第13章
同じ頃。苑子と咲真が休憩に入っていた。休憩所で苑子が2人分のお茶を入れている。
「今頃、デートな二人は何してんだろうな~」
咲真はニヤニヤしながら、自分の弁当を広げていた。
「本荘店の雰囲気に飲みこまれてそうよね、太郎君は。結構ノミの心臓だしね」
苑子がお茶を持ってやってくる。
「あ、苑ちゃんサンキュー。だな、しかもあいつ何気に短気だしな。暴れてなきゃいいけど」
咲真が苑子からお茶を受け取る。苑子は自分のお茶をテーブルに置くと椅子に座った。
「大丈夫じゃない?沙和ちゃんがいるし」
苑子は自分のお弁当の包みを広げながら言った。
「イヤ、多分沙和っちの方が血の気は多いと思うよ。
でもさ、あの二人ほど恋愛に発展する雰囲気がまるでないってのも珍しいよね。」
咲真が笑って言った。
「そう?私的には結構お似合いな気がするんだけどね。じゃ、いただきま~す」
苑子は手を合わせた。
「いつも思うけどさ~苑ちゃんの弁当はホント、いつも豪勢だよね」
咲真が苑子の弁当を眺めながら言った。
苑子の弁当は常に重箱に入っており、いつもおせち料理並みの豪華さになっている。しかも、結構な量にも関わらず全部残さず食べる苑子は、痩せの大食い体質らしい。
「咲真君のお弁当も、いつも美味しそうよ。
毎日咲真君が作ってるんでしょ?」
苑子が咲真のお弁当を見ながら褒めた。
「そう、俺が毎日作ってんの。この職人技の卵焼き見てよ~!!キレイでしょ?1個食べてみてよ~!!メチャクチャ美味いから!!」
咲真は自分の弁当箱を苑子の目の前に差し出した。
「わぁ~いいの?ありがとう~!!じゃ、代わりに私の三元豚の釜揚げベーコン巻きと取り換えましょう」
苑子はそういうと、咲真の卵焼きを1つ箸で摘まむとすぐにパクッと口に入れた。
「なんか…俺の卵焼きなんかとは比べ物にならない高級おかずとの物々交換に、いささか恐縮ではあるけど…。ま、遠慮なくごちになりま~す」
咲真は苑子の弁当からベーコン巻きを抜き取った。
「わ~!!咲真君の卵焼き、本当に美味しい~!!こんなに美味しい卵焼き食べたの初めてよ」
苑子が喜ぶ。
「またまたお世辞を~!!でも、舌が肥えてる苑ちゃんにそう言ってもらえると、メチャクチャ嬉しいな~」
咲真は嬉しそうに、自分も卵焼きを口に入れた。
「咲真君て本当に料理上手だよね。今は、料理する男の人達が凄く多くなってて、そういう男性向け料理雑誌も本当に多くなったけど、その先駆けとなってるのが咲真君だよね」
苑子はお茶を飲みながら言った。
「ま、俺の料理歴は中学の時からだからね。
そりゃ、腕も上がるってもんだよ。」
咲真は弁当を食べながら言った。
「うちはさ、ホラ…母親が大学入ってすぐに死んじゃったからね。中学の時からずっと入院してたから、料理はずっと俺が担当してたんだ。姉貴はその頃にはモデルの仕事とかして家計を助けてくれてたって言うか。まだ高校生だったのに、遊びもしないで大変だったと思うんだ。だから感謝してんだけどね。」
苑子は咲真の話に聞き入っている。
「ま、そんなこんなで俺自身は大学に行く気はなかったんだけども、母親がどうしても大学だけは入ってくれ、っていうから入ったんだけどさ。でも結局母親が死んで、やりたい事もないのにダラダラ大学行っててもお金の無駄だと思って辞めちゃったんだけどね。」
「…お父様は?」
