点Pは、「恐怖」を知らない。
空は鉛色で、灰と煙が交じり合い、太陽の光を押し潰していた。
村の周囲では戦闘が続き、地面は砲弾で掘り返され、瓦礫と血と泥が混じった臭いが鼻を突く。
点Pは、瓦礫の下から這い出し、濁った水溜りを避けながら足を動かした。
彼女は決して、何者にも臆さない軍人として傭兵所で評価されていた。そして鉛の空から無数に降る鉛玉。それらは容赦の欠片もなく彼女の身体に襲い掛かる。熱い銃弾が肌をかすめ、ジュウッと肉の焼ける音と共に焦げ臭い匂いが立ち上る。
彼女は足を止めることなく、剣を片手に戦場を闊歩していた。
点Pは、昂揚していた。
既に点Pは、右腕から先が無い。痛みはもちろんある。恐れない心と痛みとでは、全く以てベクトルが違うことを彼女は理解している。
ただ、刺す。ただ、斬る。ただ、目の前のすべてを否定する。自らの生を妨げる貴様らこそ悪だと言わんばかりに。自己肯定。点Pはそれによって生を繋ぎ止めていた。
点Pは、自分を信じていた。
突如、地面が揺れた。山腹の岩が崩れ、土砂が村を飲み込む。
点Pは声を上げることもなく、瓦礫をかき分け、倒れた者を押しのけ、ただ前に進む。
泣き叫ぶ子供も、血まみれの大人も、助ける余裕はない。
この世界に、誰かが救ってくれるなどという幻想は存在しない。生きたければ生きるがいい。ただし死ぬのは自己責任。そんな世界だ。まともな奴こそ死んでゆく。
昼になり、雨が降り始めた。濁流が道路を覆い、点Pは泥の中を歩く。
手には食べかけのパン、足には破れた靴、体はずぶ濡れで震える。それでも動く。動くしかない。止まれば死がすぐそこにある。
死が怖いわけではない。点Pは、何かに恐怖したかった。心の底から震えあがることで、己がまだ人間であると、認めたかった。死の瞬間にこそ、それを味わえるのだ。
点Pは、狂っていた。
目の前を邪魔する敵兵を、容赦なく叩き伏せる。彼の者たちにも家族がいるのだ。頭では理解している。
点Pは、唱えた。
ならば、その家族諸共、先ほどの敵兵のいるあの世に送ってやろう。それが思いやりというものだ。自分がしているのは殺戮ではない。救済である。
数か月後。
戦争は終わりを告げた。彼女たちの国は、敗北した。点Pは、未だ戦場の余韻が残る焼野原に一人、立ち尽くす。
もう、恐怖するものがない。恐怖するものがないとは、生きる意味がない。恐怖を感じることで、人の鼓動は速く刻まれる。それは生命の証明だ。もう自分にはそれがない。生きるという実感を感ずることができない。生きてるだけだ。死と同義だ。
点Pは、涙を流した。
なぜ生きているのだろう。なぜ神は、己に死という最後の恐怖を与えてくださらなかったのだろう。
その涙はしかし、葬った者たちへの涙ではない。恐怖を知れない、自分自身に対しての憐憫の涙なのだ。
殺した者のことなど覚えていない。一番哀れなのは自分だ。
点Pは、何故か震えた。
恐怖を知れない。恐怖を知りたい。恐怖はもうない。何にも怯える必要がない。何にも怯えることができない。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
怖い。
点Pは、恐怖を知った。
終戦から一週間後、一人の女性が拳銃で頭を撃ち抜いてその生涯を終えた。その死に顔を見て、神父は吐き気を催したという。
その死に顔は、恐怖に顔を歪めつつも、涙を流して醜く唇を曲げて笑っていた。
点Pは、x cm 進んだ。




