らしいことをしよう◇今日も船は
目の前でゆらゆらと揺れているのは、丸い緑色の笑顔だった。
「……まーくん…。レイヴさんはね、具合が悪いんだよ…。ほっといてもらえないかなぁ…?」
「遊び相手が死んでいるから、つまらねぇらしいな」
飼い主の声に反応したまーくんは、ぐるんぐるんと回転し、部屋の隅にあった空の酒瓶にストライクをかました。
ガシャーンッ!
「お前に構ってもらえねぇと相当ヒマらしいな。ほれ、水」
「…いつもと立場が逆だよ、まったく」
ベッドに沈没しているレイヴは、キオウが差し出したコップの水を数口飲んだ。目の下のクマがハンパなく、げっそりとしている。
夕日が差す窓から優しく聞こえるカモメの鳴き声。
「賢者サマー…、ホントに何を食わせたんだよー…? あれ以来、とにかく気持ちが悪くてしかたがないよー…」
「正直に告白するから許してくれよ。
薬の調合を間違えて処分に困っていた所に、ちょうどお前が」
「…。訊かなきゃよかったよ」
「あ、はい薬」
「……。今度は何を飲ませる気…?」
疑心暗鬼のレイヴに、キオウは正直に告白した。
「今度は正真正銘の滋養強壮薬。ちなみに、ベースの薬に16種の薬草と21種の材料を独自配合した俺オリジナル作品だけど」
さりげなく再び毒見させようとしているキオウであった。
手渡された透明な小瓶の中身は、うっすらとした水色の綺麗な液体。フタを開けると、ハッカのような爽やかな香りが鼻をかすめる。
「…どんな味?」
「ベースの薬はすっげー苦いけど、コレは全然平気だったよ」
「…。キオウ、飲んだの?」
「指先にちょこっと付けて舐めただけ」
「……やっぱり訊かなきゃよかったよ…」
瓶を片手にしばし凝視していたレイヴ。腹をくくった次の瞬間、ググーッと一気に飲み干した。
慌てて水のコップに持ち替えて口直しをしようとし――…、キョトンと空の小瓶を見つめる。
「な、なんだ…。フツーにうまいよ」
「そうか? よかった」
実験成功。
キオウはレイヴから見えない所でガッツポーズをした。
「ところでキオウ、ここはどこ?」
窓からはカモメの鳴き声の他に、僅かに人々のざわめきも聴こえてくる。
「イズベルの港」
「へーぇ。いつ着いたの?」
「昼過ぎだよ。お前は爆睡していたからな」
イズベルかぁ…、とベッドから身を起こすレイヴ。
「なら、調子が戻ったら『路地裏の酒場』に行こうっと」
「あそこのマスター、強面で厳ついから苦手だな…」
「あれ? 知ってるの?」
「昔イズベルに来たときに、お前が連れて行ったんだぜ」
「何年前?」
「3年か4年前かな」
そうだっけー? と首を傾げるレイヴ。
そこに何故か「なんで包丁貸してくれないのッ!?」というキーシの怒鳴り声が聞こえた。
「「………」」
少女の物騒な雄叫びに、つい顔を見合わせるレイヴとキオウ。
「…包丁?」
「クッキーでも焼くんじゃねーの? 乙女スイッチが入ったんだろ」
「クッキー作りに包丁は必要だっけ…?」
「生地切るのに必要だろ?」
「…キオウって料理出来るの?」
「目玉焼きなら任せろ」
目玉焼きなら、とアクセントを置いたキオウ。
…レイヴの嫌な予感は止まらない。
「あの、賢者サマ? 一応確認するけどさ、ごくフツーの目玉焼きだよね? 目玉を焼いていないよね?」
「大丈夫」
「……。答えになっていませんよ、賢者サマ…」
キオウならごくフツーに何らかのイキモノの目玉をまるっと上手に焼きかねない…。やれやれと力なく苦笑するレイヴ。
もしも「フツーの目玉焼き」だとしても、黄身が潰れた上にタマゴの殻も入っていそうである。たっぷりと。
「キオウが嫌いな食べ物は?」
「魚卵。その中でも、子持ちシシャモ」
「ありゃ、どーして?」