「海外で暮らしてるんだ、母さんが入院する前からね。毎月の生活費だけは送ってくる、みたいな感じでさ。父親に会ったのは母さんの葬儀の時が最後かな。今は音信不通で、一体どこで何してるかも分かんない」
「そう…」
苑子は悲しげな表情を浮かべながら、そっと箸を置いた。
「ち、ちょっと苑ちゃん!!何暗くなってんの?いつも美味しそうに食べる苑ちゃんらしくないじゃん!!俺、別に親がいなくっても平気だしさ、姉貴もいるし、結構毎日楽しく生きてっから!!…さ、食べて食べて」
咲真は焦って言った。
「ん…。そうね、頂きます」
苑子は箸を持つと、もう一回手を合わせた。
「でも、お姉さんがいて良かったね。私なんか一人っこでしょう?なんか、そういう兄妹とかに凄く憧れちゃうんだ。とっても楽しそうだものね」
苑子は稲荷ずしを食べながら言った。
「ま、みんなにはよくシスコンって言われるけどね」
咲真は笑った。
「しかしさ、最近売上げは上がってるみたいだけど、閉店の話ってどうなってるんだろうね?」
「そうね、稀一さん何も言わないからよく分からないわよね。」
苑子は話しながらもどんどん食べるペースを上げていった。
「苑ちゃん、今日なんか食べるの早くない?」
咲真が苑子の食べっぷりを見ながら言った。
「あ、分かる?」
苑子は、これ以上詰め込めないってぐらい口におかずを詰め込んでモグモグしながら言った。
「頬っぺた凄い事になってるよ、リスみたいで可愛いけど」
咲真が笑った。
苑子はゴクンと口の中の物を飲みこむと、お茶で流し込んだ。
「御免なさい、行儀悪くて。うちのママが明日韓国に行くみたいで、目的地への行き方とか一通り分かりやすく調べてあげようかなって思って。
家に帰ってからすぐに説明してあげたいから、少しでも今のうちに調べておこうかなって思ったの。」
苑子はお弁当をまた食べ始める。
「そうなんだ。韓国には旅行か何かで?」
「ううん、急にサムゲタンが食べたくなったんだって。」
「…それだけの為に?」
「え?そうよ?どうして?」
苑子がキョトンとした顔をして咲真を見つめた。
「イヤ…庶民にはない感覚だから、ちょっとビックリしちゃって。ご、ごちそうさまでした~」
咲真は手を合わせて挨拶すると、お茶を一気に飲み干した。
苑子は弁当を食べ終えると、からになった弁当箱を風呂敷で包んで、それを床に置いた。そして代わりにテーブルの上に韓国の地図ガイドなど一式を並べた。
「苑ちゃん、コーヒー飲む?」
咲真は炊事場の方に歩いて行く。
「あっ…ゴメンなさい。私、淹れようか?」
「いいのいいの。たまには俺の美味しいコーヒーも飲んでみてよ」
咲真はコーヒーカップを用意しながら言った。
「ありがとう。じゃあ、お願いね」
苑子は笑顔で言った。
苑子はレポート用紙にキレイな字で韓国語を書いている。
咲真はコーヒーを持ってくると、テーブルの上に置いた。
「ほい、苑ちゃん」
「ありがとう咲真君」
苑子はペンを置くと、コーヒーカップを手に取った。
咲真は、苑子の書いた用紙を眺める。
「苑ちゃんは、ホント…頭いいねぇ。韓国語なんか難しくないの?」
見るからに難しそうな顔をして聞いた。
「んー。そうでもないわよ。今は韓国ブームだし昔よりはずっと身近な感じがするもの。
分かりやすいテキストとかも沢山出てるしね。
うちのママなんて、韓国ドラマにドップリハマッちゃってて。でも、韓国語は全然話せないから教えてあげてるんだけどね」
苑子はコーヒーを一口飲んだ。
「うん、美味しい」
苑子はニッコリして言った。
