る。
『こんばんわ! 睦希!』
嬉しそうな声が隠し切れていない。 本当にわかりやすい幼なじみだ。
「おはよう、リク。 何かいいことでもあったの?」
ついからかいたくなってしまうが、この幼なじみは話したいことがあるのに水を差されるとひどく機嫌を悪くするのだ。
『あれ、バレてた? そうなんだよ、話したいこと……というか、伝えたいことができたんだ!』
ここでおや、と思った。
話したいと伝えたいの違いとはなんだろうということもだが、その伝えたいことの中身が。
今まで、興奮した様子で話してくれたことは何度かあった。
アキバに軽食喫茶が出来たこと、レベル91のプレイヤーが現れたこと……中でも一番は<円卓会議>結成の話だろうか。
誰が名付けたかは知らないが、まさかヤマトの話にアーサー王伝説が出てくるとは思わなくて、相づちを打ちながらも笑ってしまったが。 それとも、私が思っているよりアーサー王伝説は日本で浸透しているのだろうか。
とにかく、それほどの大事でもリクは「伝えたい」という表現をしなかった。
「伝えたいこと、って?」
『それは……』
リクは焦らすように溜めると、笑いを堪えきれない様子で言い放った。
『そっち(イギリス)に、行くことにしたから』
え?
『あれ? 思ったほど驚いてない?』
そんな訳あるものか! 驚きすぎて声も出なくなっていただけだ。
そう反論したかったが、頭があまりにも説明を欲していた。
「せ、説明をお願いできる?」
『なんか結構冷静だね……。 うん、実はヤマトからそっちに繋がる<妖精の輪>が見つかったんだ。 睦希をこっちに連れてくることは出来ないけど、せめてそっちに行こうと思って!』
どういう理屈だ。 リクが自分だけアキバにいることに居心地の悪さを感じていたのは察していたが、それではなんの解決にもならないではないか。
「それをして何になるの?」
思ったより冷たい声が出てしまった。 でも、これで踏みとどまってくれればいいのだ。
確かにアキバが羨ましいと思うこともあるが、ロンデニウムでの暮らしにも慣れてきた。 異世界に来て頼れる相手もなく、不安だったのは確かだが昔の話だ。 いまさら、という感が否めない。
『えー、でも、会いたいじゃん?』
あ、これは話を聞いてくれないパターンだ。
リクは素直だから、大抵怒ればすぐに謝る。 けれど、妙に頑固な所があって、いくら常識的に間違っていることであっても、こうと決めたら譲らない。
会いたい……そんなの当たり前だ。
付き合い自体は長いくせに顔を会わせることはない。
リクが声変わりしても、昔飲めなかったコーヒーを飲めるようになっても、どんな顔しているのかはわからないのだ。
ただ、人なつっこい笑顔だけは変わっていないんだろうな、とわかるだけで。
でも、リクがこちらに来ることは何にもならない。 何の意味もないのだ。 頑固モードになったリクは厄介だが、なんとか思いとどまらせようと口を開いたとき。
『あ、おみやげも<魔法の鞄>一杯に入れて持って行くよ! なにがいい? 睦希、おせんべいとか好きだったよね!』
「~~!!」
リクの言葉で、言い掛けた言葉を躊躇うくらいには心が動いた。
その提案は、少し魅力的すぎる!
別に「新しい料理法」がこちらまで伝わっていないわけではない。
少数ながらサーバを越えて活動するギルドも存在するし、<召喚術士>を利用して<妖精の輪>の転移先を探索する試みはこちらでも行われている。
初めこそその情報は一部のギルドに独占されていたが、人の口に戸は立てられないし、そもそもがちょっとした発想の転換でしかない。
問題は、単に気候と文化の問題。
「……醤油煎餅をお願いできる? あと調味料類を持てるだけ」
イギリスで米食は一般的ではない。 醤油も味噌もない。
そもそも、食文化が合わない気がする。
リク伝に料理法を知った後は、レベルカンスト間近だった<裁縫士>を諦めてまで<料理人>を取得して自炊を始めたくらいだ。
それでも食材、調味料不足だけはどうにもできなかった。
『わかった! 鞄の容量ギリギリまで詰め込んでく! あ、こっちの時間で明日には発つから、他に欲しいものがあったら今日中に!』
「ちょ、ちょっと。 こっちに到着するのはいつなの? それに、どこの<妖精の輪>に飛んでくるの?」
『えーと、五日後くらいにはそっちに飛べると思う! 転移先は……』
手元の地図を見ながら話しているらしいが、こちらにそんなものはない。 随分と曖昧な説明をどうにか整理しながら、頭の中の地図で範囲を絞り込む。
『フレンド登録はしてあるんだし、近くまでいけば大丈夫だろ! じゃあ五日後に!』
リクはそう言い放つと返事も聞かないままに念話を切った。 おそらく勇んで旅の準備を始めているのだろう。
「……飛んでくる場所、ここから軽く100キロはあるんだけど」
それはつまり現実世界での200キロということでもあり、イギリス本島の四分の一を縦断できるほどの距離である。
世界地図でしか見ないから実際の距離感覚がつかめない、という気持ちはわかるがそれにしても無計画すぎやしないか。
それに傭兵のように大地人との関係を築いている各ギルドは当然のようにそのしがらみを受ける。 国王が君臨する四王国の。
不用意に行き来すれば、スパイ容疑をかけられることさえあるのだ。
今回は近くに主要な街がないので大丈夫だとは思うが、あまり長居もしたくはない。
「きちんと注意しておかないとな……観光旅行じゃないんだから」
リクだけで街にたどり着けるとは思えないので、迎えにいかなくてはならないし、準備することはたくさんある。 ため息をついて、埋められた向こう数日の予定と準備の段取りを組みたてる。
……自覚はしていなかったが、後から思えばこのとき私は笑っていたと思う。 きっとわくわくしていたのだ。
久しぶりに幼なじみと会えることに。
昔のように、幼なじみの思いつきの手伝いをすることに。
たったそれだけで、この世界も悪いことばかりじゃないな、と思えたのだ。
……醤油煎餅への期待も、ちょっとくらいはあったかもしれないけれど。
ペース戻すのちょっと難しいかもしれません。
一週間のうちに投稿できるようにはしますが。
この二人が再会したあとはイギリスに居を構えるのか、二人旅でアキバまで向かうか、でしょうか。
プレイヤータウンは大神殿の奪い合いで一度パニックが起き、ギルド間の全面戦争になりかけたため、不干渉地帯とされソロプレイヤーらの拠点となっている、という妄想。