ハバネロ・オナニー・ボーイズ
俺が、真田達也という男と初めて会ったのは、高校2年の時だった。
俺も真田も 軽音楽をやっていた。いや、真田の場合、「パンク」せめて「ロック」と言わないと奴は頭を掻きむしったりしていた。
真田は編入生であった。
親が離婚して、母親の実家があるこちらの方へ越してきた、との事だった。
真田は編入してから一週間後、音楽室のドアを叩いて、入ってくるなりこう叫んだ。
「なぁ!俺ギターやりたいんだけど!」
ちょうど俺の組んでいたバンドはギタリストが1人、最近他のに取られたので、これ幸いと真田に飛びついた。
だが。
真田はどうやらあっちで軽音楽をやっていなかったらしい。
ギターを持っていない、というのはまぁまだわかる。
だがそれ以上に。
ウチのベーシストの志田川が 「俺のギターのボロいのをどれでもやるよ」と言ったのが真田という男を伝説化する一つのキッカケになった。
次の日に志田川は「もうウンザリだ」という顔で、そしてそんなオーラでギター兼ボーカルでリーダーの俺の元へ来て、実際最初の言葉は「もうウンザリだ」であった。
「木下(俺の苗字だ)、真田をバンドに入れちゃいけない。」
「どうした、何があった」
話を聞けば、志田川がネタとして仕込んだのでなければ、「奴はギターとベースの違いがわからない」との事である。いやぁ笑った。
だってあんた、そこら辺でうろついているちょっと音楽に詳しい素人中学生だって「ギターは弦が6本、ベースは4本」と答えられると俺は思う。賭けたっていい。
そしてだ。
志田川はああ言ったものの、バッサリ切り捨てるのはかわいそうだ、という上から目線もいいところな理由でしばらくはウチのバンドが真田の「飼育係」になった。
志田川による「これは何という楽器でしょうかクイズ」が出され、シンセサイザーを「ピアノ」と答える能力を確認したところで、真田達也強化練習会が開催となった。
そこで「真田達也伝説映画化決定」の祝砲が俺の頭の中で暴発した。
奴はギターのネックを持って、満面の笑みで「おぉうりゃあぁぁぁぁ!」との気合一発、ギターを床に叩きつけてへし折ったのだ。
俺らはもちろん、他の音楽室にいた面々も、ただただ唖然としていた。
木屑が音楽室の床いっぱいに広がり、世紀末を予感させた。
真田は、志田川からもらったギターを、がじゃがじゃとしつこく踏んだ。
志田川は、奴にしては珍しく、「俺、なんかあいつに悪いことしたのかなぁ」と不安気な顔をしていた。
なんだあれは。化け物か。狂ったか。そうか、狂ったか。
三分遅れで音楽室はざわついて、気がつけば俺は真田を羽交い締めにしていた。
真田は職員室に呼ばれたが、「お前は普段何のバンドを聴いているんだ」との質問に、「マキシマム・ザ・ホルモンです。」と答えたところ、音楽室の掃除だけで済んだらしかった。
漫画とかなら、俺が「あいつの行動は、しかし実にパンクで、あれこそ俺らの目指す道ではないか。」とか思うんだろうが、
いや正直に言えば「本能に忠実」という面ではほんの少し思ったのだが、俺が真っ先に思ったのは「もったいない」とかいうショボすぎる感情だった。
何かの本で「ロックとは他人との差別化だ」と「前の世代の」シンガーが言っていたけれど。
お前それしかギター持ってなくてしかも貰いもんだろうが。
脳に光るは「常識」の文字。
「これからどうするつもりなんだよ。」
「んー、どうしような」
「アテがねぇのに壊すなよ、ギター。」
「いやぁ、親父がやってたのをちっちゃい頃から見ててよ、ずっとやってみたかったんだ。いやー、スッキリした。」
真田の瞳は事実、トイザらスに来た5歳児並にキラキラと澄んだ輝きを見せていた。
「・・・親父さんもなかなかパンクだったんだな」
「んーとな、ちょっと前まで『カーチェイス・デットヒート』ってバンドやってた。」
え。えええええええええええええええ!