「ホント、ブームだよな~。俺的には韓国ドラマのどこが面白いのかサッパリ分かんないし、日本の女が韓国の男にハマるのも納得いかないんだけどな~」
咲真は韓国のドラマガイドを見ながら言った。
「でも、今はお歳を召した方達も韓国の俳優さんにハマッてるし、多分、日本の男の人よりも韓国の男の人の方が、親を尊敬しているというか大事にしてるというか…。なんか優しくてロマンチストな感じがするんじゃないかしら。」
苑子が笑顔で言った。
「ヒドイな~。日本の男もなかなか捨てたもんじゃないんだけどな~。
俺なんか、メチャクチャロマンチストだしな~」
咲真が苦笑いして言った。
「そう言えば、咲真君って韓国の人気俳優さんに雰囲気が似てる気がするわ。えっと待ってね…
ホラ、この俳優さん。どう?」
苑子が韓国雑誌の表紙を飾ってる俳優を指さした。
咲真は表紙をガン見する。
「ま、髪型は似てるかも知れないけど…でも、雰囲気とかも似てるのかな~。
あ、そう言えば…
韓流コーナーの本を整理してた時、おばちゃん達の熱い視線を感じた事あるな~。女子高生とかも、何か俺の方を指出して、ホラ、あの人ジョンファンに似てる~!みたいな。コイツ、もしかしてジョンファンって人?」
咲真は雑誌を指さした。
「そう、イ・ジョンファン。今一番人気のある韓国俳優さん」
「そっか~。じゃあ、あれかな。もし、俺が韓国俳優ファンの女子高生や中高年のおばちゃん達を客に取りこめば、もっと売上げ上がるかな?」
咲真は閃いた顔で言った。
「そうね。そういう人達がうちの店に沢山来るようになったら、きっと韓国雑誌だけじゃなく、韓国語のテキストとか、韓国の地図ガイドも売れるかも知れないわね」
苑子は少し興奮したように言った。
「苑ちゃんもミニスカ頑張ってるし、太郎と沙和っちでさえ、偵察行くぐらいヤル気出してるしな。いっちょ俺もやりますか」
咲真がヤル気を見せる。
「咲真君だって、シンカンジャーのリーダーとして、すでに頑張っているんだけどね。でも…主婦と子供以外にも、咲真君ファンを増やすのはいいかも知れないわね。」
苑子はニッコリほほ笑んだ。
「じゃあ、苑ちゃん。俺の韓国語の先生になってくれる?暇な時でいいからさ」
「ええ、いいわ。韓国語マスターしたら一緒に韓国にチゲでも食べに行きましょうっ!!」
苑子はテンションを少し上げながら言った。
「それはお泊りで?」
咲真が少しイヤらしい顔をする。
「え?勿論、日帰りでよ?」
「ですよね~。了解~!!」
咲真はガッカリした顔で言った。
この日から、咲真と苑子の韓国特訓が始まろうとしていた。
目指すは、中高年の韓流ファンを虜にする事。
咲真の挑戦が始まった。
私は、棚を見ながら本の発注をしていた。
向こうでは苑子さんが商品整理をしていて、その脇に咲真さんがいて、何やら2人で仲良さそうに話している。
最近、あの2人…どうも怪しい。妙に急接近してるような気がするのは私の気のせいなのだろうか。
私はじーっと2人を見つめていた。2人は私の視線に気がついたのか、こっちを振り返る。
そして、慌てて咲真さんがどこかに行ってしまった。怪しい。ますます怪しい。
私の女の勘がそう言っていた。もしや、初の社内恋愛っ??咲真さんと苑子さんが??
私は、一人だけになった苑子さんをチラリと見た。
まぁ確かに…苑子さんと咲真さんは美男美女だし、外見的には似合いのカップルなのかも知れないが…、って事は、咲真さん逆玉って訳??
