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宇宙まで見透かせるのではないかと錯覚するほど突き抜けるような青い空の下、僕はあてもなくただ足を動かしている。
真っ白な砂浜は一歩踏み出すごとに、足裏へまとわりつくようにジャリと気味の悪い音を立てている。
延々と続く砂浜に、鏡のように静まり返った海。
何回も見た、知らない景色。
波一つ立てない青い水面を見ないように、僕はずっと空を見て歩き続ける。
前を見ないで歩くなんて危険な行為も、ここでは何も問題ない。
どこまでも続く海と、どこにも繋がらない砂浜があるだけなのだから。
僕は足を止めて、意を決して視線を海の方に移した。
大海原の水平線の彼方、そこだけ絵の具で塗り潰したような不自然な黒がこちらを見つめている。
いや、見つめているかどうかは分からない。
そのぼんやりとした存在に顔はない。
目や鼻が存在するべき場所は真っ黒に塗りつぶされて認識することができず、正しく形容する言葉が思い付かなかった。
シルエットから推測すると人型だなと思うだけで、その闇のような存在が何なのかは僕にはわからない。
この世界には僕とその人型がいるだけで、他に生物らしきものはいない。
潮騒や風の音も一切なく、僕の鼓動だけがいやに大きく聞こえていた。
「━━━━━」
それは何も言わない。
ただ不思議と、それに呼ばれているという確信だけがある。
僕はまた視線を空に上げて、歩き始める。
呼ばれるままに海に入ったのならば、二度と帰れないような気がした。
* * *
「━━ほう。 途方! 新村途方! 起きろ、部室で居眠りとはいいご身分だな!」
誰かが名前を呼ぶ声で、僕の意識は覚醒した。
椅子にもたれ掛かった姿勢でずっと固まっていたからか、肩と背中が凝って痛みを訴えている。
大きく伸びをしながら、寝起きの霞んだ視界で自分の現状を確認する。
夢見が悪かったせいで、頭までもズキズキと不調を訴えているようだ。
こめかみを手で押さえつつ、僕は声の主へと視線を送る。
「おはようございます、最川部長」
「うむ。おはよう、寝坊助め。二年生になってから図太くなったな?」
「部長の教育の賜物ですね」
両腕を胸の前で組んだ少女が立っている。
いや、実際には自分の二つ上に当たるのだから、れっきとした成人なのだが。
小柄な体格とコロコロと変わるあどけない表情は、とても年上とは思えない。
高校生、いや中学生でも通りそうだな。
「失礼なことを考えてないか?」
「いえ全く」
ぎろりと可愛らしい顔を精一杯すごませている部長にあくびを噛み殺しながら返事をし、周囲を見渡す。
自分たちのやりとりが見られてはいないか気になったのだが、どうやら杞憂のようだった。
仲のいい人同士で集まったグループが、それぞれ夢中になりながら会話している。
上級生は黒板前を陣取り、意見を戦わせているほどの盛り上がりだ。
はて?