「無理。とにかく無理。生理的にムリ。二度と食わねぇ。
レイヴは?」
「砂漠を探検したときに、現地でサソリ料理のフルコースを出してもらったんだけど、ねぇ…」
「サソリかよ」
予想の斜め上をいく変化球の答えであった。
食感を思い出して身悶えるレイヴ。失笑するキオウ。
「でも、お前の故郷ってコオロギを食うんだろ? 似たようなモンじゃね?」
「確かに『コオロギの佃煮』はクレイバーの郷土料理だけど、だからってサソリと一緒にされてもなぁ…。
ショウカの郷土料理ってなぁに? 食べ逃したなぁ」
「郷土料理? そんなモンあったっけ?」
「――…『やわらか地鶏の甘煮』は余所の人には苦手かもねー」
当然のように割り込んだのは、ショウカの元宮廷料理長であった。
さささッ! とレイヴの部屋にゴキブリのごとく侵入したインパス。キオウの姿を見た瞬間に、安堵のあまりに表情を崩す。
「キオウさまぁぁ、賢者さまぁぁぁ。インパスのお願いをきいてえぇ〜っ」
「…。気持ち悪ッ!」
「これをウチの弟に渡してきてよ〜。キーシが見つけてさぁ、俺から奪おうとするんだよぉ〜」
ドン引きのキオウなど完全にお構いなしに、インパスは懐に大事に抱いていた木箱を取り出す。初々しく開けられた木箱に納まっていたのは、美しく磨き上げられた技物の包丁。
その持ち手に見慣れた紋様を見つけ、キオウは小さく首を傾げる。
「ショウカ王家の紋章? なんで?」
「俺が料理長になったときに、アゼルス様から拝領したんだよー。使うのがもったいなくて大事にしまっていたんだけど…、キーシが見つけちゃって」
「んで? 弟に届けろ?」
話が見えない。
怪訝なキオウに、ずいッと迫るインパス。半泣き状態である。
「キーシがこの包丁で『三枚おろしの練習をする!』って言い出したんだよぉぉ〜ッ!
キーシだよ? あのキーシだよッ? この包丁に万が一の事が起きたらと思うと、もう胸がギューッとしちゃってさぁッ!」
涙目の鬼気迫る訴えであった。
迫力に押され、背後のベッドに倒れ込むキオウ。
「あー…、まぁ、うん。無事に戻ってはこねぇだろうな」
「てか、インパス…。あの子供に刃物を渡す行為には、危険性を感じていないんだね…」
レイヴの嘆きがインパスの脳みそに届くことはなかった。
とにかくキオウをその気にさせようと必死のインパス。
「キオウも久しぶりにアゼルス様にお会いしたいでしょっ?」
「手紙のやりとりしているし、別に寂しくはない」
「お願いだよキオウ! 俺の家宝を助けてよーッ!!」
「迫るなくっつくな近い近いちかいッ!
あ゛ーッ、はいはいはいハイッ! わ〜かったからッ!!」
「やったーぁっ♪」
今にも天井から紙吹雪が降り出しそうな喜び方のインパス。苦笑いが止まらないレイヴ。
…めっちゃ面倒くさい。
包丁の木箱を受け取ったキオウの顔には、しっかりとそう書かれてあった。
「ところでインパス。ナントカ地鶏は苦手かも、ってどういうこと?」
安堵の涙をダーッと流すインパスに、苦笑しながら訊ねるレイヴ。
「『やわらか地鶏の甘煮』だよ。ショウカ特産『やわらか地鶏』のもも肉を果物と煮込むんだ。かなり甘いからねぇ。子供は好きな味だけど、どうかなぁって」
「…あー、あれか。思い出した。ガキの頃に好きだった」
「ちっちっちっ! 俺はおひとりサマでもお子さまランチを注文した経験がある男だよ? お子さまの味は夢の味…! 食べてみたいなぁ~…」
「そうだねぇ~…。キオウ、ついでに『やわらか地鶏』を」
「却下。なんでこの俺が食材の調達までついでにしなけりゃならねーんだよ?」
「だよねぇ…。だからレイヴ、諦めてね。代わりに別の郷土料理作ってあげるから」
「え〜っ?」
「――――ここねっ」
どおぉぉんっ!