イヤ、でもなぁ…。苑子さんは箱入り一人娘な訳だし、咲真さんはシスコンだから婿に入る、という選択はあるのかないのか…
微妙だな~うん。微妙微妙。
私は一人、発注もせずに色んな事を考えていた。
それから数週間後。咲真は無駄に長く韓流コーナーの雑誌整理をしていた。
咲真の韓国語は日を追う毎にメキメキと上達し、今では苑子との挨拶は
「アンニョンハセヨー(おはよう)」
「コンガンハセヨー(元気?)」
と、韓国語で出来るようになっていた。
「あの~。今テレビでやってる韓国のドラマの後半の公式ブックってまだ発売になりません?」
お客様が咲真に声をかける。
「そうですね、今月末に出る予定になっています」
咲真は丁寧な韓国語で答えた。
お客様はビックリして
「あら!お兄さん、韓国語分かるの?」
笑顔で韓国語で返してきた。
「はい、まだまだ初心者ですけど勉強しているんです」
「でも、凄く上手よ!!あら…よく見るとお兄さん、少しジョンファンに似てるわね」
「よく言われるんですが…あんなにカッコよくないですよ、俺」
咲真が謙遜して言った。勿論、ここまでの会話は全て韓国語だ。
「そんな事ないわ、お兄さんの方が素敵よ!!」
「嬉しいです、ありがとうございます」
咲真は、貴公子のような微笑みを浮かべながらお礼を言った。
その年配のお客様はポーッとした顔をして他の韓国雑誌を3冊買って帰って行った。
噂が噂を読んで、連日色んな中高年のおば様達が咲真と韓国語で会話を楽しもうとやってくるようになった。咲真がいないと帰るほどだ。
中高年の繋がりを侮れないと思う瞬間だった。
私はレジに入りながら、料理コーナーの店出しをしている咲真さんを眺めていた。同時に韓国コーナーの棚から、咲真さんを熱い視線で見つめているおばちゃん達の事も眺める。
まさかこんなにも中高年のお客さんが増えるとは思わなかった。しかも、咲真さんがあんなにも韓国語がペラペラだとも知らなかった。
「ねえ、沙和ちゃん見て」
パソコンの所にいた祭が呼んだ。私はパソコンの前に行く。
画面を覗きこむと、それは韓国ファンサイトで、そこでは『街で見かけたソックリさんランキング』というコーナーがあり、なんとそこにうちの咲真さんが載っていたのだ。しかも、断トツの1位で。
「えっ!!何これ!!」
私はビックリして叫んだ。
「なんか、恥ずかしいんだけど…うちのお母さんが見てる韓国ファンサイトなんだけどね、たまたま見てたら咲真さんが載ってたから驚いちゃって」
祭が言った。
きっとうちに来るお客さんが勝手に撮って投稿したのだろう。
でも、全国で堂々の一位とは凄い事なのではないだろうか。
「そんなに似てんの?このイ・ジョンファンって人と咲真さんって」
私は聞いてみた。
「うーん。ちょっと待ってね。えっと…この人だよ、ジョンファンって」
祭はジョンファンの顔写真が載っているページを開いて指さした。
「この人?へ~。似てるっちゃ似てるのかも知れないけど…ぶっちゃけ咲真さんの方がカッコイイよね?」
「うん、私もそう思う。2割増し良い男」
祭も同意する。
「さーんきゅ♪」
パソコンの前にイキナリ咲真さんが嬉しそうな顔して立っていた。
「ぎゃー!!」
祭が悲鳴を上げようとしたので、慌てて祭の口を塞いだ。
「イキナリ出てくんの、やめてくださいよ。
祭、失神しちゃうじゃないですか!!」
私は叫んだ。祭はピクピクしている。
「ゴメンゴメン。祭も最近は前よりは男慣れしたから大丈夫かな~と思ってさ」
咲真さんが笑って言った。
祭は、あの加藤さんの一件以来、誠人さんと普通に話せたというのが自信に繋がっているのか、前よりはずっとスムーズに男の人と接する事ができるようになった。でも、やはり不意打ちには対応できないようだ。