ここまで活気に溢れたサークルではないというのに、なにがあったというのだろうか。
訝しんでいる僕の頭に、部長の小さな手がストンと落とされた。
「途方、お前会議中ずっと寝てただろ」
「あぁー、そうみたいですね」
他人事のような言い方になってしまったのは、今に至るまでの記憶が曖昧だったからだ。
早めに部室に来て、手持ち無沙汰に考え事をしていたところまでは覚えているが、寝落ちしてしまった記憶はない。
それに、会議になっても起きないほどぐっすりと眠るほどの疲れはなかったはずなのだが。
思い出そうとしてみたが、どうにも頭はぼんやりとして働かない。
覇気のない僕の姿を見て、部長は大きくため息をついた。
「いいか? 一から説明するのは面倒だから、大雑把に説明するぞ」
「お願いします」
「サークル恒例の夏休みの企画は流石に知っているな?」
「グループごとに旅行してきた内容をインターネットで発表しあうやつですよね。評価が高いグループに景品が出るとかなんだか」
僕が所属している旅行サークルは、本格的な活動を行うものではない。
旅行と銘打っているが、その実ただの道楽集団だ。
活動ノルマがあるわけでもない、積極的に制作物を発表しあうわけでもない。
旅行が好きな人の集まりというよりも、ただ単に学生時代のモラトリアムを一人で消化するのを嫌がった人間か、僕のように面接対策でほどほどのガクチカを作ろうとしている人間しかいない。
何人かは本当に旅行が好きでインフルエンサーのような者もいるが、二十人ほどいる部員の大多数がサークル活動に積極的なわけではない。
この夏休みの企画は去年もあったが、参加者は部員の半分にも満たなかったように記憶している。
僕も不参加で通そうと思ったが、仲良くしているグループが乗り気だったのと部長に目を付けられていて強制参加だった。
「何で今年はこんなに盛り上がっているんですか?」
「匿名のOBから寄付があった。なんでもサークルの発起人の一人らしく、盛り上げるための一助にしてほしいそうだ」
「いい臨時収入ですね」
「全くだ! 助かる助かる!」
部長は何度も頷いている。
私立でそこそこの歴史があるこの大学ではOBからの寄付金は珍しくない。
講堂のステージに備え付けられた無駄に豪華なカーテンや移動用のマイクロバスなど、年ごとに学校の備品は買い替えられている 。
活動実績のある部活動にも潤沢な予算が割り振られているが、ろくな実績もないうちのサークルに資金はない。
基本的には自費での活動がメインになるうちにおいて、今回のような寄付金はまさに天からの恵みと言えるわけだ。
「おかげで今回は優勝グループには豪華景品プレゼントってわけだ。去年みたいにしょっぱい額のクオカードとかじゃないから、期待してくれ」
「はぁ」
やたらと周りが盛り上がっている理由に得心がいく。
目先の報酬に釣られて皆やる気になっているのだ。
有意義な時間を送ることのできない大学生は夏休みを持て余しがちであるし、旅行に行きつつ豪華景品がもらえるかも知れないとなるとやる気も出るか。
僕はそこまで考えて、大きくため息をついた。
(充も美鶴もやる気になってそうだな……)
僕が同じグループの人を思い浮かべていると、ちょうどその人物たちがやってきた。
部長と軽く会話をして、入れ替わるようにその二人が僕の前に立って口を開く。
「途方 、行く場所決めといたからな!」
「いや、僕何も聞いてないんだけど」
「寝てる新村が悪いっしょ。文句あるなら代案考えてあたしたちが納得のいくプランを出してよ」
「起こしてくれればよかったのに……」
金髪で体格のいい男が調子のいい笑顔を浮かべ、その横にピッタリと寄り添う形で痩身の女がキュッと目を釣り上げながら噛みついてくる。
男が塚原充で、女が塚原美鶴だ。
同じ苗字で似たような名前の二人だが、血縁というわけではない。
この二人は、同じ児童養護施設出身なのだ。
赤ん坊の頃に捨てられて、施設の人に名付けられたらしい。
現代日本においてなんとも悲惨な経歴だと思うものだが、続く充の言葉にため息が漏れる。
「みなしご組で決定したことだからな!」
「……その直球すぎるネーミング、やめないか?」
「なんでだ? 分かりやすいだろう?」
「分かりやすいから、嫌なんだよ」
みなしご組、それが自分たちにつけられたグループ名。
この二人だけではなく、僕もまた両親がいない人間だった。
両親がいない人間、幼少期に正しく育ての親の愛を受けられなかった人間。
そういった存在は、他の大学生と何かと話が合わず、僕らは自然と広い大学であぶれていった。
