第24章
数日後、私は休みになり着ぐるみのウンタンを持ってコインランドリーにやって来た。とりあえずもう何回着るかは分からないが、この汗の滲みついた臭いにはもう耐えられない。
また気持ち悪くならない為にも、一回洗ってみようと思ったのだ。
結構広い店内に足を踏み入れると、とりあえず誰もいないのを確認してウンタンを運び入れた。まず身体部分を洗濯機の中に放り込んだ。そして肝心のウンタンの頭部を一番大きな洗濯機の中に入れようと試みたが、やはり入口付近でつっかえてしまい、無理矢理押し込んでみたものの、今度はドアが閉まらずあえなく断念した。
一番洗いたかったのは頭部だったのに…やっぱり消臭剤で誤魔化すしか道はなさそうだ。
私はしばらく奥の方にある椅子に座りながらグルグル回って洗濯されているウンタンの身体を眺めていた。その時、お客様が来たようで店内に
「いらっしゃいませ~」と自動的にアナウンスが流れた。
何気なく入口の方を見ると、なんとそれは古都美さんだった。古都美さんが見知らぬ男性と店内に入ってくるのが見えた。
ど、ど、どうしよう!!こんな所でこんな状態、メチャクチャ気まずいではないか!!なんて声を掛けたらいいかも分からないし。
私は慌てるあまりに、とっさに脇に置いてあったウンタンの頭部を被った。古都美さん達は奥にいるウンタンの頭を被った私に気付いて、相当ビックリしてたようだが、とりあえず関わらないようにしようと決めたようで、私の方を凝視する事なく持ってきた洗濯物を次々に洗濯機の中に放りこんでいた。
セーフセーフ…気付かれてない。危なかった。
ま。別の意味で危ない人間に思われているには違いないが。
男の人は、私から少し離れた自販機で飲み物を買っている。
「おい、古都美。お前何飲む?」
男は古都美さんに声を掛けた。
「私、ココアがいいな」
古都美さんが洗濯機にお金を投入しながら言った。
やはり古都美さんだ。そっくりさんではない。
私はガン見してるのに気付かれないように、テーブルに置いてある週刊誌を手に取って顔の前で広げてみた。
間違いなく、ウンタンが週刊誌を読んでる姿は妙な雰囲気全開だとは思うが気にしない事にした。
人は自分が思っているほど、他人の事など見ちゃいないし気にも止めていないものだ。だから私の事もきっと目には入ってないと思う。
私はひそかにそう期待しながら、チラリと男の方を見たら、明らかにコチラを警戒していた。やはり…この状態。気にならない方がおかしいよな。
とりあえず視線には気付かないフリをして週刊誌に没頭してるような姿勢を貫いた。
古都美さん達は自販機近くの椅子に並んで腰を下ろした。
私は限りなく自然に…でも、どう頑張っても存在自体が不自然全開ではあるが、限りなく自然を装って二人を観察した。
男はどう見ても30代後半…。若々しくはない。
多分、門次郎が見た人と同じだろう。
男は紙コップに入っているコーヒーを持ち上げた。その持つ左手の薬指にキラリと指輪が光った。あれは…結婚指輪!?
私は思わず立ち上がった。すると向こうがビックリしてこっちを見たので、私は慌てて視線を逸らすと軽く身体を捻ったりして準備運動を始めてみた。
一体何の為の準備なのかは分からないが。そしてまた椅子に座りなおすと週刊誌に没頭してみた。
結婚指輪をしていると言う事は…結婚しているという事。あの男は既婚者。という事はもしや不倫っ??イヤイヤ…上司と部下、的な単なる同僚かも知れないではないか。人を簡単に疑ってはいけない。
私は一人、首をブンブンと横に振った。
「やっぱり…私にはできない」
古都美さんが言った。
「大丈夫だよ、きっとうまくいく。だって稀一君に千恵理は懐いているんだろう?そのまま千恵理のパパになって貰ったらいいんだよ」
男が言った。
私の耳がダンボになる。今…なんて言った?
「でも…稀一君を騙すなんてやっぱり私…」
「稀一君は千恵理の事を隼人君の子供だと思ってるんだろう?あの稀一君の事だ、死んだ親友の子とその妻を助けたいと思ってるに決まってる。
しかも少なからず君に好意を抱いてるのは確かだ。俺は妻とは別れられないし、君の事も愛している。でも、君は今のままでは幸せになれないし…経済的にも不安定だろう?その点、稀一君は店長できっと高収入だ。
稀一君と結婚して、千恵理と君の事を養ってもらう。これが一番善良な考えなんだよ?」
男が古都美さんの肩に手を回した。
私はワナワナしながら2人をガン見している。
許せない…本当に許せない。私は手に持っている週刊誌をギュッと握り潰した。
私の只ならぬ様子に、恐れをなしたのか
「ま、まだ時間も掛かるようだし…どこかに行ってようか」
男はそう言ってそそくさと立ちあがると外に出て行った。その後を古都美さんが付いて行く。
ちょっと待って!!