「咲真さん見てくださいよ、これ」
私は咲真さんをパソコンの前まで呼んだ。咲真さんは画面を覗きこんでビックリしていた。
「いつの間にこんなの撮られたんだろ。ってか、一位?参ったな…」
咲真さんが照れくさそうに頭をかいた。
まんざらでもなさそうな感じに見えますが。
急激に中高年の韓国ファンらしき客が増えたのは、もしかしたらこのサイトのせいなのかも知れない。私は店内にいる、咲真さん目当てらしき客の人数を目で数えてみた。確実に10人はいる。この平日にこの人数。ありえない。
それから数日後。
前に、加藤さんの息子の誠人さんが記事を投稿した「庄内小町」という地域コミュニティ雑誌の出版社から電話がかかってきた。
何でも、「イケメン店員」というコーナーがあるのだが、それは自薦他薦問わず色んな店のイケメン店員を載せてるコーナーで、色んな人から未来屋のある店員さんがメチャクチャイケメン!!という情報が多数寄せられているという事で、是非取材させて欲しいとの電話だった。
その電話を取った稀一さんは
「店長はもっとイケメンなんですが」を連呼していたが、じゃ機会がありましたらその時は是非…と軽くかわされたとかでイジケまくっていた。
それから後日、記者らしき人達が2人来て、咲真さんに色んなインタビューをし、写真を撮って帰っていった。
咲真さんだけがチヤホヤされて、イジケていたのは稀一さんだけでなく青登さんもなのだが、記者の方達が最初、青登さんを咲真さんだと勘違いしたようで
「スイマセン、こちらも凄いイケメンさんだったもので間違ってしまいました」と謝られた事に気を良くしたようで、
「最初に俺を見てイケメン店員だと勘違いしたって事は…俺の方が咲真よりもイケメンに見えたって事だな」
と、なんか一人で納得しながらイジケ虫が治まったようだ。
ま、否定はしない。別タイプのイケメンには違いないのだから。
それから数日後
韓国ファンサイトのランキングは、相変わらず咲真さんが一位をキープしており、わざわざ遠方からまで、咲真さんを見に来店する人達がいるぐらい、スッカリ有名人になってしまった。
多少キャーキャーうるさいが、売上げに貢献してくれてるので文句も言えない。
おば様達は、本当にお金を持ってらっしゃる。
有り難い事だ。手を合わせて拝みたくなる。
そんな中、一際大きな黄色い悲鳴が店の外から聞こえてきた。
ん?何だ?
私は、窓から店の外をチラリと見てみた。何かしら人だかりが出来ている。
事故か?それとも万引き?…もしや殺人っ?
私は野次馬根性が沸々と沸きおこってきた。
行きたい…でも仕事中だし…んもう!悶々するー!!
店の自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ~…あっ!!」
私は、入ってきた客を見て思わず声を出した。
それは、あの…咲真さんに似てると有名な、じゃなく、咲真さんが似てると言われているイ・ジョンファンだった。
イヤ、多分そうだと思う。あんまよく知らないから何とも言えないが、周囲の反応からして、間違いなく本人だろう。
「ドモンサクマサン、イマスカ?」
ヤベー!!私に話しかけてるー!!ってか、日本語で良かったー!!
「あ、おりますが」
「ワタシハ、イ・ジョンファンデス。サクマサンオネガイシマス」
ジョンファンは屈託のない笑顔を見せた。
うわー!!本物だー!!
「し、少々お待ちくださいませ。さ、さ、咲真さーん!!」
私は大声で奥にいる咲真さんを呼んだ。
うわーうわー!!テレビカメラまでいるー!!ヤバイ…映るのか?映っちゃうのか私!!
