63話:内海の門、開かれる
春霞の立ちこめる朝――羽鳥町の東端にある野原に、黒く光る鉄の軌条が陽を受けて鈍く輝いていた。
それは、羽鳥から小川を経て石岡までを結ぶ簡易鉄道である。全長は二里あまり。人力と馬力によって運行されるその鉄道は、今まさに試運転の準備を終え、初の貨物を積載しようとしていた。
軌道は、羽鳥の鍛冶工と土木職人が総出で製造した木製枕木と鋼製レールによって構成されており、線路の基礎には砕石が敷き詰められていた。資金の大半は、羽鳥藩・水戸藩・宍戸藩の三藩による共同出資で賄われ、その背景には政庁主導による「常陸の交通革命」があった。
「これは、ただの“道”ではない。流通の血管であり、富を循環させる動脈なのです」
羽鳥政庁内で、藤村晴人がそう述べたのは、ちょうど半年前のことだった。
その構想の鍵を握ったのが、鉄と信用である。
鉄製部材の一部は、常陸太田や真壁から採れる赤鉄鉱や磁鉄鉱を羽鳥で精錬して用い、足りぬ分は東北や越後方面から船で土浦港を経由して搬入された。羽鳥の鍛冶工たちは、それらを元に枕木の留具や簡易レールを打ち出し、物流を支える“鉄の道”を地場から築いていったのである。
「日立では鉄が不十分とのことでしたが、他の地域に救われましたな」
政庁に姿を見せた渋沢栄一が言うと、隣に立つ男が小さく笑った。
「“産地から道を作り、道から富を生む”――面白いもんですな。藤村様は先の先まで見ている」
男の名は岩崎弥太郎。今や羽鳥経済の実務を取り仕切る若き辣腕である。
彼は元来、商才に優れた頭脳を持っていたが、晴人の下で政商としての素養を開花させ、鉄道敷設にも深く関与していた。
「弥太郎。君は、この鉄路の次に何を考えている?」
晴人の問いに、弥太郎はすぐには答えなかった。
代わりに、部屋の壁に貼られた地図――常陸一円を描いた古地図に目を向ける。
「……この道を、石岡で止めてしまうのは、もったいないです」
「続けるつもりか」
「はい。いずれは土浦まで伸ばし、港と港を結ぶ“横の道”を築く。そのためにも、羽鳥は“結節点”でなければならない」
弥太郎の言葉は、自信というよりも確信に近かった。
羽鳥町はすでに銅・陶土・木材といった物資の中継地となっており、今回の鉄路によって、小川、玉里、石岡方面からの軽貨物が迅速に運ばれるようになる。逆に、港町・土浦から入る塩、米、酒などの生活必需品も、馬車より速く安全に届けられる。
経済が動く。人が集まる。技術が交わる。
その中心となるのが、羽鳥――すなわち、常陸の“腹”であった。
町の外れ。鉄道の起点にあたる「羽鳥連絡所」では、すでに新線を祝う式典の準備が進められていた。
幕末の混乱を予見し、内陸交通の整備に早くから取り組んできた晴人にとって、この日の開通は一つの“確信の証明”だった。
「鉄道の力を、民はすぐに理解するさ」
岩崎弥太郎が、少し誇らしげに言った。
「馬車では日が暮れても届かぬ荷が、たった一日で石岡まで運ばれる。旅籠も、問屋も、商人も、みんな考えを変えざるを得ません」
「そのときが来たら、次は……」
「次は、港です」
言葉を重ねる二人の姿を、渋沢栄一が目を細めて見ていた。
(経済の未来は、こうした人々の間に生まれるのだろう)
この春、新たな鉄路の誕生は、常陸の風景を変え始めていた。
貨物の積み降ろし場では、若い商人たちが活気ある声を飛ばしながら木箱を担ぎ、車輪の音が規則正しく軌条を刻んでいた。
その光景のすべてが、新たな時代の胎動を告げていた。
開通式の朝。羽鳥連絡所には、朝靄の残るなか、早くから多くの人々が詰めかけていた。
男たちは羽織に袴を正し、女たちは色とりどりの小袖に身を包み、子どもたちは目を輝かせながら、軌道の先を食い入るように見つめている。
かつて“ただの農村”に過ぎなかったこの羽鳥の地に、鉄の車輪が走る日が来ようとは――。
その場にいた誰もが、まるで夢を見ているかのような面持ちだった。
