再会は突然に◇キオウの先輩
「――…コレ、返すから」
「食べていないのかい? 青柳の、腹でも壊したのかい? 食が進まないのかい? これ以上痩せたら困るだろうに。嗚呼、私は非常に心配だ」
「アンタのお遊びに付き合う暇は俺にはねーんだよ!」
緑に囲まれた湖にせり出した白亜の神殿へと続く階段。その途中で、明星の賢者を相手に喚くキオウの姿。
スィードは7歳ほどの幼い少女と一瞬にいた。その幼子にキオウは「やるよ」と少々ぶっきらぼうにリンゴの籠を突き出す。
「青柳の、コレなぁに?」
「毒リンゴだそーだっ」
「おやおや、本当に1個も手をつけていないのかな? 嫌だなぁ。せっかくの好意を」
「こんな意味不明な好意なんざいらねぇっつーのッ」
「お前は好意に意味を求めるのかい? そんな子に育てた記憶はありません」
「アンタに育てられた記憶こそ俺には存在しねーよッ!」
頭上で展開される一方的な抗議。緑色のローブを着た幼子は小首を傾げ「明星の、もらってもいい?」とあどけなくスィードを見上げる。
キオウの殺気混じりの睨みなど完全無効のスィードは「まぁいいや。あげるよ」とヒラヒラと手を振った。
籠を受け取って嬉しそうに階段を駆け降りていく小さな賢者。ぱたぱたと軽い足音を立てて湖に渡された白い通路を走り、湖中央の小島で空間転移の魔法陣を広げた。
その光の柱が消えるのを見届け、キオウはぼそりと呟く。
「…俺にじゃなくて、最初から御伽のに渡せばよかったんじゃねぇのか?」
「リンゴなら庭にいっぱい実っているからね」
「俺は手始めの実験台かよッ」
「食べると本当に美味しいんだよ? またあげるからさ、ちゃんと食べてごらんなさい」
「普通のリンゴなら貰ってやってもいい」
「やれやれ、この茶目っ気がわからないとはつまらない子だ。ま、いいか。御伽のはああ見えても我々の年長者だからね、私は正真正銘にまだ幼い君が可愛くて仕方がないんだよ。後で私の神殿に寄りなさい。今はこのリンゴしか持っていないからね」
「…なんで持ってんだよ、ソレ」
最も効力があるというあの毒々しい色のリンゴである。
懐から取り出したソレを手の中でくるくると弄び、穏やかに笑う明星の賢者スィード。
「此処で適当に出会った賢者に売りつけちゃおうかなぁ、って」
「そういう俗な真似はやめろよな、賢者サマ」
「おや、駄目かい? 御伽のが気に入ってくれれば、50年契約でもしようかなと計算していたのに」
「ところで、今日の衣装のコンセプトは何だよ?」
純白の絹で作られた飾りのないシンプルな服装。オプションに小振りの弓。
そして。
「………アンタ、一体いつから有翼人になったんだ?」
魔法で背中に真っ白な翼を生やしたスィードが「よくぞ訊いてくれました」とご機嫌な様子で手を叩く。
「今日は天使サマになってみました。実はさっきまで頭の上に光の輪っかも付けていたんだけどね、御伽のに取られちゃったんだよ。いやはや女性という生き物は何歳になっても光り物が好きだね」
「その弓は一体なん――…いや、悟ったから答えなくていい」
十中八九「愛のキューピッドだよ」などとほざくに違いない…。すでに疲れた様子の青柳の賢者を湖畔へと誘う明星の賢者。
太古の自然の中でしか存在しない透明度を誇る湖。水面に映る白い雲。時折風が湖面をサワサワと震わせている。
「…はぁ……」
純粋な《気脈》と自らのチカラを呼応させ、しばしリラックスするキオウ。フンワリとやわらかな光の粒子がその体を包んでいく。
このまま自分の全てがとろけて消えそうな心地よさ――…。キオウが「賢者でよかった」と感じる至福の瞬間である。
――だが。
「そういえば」
「………」
突然聞こえたスィードの声に、一気に現実へと戻されるキオウ。
恨めしい思いで視線を向けると、スィードは何故か水面に映った自分の姿を指差している。
「…なんだよ?」
