第9章
雑誌を定期購読しているお客様は意外と多い。
定期購読とは、お客様が定期的に購入している雑誌を
あらかじめ、レジに取り置きしておくシステムだ。
そうする事によって、買いたい本が売り切れだったとか、あったとしても立ち読みされてボロボロの状態になっていたりとか、
そういう事が無くなる上に特典が付いたりするので一石二鳥でお得なのだ。
最近はお城を作ったり、車を作ったりするプラモデル的な週刊誌類もどんどん創刊され、毎週欠かさず心待ちにして朝一で取りに来るお客様も多い。
ま、そういうプラモデル系の週刊誌を購入するのは大体男性客なのだが、男というものはいつまでも少年の心を忘れない生き物なのだなぁと実感してしまう。
普通に買った方が安いんじゃ?という疑問を投げかけたくはなるが、完成するまでのプロセスがロマンなんだよ!!…と、うちのアホな男店員どもが力説していた。
ロマンねぇ…。途中で挫折する人も相当いるのも事実なんですけどもね。飽きっぽいロマンですこと。
ま、お金が続かないというのが大体の理由なのだろうけど。
「祭ちゃん、いるかい?」
加藤芳太郎さんという、『週刊・城を作る』という雑誌を定期購読しているおじいちゃんが声を掛けてくる。
「あ、いらっしゃいませ。祭、いますよ。文庫の所にいると思います」
私は答えた。
「そうか。ありがとう」
加藤さんはニッコリ笑うと文庫の棚の方に歩いて行った。
祭は、老人達にとても人気がある。男性が苦手な祭だが、同じ男性でも、お年寄りだと普通に話せるらしい。お年寄りの方達は結構歴史や時代小説が好きな人が多く、同じように祭も歴史や時代物が本当に好きなので多分話が合うのだろう。それに加え、祭はお年寄りから見て、間違いなく「孫」タイプなのできっと可愛く感じるのかも知れない。祭と話したくてくる老人達は本当に多い。
「最近の年寄りは元気だな~」
稀一さんが来る。
「そうですよね~。あの歳でまだ小説を読もうって思う気持ちが素敵ですよね。いつまでもボケなそうじゃないですか。」
私は、文庫コーナーにいるお年寄り達を見ながら言った。
「ま、男はいつまでも男だからなー!!男がエロに興味が無くなったら、死んだも同然だしな!!」
「…何の話をしてるんですか?」
「ん?官能小説を買う老人達の話だけど?」
なぜ、そっちの方向に話が進む?
「何歳になっても、女の裸に興味があるって、素敵な事じゃないか!!イキイキとしちゃってさ~、肌なんかホラ、ツヤツヤしてんじゃん!!」
稀一さんは官能小説コーナーにいる老人を指差しながら言った。
「あ、俺、今凄い法則思いついた!!エロと若さは比例するんだよ!!
女だって、満たされてるといつまでも肌がプルプルしてて若々しいだろ!!
そう思わないか?…ん?沙和の肌は乾燥してんなぁ。カサカサしてんぞ、カサカサ。満たされてないのかお前」
稀一さんは同情的な目で私を見つめた。
「…セクハラで訴えてもいいですか?」
「ジョーダンに決まってんじゃん、ジョーダン。あー怖い怖い。もしかして…生理前?」
「稀一さん!!」
私は叫んだ。稀一さんは笑いながら逃げて行った。
稀一さんは間違いなく色ボケするタイプだな。
奥さんになった人は本当に大変な思いをするだろう。ご飯支度中もイキナリ背後からケツを触ってくるんだろうし…私だったら確実にフライパンで顔面強打するんだろうけどな。
私はまだ見ぬ稀一さんの妻に同情した。
ふと祭の方を見ると、加藤さんと何かの話で盛り上がっている。加藤さんも本当に楽しそうに話をしている。私はその光景を微笑ましく思いながら仕事に戻った。
それから2週間後。祭はレジ内に置いてある定期購読の本が並んでる棚をじっと見つめていた。
「ん?祭どうしたの?」
パソコンで発注していた私は、祭に声を掛けた。
「…加藤さんが2週間、本を取りに来てない」
祭は加藤さんの「週刊城を作る」を手に取りながら言った。
「あ、本当だ2週間分溜まってる。2週間も来ないなんて珍しいね、いつも水曜日になると朝一で取りに来るのに」
私も言った。祭は心配そうな顔をしている。
「この2冊で終わりなんだ。この屋根のパーツを組み立てればお城が完成するの。加藤さん、完成するのを凄く楽しみにしてたのに…」