「すげえな……これが鉄道かぁ」
「馬も人もおらんのに、車が動くなんて……」
「いや、押したり引いたりするんだと。人と馬が力を合わせるって話だ」
ざわめきは次第に熱気を帯び、期待と驚きが入り混じった空気が、連絡所全体を包み込んでいた。
場内には白布の幕が張られ、「羽鳥―石岡間 簡易鉄道 開通祝」の文字が高らかに踊る。
仮設の演壇には、羽鳥藩と水戸藩、宍戸藩の役人に加え、地元の名士たちがずらりと並んでいた。
開通を告げる祝詞が厳かに読み上げられた後、先頭車両の脇に立っていた藤村晴人が、ゆっくりと前へ進み出る。
「この鉄道は、ただの運搬路ではありません。これは、羽鳥と常陸を結ぶ“絆”であり、“夢”であり――“未来”です」
張り詰めた空気のなか、静かに語られたその言葉は、不思議なほどに人々の胸へ染み渡っていった。
「今日から、羽鳥の恵みはより遠くへ。
他所の幸は、より身近に届きます。
この道を通して、我らは互いの暮らしを支え合い、助け合いながら生きていけるのです」
ひとしきり、大きな拍手が湧き上がる。
その横で、岩崎弥太郎が静かにその光景を見つめていた。
まだ若き経済人である彼にとって、この鉄道の意味は、ただの祝祭を超えたものだった。
「演説も様になってきましたな、藤村様も……」
呟くようなその声に、皮肉も賞賛もなかった。ただの観察――そして商機を嗅ぎ取る者の冷徹な視線があるのみであった。
すでに弥太郎の脳裏には、次なる構想が描かれていた。
羽鳥、小川、玉里、石岡を結ぶ物流網の整備。軽貨物の集積と分配を効率化するための中継拠点の設置。
さらに玉里を港とし、水運によって土浦や那珂湊、鹿島との連携を図る構想も、すでに晴人と議論を交わしていた。
いまや「羽鳥札」と呼ばれる地域通貨は、土浦港の問屋や宍戸の市でも“信用札”として扱われはじめている。
この鉄道は“流通路”であると同時に、“信用経済”を支える背骨となりつつあった。
「弥太郎」
晴人が隣から声をかける。
「この路線の“次”を考えねばならん。石岡から先――土浦を経て、外洋との繋がりを築くには……」
「はい。私はすでに、玉里の水門を改修し、港機能を持たせる案を検討中です。
玉里川を活かせば、石岡と土浦を結び、羽鳥と常陸の地を海へと繋げる道筋が見えてまいります」
「その先には……交易の扉が、開くかもしれんな」
二人の視線は、すでに遥かな地平の先を見据えていた。
だが、この鉄道を成し遂げるまでには、数えきれぬ苦難があった。
資材の遅延、線路敷設中の事故、そして予算との格闘。
なにより、建設に従事した労働者たちの汗と涙が、一本一本のレールの下に眠っている。
「この道が誰かの生活を壊すようでは、本末転倒だ」
そう語った晴人は、工事中に負傷した者への慰労金制度を設け、参加者たちには羽鳥札で給与を支給した。
その一部は米や味噌などの現物支給、また仮設住宅の補助としても活用された。
やがて、先頭の列車が出発の準備を整える。
台車には、米俵と陶器が山と積まれ、その後ろには二両の荷車が連なっていた。
車両の前では、一頭の馬と、数人の人足が黙々と位置につく。
「出発――!」
号令の声が響くと、馬がいななき、鉄の車輪が軌条を滑り出す。
乾いた金属音が、朝の空気を切り裂くように響いた。
拍手と歓声が一斉に湧き起こる。
“未来”を運ぶ列車は、今まさに動き出したのだ。
その足音は、常陸の大地に深く、そして力強く刻まれていった。
列車が玉里を出て一刻が経ったころ、羽鳥政庁の会議室では、少数の重臣だけが集められていた。
広げられた紙地図の上には、霞ヶ浦と利根川、銚子港、さらには長崎、横浜、函館といった港町が赤い印で記されている。鉄道開通の熱気がまだ政庁内に残る中、藤村晴人とその側近たちは、次なる大計画――“海との接続”へと歩を進めていた。
「……つまり、玉里港を“外海への玄関”にする、と?」
