ジェントルメン
「紳士の一日」、ラカンさんのその後の話です。
<円卓会議>のもたらした影響はゲーム時代にあったどんなイベントより大きなことであったろう。
それは大方よい方向への影響であったし、我輩もそう思うのであるが、正直ちょっとさみしいな、と思うこともある。
我輩ことラカンの、活動目標の喪失などがそれである。
知ってる者は知っておるだろうが、我輩は女性プレイヤー達の自衛意識を高めてほしくて、日夜スカートめくりに勤しんでいた。
雨だろうが風だろうが休み無く働く我輩のおかげで難を逃れた女性もけして少なくはないと自負しているのだが、<円卓>によってその存在意義が失われた、とまでいわずともかなり薄れたのである。
大事なものは無くしてから気づく、とはなんとも的を射た言葉であるな。 法律というものを失ってからその重要さに気づくものだ。
しかしてそれも過去の話。 稚拙ながらも再び法の支配下におかれたこのアキバ及びその周辺では、我輩の活動は意味を為さない……どころか、法で裁かれる対象となるであろう。
アキバから離れれば離れるほどに法の実行力は薄まるが、それほど遠出するのならまずPKよりもモンスターの脅威の方が大きいのだから、我輩
があえて注意喚起を促す必要もなかろう。
かくして、我輩はアイデンティティの一つを失ってしまったわけである。
勿論荒んでいるよりは平和な方がよい、というのは道理。 我輩もしばらくは居心地のよいアキバを満喫していたのだ。
我輩の望むと望まざるに関わらず……いや少なからず望んでいたけれど、<裸族>の珍しさと見た目のインパクトもあり、我輩の顔も大分広くなっていた。 その大半は被害者、ではなかった「我輩の注意喚起を受けた女性」からの恨み混じりのものであったが。
大地人からも「裸のおっちゃん」と親しまれ、そのたびそんなに老けてはいない! と返すのも楽しくはあったのだ。
しかし最近その視線が徐々に冷たいものとなったり、時にもめ事に巻き込まれることもあった。
有志で結成された円卓の治安維持部隊には「公序良俗に反する」として注意を受けたり(<裸族>が裸で何が悪い、と突っ返したが)、「我輩の注意喚起を受けた女性」とつきあいだした男性が頭に血を上らせて襲ってきたこともあった。
おそらく……乱にあって治をもたらす人物は治において必要とされないということなのだろう。
というわけで、我輩は円卓の指揮するススキノ遠征隊に参加することにした。
<大災害>後タウンゲートの活動が停止したため、自力でゾーンを踏破していく能力のないプレイヤーたちは最後に立ち寄ったプレイヤータウンから離れられなくなってしまった。
それに加え、<大災害>後の混乱によってススキノは大いに荒れていたらしい。 かつては蝦夷地とも呼ばれた僻地、<エッゾ帝国>という位置条件もあり、ススキノは一種の牢獄として作用していた。
しかし、円卓が成立したことによって状況は変わった。
もともとアキバに居を構えるギルドに属するプレイヤーも多くススキノに取り残されていたこともあり、大規模な救出隊が組まれることと相成ったのだ。
いちはやくアキバ-ススキノ間の往復を果たしたシロエ殿の報告、そして厚いバックアップがあるとはいえ、人数の関係でグリフォンを使うことが出来ないから数ヶ月がかりの……険しい道のりとなることは予想できた。
責任者として<D.D.D>や<ホネスティ>などから人員は出されていたが、一部のギルドに負担を強いるわけにもいかなかった。 そこで円卓からのクエストという形をとって、人員を募集していたところに我輩が応募したのだ。
思わぬいざこざに巻き込まれ、辟易としていた我輩にとって、まさに渡りに船だったといえよう。
いざ遠征隊の出発当日、そこには数十人規模、百人にも届こうかという数の人員が集まっていた。 人数だけで言うなら96人での大規模戦闘……レギオンレイドにも匹敵するかもしれない。
それは思っていたより大規模であったが、ススキノへ着けば護衛対象ともいえる人員もまた数十人規模で増えるのだ。 考えてみれば、この程度は当然なのであろう。
そして、その人員の中には見知った顔もあった。
「あ、ラカンさんも来てたんですね」
声をかけてきたのは相変わらずいかにもな魔女ルックをした少女。
名前を火織という、「はいてないこ」であった。
あ、いや「はいていなかったこ」であるか。
「……なんとなく、嫌な予感がしました。 そんなんだからモテないんですよ」
「いや我輩まだ何もしてないのであるが? いいがかりは止してもらいたいものである」
モテないことは認めるが。
この火織嬢には結局、後日街中で会った時に知り合いの<裁縫士>を紹介し、数組の水着を我輩のツケという形で提供した。
