過去を追う◇過去を追う4
※若干刺激の強い描写が含まれています。
門限を破ったと酷く叱りつけてから10日が経った。
風邪もすっかりと治ったユウガが、兄シュウと無邪気に中庭を駆け回っている。
あの子は今年で7歳になる。――ユレンが死んで7年が経った、ということだ。
息子達の姿をバルコニーから見つめ、ユギハは優しく穏やかに目を細める。
来月はユウガの誕生日だ。去年は「大きくてふわふわした犬のぬいぐるみが欲しい」といういとおしい願いだったが、今年は何を望むのだろう? それはユギハの密かな楽しみでもあるのだ。
「にぃちゃ〜ぁんっ」
ちょこまかとシュウを追いかけるユウガ。だが次の瞬間、顔面から盛大に「べちっ」とこけた。シュウが慌てて駆け寄り、助け起こしている。
芝生のおかげで、ユウガは怪我をしなかったようだ。黒い瞳をますます大きくさせ、自分の顔についた泥を拭き取ってくれている兄をキョトンと見ている。泣かないだけ偉い子だ。
「にぃちゃん、ありがと」
「痛かった?」
「だいじょーぶだよ。ホントだよ」
にこにこと笑う弟にシュウもつられて笑い、今度は仲良く手をつないで歩き出す。
仲の良い兄弟の微笑ましい姿に、ユギハもつい笑みを浮かべて踵を返した。
夕方。門限の時間に塔へ向かうと、息子達は入り口付近に座ってトランプをしていた。
先に自分を見つけたのはユウガだった。弟の視線にこちらを見たシュウが、体を前に乗り出して口を開く。
「ユウはちゃんと門限を守ってます。だから、父上…」
弟を守るためにまっすぐと見据えてくる目は、大の大人を退けさせるほどの力強さすら感じる。
ユギハが頷くと、シュウはほっとした表情でユウガを振り返った。
だが…。ユウガの表情は相変わらず暗く、こわばっている。
そのまま無言で塔の中へと走って消えた弟の様子に、心配で仕方がないといった顔のシュウ。シュウを先に帰し、ユギハは塔へと入った。
螺旋を描く階段を上り、息子が寝起きをしている部屋に向かう。
ユウガはベッドの上で両膝を抱えていた。
「鍵、閉めるぞ?」
「うん…」
「――…どうした? 言いたいことがあるのなら、言いなさい」
ドアに寄りかかり息子を見つめるユギハがそう言うと、膝を抱える小さな手がギュッと握り締められた。
「と、とーさん…」
「ん?」
「…どうしてぼくは、シュウにぃみたいに、とーさんと一緒にいられないの?」
「……それは…」
――答えられるはずがなかった。
何故この子にこんな残酷な事をしているのか、ユギハ自身もわかっていないのだから。
愛する人の命を犠牲にして生まれたことへの憎しみか。
それとも――。
『お前は――こんな哀れな裏切りには遭うな』
あの遠い昔――、自分にそう言ったのは、将来息子の妻となる者の父親に己の妻を奪われた男だった。人を信じることを放棄した男の我が子への願いだった。
思い出そうとすれば容易に思い出せる。父を裏切り死んだ母のことを。
そして――、自分の妻に子を孕ませた兄のことを。
………シュウは、俺の子だ。
血の繋がりなど関係ない。あの子を愛する気持ちには微塵の揺らぎもない。
そして――…、この子を愛する気持ちも。
だって、そうではないか。この子を憎んでいるのなら、産まれたその場で殺していたはずだ。ユレンを偽ってでも堕胎させていたはずだ。
愛していないのなら、どうしてこの子の誕生日など祝うだろう。
ユレンが死んだ、その日を――。
…もう裏切りには遭いたくない。
もう大切な存在を失いたくない。
母の胎内にいる頃から家族へ気を配り、あろうことか産まれたその場で父である自分に謝罪の嗚咽をあげた、この子。
この子に裏切られたくない。
この子を失いたくない。
ずっと、ずっと共にいたい…。
それを実現するには――…、この子を抑え込むことしか、自分にはできなかった…。
……歪んだ愛情だと、わかっていた。
正さなければならないと、わかっていた。
だが――…。
「…そんなくだらないことなど、気にするな」
そうしてまた逃げることしかできない、愚かな自分がいた…。
「――ユウ。今お前が欲しいものはなんだ?」
星が瞬く早朝。枕元に浅く腰掛けて問うと、眠たげなユウガは可愛らしく目をこすった。
トロンとした幼い顔には疑問符が埋めつくされていて、その愛しさにユギハの表情は自然と和む。
「なにかひとつだけ叶えてやろう」
「………」
「遠慮はするな。なにか欲しいものがあるんだろう?」
ためらっている様子の息子を優しく促すと、ユウガは消え去りそうなほどに小さな声で「じゃあ…」と自信なく呟く。
「ん? 言ってごらん。絶対に怒ったりはしないから。な?」
再度の促しに、ユウガは一度口を開きかけて、再び閉ざす。
それでもユギハの優しい眼差しでの促しに――…、ユウガは唇を震わせながら声を発した。
「ぼ…ぼく……、今日だけでいいから、とーさんと一緒にいたい…」
「――…ユウ…」
…幼い我が子の予想外の言葉に、激しく動揺するユギハ。
対してユウガは、涙を溜めた両目をギュッと閉じ、微かに震えながら父の答えを待っている。
それは、あまりにも痛ましい姿で――…。
「……そうか…」
その日――。業務のほとんどを翌日以降に回したユギハは、この小さな我が子を自分の部屋に招き入れた。
滅多に入れない父の自室。最初こそ緊張していたユウガだったが、やがては子供らしい笑顔を花開かせた。
食事も風呂も何もかもが一緒だった。いつもはユウガの遊び相手などほとんどしないユギハだが、今日ばかりはと簡単な工作を教え、本の読み聴かせもした。
この子を膝に乗せたり――ましてやこうしてこの子が自分の腕の中で眠るなど、初めてのことかもしれない…。
「………」
この可愛らしい寝顔を、何故これまで見ようとしなかったのだろう…。
飢えた愛情を一気に埋めるかのように甘え疲れて眠ってしまった寝顔に、こんなに愚かな父親の胸の中で笑みすら浮かべて安らかな寝息を立てる我が子に、ユギハは深く大きなため息をつく。
今のままではいけないのだと、そうわかっているのに…。
「俺は…、本当に馬鹿で最低な父親だよな…。
ユウ…、ごめんな…」