「長い旅行とかならいいんだけどね…ちょっと心配だよね」
確か加藤さんは、奥さんと2人暮らしだったはず。子供は他県で暮らしていて、お盆や正月に帰ってくるのが楽しみだとか、祭と話してたのを聞いた事がある。
「心配なら一度電話してみたらいいじゃん。
2週間分溜まっていますよ~、みたいな感じでさ?」
私は提案する。
「うん…そうだね、一回かけてみる」
祭はそういうと受話器を取り、加藤さんのカードに記載されている番号に電話をかけ始めた。
誰かが電話に出たようで、祭は何やら話しているが、丁度お客様が来て、私はレジの対応に追われて何を話してるかは分からなかった。
祭が電話を置く。
「どうだった?」
私が声を掛けると、祭の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「祭?どうした?」
「なんか、加藤さんの息子さんみたいな人が出て…加藤さん、入院したんだって。」
「入院?マジで?どこか悪いの?」
「詳しくは聞いてないけど…定期の話したら
もう取りに行けそうにないからキャンセルで、って言われた」
「キャンセルって…。加藤さんそんなに悪いの?もう取りに来れないぐらい?」
私はビックリして言う。
「分かんない…。でも、もう少しでお城完成なのに…この残ってる2つで完成だったのに…」
祭はポロポロと涙を流しながら呟いた。
祭…。
私は、泣いている祭の肩をポンと叩くと、ただ黙って見てるしかなかった。
いつも来てくれる常連のお客様は多い。特にお年寄りのお客様は、本を買いに来るのと同じぐらい店員との会話を楽しんでいる気がする。
他愛もない会話だが、一日中誰とも話さずに過ごす事が多いお年寄りにとっては、少しは気が紛れるのではないかとも思ったりもする。
しかし、どんなに仲良く会話を楽しんだりしても所詮…店員と客なのだ。
本を買う、という目的がなければ本屋には来ないし、本をいらないと言われたら、それ以上何もする事ができない。
いくら親しくしてたとしても、その人が一体何をしている人で、家族は何人で、どこに住んでるのか、何歳なのか、全く分からないのだ。
店員と客なんてそんなものだ。踏み込まないし踏み込んではいけない。
それがルール。来なくなったら、そこで関係は終わる。
しかし…。私はレジをしながら遠くで店出ししている祭を見つめる。
祭は少し目を赤くしながらも一生懸命働いている。
このまま終わってはいけない気がする。
加藤さんはお客様の1人だけど、心優しい祭にしてみたら
本当のおじいちゃんみたいに思っていたに違いない。そんな人がある日突然ポッといなくなるなんて、なんかこう心の中がモヤッとして、祭の中でいつまでも消えないような気がする。
私はそう思った。
時間になりレジを咲真さんと交代して、私は祭の所に向かった。
「ねえ、祭。加藤さんちに行ってみようよ」
私は思いきって言ってみる。
「えっ?」
祭はビックリした顔で私を見た。
「だって、もう2個でお城出来上がるんでしょ?それなのにキャンセルだなんて勿体ないじゃん。とりあえず届けるだけ届けてみようよ。」
「でも…家、分かんないし…」
「まぁね…家の人にはいらないって言われてんのに、住所聞く訳にもいかないしね。
ホラ、加藤さんと話してて、どこら辺に住んでるとか、なんかお家に関する話とかしなかったの?」
私は聞いてみた。
祭はうーん…と考えている。
「そういえば…加藤さん、犬を飼ってるんだって」
「うん」
「柴犬とチワワのミックスで小さいの」
「うんうん」
「名前は三郎」
「そうなんだ」
「北島三郎のファンなんだって」
「へ~…」
「でも、実はメス」
「マジでっ?」
「それから、もう一匹いるんだけど」
「祭、犬の話はもういいから」
「あ、うん」
祭はまた、うーん…と考えている。
「じゃあ、亀の亀吉の…」
「亀の話もまずいいから、家の事思いだそう!!ねっ?」
私は祭に言った。
「あ、そういえば…南高校のチャイムが鳴るたびに三郎が吼えるって言ってた。」
「という事は南高の近く?」
「奥さんも、昔、頼まれて一ヶ月ぐらい南高の食堂のおばちゃんとして働いた事があるって言ってた、歩いて3分も掛からないんだって。」