「おわっ、キーシ!?」
「俺の部屋のドアがッ、ドアがぁ〜ッ! 蝶番がふっ飛んでるーッ!」
「インパスさーんっ、包丁貸してってば〜っ。悪いようにはしないからっ」
「悪いようになんてされたくないぃぃぃっ!」
「…あれ? キオウさんはいないの?」
「「…へっ?」」
確かにいない。
いないが――…。キーシが突入する瞬間に、そういえば移動の魔法陣の光が視界に入った気がする。
ありがとうキオウ。
インパスは再び嬉し涙を流した。
「こうなったら実力行使っ。インパスさん、かくごおぉぉ〜っ!」
「覚悟…?
って――…うぎゃああああッ! とととッ、年頃の女の子がオジサンの服をめくるモンじゃありませんっ! くすぐった…ッ、うわっ、やめなさいってばー! 俺はもう持ってないよ〜っ!」
「ウソ! 絶対に持ってる! あたしのカンがそういってる!」
「そのカン、間違ってるよぉ〜っ。レイヴ助けてぇ〜っ!」
「助けられないよ。俺は病人。ほら、こんなに体が動か――…あれっ?」
「動けるじゃないかぁぁぁぁっ!」
賢者の薬は効果テキメンであった。
「レイヴさんが持ってるんじゃないでしょうね!?」
「持ってない持ってないっ」
「誤解だよ〜っ」
悲劇のインパスはただただ泣いた。
復活したレイヴはただただ笑った。
止まらないキーシは天高く叫んだ。
「うきぃぃぃぃッ! こうなったら、白状するまで居座ってやる! ふたりとも監禁してやるッ!」
「うわぁぁんっ、夕飯の支度ができないぃぃっ!」
「ドアが壊れた部屋に監禁すると言われてもねぇ…。
――あ、カイだ」
下の蝶番が外れてぷらぷらしているドアを、さまざまな角度から検証するカイ。
ふいに取り出した帳面に、何やら素早く走り書きをした。
【ドア修理費→インパス持ち】
手の動きで書いた文字がわかった。
「ちょい待ち! なんで俺ぇ〜っ!?」
「…? この騒ぎの元凶はお前だろう?」
「ちッがあぁぁぁうッ!! そもそもキーシが」
「子供の小遣いで払える額か?」
「えっ、そんなにするの!?」
「――…なんだかなぁ…。俺も災難続きだよ。ヘンなモノ食わされるし、ドア壊されるし…」
どさくさに紛れて室外へと逃走したレイヴのため息。素早い動きはさすがトレジャーハンターである。
「ドアが直るまでどこにいよう…? カイ、居候しても」
「俺の部屋には今、俺以外の人間が寝るスペースはない」
「へ? カイの部屋はいつも整理整頓されてるのに?」
「キーシに家宅捜索された」
嵐か竜巻が通った後のような部屋を思い出し、真顔で低く呟くカイ。
「じゃあ、ジークの部屋に――…。
あれっ? ジークは? こんな騒ぎにも来ないだなんて珍しい」
「出掛けたぞ。しばらくは戻らんそうだ」
「そっかー…。留守中に勝手に入ったら怒るよなぁ…。
ラティの部屋は? やっぱりキーシに荒らされたの?」
「ラティも出掛けた。近くの街で、有翼人の集まりがあるとか。明日には戻ると言っていたが」
「子供が夜遊びして朝帰り? おとーさん悲しくて泣いちゃうね」
「キオウはどうした?」
「配達に出掛けたよ」
相変わらず攻防を繰り広げている少女と料理人を眺めるふたり。
お互いが何を考えているのかわかった気がして、つい顔を見合わせた。
「なんか…」
「不幸、だな」
「そうだよね」
「もはや異常だな」
「というよりも、ジークのいつもの災難がこっちに来た感じ?」
「ああ…、確かに」
そしてふたりは、同時に思った。
「ジーク…、本格的なお祓いを受けるべきだよ…」
「だな…」