浮いた者同士でいつの間にかグループを組んで、ほどほどのペースで遊ぶようになっていた。
そしてそのグループには、似たような境遇の存在がもう一人いた。
「ごめんなさい途方くん。寝てるところ、起こすのが申し訳なくて……」
「……いいよ、北条さん。どうせ僕は大した意見は出せないから」
二人の後ろから現れた女性は、僕に微笑みかけながら話しかけてくる。
真っ黒な髪は烏の濡れ羽色と表現するほどにツヤがあり、整った顔立ちとお淑やかな雰囲気は日本人形を想像させる。
北条杏木、同じ学年の彼女もまた、みなしご組の一人であった。
人当たりのいい性格はサークル外からも人気があり、ちょっとした有名人である。
彼女は僕らと違い友人も多く、順風満帆な大学生活を送っているようだが何故か僕らと一緒にいることを好んでいるようだ。
幼少期に両親が病死したらしい彼女もやはり、僕らにシンパシーを感じているようだ。
見慣れているはずの北条さんの美貌に鼻を伸ばしている充の脇腹に、美鶴が肘鉄を入れている。
美鶴も決して容姿が劣っているわけではないのだが、鋭い目つきとヒステリック気味な性格のせいで人気はない。
「イッテェ!いい加減すぐに手を出す癖やめろよ!」
「アンタもすぐ美人にデレデレした間抜けヅラ晒すのやめなさいよ! 杏木に手を出すようなら許さないからね!」
「出さねぇよ! そもそもデレデレしてねぇっつうの!」
いつものように始まった二人の夫婦漫才を僕らはお決まりのように流して、会話を続ける。
二人はすぐに喧嘩をするし、すぐに仲直りするのだから構うだけ無駄なのだ。
「それで、僕らはどこに行くことになったの?」
「実は、私今年は帰省しようと思ってまして。そしたら村長様がぜひご友人も一緒にということなので、私の故郷にみなしご組で行こうという話に」
「へぇ……」
北条さんの言葉に僕はそれだけしか返せなかった。
興味が無いわけではない、意外だったのだ。
北条さんただの里帰りが、なぜ旅行の行き先になるのか。
それは、彼女の出身地がとてつもない秘境だからだ。
彼女の出身地へ向かうには、まず表島へ行く必要がある。
表島と呼ばれるそこは、一応東京都に属しているものの、東京から千キロ近く離れた離島だった。
そして空港がないため、定期船で丸一日かけて移動する必要がある。
日本からニューヨークまで行って帰れるだけの時間を、船に揺られて移動しなければいけないのだ。
定期船も六日に一回しか出ないため、最低でも五泊六日の旅程を強いられることになる。
僕らのように時間を余らせている学生以外には、非常に行きにくい場所になる。
そしてそれは、あくまで観光地である表島の話である。
北条さんの出身地はそこからさらに、船でまた移動して行かなければならない裏島と呼ばれる場所になる。
観光地としてある程度整備されている表島と違い、裏島は住民がほぼ自給自足のような生活をしているらしい。
らしいと不確かな言い方になってしまうのは、現代にあってもインターネットに情報があまり出回っておらず、北条さんの思い出話でしか情報を得られないからだ。
表島と違い村民に招かれる形でないと入れないので、気軽に旅に行けるような場所でもなく、かといってめぼしい観光スポットがあるわけでもないのでただの僻地扱いである。
今まで北条さんに教えてもらった情報を思い出しながら、僕は得心がいく。
確かに、今回の企画向けの場所ではある。
インターネットでは豪華な町並みより、田舎のような風景がバズりがちだ。
逆張りの精神というかアングラの精神というか、そういった精神がインターネットにはあると思う。
充と美鶴にここ以上の旅先を提案することは僕には思い浮かばない。
今回は、裏島に行くことになりそうだ。
「五泊六日かぁ……今までで最長だなぁ」
「ふふ、そうですね」
未だに口喧嘩をしている二人を横目に、僕は目を閉じてこれからの旅路に想いを馳せた。
丸一日かかる船路、誘われた人間しか入れない村、情報がまるっきりない島。
それらが僕にどういった経験をもたらすか、僕はこの時はひどく楽観的だった。
(━━━━━)
誰かが僕の名前を呼んだ気がして目を開いたが、何も変わらない光景が飛び込んでくるだけだった。
喧嘩をしている二人と、それを楽しそうに眺めている北条さん。
きっと、この光景が大学卒業までは続くのだと僕は思い込んでいた。
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