向こうからしてみれば我輩の顔など見たくもなかったのかもしれないが、それがせめてものけじめであると思ったのだ。
真摯な対応が幸を奏したのか、こうして顔を見かければ声をかけてくれる程度には打ち解けることができた。
「それよりも火織嬢が遠征隊に参加していたというのは少し意外である な。 あまり荒事には慣れていない様子であったが」
初対面の時もあからさまに怯えながら歩いていたし、レベルこそ高いもののあまり戦闘向けの性格をしているとは思えなかった。
それは自分でも自覚はあったのか、少し居心地が悪そうに目を逸らすと、あー、と呻いて話し出した。
「確かに、そうなんですけど。 でも私は円卓に救われた、逆に言えば円卓ができるまで救われていなかった側でしたから。 仲の良い人もログインしてなかったし、ひとりぼっちで」
下着事情も知らないほどであったものな。
内心で頷いていると火織嬢は見透かしたかのようにこちらをじろりと睨みつける。
「いま変なこと考えませんでした? ……ともかく! 『今度は私が助ける番だ』って意気込んじゃったわけでした、おしまい! 遠征隊は女性比率もなかなか低そうですしね」
不思議と勘の鋭い少女であるな。
知り合いがログインしてないと言っているが、なかなかパーティプレイをさせればうまくこなしそうである。
それはともかく、ただでさえ低いネットゲームの女性比率。 それに加えて道のりが険しいとなれば確かに女性は避けのも道理。 見渡せば、実に遠征隊の9割以上が男性である。 それでいで、いまススキノで震えている者達の中にも女性は少なからずいる。
陸路での旅は数ヶ月がかりとなるのだから、その間の共同生活を送るに当たって女手は確実に必要となるであろう。
「いや、感心しておったのだよ。 火織嬢もなかなか気が利く女性であるな、と」
紛れもなく本心からの言葉であった。
似た境遇にあるとはいえ見ず知らずの相手をそこまで思いやるというのはなかなか出来ることではない。
しかし、少女は我輩を訝しげに見つめるだけであった。
「ラカンさんが言うとなんか胡散臭いですね。 口調のせいかな」
なんと、失礼な。
「それに、あくまで服を着るつもりはないんですね」
さすがにそろそろ見慣れてきましたけど、と言いつつ我が輩の大胸筋に目をやる少女。
「うむ、これが我輩の我輩たる由縁であるゆえ」
「<裸族>のボーナスもそう大したことないんだし、着ればいいのに……。
あ、向こうはまだ寒いらしいですよ。 着く頃には融けてるかもしれませんが、まだ雪も見えるとか」
「……気候に合わせるくらいの柔軟さは持ち合わせているのである」
頬をひきつらせながら答えると、火織嬢はそこは最後まで貫きましょうよ、と破顔した。
そろそろ出発みたいですから、と背を向けた火織嬢に手を振り、我輩は思案した。
……物資管理の担当者に防寒装備について尋ねておいたほうがよさそうであるな。
遠征隊は馬をメインとした陸路を進むことになる。
事前の協議の結果、山地を避けてかつての東北自動車道沿い、つまり太平洋側を回ることとなった。
シロエ殿の辿ったルートをなぞるという案もあったが、まず救出は急がれるが一日を争うような事態ではないということ、そして大人数での行軍ということで<パルムの深き場所>などルートが崩落したり、分断される可能性を危惧しての結論である。
それは大地人の支配領域を縦断するということでもあり、侵略と勘違いされる可能性やらについても話し合いがあったようであるが、そちらの結果は知らぬ。 他にもいくつか理由があったようだが……とにかくいくつか、大地人の街を経由しながら進むこととなったのだ。
結果として、順調な行軍となった。
大地人の住まう土地というのはほぼイコールでモンスターの脅威に晒されにくい土地ということでもある。
モンスターのレベルも低いうえそもそも遭遇率もそう高くなく、身軽な<武闘家>、<暗殺者>や弓などの遠距離攻撃でほとんどは片づいた。
蘇生魔法の使い手もいるとはいえ、帰りは大神殿送りにしてはならない、多くの低レベルプレイヤーを連れての旅となる。 そういう意味ではよい練習になったといえるだろう。
「大地人の皆さん、すごく優しくて! ほら、この果物いっぱい買ってくれたからおまけだってくれたんですよ!」
火織嬢は嬉しそうに笑ってりんごを磨いている。
もう出発から一週間ほどが経ち、先ほど現実の仙台に位置する城下町での補給から帰ってきたばかりなのである。
「そうであるか。 良かったであるな」
「あ、ラカンさんもしかして拗ねてます? 自分が町に行かせてもらえなかったから」
そんなことはない。 そんな子供みたいな理由で拗ねたりしないのである、と言おうとしたが、ぐ、と詰まって言葉にはできなかった。
……嘘はつかないのが紳士であるゆえ!
