第7章
数週間後。
私達は険しい顔で事務所の机を囲んでいる。
机の上には、破かれたシュリンク袋と防犯のタグが置かれていた。
シュリンク袋とは、コミックにかけられているビニールの事だ。
コミックに防犯用のタグを挿み、シュリンクをかける。すると、もし万引きして店を出ようとしたら防犯センサーに引っ掛って、ビーッとけたたましい音が鳴り響くシステムになっている。
しかし、このようにビニールを破き、中からタグを取り出して万引きしていく客がいる。最近同じような手口で万引きされているので、同一犯の犯行だと睨んでいる。
「俺に対する挑戦なのか…!!捕まえられるものなら捕まえてごらん的な感じで、俺に挑戦状を叩きつけてるんだな!!この愉快犯め!!」
コミック担当の太郎は声を荒げる。
「別にあんたに対する挑戦ではないと思うんだけど」
私は言った。
「だって、わざと俺の目につく場所にこんなビニールの抜け殻を捨てとくんだぞ?
俺に対する挑戦以外の何物でもないじゃないか!!
戦う…俺は正々堂々と死ぬ気で戦う事をここに宣言します!!」
太郎が片手を力強く上げた。
なんか選手宣誓みたいになってるんですが。
私達はみんな太郎を見ていたが、その時稀一さんが口を開いた。
「とりあえず、せっかく売上が伸びてきてるってのに、万引きでのロスが増えたら何にもならないっつー話だ。とにかくお前ら全員目を光らせて怪しい客がいないかチェックしろよ?いいな?」
私達は大きく頷いた。
「それから。防犯ブザーが鳴ったら全員仕事をやめてレジまで走るように!!万引き犯に逃げられる恐れがあるからな」
私達は「はーい」と大きく返事をした。
私は仕事をしながら店内にいる客をチェックしている。こうやって疑った目でみんなを見てると、大きなバッグを持ってる客が全員万引き犯に見えてくる。
一度浮気されたら、もう何を言われても信用できないのと同じだろうか。イヤ、全く関係ない例えだった。
いけないいけない…むやみに人を疑ってはいけない。悪い人なんかほんの一握りの人間しかいないのだから。疑わしきは罰せずということわざもあるではないか。
私は首を横に数回大きく振った。
と、その時、店内に防犯ブザーが鳴り響いた。
たまに防犯タグの取り忘れや、ケータイなどに反応してブザーが鳴る場合がある。
まさにオオカミ少年みたいなもので、何回もそういう事があると、今回もタグの取り忘れかな?と…高をくくってる自分がいるので、ブザーが鳴っても全く慌てなくなってしまった。
今回もそうだろうと、ゆっくりと棚の間からレジの方を覗きこんでみると、一人の老人を祭と太郎が取り囲んでいた。
推定年齢70歳。見た感じこじんまりとした気弱そうなおじいさんで、あんなじーさんが万引きなどするはずがない。
…と、私が思った瞬間、じいさんは、カバンから1冊の本を取り出すと、太郎の顔面めがけて投げつけた。
近距離からの顔面直撃に、太郎はその場に倒れこんだ。コーチから初めてビンタされた女子高生のように足をおねえ座りにしながら顔を押さえている。
じいさんは、その隙に外に逃げ出して行った。
「逃げんな!!待て!!」
稀一さんが叫びながら追いかけて行く。
祭はこの状況にただオロオロして立ちすくんでいたが、レジにお客さんが来ると「あ、いらっしゃいませ~」と、もう何事もなかったかのように普通にレジ打ちしていた。
彼女の中ではもう万引きは過去の事になったらしい。現実逃避は祭の特技の1つでもあった。
私も、稀一さんを追って外に走っていこうとしたがその前に、おねえ座りで顔を押さえている太郎に声をかけた。
「太郎、大丈夫っ?」
太郎は、その言葉にゆっくりと顔を上げる。
「俺に…俺に構わず、お前は行け!行くんだ!!
例え俺の顔が変形してようともお前はなにも気にする事はない!!
なぜならこれは、俺が立派に敵に立ち向かい戦った証…すなわちこれが真の男の姿、ラストサムライの証なのだから!!」
何かカッコよく叫んではいるが、尋常じゃなく鼻血が流れている。
「ってか、あんた立ち向かう前にやられてるからね」
私は冷ややかな顔でトドメの一撃を浴びせかけると、外に飛び出して行った。
「待てジジィ!!こらー!!」
稀一さんが怒鳴りながら前方を走っている。
その前をじいさんが必死で走っているが、なんせ70前後の爺さん、カメのようなスピードだ。それに追いつけない稀一さんの体力のなさに疑問を感じる。
うちの店はショッピングタウン内にあるので、色んな店が軒を連ねている。
左から雑貨屋さん、うちの本屋、空き店舗、靴屋さん、スポーツ用品店、お酒のディスカウントショップ、洋服屋さん、100円ショップの順に並んでいる。
爺さんはお酒のディスカウントショップの前まで行っているが稀一さんはスポーツ用品店手前でへたりこんでいる。
「稀一さん、何やってんですか!!」
私は、稀一さんの所まで走って行くと声をかけた。稀一さんは四つん這い状態になりながら、肩で息をしている。
「沙和っち…俺はもうダメだ。実は俺は中学の時からタバコを吸っていたんだ。もう肺はまっ黒…息も絶え絶え、背も少し低めだし足も短い。
親の遺伝のせいなんかじゃない…俺が悪いんだ。俺が不良に憧れてタバコなんかに手を出したばっかりに…。タバコを吸ってなかったら、あと5センチは高かったはずだ…そしたら俺は174・8センチ。
この顔にその身長があれば、今よりももっとモテモテだったに違いない。
もしかしたらモテ期なんか5回ぐらい来てたかも知れないじゃないか。今はまだ1回しかモテ期らしいモテ期は来てないような気がする…。
あれは確か小学一年生の時だったな。みいちゃんに、ももかちゃんに、姫ちゃんも確かみんな俺の嫁になるって言ってたような気がするんだ。
そんなチビの時にモテ期が訪れたって一体俺にどうしろっつーんだよなぁ?しかも女心ってすぐ変わるからさー、2年になったとたん、修君の方が好き~みたいな、全く怖い生き物だよ女ってやつは!!