穏やかな口調で問いを投げたのは、晴人の腹心のひとり、清河八郎だった。黒羽二重の羽織に身を包み、鋭い目を伏せながらも、その声音には思慮深い響きがあった。
「そうだ。霞ヶ浦を越え、利根川を下れば銚子。その先には太平洋がある。横浜も、長崎も、函館も、航路を築けば手が届く。玉里港を据えれば、羽鳥は“陸と海”をつなぐ中継点になれる」
晴人は地図上の玉里に指を置いた。その先に淡い青の線で描かれた水路が、霞ヶ浦を縫うように利根川へと続いていた。
「だが、ただの湖畔だ。水深も浅く、海のうねりもない」
八郎の指摘に、晴人は頷く。
「だからこそだ。波の穏やかさは内海貿易に適している。風に弱い小舟でも接岸できるし、静かな水面は船着き場の整備にも都合がいい。いま必要なのは“外と繋がる意志”と、“それを実行する器”だ」
「琵琶湖のような考え方だな。近江商人が活発に動いた内水系統も、東西を繋ぐ経済の動脈となった」
八郎は静かに呟き、晴人の視線を受け止めた。
そのとき、部屋の隅に控えていた岩崎弥太郎が進み出る。
「玉里で積んだ品々は霞ヶ浦を抜け、土浦港に送られます。そこから利根川水運を経て銚子へ、そして太平洋へ――。あとは定期航路を確保すれば、横浜、長崎、函館、薩摩、庄内へと交易の輪が広がります」
その言葉に、八郎が眉を寄せた。
「……薩摩に庄内? 他藩との貿易は、幕府の監視を受ける恐れがある。通商条約は幕府の専権だ」
「承知している」
晴人は静かに答えた。
「だが、私たちが想定しているのは“通商”ではない。“物資の融通”と“商船の寄港”だ。いかなる法も、他藩との贈答や荷揚げを禁じてはいない。物流の回路を開き、羽鳥札で取引できる共通の信用圏を築く。それは、経済的な連帯だ」
八郎の目がわずかに鋭さを帯びた。
「まるで国を作るような話だな、殿」
「逆だ、清河。国を守るためにこそ、繋がる必要がある。薩摩も庄内も、いずれ西洋に対抗するには、一藩では足りぬ。幕府が動かぬのなら、先に動いた者がこの国を繋ぐのだ」
晴人の言葉には、静かな確信と熱が込められていた。
八郎は、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
「……異国の商人に混じって、薩摩の砂糖と、庄内の米と、羽鳥の陶器が同じ港に並ぶ日が来るとはな。夢のような話だ」
「夢は、準備した者のもとに訪れる」
晴人が机の上に玉里港の設計図を差し出す。水門、船着き場、倉庫群、通関所、さらには周囲に計画された宿場町の配置までが詳細に記されていた。
「この夏の整備で港はほぼ完成する。次に必要なのは、“言葉”と“信”だ」
「言葉とは……?」
「英語、オランダ語、フランス語。いざ交易が始まれば、商家任せの通訳では限界がある。羽鳥自身が交渉できる人材を持たねばならない。語学塾も設ける予定だ」
岩崎弥太郎が口を挟んだ。
「羽鳥札を土浦や宍戸の商家で使えるようにしたように、通訳もまた“交易の道具”です。人も、金も、物も、すべて整えた上で、ようやく港は“玄関”になるのですな」
八郎は立ち上がり、袴の裾を正した。
「殿の構想、承知した。……まさか、この私が港の整備を見守る日が来ようとは」
そして、ふと晴人に向き直り、真顔で言う。
「だが殿。いずれ、この国の既得権益に巣食う者たちが、この“港”を潰しに来る。それを忘れてはなりませぬぞ」
「忘れていない。だからこそ、君が必要だ」
晴人の目は、一点の曇りもなかった。
八郎はその視線を受け止めると、背を向けながらも低く言った。
「ならば、私も備えよう。剣と策をもって、殿の道を守る盾となりましょうぞ」
その言葉とともに、八郎は部屋を去っていった。
残された晴人と弥太郎は、再び地図の上に視線を落とす。
霞ヶ浦、土浦、銚子――そして、その先に広がる海。
新たな時代の波は、すでにこの湖畔に届いていた。
風が変わった。