そもそも大地人に不要な圧力をかけないため、として補給は少人数で行うことになっていた。
「いくら冒険者と言っても、ほぼ裸の男性が現れたらいろいろと問題になりますよねえ」
うんうん、とひとり頷きながら磨いていたりんごにかぶりつく。 かじられたりんごは瑞々しい音を立てて果汁をはじけさせる。
反論しようにも反論の仕方が思い浮かばず、りんごをかじる火織嬢をただ見つめていたら、物欲しげな視線と勘違いしたのか「おひとつどうです?」とりんごを手渡してくれた。
我輩は磨く袖などないので礼を言ってそのままかぶりつく。
……うむ、美味いりんごである。
うまいであるなと我輩がこぼすと、ですよねと火織嬢は笑った。
既にりんごの半分ほどをかじり取っていた彼女は町での出来事なんですけど、と前置きして語り出した。
「大地人のおばさんが『最近、冒険者様がたの姿をとんと見かけなかったけれど……クエストを受けてくれたりしないのかい?』って言ってましてね。 なんというか、私たちとしてはしょうがないし我慢してもらうほかない、って思いますけど。 モンスターの討伐依頼なんか、向こうからすれば生きるか死ぬかにも関わることですもんね」
かじりかけのりんごを手に語る火織嬢はどこか寂しそうであった。
大半の冒険者たちにとってすれば大地人を救わなければならない義理もなく、けれど世界が「そうあるもの」として冒険者を設定している以上、冒険者が救わない限り奪われる命というものは存在する。
「それに関しては、考えすぎないほうがいいであろう。 大地人も自衛のための戦力は持っているのだし」
「それはそうですけどね。 私一人で出来ることがちっぽけだ、なんて散々思い知らされましたし」
その言葉を最後に会話が途切れ、ただりんごをかじる音が響く。
「……関係ない話であるが、この後少し付き合わんかね」
「な、なんですかナンパですか」
「いやいやそんな大層なことではない。 腹ごなしに散歩とちょっとした運動でも、と思っただけである」
我輩がかじり終えたりんごを持て余し、そこらに投げ捨てたのを見ながら、火織嬢が少し目を見開く。
「それは、例えばちょっとこの辺りを歩きつつ、人里に降りそうなモンスターがいたら倒しておこう……みたいな散歩ですか?」
我輩はうむ、と頷く。
「馬に乗るのも飽きた所であるしな。 少し気分転換したいのであるよ」
「そういうことなら、お供しましょう。 食べちゃうんでちょっと待ってください」
急いでりんごをかじり我輩と同じように残った芯を投げ捨てると、ローブの袖で口元を拭い、火織嬢は立ち上がった。
我輩も腰掛けていた切り株から腰を上げる。
別に全く他意はないのであるが、これで偶然にも救われる大地人が居ればよいな、と思いつつ。
「やっぱり、トンネルですか」
アキバーススキノ間での最大の難所、津軽海峡を前に一行は早めに設営をしていた。
「一応船も出ているようではあるが、なにぶん大所帯であるし、船から水棲モンスターへの対処が難しいであるからな」
大きく分けて、海峡を越える方法は三つある。
空路、海路、陸路である。
空路はグリフォンや、飛行可能な召喚モンスターに騎乗して、というもの。 最もモンスターの危険が少ない道でもある。
シロエ殿らはこの方法で越えたらしいが、今回は人数が多すぎて、少しずつ往復で運ぶにしても数日がかりになってしまうだろう。
次に、海路。
城下町である<桜の街ヒロサキ>を中心としたここらの大地人の居住区は、港の機能を持つ<アオモリ港>にかけて開かれている。
エッゾとイースタルは違う国家、文化圏であるとはいえ、だからこそ利益も大きいものが貿易というもの。 商人や冒険者向けに船も出ているようだが、人数が多すぎることと、水棲モンスターに襲われ万が一船が壊れた場合、蘇生もかけられずアキバに逆戻りしてしまうことが懸念された。
よって、結局選択されたのは陸路。
この世界では<海底トンネル>とだけ呼ばれる、現実での本州と北海道間を結ぶ青函トンネルである。 だが歴としたダンジョンでもあり、単純な構造から地力がなければ踏破は不可能だと言われている。
不気味に口を開けるトンネルの入り口を前に、火織嬢はどことなく不安そうに、けれどわくわくを隠しきれない様子で口を開いた。
「この人数なら力押しでいけるんでしょうね。 私、海底トンネルを通るのって初めてです」