「じゃあ、南高校の近くで加藤さんというお家を探せばいいんだね!!」
私は興奮気味に叫ぶ。
「亀吉が住んでる池が庭にあるらしいの。」
「庭に池が?じゃあ…大きなお家なんだね」
「亀吉の他にも、亀子、亀美、亀平あとは…」
「何匹いるの?」
「えっと…32匹?亀平の次はえっと…」
「もう分かったから、うん。名前いいから。」
私は祭の言葉を遮った。
遮らなかったら、32匹全ての名前を答えそうな雰囲気だった。全部の名前を覚えているのだろうか?実に恐ろしい記憶力だ。
「祭、明日休みだよね?私、誰かに休み代わってもらうから、明日行ってみよう。早い方がいいからさ、ねっ」
「うん。ありがとう沙和ちゃん」
祭は、嬉しそうに笑顔を見せた。
次の日。私は太郎と休みを代わってもらい、祭と加藤さんの家に行く事になった。
南高校の近くにある文化センターで待ち合わせしたが、実は職場の誰かと店の外で会うという事が全くなかったという事に気が付いた。
なんか少し新鮮な気持ちで祭の到着を待った。
「沙和ちゃん、おはよう」
祭が手を振って走って来た。普段とは少し違う、森ガール風な可愛いワンピース姿だった。
「祭、ワンピース似合うねぇ」
「沙和ちゃんは、相変わらずオシャレだね」
「えっ?そう?ありがとう~」
私は少し照れながらも嬉しくなる。
「じゃ、行こうか」
「うん」
私達は歩きだした。
「それにしても、高いよねぇ…このパーツ付きの週刊○○を作る、的な本ってさ」
私は紙袋の中の本を眺めながら言う。
「ホント。1780円ぐらいするもんね。それを毎週買わなきゃいけないんだもん。続けられないよね、普通」
祭も言った。
「まぁね。お金のある老人か、独身貴族ってなとこかな?既婚者は奥さんの了解を得ないと地獄を見るよね。」
「だね。毎週の事だからね。お小遣い内から出すなら問題ないんだろうけどね。」
私達はどんどん歩いて行く。
この加藤さんの2冊の本は、一応私が言いだしっぺだから、私が代金を立て替えたのだが…立て替えたとは言っても、加藤さんに頼まれた訳じゃないから、要は勝手に立て替えちゃった訳だから払ってもらえない確率は激しく大きい訳で…。
2冊で3560円…払ってもらえなかったらどうしよう。こんな城のパーツが2つだけあっても私には何の役にも立たない。
私は大きなため息をついた。
「どうした?沙和ちゃん」
祭が私の顔を覗きこむ
「ううん、なんでもないの。もうすぐ南高周辺だね。表札見て歩かなくちゃね」
私は言った。
南高の後ろには小高い丘が広がっており、素敵なウォーキングコースになっている。そのすぐ下にはサッカー場があり、観戦するにはとても見晴らしのいい場所だ。
しかし車は通れないので、住宅はほとんどない。住宅があるのは、南高の校門の前にある道路沿いに限られている。
なので見つけやすいとは思うのだが、少し離れた路地の方にあるとすると小さい住宅が密集してあるので、ちょっと探すのが困難になる。
「あっ…祭、見て!!」
私は指をさす。
「あったのっ?」
祭は私が指さした方向を見つめた。
「鈴木製パンがあるよ!!やだ、こんなとこにあったんだっけ?懐かしい~!!」
私は一人はしゃいでいる。
「沙和ちゃん、高校どこだっけ?」
「私?中央高校」
「わーいいなー。中央の制服可愛いよねー」
「祭はどこだったの?」
「私?東高」
「メチャクチャ頭いいんじゃん!!びっくり!!」
私は本気でビックリした。
東高は、ここら辺の高校の中では断トツ1位の頭のいい進学校だ。
祭って頭良かったんだ…知らなかった。
「マグレで入っちゃっただけ。…ほとんど不登校だったけどもね」
祭は力なく笑う。
不登校…。それも知らなかった。
「そっか。」
嫌な事思い出させちゃったかな、私。
私はすまない気持ちになる。
「私、こんなんだから…仲のいい友達もいなかったし、男子が苦手で行けなくなっちゃったの」
「そっかぁ…」
私達は話しながら歩いていく。
「祭って…いつから男の人が苦手になったの?」
私は気になっていた事を聞いてみた。
「私ね、小さい時から空手やってたんだけど小学3年の時にすでに黒帯取っちゃってね。そしたら、6年生の時にね一部の男子が勝負しろとか言いだして大勢に羽交い締めされて叩かれたりした事があって、それ以来…かな。」