それは季節の移ろいではない。羽鳥という町が、内陸の城下町から「海に開かれた拠点」へと歩み始めた、その変化の予兆だった。
霞ヶ浦の北岸、かつて農村と湿地が入り交じっていた玉里の地は、いまや喧騒と鉄の響きに包まれていた。杭を打ち、泥をさらい、岸を固める――それは海港とは異なる、静かな湖に寄り添う“内海港”としての港湾整備だった。
「――よし、ここの底を一尺下げろ! 泥は浅いが、ここだけ少し深くしてやると船が着きやすくなる!」
掛け声を上げたのは、宍戸藩の土木棟梁・矢部仁右衛門である。手にした図面は、羽鳥政庁から支給された詳細な測量地図。三角点、水位、風向、岸の形状――すべてが記録され、仁右衛門の目はそれらを「港にすべき土地」として読み取っていた。
「土浦との間はすでに試験航行済み。羽鳥鉄道から荷を積み、霞ヶ浦を越えて土浦へ。その先は利根川を下るだけで銚子まで届く。あとは……ここを“積み替えの拠点”に仕上げるだけだ」
港湾の整備には、羽鳥の鍛冶工と宍戸の石工が共同であたり、水戸藩からは警備の兵が派遣された。枕木と並行するように敷かれたレールは、港の荷揚げ場に接続され、貨物はそのまま列車に積み替えられる構造となっている。
「……すごい。本当に港になっていくんだな……」
その様子を、晴人は土手の上から見下ろしていた。隣には、岩崎弥太郎と通訳志望の青年・津田甚五郎がいた。
「こうして見ると……まるで、江戸の築地や横浜の埠頭と同じですね。港にしては波が穏やかで、かえって扱いやすそうです」
甚五郎は、海外の商港の書物を読み込みながら、羽鳥に“その未来の光景”を重ねていた。
「貨物を待つ桟橋、商船が着く小波止、周囲には税関と商家と宿場町……。あとは外国商館の設置さえできれば、十分に貿易港としての体裁を成します」
「まずは国内だ。庄内から米が、薩摩から砂糖が、信濃から薬草が来る。それらを羽鳥で受け、織物や鉄器に変え、再び土浦へ、横浜へと出していく。交易はすでに動き始めている」
晴人の視線の先では、既に「羽鳥札」と交換される砂糖や綿布の束が荷揚げされていた。信用取引所も兼ねた“玉里通関所”が開設され、すでに銚子の問屋からは船頭付きの定期船の提案が届いている。
「羽鳥札も信用を得てきた。土浦、宍戸、水戸で通じるのはもちろん、庄内の商家からも“使えれば便利”という声が届きはじめている」
「となると……いよいよ、次は外国ですね?」
甚五郎の問いに、晴人はゆっくりと頷いた。
「幕府がどこを開港地に選ぶにせよ、我々は先に“学ぶ”ことだ。言葉を学び、文書を訳し、国際法を理解する。日本が一方的に飲み込まれないためには、“読める”人材を育てるしかない」
甚五郎は懐から一冊の本を取り出した。オランダ語で書かれた『商業実務全集』である。
「羽鳥に来てからというもの、僕の語学がようやく“生きた”気がしています。いま、船の信号旗や交渉の定型句、計量単位の違いもすべて記録中です。いざ通商が始まれば、僕が責任をもって通訳を務めます」
晴人は、甚五郎の肩を軽く叩いた。
「頼もしいな。だが、一人では足りない。翻訳所を設け、若者たちを呼び集めてくれ。女でも、農民でも構わない。語を理解し、言葉を運べる者が、次の時代の“外交官”だ」
そしてその日、羽鳥政庁の一室に「語学所」が正式に設置された。津田甚五郎を筆頭に、元蘭学者の医師、寺子屋の師匠、元役人の書生など、実に多彩な面々が通訳の卵として招かれた。
「ただの翻訳屋ではない。“世界の仕組み”を読み取る場所だ」
そう語った晴人の言葉通り、語学所では外国条約の和訳、税制や度量衡の比較、信号旗の解読、さらには外国新聞の筆写まで行われていた。
羽鳥はまだ“港町”ではない。だが、すでに玉里港は、人と物と知が交差する“準備された地”となりつつあった。
そして、霞ヶ浦を越えたその先に――“世界”があることを、誰もが疑わなくなっていた。