点Pは、「未来」を知らない。
村の空気は重く、湿り、濁った不潔な空気が鼻を突いた。
敷物もなにもない粗末な床に、ましてそれを覆う狭い家に、何人もの人々がその身を横たえていた。
彼女―、点Pは、今日何度めか分からないため息を吐いた。
点Pは藁の上で身を丸め、体温を確かめるように手を擦った。疲労と寒さで指先はしびれ、唇は乾いて割れている。空腹は体中に波のように押し寄せたが、彼女はそれに抗う術を持たなかった。
点Pは、死にかけていた。
彼女が夢を諦めたのは、齢10の頃だった。彼女は朗らかで、誰からも好かれる。そんな娘だった。
しかし10歳の頃、全てがひっくり返った。村の外から侵入してきた部族が、原因不明の伝染病をばら撒いたのだ。その時は村の若人を総動員し、なんとか部族を追い払うことができた。
しかし、伝染病という自然の暴力からは、彼らは逃れるすべを持たなかった。
外では、誰かが呻き、また誰かが倒れた。呼びかけても返事はない。声も、表情も、すべて死の影に溶けているようだった。点Pもまた、倒れる者と同じく、ただ生きることを選ぶしかなかった。
点Pは、諦めていた。
死。夢、希望、幸福。それらすべてが2年前に崩れ去った時とほぼ同時期に、その一文字が頭から離れないようになった。明日の朝、もう息をしていないかもしれない。ひょっとしたら10秒後には、価値のない骸と化しているのかもしれない。怖くはない。どうせ、もうすぐ自分の番なのだから。
水を運び、わずかな食べ物を口に押し込む。泥の混じった芋の皮を噛み砕く。手は震え、爪の間に血と泥が入り込み、肌はひび割れた。誰も褒めない。ふと貧相な己の胸が目に入る。今はもう、ただの醜い塊だ。誰も見ていない。
ただ、呼吸を続け、動き続ける。
「死にたい」と「死にたくない」がせめぎ合い、もはや感情であるかどうかの区別もつかないまま、心の澱に溜まり続ける。
午後になると、村の井戸から水を汲む作業が回ってきた。点Pは仲間の一人の肩を借りて水を運ぶ。彼の隣の人間も、栄養失調でろくに立てず、足元がおぼつかない。二人とも転びそうになりながら、汚れた服と泥にまみれて水を運んだ。
誰も教えてくれない。誰も助けてくれない。自分が生き延びるために動くしかない。
あばら家からは、人々が糞尿や吐瀉物を垂れ流す下品な音が響いている。点Pは決して吐かない。
吐くものなど、とうに残っていないのだ。
点Pは、空っぽだった。
夕方、点Pは屋外に出て、かすかな風にあたった。病の匂い、腐った草の匂い、泥と汗の混じった匂いが鼻を突く。それでも、体は動く。理由など問わない。あの日の点Pはもういない。夢と未来に希望を膨らませていた点Pは、すでにもういない。
点Pは、決意を固めた。
生きる覚悟ではない。死ぬ覚悟だ。
その日の夜、点Pの容態は急変した。夜風に吹かれ、彼女は平野にいた。周りに人はいない。助けなど来ない。
点Pは、安堵した。
人がいないなら、するべきことがある。点Pは最後の力を振り絞って、地面を掘った。小指第一関節くらいの深さの穴が空く。彼女は震える手でとある手記を引っ掴み、地面に埋めた。霞む目で、しっかりと己の最期を見届ける。誰にも見られなくても、せめて自分だけは「生きていた」ことを覚えていたい。
そして彼女は、柔らかく目を瞑った。
幾年後、冒険家であるジャック・K・シーロン氏が遠征した際、滅びた集落を見つける。彼は三日三晩かけて周囲の様相を記録に収めた。そして彼は、地面から先っぽだけ出てきている、妙な手記を見つけた。
現地語で、こう記してあったと後世に語られている。
『私は生きていた』
点Pは、ⅹcm進んだ。