私は入り口まで追いかけて行ったが、ドアにウンタンの頭部が挟まって身動き取れなくなった。
うわっ!!何?このドア!!壊れた??私は慌ててドアから頭部を引き離した。
古都美さん達は車でどこかに行ってしまった。
私はドアにへばりついて恨めしそうに車を見つめた。
やっぱり…騙してたんだ。千恵理ちゃんは稀一さんの親友の子なんかじゃなかった。あの不倫相手の子だったんだ。それを素知らぬふりして稀一さんに嘘ついて近づいて…。
私はドアに頭をガンガン打ちつけた。
「きゃー!!」
ドアの向こうで悲鳴が聞こえる。ハッと顔を上げると、そこには来客が怯えた顔で立っていた。
ヤバイ。私今…ウンタンだった。私は慌てて頭部を脱ぎ去る。物凄く乱れた髪と顔で
「すいませ~ん」
と笑顔で奥の席まで戻って行った。
許せない。私は頭を掻きむしった。私の乱れまくった形相に来客がドン引きしている。
「あ、気にしないでお洗濯してくださ~い」
私は髪を乱したまま笑顔で言った。
私はすぐにケータイを取り出すと、今日休みだったはずの祭に電話をかける。
「あ、もしもし?私だけど今何してる?実はね…」
私は今あった出来事を事細かく説明した。
それから数分後、祭が慌てて店に入って来た。
「あ、祭!!ゴメンね休みなのに」
私は手を振りながら言った。
「ううん、大丈夫」
祭は私の隣に座った。
今日の祭はやはり仕事の時とは違う可愛いワンピース姿で、女の私でさえもキュンキュンしちゃうぐらいの可愛らしさだ。私の手抜きのジャージ姿とは訳が違う。
迂闊だった…ウンタンの洗濯するだけだと思って油断してしまった。
やはり、いつ何どきどんな事件に巻き込まれるか分からないのだから、下着ぐらいは常に可愛くしていなければ死ぬに死に切れない。
私はそう心に誓った。今、この状態には何ら関係の無い誓いではあるが。
「でも酷いね」
祭が呟いた。
「うん酷い」
私も頷く。
「これからここに来るんだよね。洗濯物取りに」
「うん、来ると思う。もうすぐ終わりそうだし」
私は、脱水を開始している古都美さんの洗濯機を見つめながら言った。
「いらっしゃいませ~」
アナウンスの音にドキッとしながら入口の方を見てみると、そこには苑子さんが立っていた。
「苑子さん!!」
私達はビックリした。
「さっきメール見てビックリして抜けてきちゃった。今日稀一さん夕方からの勤務でいないから」
苑子さんがペロッと舌を出して笑った。
内心、苑子さんが来てくれてホッとした。私と口下手な祭じゃどうなっていたか分からないし、かと言って実凛さんなんか来ちゃったらもう…想像するだけで卒倒しそうになる。
「ありがとう苑子さん、来てくれて」
私はお礼を言った。
「何言ってるの。祭ちゃんだって沙和ちゃんだって同じ気持ちでしょ?私だって一緒よ。稀一さんを困らせる人はお仕置きしなくちゃ」
苑子さんは口を膨らませて言った。
あぁ萌え要素満載だ。苑子さんは本当に可愛らしい。私は苑子さんにならお仕置きされたい男達が大勢いるんじゃないかと思った。ま、今この状態でそんな妄想は一切必要のない事だが。
「いらっしゃいませ~」
ふいにアナウンスが流れた。私達は一斉に入り口の方を向くと、そこには古都美さんが立っていた。後ろにはあの男の人もいる。
古都美さんは私達に気が付いて顔色が変わり、その後ひきつりながらも笑顔を見せて入って来た。
「こんにちは。皆さんお揃いで洗濯?最近雨が続いて洗濯物が乾かないもんね」
古都美さんはそういうとチラッと後ろにいる男を見ながら
「あ、コチラ…稀一君の職場の人達。この人は…私の親戚なの。」
私達を男に紹介した。
男の人もひきつりながら
「どうも。稀一君の事はよく古都美から聞いてるよ。良い店長さんやってるんだってね。」
私達に声をかけた。
親戚?明らかに嘘だ。よくもヌケヌケと。
古都美さんは自分の洗濯物を手早くかごに取り込み始めた。
「じゃ、俺は外で待ってるから」
男の人はそそくさと外に出て行こうとした。
「待ってください」
苑子さんが声をかけた。男の人は立ち止まる。