あーあ、やっぱり早急に禁煙すべきだったよな…。
イヤ、今からでも遅くはない、決意した時スタートなんだ!!
そうだ、俺はこういうタイミングを待ってたんだ、そうだろう?なぁ沙和!!」
私は最後まで話を聞かないで走りだしていた。
バカの弁論に付き合ってる暇はない。爺さんを捕まえなければいけないのだから。
私は、中学高校とソフト部で鍛えた脚力でどんどん爺さんとの距離を縮めていく。
よし、勝てる!!
私はラストスパートをかけて、爺さんに追いつくと
「待てよ、このじじぃ!!」
爺さんの襟を後ろからつかんだ。
爺さんは
「ええい、離せ、離してくれ!!」
と手足をバタバタさせて暴れ出したので、私は爺さんの手首をつかむと背中にまわして、まさに刑事ドラマでやるような感じで膝まづかせた。
「暴れんな、ジジィ!!誰か、警察呼んでください!!」
私は大声で叫んだ。ハッと気が付いて辺りを見渡すと、周囲には沢山の人だかりが出来ていて、みんな歓声を上げながら拍手をしていた。
「いや、あの…警察…。」
私は今更ながら恥ずかしくなって真っ赤になった。
よく見ると、人だかりに混じって稀一さんまで満足そうに拍手していた。
お前はそこで何やってんだよ!!一緒に拍手してどうする!!
稀一さんの隣には、イケメンで評判のスポーツ用品店の店長も立っていて、私をじーっと見ていた。
あああ…終わった。ちょっと憧れていただけに始まってもいないが終わってしまった。
こんな勇ましい姿を晒してしまうなんて何たる失態。しかも何かしら暴言を吐きながら走ってたような気がする。
あぁ…私もう嫁にいけないかも知れない。私は深いため息を1つつくと警察の早急な到着だけを待ち望んだ。
それから10分後、ようやく警察がやってきて店の事務所で事情聴衆が行われた。
この爺さんは生活保護を受けてるとこの事で、それには全員ビックリした。
爺さんはうちの店によく来る常連客で、いつも買うのは世界遺産の本やクラシック関係の本などインテリな感じの物が多く、どう考えても生活保護とは思えない類いの本ばかり買っていた。
世界遺産なんか気にするよりもまず、他に気にする事があるだろ?て思う。
爺さんは涙ながらに初犯を訴えていたが、爺さんの持ってたカバンには、明らかに他店で万引きしたような食品類が多数入っていたので、常習犯と見なされ警察に連行されて行った。
学生の万引きは昔から多いが、最近は老人の万引きも増えている。
着付けや茶道の本の付録だけを抜き取っていったりと、そういう作法を学ぶ前に、人としての何かを学べと言いたくなるような身勝手な大人が増えている。
嫌な世の中になったものだ。万引きと言うと軽く聞こえるが、これは立派な窃盗罪だ。
罪に大きい小さいなどない。やってはいけない事はやってはいけない事なのだから。
私は、警察に連れられて行く爺さんの小さな後ろ姿を見つめながらそんな事を考えていた。
「あの爺さん、なんで…。」
私の隣で同じく爺さんを見つめていた稀一さんがポツリと呟いた。
私は稀一さんの方を向く。稀一さんはいつになく真剣な顔で爺さんの後ろ姿を見つめていた。
稀一さんも、私と同じ事を思っているのだろう。あんな老人が万引きしなきゃいけないこの世の中に嘆いているに違いないのだ。
「稀一さん、私も…」
「あの爺さん、なんで俺の勧めたかつ丼食わなかったんだろう?せっかく出前取ったのにさ~」
「出前っ?…ってか、かつ丼っ?」
私はビックリして叫ぶ。
「そ。なんか爺さん全然しゃべってくんないからさ~、取り調べにはカツ丼が必須アイテムだろ?
俺、出前頼んで爺さんに『カツ丼…食うか?』って、ちょっと年配の刑事風に言ってみたわけ、
カツ丼…食うか?みたいな。
ちょっと渋くない?俺。カツ丼…食うか?
なぁ沙和。あれ?沙和?どこ行くの?」
私は稀一さんの小芝居など全く無視して仕事に戻って行った。
少し共感できたと思った自分が愚かだった。この人との意思の疎通は不可能だと改めて認識した。