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23時の部屋は静まり返っている。両親はすでに眠っているようだ。俺はデスクに置いてある21.5インチの古いiMacの画面に表示されている『Mlog』についてまとめられたウィキペディアを読んでいる。
冒頭にはこう書かれている。
『Mlogとは、かつて日本に存在したブログサービスである。市岡達也、川崎英二、岡部康之、丸喜昌平の四人により設立された。1999年(平成11年)にサービス開始。2021年(令和3年)にサービス終了。設立当初はMUGENブログ(むげんぶろぐ)として運営され、2009年(平成21年)に改称された。』
父親は若い時にITベンチャーの創業メンバーだったらしい。
それも過去の栄光だ。
20世紀末にポケモンとほぼ同時期にインターネットが普及した。
もともとプログラムをいじるのが大好きだった父親は、大学の数人の仲間と一緒に、ブログサービスのMUGENという会社を立ち上げた。
どうして、その名前になったのかというネーミングセンスを聞いたことがある。『童夢-零』という、個人の発案から生まれた四角く、近未来的なデザインだったレースカーの雰囲気にしたいというところから、思いついたらしい。そういう着想からフランクにつけた名前だった。
4人の仲間と麻雀を打ち、アルコールとニコチンを摂取しながら、ブレインストーミング形式で、ラフな気持ちで名前の案を出し合った。そのなかで、さっきのレースカーの名前になって、4人は少年時代に抱いた憧れを思い出した。
その結果、雰囲気をもらおうということになった。
そうして、さらにアイデアの壁打ちを行い、『無限』の『無』を『夢』に変えて、『夢限』にしたようだ。ただ、サービス名は漢字を選ばなかった。
その理由は、のちに日本国内にとどまらないサービスにする野望があったのと、その当時、カタカナですら野暮ったく感じる風潮があったから、スタイリッシュに見られるように、ローマ字にしたようだ。
『MUGENブログ』は、サービス名を『Mlog』と変え、2010年代の中頃まで存在していたが、過去のサービスに成り下がり、2021年3月にサ終した。
その間には、いろんなドラマがあったようだけど、父親がサービスに携わったのは、わずか7年程度だった。設立してから7年後の2006年に、外資の王手IT企業に買収され、その会社の子会社化した。役員だった父親は、買収されたときに会社に残るという選択はしなかったようだ。
また、あのとき、麻雀卓に座っていた4人のうち、3人は会社を去ることにした。理由は単純で、社長は買収に賛成で、父親を含む3人は買収に反対だったからだ。そうして、父親は家族同然だと思っていた、社長に裏切られた気持ちを抱いたまま、愛し、大きくした会社を去ることになる。
今の父親は、別のITは会社で部長をやっている。昔は役員だったのに、今は普通のサラリーマンをしている。ただ、当時の悔しさがまだ胸の中に残り続けているのか、一人息子の俺に対して、ITはに関しては、過剰なレベルで投資をしているように思う。
例えば、この間なんて、まだ使うかどうかなんて考えてもいないのに、話題になっている生成AIの一番、高いプランに加入して、そのアカウントを俺にも共有してくれた。そもそも、このiMacだって、父親が使っていたお下がりで、中学生の俺にしてみたら、過剰なレベルだ。
なのに、父親はそんなこと気にもとめず、『技術は小さいときから使いこなすのが一番いい』とか、謎の理論をよく言われる。ただ、中学生になり、スマホを買え与えられたときは、『中学生に最新鋭は、オーバースペックだ。どうせ3年しか使わないんだから、コスパがいいもので十分だろ』って言われて、最新で高性能なiPhoneではなく、廉価版を買え与えられた。もっとも、俺自身は、入学してすぐに、何人かのヤツにバカにされた。私立中学だからこそなのか、その当時、最新鋭で、中学生には有り余るスペックのiPhone12を持っているのが多数派だった。