「あなた達。何を企んでるんですか?私達の店長に何するおつもりですか?」
苑子さんが言い放った。古都美さんはビクッとして私達の方を向いた。
男の人もゆっくりと振り返ると
「ははは。何を企んでるって?なぜ私達が稀一君に何かしなくちゃいけないんだ?」
変な高笑いをしながら言った。
「あなた達の企んでる事は、全部知ってるんですよ!!」
祭が叫んだ。
「だからさっきから、何を言ってるんだ君達は」
男は苛立ったように言った。
私は隣に置いてあったウンタンの頭を被る。
「どんなにしらばっくれても無駄ですよ!!このウンタンを見忘れたなんて言わせませんからね!!」
私は叫んだ。古都美さん達はハッとした顔をする。
「お前…ずっと話聞いてたのか…」
男が焦った顔をして言った。
私は大きく頷いた。
「何を聞いてたのかは知らないが、聞き間違えって事もあるだろう。第一、こんな被り物して会話がちゃんと聞きとれる訳がないじゃないか」
男が言った。
「もうやめて…」
古都美さんが、洗濯物を取り込んでいたカゴを力なく床に落とした。
「こ、古都美」
「もうやめようよ…祐次さん」
「何言ってるんだ、俺達は別に何も!!第一証拠がないんだから」
男は焦って古都美さんの所に行ってなだめる。
「往生際が悪いですね、あなた。それ以上何か言いましたら、私もう許しませんけど。」
苑子さんが怒って言った。
「何をどう許さないっていうんだ!!」
「私の父、ご存じ?渡瀬恒夫って言うんですけど」
苑子さんがニッコリと微笑んだ。
「渡瀬って…まさかあの…渡瀬グループの」
男は焦りまくって後ろのテーブルにぶつかって床に尻もちをついた。
何?この怯えよう。そんなに凄いの?苑子さんのお父さんって。
「父にお伝えしておきましょうか?私のお店の店長を騙そうとしてる人がいるって。そんな事言ったら、あなた…もう日本に居られなくなる可能性100%ですけど大丈夫ですか?」
苑子さんは腰を抜かした男に手を差し出した。
「す…すいませんでしたー!!」
男は苑子さんに土下座しながら頭を下げた。
大の男が、床に平伏す姿…初めて見た。苑子さんてそんなに凄い家のお嬢様だったのか。
私は改めて苑子さんを敵に回してはいけないと実感した。
私達は古都美さんを椅子に座らせて、それを取り囲むように立っている。男はずっと陰の方に正座して座っていた。
「私と…この祐次さんはずっと前から付き合ってたの。祐次さんは結婚しているから不倫って事になるわ。
隼人はそんな事は知らないで私に付き合ってくれって言ったの。
私もこんな関係いつまでも続けていてはいけないって思ってたから隼人と付き合う事に決めたの。
でも、やっぱり彼との関係を断ち切る事ができなかった…。
そんな時、隼人が事故で亡くなってしまって、その後に妊娠が発覚したの。どちらの子なのか分からないまま産むことを決めた。そして千恵理が産まれて…血液型を調べたらA型だった。隼人はB型。私もB。
そして…祐次さんはAなの。」
古都美さんがポツリポツリと話しだした。
「じゃあ、やっぱり千恵理ちゃんはこの人の子供?」
私達は正座している男の方を見た。
「ええ。それを知った祐次さんは…とにかく隼人の子として育てろって。
その方が世間的に同情してくれるからって。でも生活は凄く厳しくて仕事もあんまり見つからなくて…。そんな時、稀一君の事を千恵理がパパと勘違いってるようだって祐次さんに言ったら…この計画を立ててくれたの。
稀一君は店長だし経済的にもきっと私と千恵理を養う事ができるって言うから、つい…ゴメンなさい。本当にゴメンなさい」
古都美さんが深々と頭を下げた。
「稀一さん、そんなにお金持ってないよ!!いっつも給料日前は懐がピーピーなんだから!!」
私は叫んだ。
「うん、稀一さんは貧乏なの。稀一さん、いつも私達になんか差し入れとして買ってくれたり、それにホント、バカだから自分がお金なくてもすぐに募金とかしちゃうし、それにいつも酒田市の聾学校とかに色んな物買って寄付してたりして、だから…だからいっつもお金ないんです。だから経済的に余裕なんかないし誰かを養うなんて出来っこありません」