「この衣装、前世の君に似てる」
「俺は有翼人だった記憶はねぇよ」
「衣装が、だよ。こんな感じだったよね」
「あー…まぁ、それはな」
「そういえば」
「…今度はなんだよ?」
波打ち際にしゃがみこんだスィードが、適当に拾った小石を湖に投げた。
ちゃぽん…っ
「今朝また前世の君のお兄ちゃんに会ったよ」
「どーしてアンタはあいつとよく出会うんだ?」
「たまたまだよ。彼は死んでいるけど、一応私は弟子だし。それで君に」
「仕事を手伝え? それとも小言? どちらにせよ、俺は無視をする」
「素敵な兄弟愛だ。ところで青柳の、本当にコレいらない? 味は本当に美味しいんだよ」
「いらねぇ…」
「今なら私直筆のレシピも進呈しちゃうよ?」
「ますますいらねぇ…」
「まぁ、とりあえず聞いてよ」
太陽の光に問題の毒リンゴを照らす明星の賢者。妖しげな光を反射するリンゴに目を細めている。
「このリンゴはね、ちゃんと真っ赤なリンゴにするつもりだったんだよ。でも、どうしてもこうなっちゃって」
「アンタの腕がダメなんだろ」
「何やら失礼な言葉を聞いた気がするけど、宇宙のように寛大な私はとりあえず無視をしよう。
私が言いたいのは――」
心地よい太古の風が吹く神聖なる世界。
その風を頬に受け、スィードは微笑む。
「ねぇ青柳の? もし私が『このリンゴ、本当は毒リンゴじゃないんだよ』って言ったら、君は信じるかい?」
「……俺に意地でも実食させてぇのか…?」
キオウのうんざりとした眼差しに「ほらね」と残念そうに目を伏せるスィード。
「一度『こうだ!』と認識した考え、そして見た目や風評や事前情報からの先入観。それらはその対象が輝いている最も素晴らしい部分を隠して見失わせる場合がある。
ここからは本当に本当の、つまりはかなりマジな話だよ。コレも御伽のに渡したリンゴも、毒リンゴじゃない。私が創った新種なんだ。こんな色をしてはいるけれど、あの籠に詰まっていたどのリンゴよりも実は美味なんだよ。
そういうわけだから、はいどうぞ」
「………。いや、やっぱりいらねぇ。アンタはフツーにうそぶくからな…」
「おや残念。では今日の授業の結論といこう。言葉とは最大の武器だというけれど、実は最弱の武器でもあるんだよ。覚えておきなさい。
――よ…っ、と!」
スィードは平らな小石を拾い上げると、水面を切るように鋭く投げた。
ぱしゃん…っ
ぱしゃん…っ
ぱしゃん…っ
ぱしゃん……っ
「あぁそうだ。昨夜君と別れた後にね、私はこの恰好でのんびりと空の散歩と洒落込んでいたわけなのだけれど」
「………おい。アンタ、あの後でソレに着替えたのか…?」
「そんな目で見ないで欲しいなぁ。私はとても繊細なのだからね。ええと、なんだっけ? まぁとにかくだ。空の散歩をしながら《夜空見上げ》を楽しんでいたのだけれどね? 君の友である幼い有翼人がね、かーなり高い高度を飛んでいたんだよ。私は目眩ましの術を使っていたからね、相手には気づかれなかったけれど。でも、あれは通常の有翼人の幼子が飛ぶ高度じゃない」
「……ふぅん…」
「あらら、興味なし? あの子はちゃんと飛び方を習っていないのかな?」
「習わずとも飛べるモンだろ」
「冷たいね、君」
「アンタに言われたくねぇよ。普段は滅多にフツーの人間と関わらねぇくせに」
「失敬な。最近は賢者同士とはそれなりの交流があるさ。君と秋津のと御伽のと清流のと」
「賢者以外は?」
「龍族に友人がいるよ。それに直接関わりは持たないとはいえ、今朝みたいに表の世界へ様子を見に行ったりはするからね」
「…。世間から離れて生きるようになって、どのくらい経ったんだ?」
「そうだなぁ、それこそ400年くらいかな?
――…君のように表側に在て普通の人間と交流がある賢者の方が、圧倒的に少ないけれどね」
キオウを見つめた明星の賢者は、意味深な表情でそう呟いた。