最初はなにも感じていなかったコンプレックスも、いじられるたびに嫌になり、いつの間にか、コンプレックスになっていた。別に機能としては満足しているし、なにも問題なんてない。iPhoneSEでやることと言えば、小説や、作詞するくらいだから、俺にとって、確かに足りている。
そう、父親が『中学生に最新鋭は、オーバースペックだ』という考えはわかる。だけど、一般的な感覚としては、最新鋭でいいものが一番、かっこいいんだ。そのことを言うと、『アホは感覚で考える。有能は思考する。つまり、そういうことだ』と返された。つまり、間接的に俺のその考えは『バカだ』と父親から、言われたのも当然だった。
だから、そういう面では全く話が合わない。
父親はさらに言うと、音楽や小説のような、文化的なものを無駄なことだと考えている。
一度だけ、小説を書いているところを見られてしまったことがある。
そのときに言われたのは、『小説なんて、非生産的だ。小説家になっても稼げない。リソースを割くなら、もっと生産性の高いものに時間を割きなさい』と言われた。
『いや、小説家なんて目指してないんだけど。ただの趣味だし』と返すと、
『俺の小さい時は、こんな非生産的なことなんてしないで、ずっとプログラミングしてたけどな』って、嫌味を言われたから、
『だったら、iMacじゃなくて、WindowsPCを買え与えろよ』って嫌味返しをしたら、黙り込んだ。プログラムを書き込むには圧倒的にIOSより、Windowsが向いていると言われているのを意識高い発信者の動画を観て知ったから、受け売りでそのまま伝えたら、その父親の反応で、そう言われているのは、事実なんだってことを知った。
しょせん、うちの父親なんてそんなものだ。
過去の栄光にしがみついているだけのダサい人間だ。
自分の人生のなかで勝手に抱いたコンプレックスを一人息子に押し付けて、人の未来にばかり期待する。時折、そんな思想が透けて見えてしまうのが嫌だった。
母親は母親で、そんな父親の教育方針について、口を挟むことはなかった。
ただ、母親は本を読むのが好きだから、俺がほしい本は大体、買ってくれる。父親のことを俺もすべこべ言わないようにしているし、母親もたぶん、俺に気を使って、父親の悪口を言わないようにしてくれているんだと思う。
――くだらない。
俺はマウスを赤いボタンまで持っていき、Google Chromeを閉じた。そして、小説を書くアプリを起動した。このアプリはウェブクラウド上でテキストを保存することができる。だから、iPhoneに入れた同じアプリとデータを同期することができる。
夕方、山本瑠奈の文章に刺激を受けてしまった。自分のなかで、書きたいって気持ちを掻き立てられるような文章だった。センチメンタルで透明な雰囲気があったし、文章にブルースがあったような気がする。音楽的に言うと、倍音に近いような響きだった。
ただ、ストーリーはありがちな恋の話だった。それは予想していたことだから、すぐに受け入れた。だけど、目の前に情景がぱっと広がるような、キラリとしたものがあった。すでに山本瑠奈しか書くことができない文章なんじゃないかって思った。
そのことに衝撃を受けたし、じゃあ、俺の文章って、ありがちで誰にでも書くことできる文章じゃんって思った。作詞するときは、韻を踏んだり、音を合わせたりはする。それは実際に自分で歌うってこともあるし、人に聴かせることを意識しているからか、少しでも引っかかるような言葉を選ぶようにしている。
でも、小説でそういう意識ってあまりしていない。その理由は作詞と対極にあるからだ。
『それに書いているってことは、誰かのために書いているんでしょ?』
山本瑠奈は無邪気そうに俺にそう聞いたけど、俺は違う。俺は他人に言えない、自分の心の傷を癒やすためだけに小説を書いている。だから、誰かに向けて書いているわけではない。小説で認められたいという承認欲求は全くといってない。
そんな俺の文章を山本瑠奈は、さっきこう言っていた。
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