祭も叫んだ。
「古都美さん。あなたが本当に稀一さんの事が好きで、そして千恵理ちゃんのお父さんになって欲しいというのなら、それはそれでいいと思うの。
あなたもきっと稀一さんの良い所いっぱい知ってると思うから。
稀一さんはあの通り、人を疑うという事がまずないわ。だからあなたと千恵理ちゃんの事助けようと頑張ると思う。でも、その稀一さんの姿を見て、あなたはどう感じるかしら。騙してるって事がきっとあなたの負担になって自分の心を苦しめて傷つける事になると思うわ。あなたはそんな悪い事ができる人じゃないもの。
だって…稀一さんの知り合いに悪い人はいないわ」
苑子さんが笑顔で言った。
その言葉に古都美さんはポロポロと涙を流し出した。
「ゴメンなさい…本当にゴメンなさい。私…
あんな良い人を騙そうとして。私…稀一くんならきっと騙せると思った。
稀一君昔っからすぐ人を信じるの。私ね、学生の頃…稀一君が好きだったんだ。で、稀一君の気を引きたくてわざと別の人を好きだって言ったら、稀一君必死で仲を取り持とうとしてくれて」
古都美さんは泣きながらクスッと笑った。
「あ~あ、根っからのバカだよねホント」
私は呆れて言った。
「一世一代のチャンスを棒に振ったって感じ」
祭も溜息を付きながら言った。
「それが稀一さんなんだもん、仕方ないでしょ」
苑子さんが笑って言った。
「稀一君が羨ましいわ。こんなに思ってくれる仲間がいて。みんなに愛されてるのね、稀一君は。良い人だからこそ、回りに良い人達が集まってくるのかも知れないわね」
古都美さんが涙を拭いながら言った。
「古都美さんも仲間になればいいじゃないですか」
私は言った。
「えっ?」
古都美さんはビックリした顔をしてこっちを向いた。
「そうですよ。稀一さんのお友達はみんなもうお友達なんです。」
祭が言った。
「そうよ、古都美さん。とりあえずこんなくだらない男と関係を断ち切って、でも養育費はキチンと頂いてね。稀一さんには本当の事は言わなくてもいいと思う。誰がパパとかなんて関係ないの。千恵理ちゃんはあなたの子供として育てていけばいいんだから。これからも稀一さんの良き友人でいて欲しいわ。でも、千恵理ちゃんには、キチンと稀一さんがパパじゃないって事を教えてあげてね」
苑子さんは言った。
「ええ。千恵理にはちゃんと説明するわ。皆さんありがとう。また…お店に行ってもいいかしら?」
「勿論!!千恵理ちゃんにウンタンを見せてあげたいしね」
私はウンタンの頭を被った。
「でも、ある意味…夢でうなされそうだわ」
古都美さんは笑いながら言った。
私達も笑った。
この日の事は、私達は稀一さんには一切何も話さなかった。稀一さんはいつものようにアホ顔で仕事していた。
「そうだ、お前ら。あれから古都美と会った?」
稀一さんが私達に言った。私達はドキッとした。
「一回店に来たような…来なかったような?」
「ふーん。そうか。なんかみんなによろしく伝えてくれって言ってたからさ。稀一君は、良い仲間に支えられて幸せね、って言われたけど、俺がお前らを支えてるの間違いだよなぁ?」
稀一さんはバカ笑いをしながら歩いて行った。
みんな、シラ~っとした目で稀一さんの後ろ姿を見つめた。
「一旦奈落の底に突き落としてみたい」
実凛さんが言った。
「だね。あのまま騙されてれば良かったのかも」
私も同意した。
「そういう所が稀一さんの良い所なのよ。鈍感なのが一番だわ」
苑子さんが笑いながら言った。事務所の方で稀一さんが大きなクシャミをしたのが聞こえた。私達はそれを聞いて顔を見合わせて笑った。
稀一さんはバカだけど、でも稀一さんのおかげで私達はこんなにノビノビと楽しく良い仲間に囲まれて仕事ができてる。ありがとう、稀一さん。
私、稀一さんの為にも一生懸命売上伸ばす努力するね。私はそう誓った。
多分、ここにいる誰もがそう思ってるに違いない。
私はみんなの顔を見てそう感じたのであった。