私は自分の服装を確認する。あ~…もっと可愛い服着てくるんだった。んもう!!来るんなら来るって事前に言えっつーのよ。全く…。
私は一人ため息をついた。
「ほーい」
呑気な声を出して、咲真さんが事務所の方から歩いてくる。そして、恐ろしいぐらいの人だかりを目にすると
「え」
途中で立ちどまって、2歩ほど後ずさりした。
「キミガ、サクマクンデスカ?」
ジョンファンが咲真さんの方に歩いて行く。
テレビカメラもついて行った。
「ジョ…ジョンファンっ??」
咲真さんも本物を目の前にして驚きのあまりボー然と立ちつくしていた。
「サクマ、ハジメマシテ。
ワタシのファンサイトデ、ジブンニスゴクニテルヒトガ、ヤマガタノホンヤニイルッテハナシテタカラ、キニナッテアイニキタヨ!!」
ジョンファンは、咲真さんと抱擁を交わした。
周囲からキャーという悲鳴が漏れる。
「あ…わざわざどうも、スイマセン」
咲真さんはトンチンカンな受け答えを返していた。
「ドウ?ニテル?」
ジョンファンは咲真さんと肩を組んで、その場に居る大勢の人達に訪ねた。
「キャー!!似てるー!!」
皆が一斉に叫ぶ。
イチイチ、キャーキャー言わないといけないのか?うっとおしい。
私はなんかイラついてきた。
「サクマ、シゴトのジャマシテワルカッタネ。
オワビニ、ホシイコミックゼンブカッテクカラ、ユルシテ。」
ジョンファンがウインクする。
また周囲がキャーと叫んだ。
コミックを大量に買って行くと聞いて、私も
ついキャーと叫んでしまった。
おっと、私とした事がはしたない。でも…毎度あり~♪
私の機嫌は一気に直った。
それから、ジョンファンはコミックを100冊ほど購入し、サインを書いて笑顔で去って行った。あれほどまでに居た人だかりも消え、店内は一気に静かになった。
「なんだったんだろう…一体」
咲真さんは疲れた顔をして呟いた。
「ま、とにかくお疲れ様。おかげで今日の売上げはハンパないよ。」
私はニタニタ笑う。
「あくどい顔してんな、お前」
太郎が私の顔を覗きこんで言った。
「そういう自分こそ、本当はメチャクチャ嬉しいくせにー」
「あ、分かる?」
太郎がニヤッと笑った。
「でも、咲真君大変になるわね。あのジョンファンがわざわざこんな所に来るなんて、多分全国ニュースにもなるんだろうし…。
それを見た全国のファンの子達がまた咲真君見たさに押し寄せてくるんじゃないかしら」
苑子さんが心配そうに言った。
「いっその事、入場料でも取るか」
稀一さんが歩いてくる。
「またアホな事言うし…」
私は呆れて言った。
「ジョークだよ、ジョーク。ま、こうなった以上、咲真的には仕事しにくいとは思うが、とりあえず普通に仕事しろ。とにかく店内での撮影は禁止、握手も仕事中だからって断る事。勿論サインもダメー。」
稀一さんは手で×を作る。
「俺、別にサインなんか書けないし」
咲真さんが呟いた。
「でも、嫌な顔はすんなよ?いつでもスマーイルでな?断る時も王子様的笑顔でな?あくまでも、相手はお客さんだから」
「了解―っす」
咲真さんがため息を付きながら答えた。
明日から大変な事になるんだろうか。覚悟しとかなくちゃな。またテレビとか来る時の為に少し可愛い恰好してこようかな…。
私はひそかにそんな事を考えていた。
しかし、予想に反してジョンファンが咲真さんに会いに来たというニュースは日本では放送されなかった。その代わり、ジョンファンが日本のアイドルと密会してた事がスクープされ、熱愛報道で持ちきりになっていた。これは不幸中の幸いとでも言うのだろうか。
店の混乱も、1週間ぐらいは訳の分からないミーハーなジョンファンファンが多くやって来たが、もうすっかり落ち着いたようで、前々からの咲真さんファンのおばちゃん達だけが相変わらずウキウキしながら来店するだけになった。
これで前のような平穏な日々を取り戻したかのように思えた。
あの一件が起きるまでは。