「ちょ、え、ちょっ。」
カーチェイス・デットヒートっつったら、俺が小学生のゲーム時代から抜けて音楽を聴き始めるキッカケとなった、そしておそらく俺の中で永遠の1位であろう大好きなバンドじゃないか。
あ、道理でパンクなのね。許す許す。
「え、お父さんのな、名前は?」
「本名は高見修也。たしかバンドん時は「魔王ギボルベルグ」とか名のってたな」
うわあああああ。死ねる。今なら俺、死ねる。だってお前、同級生の父さんが尊敬するアーティストって。
こいつギボベルさんの息子なのか。
よく見ればオーラが違うもん。こう、なんていうか「近づく者みな傷つける」っていうトンがったオーラ出てるもん。いやぁカッコいい。惚れちゃう。
という事はである。ギボベルさんの天才的ギターの腕前も受け継いでるんじゃなかろうか。
「お、親父さんのギターまだ残ってんのか?」
「わかんねぇ。とりあえずテルしてみるわ。」
で、電話っ!!ゴクリと生唾をのむ。
真田はペカペカと携帯を開いて閉じてを繰り返しながら音楽室を出た。
その10日後。
真田はショッキングピンクのギターを肩にかけてやって来た。
そしてそのさらに10日後。
気がつけば前のバンドを捨てて俺は真田、及び「桐西中学校カーチェイス・デットヒートファンクラブ」のみなさんとバンドを組んでいた。
何やってんだ俺は。
しかもバンド名は「神の子」である真田が、恐ろしくテキトーに「ハバネロ・オナニー・ボーイズ」という中学生感溢れるバンド名を命名し、ご丁寧な事にキーボードの久保田が翌日、筆をとって半紙に「ハバネロ・オナニー・ボーイズ」と書いた。達筆だった。
メンバーは5人だった。
ボーカルが真田、ギターが俺で、前述した通りキーボードが久保田。ベースが柴崎という高1で、ドラムは灘。全員男である。
しかしキレイに各パート揃った事である。やはりそうゆう割とどうでもいい部分で真田という男は「神の子」なのかもしれない。
真田自身は、「神の子」扱いされている事に対して、「親の威厳を借りるってのはロックじゃねえな。」と言っていたが、後に奴は「音楽界に入るにはコネと力が必要だ。」と言い放つ。
そうゆう「コネ」が必須条件な世界ってのもまたロックじゃねえな。と俺は心のなかで毒づいたワケだが。
何はともあれ、真田がギボベルさんの息子、っていうのは揺るがない。揺るぎようがない。
俺と真田は特にハバオナ(いうまでもなくバンド名の略称だ)の中でも親密だった。いやホモとかそうゆう事言うな。
「キーボードはやはりバンドにいてほしいよな」というのを話したり、「俺、実はさぁ」で始まる下ネタ混じりの恋バナ(だいたいは最終的にセックスの話)をしたり。
そして真田はついに俺にこう言ったのである。
「このギター、貸すか?お前、親父のファンなんだろ?」
そう言われた瞬間0.3秒間イナズマで、真田が始めてあのショッキングピンクのギターを持ってきたときの感動と衝撃を思い出す。 思わず落涙しそうになる。
「え、いいのか?」
「いいぜ、どうせ俺ギター弾けないしな」
ちょっと待て。まだお前は弾けないのか。
ショッキングピンクのギターは重かった。なにもかもが重かった。
しかし俺は念仏のように「ギボベルさんギボベルさんギボベルさん」と唱えて、その全てを「カーチェイス・デットヒート愛」に喰わせて乗り切った。今考えると無茶な事をした。
そして驚くべき事に、このバンドは最後の最後まで解散せず、恐ろしい事にライブもなかなかの評判で、うっかり全国規模の学生フェスに出るなど、大成功してしまったのである。
ハバオナの名は、俺の読んでいた音楽雑誌にも載ってしまったのである。
ただ言いたい事を叫んでいただけなのに。
よって、ハバオナはインディーズでCDまで出すことになっている。
つまりはプロデビューへの始めの一歩を踏むのだ。
しかしそこに俺の姿はなかった。
誰しも一度はなる、「先行き不安症」が一家でジンマシンのように出たのである。
「音楽なんかで食っていけるの?」と親に毎日毎日言われ、そのうち俺自身も不安になり、俺だけバンドを抜けたのだ。
その頃のハバオナは学校名物になっていたので、俺が抜けた穴は5秒で埋まった。
「ギター、返すよ。」
真田に俺はそう話しかけたが、真田は無視をきめこんだ。
「ギター、返すよ。お前の、ていうかお前の父さんのだろ?」
先ほどより音量を上げたが、奴はやはりそっぽを向いている。
「・・・るよ。」
そっぽを向いたまま、真田が何かを言った。そっぽを向いたままだったので、イマイチ聞こえない。
「やるよ、そのギター。」
真田はニヤリとしながらこちらを振り返った。
いい男だった。
俺は眩暈で宇宙の果てまで飛んで行けそうだった。
ちなみに俺はホモじゃない。
そうして、俺はショッキングピンクのギターを得たまま、卒業まではハバオナとほとんど関わる事無く、高校を卒業した。