「マジで?最低だね、そいつら」
私は怒りが込み上げてきた。
「でも、結局は女子のリーダー的存在の子が黒幕だったというか…。
自分で言うのもなんだけど、クラス一モテてた男の子が、私の事好きだったみたいでね、それが気に入らなかったらしくて、一部の男子に指示したみたいなの。」
「最っ低―――っ!!マジで殴りたい、私!!」
私の怒りは頂点に達してきた。
「中学の時も友達いなくて、勉強ばっかりやってたから東高入れたのかもな。」
「私は部活ばっかしてたからな~」
私は苦笑いする。
「私、友達いなかったからこんな風に誰かと一緒にどっかに出かけた事がなくって…
だから、今、なんか…こうやって一緒に歩いてるのが凄く楽しいな~って思うんだ」
祭が少し照れながら言った。
祭…。
私は胸がギュッと締め付けられる思いがした。
私が普通に、高校時代にやってきた事が、祭にはできていない。部活帰りの買い食いや、友達とのカラオケ。好きな人の話。プリクラ…。
「よし!!祭!!シューロール食べよう!!鈴木製パンのシューロールは、半端ない美味さだから!!」
私は祭の手を握って、鈴木製パンの中に入って行く。
「さ、沙和ちゃんっ」
祭は急な出来事にビックリしながらも、鈴木製パンの中に引っ張り込まれていった。
「おばちゃん!!シューロール2つ下さい!!後は、このフルーツサンド、これ絶品なんだよっ」
私は、ショーケースの中に入ってるシューロールと、近くの棚に置かれてる色んなパンの中からフルーツサンドをチョイスした。
本当は店内で食べて行きたかったが、加藤さんの事もあるので後で食べるようにと店を出た。
祭の方をチラリと見ると、嬉しそうにシューロールの入った袋を眺めている。
「あとはね、池田団子屋の団子も買っていこう!!多分、もう少し行ったらあると思うから。」
私はウキウキしながら歩いて行く。
「団子屋さんもあるんだね~」
「そうなの。その団子屋って中央高校の先生の実家でね?
その先生の頭が団子みたいにハゲてたから、みんなから「ダンゴ」って呼ばれてたんだ。そう呼ばれると、いつも顔を真っ赤にして怒ってたけどね。
でも団子はメチャクチャ美味しいの」
私はベラベラと話す。祭は笑いながら聞いていた。
少しでも、高校時代の雰囲気を感じさせてあげたかった。私が楽しかった事を伝えてあげたいと思った。
祭と、ずっと前からの友達だったかのように。
ようやく南高の校門近くまで歩いてきた。
今の所、加藤さんの家らしき物は見当たらなかった。
また少し歩いて行くと、一瞬何かの会館かと見間違うぐらいの大きな建物が見えてきた。
これって…家なの?
私はその大きな家を見てビックリした。
「沙和ちゃん、見て!!」
祭が立派な門の所にある表札を指差しながら叫んだ。
私も急いで表札の所まで走って行った。
表札を見ると『加藤』と書いてある。もしかして、ここが加藤さんち?嘘でしょ?
私はもう一度まじまじと家を眺めた。
加藤さんて、もしかしたら凄いお金持ちだったの?私は生唾を1回ゴクリと飲み込んだ。
「行く?行ってみる?」
私は祭に言う。祭は緊張しながらも頷いた。
「じゃあ、押すよ?押しちゃうよ?」
私はチャイムに手を伸ばした。
「あら。何かうちに御用?」
誰かが後ろから声を掛ける。私達は、ビックリして振り向いた。
そこには、上品そうな白髪の老女が立っていた。
「あのっ…こちらのお宅は、加藤芳太郎さんのお宅でしょうか?」
私は訪ねてみる。
「ええ。そうですけども?」
「あっ…あのっ…私達、未来屋ブックスの店員なんですがっ。
あの…加藤さんが毎週買ってらっしゃった本をお届けしに来たのですが」
祭が少ししどろもどろになりながら話した。
「あら…。息子が本はキャンセルしたと言ってた気がするのだけど?」
「は、はい。キャンセルすると言われたのですが、あのっ…加藤さん、この本のお城が完成するのを凄く楽しみにしてたので、あとこの2冊で完成するので、あの…えっと…」
祭は一生懸命説明する。
すると、その老女はニッコリほほ笑んで
「とりあえず…どうぞ中にお入りになって」
私達を家の中へと入れてくれた。