それは、現実世界での話であるのかゲーム時代の話であるのかはいまいち判別がつかなかったが、どちらにせよ確かに珍しい体験ではあったろう。
現実世界であるなら、住所によるとはいえ海を越えるほどの旅ならば大抵飛行機の方が便利であるし、ゲーム時代はわざわざトンネルを越えなくとも、タウンゲートでススキノまで行き、そこから移動した方が早い。
「我輩も初めてである。 戦闘があるから喜んでばかりもいられないとはいえ、やはりわくわくしてしまうであるな」
隠れる所もないトンネル内では逃げるのはおろか、戦闘も長引くといま戦っているモンスターも倒しきれないままに新たなモンスターが襲ってきたりする。
それに加え、このダンジョンはどこにでもいる|<鼠人間>《ラットマン》及びその亜種を始め、海底だからか|<棘殻貝>《スピニー・シェル》、はてはエッゾからやってきた小型の|<岩巨人>《ロックジャイアント》まで、様々なモンスターが徘徊することもあり、一筋縄では行かない。
もしかすると、暴れすぎるとトンネルが水没するかもしれんが、と言うと火織嬢はやめてくださいよ、と笑った。
「なにはともあれ、早めに休むべきであろうな。 トンネル踏破は朝早くから始め、一日がかりになるであろうから」
「です……ね。 わかってはいるんですけど、ほら、私遠足の前の日は眠れない性質でして」
そう言って照れ隠しにあはは、と笑う火織嬢を見て我輩はなんとも不安になるのであった。
まあ不安がろうが楽しもうが……寝不足だろうが明日は来る。
何分火力が過多であるゆえ、想定していたほどの苦労はなかったが、腐ってもダンジョン。
モンスターのリポップ速度から大丈夫だろうとは思われたが、復路の護衛も考慮して殿にも盾職をきちんと配置、慎重に進んだ結果、朝早くからトンネルに潜ったにも関わらず、再び地上の空気を吸ったときにはもう日は暮れかけていた。
ススキノまで、もう少し。
「えー、アキバまでの移動を必要とする人はこれで全員でしょうか」
ススキノの広場にて、今回の責任者である<D.D.D>の<召喚術士>が大声を張り上げていた。
トンネルを抜けた数日後、ススキノまで到着し街中を回ってアキバへの移動を求める人を呼び集めた結果、遠征隊に加えて随分多くの人間が集まっていた。
随分、多くの。
当初想定されていたのは、自力で帰ることが出来ない低レベルプレイヤーたち。
その数は正確にはわからなかったが、アキバを拠点とするギルドに属するプレイヤーもいて連絡をとっていたため、おそらく五十人に届かない程度だろうと言われていた。
いま広場に集まっている、アキバへの移動を希望する人はざっと、その倍に届こうかというほど。 今回の遠征隊の規模とほぼ同等である。
心なし、声を張り上げる責任者の顔もひきつっているように見える。
「えー、ではここにいる方の名簿を作ります! 係に名前を告げてください! そののち、各自で旅の準備を整えてください! 出発は明日の予定です!」
我輩は怒声を聞き流しながら列を作って並ぶ人たちを眺める。
当初の予想から随分を数を増やしたのは、ススキノで横暴な振る舞いをしていた荒くれ冒険者達……および、その配偶者(と呼んでいいのだろうか)が多いからのようだ。
ススキノでは冒険者による大地人の人身売買、つまり奴隷商が行われていたという話は聞いていた。
おそらく仲睦まじげに腕を組んでいる女性らは、元はそういった立場であったのだろうが……。
どんな出会いであれ、当人らがよいのならばそれも一つの愛の形であるのだろうか。
それとも女は強し、と言うべきなのだろうか。
まあ……「荒くれ者達も守るべきものに気づき、紳士に目覚めた」と解釈することにしようか。
しかし、あきれたと言うべきか……どうにも気が抜けてましった。
ふと隣を見るとそこには同じように呆れた火織嬢が居り、二人で顔を見合わせて苦笑したのだった。
遅刻しました。
ススキノ遠征隊のとったルート及び所要日数については誰かに考察してみてほしいですね(ぶんなげ)
海底トンネルとヒロサキについては書籍版七巻の付録をもとにちょっと盛りました。
また、オチの「ススキノの冒険者が逆に大地人にたらされた」って設定は凡人Aさんの作品、ヤマトの国の大地人(http://ncode.syosetu.com/n1619bb/)より。
作品の形式から察されてるとは思いますが、大いに影響を受けた作品です。