57話:条約の橋、羽鳥の誓い
――安政五年(1858年)四月二十三日、江戸。
桜が散り、若葉が芽吹き始めた江戸城の庭園は、春の柔らかな陽光に包まれていた。水面に映る空は青く、鯉が波紋を描いて泳いでいる。だが、庭園に集った幕閣たちの面持ちは、春の陽気とは裏腹に、硬く張り詰めていた。
「――井伊掃部頭、ここは一度、思案されてはいかがか」
その声は、堂々と響いていた。控えの間に設けられた小さな席で、主人公は筆を握ったまま静かに言葉を続けた。表情は落ち着き、声には熱も怒気もなかった。ただ、確かな理と意志があった。
「今、諸外国との交渉が迫っております。内政で火種を生む時ではありません。民も不安を抱いております」
井伊直弼が目を細める。彼の傍らに立つ南紀派の老中が声をあげかけたが、それを斉昭が制した。
「余も、彼の意見に賛同する。徳川の血を継ぐものとして、一橋殿こそふさわしいと考える。掃部頭殿、この場で決を急がずともよかろう」
主人公は、斉昭の発言の意図を理解していた。正面切って井伊の立場を否定するのではなく、あくまで“今ではない”という姿勢をとることで、衝突を回避しつつ彼の動きを封じる。それは政治的な駆け引きであり、羽鳥で培われた“調整”の技術がここで活かされた。
その夜、屋敷へ戻った主人公は、帳面の整理をしながら小さくため息をついた。
「……これで、少し時間を稼げた」
その傍らにいた藤田東湖が、湯呑を差し出した。
「いや、よくやった。井伊の気性からすれば、押し切ってもおかしくはなかったが、今日のあの場の空気――完全に君が作ったものだ」
「……ただ、次が勝負です」
東湖はうなずき、静かに帳面をめくった。そこには、羽鳥での建築、人口推移、経済収支などが整然と並び、ついには江戸の発展を補助する事例としても、幕臣たちの間で重宝され始めていた。
四月下旬の風は次第に湿り気を帯び、初夏の気配を孕んでくる。幕府内では、条約の調印に向けた動きが加速していた。だが朝廷は難色を示し、堀田正睦が参内してからすでに二か月が経過していた。
その間も、主人公は“陰の調整役”として、江戸城内を奔走していた。時に書状を認め、時に通訳として諸外国使節の前に立つ。彼の語学力は、いつしか“異国の賢者”という噂を呼び、幕閣たちも密かに頼るようになっていた。
五月初旬、江戸城の一角。オランダ商館員との会合が非公式に行われていた。
「So, your government intends to seek equal terms? That is rare in Asia.」
「Yes. Because our land, though distant, has eyes open to the world.」
主人公の返答に、通訳を通さずに直接返される流暢な英語。会合に立ち会っていた幕臣たちは驚きつつも、内心安堵していた。彼の語り口には威厳と誠実さがあり、交渉相手の心を緩める力があった。
その姿を背後で見守っていたのは、斉昭と一橋慶喜だった。斉昭は口元を緩め、慶喜はわずかに頷いた。
「……父上、あれが羽鳥の“政”か」
「いや、あれは“和”よ。言葉と理で、戦わずして勝つ――新しき時代の武器じゃ」
六月十九日、朝廷から勅許が下りた。
それは、主人公の尽力と東湖の筆、そして斉昭と慶喜の説得の賜物であった。特に主人公が作成した資料の正確さ、未来予測に基づいた経済動向の分析は、京都の公家たちにも高く評価された。
そして六月二十五日、一橋慶喜が将軍継嗣に決定される。
主人公は、記念撮影の場に立ち会うことを要請された。慶喜が写真を好むことを知っていた斉昭は、羽鳥で使われていた写真術の進歩を喜び、あえて記録に残すよう指示したのだ。
その写真には、整然と立つ慶喜と斉昭、そして少し離れて控える主人公の姿が写っていた。
後にこの一枚は、「新時代の幕開けを告げる肖像」として、江戸の町に掲げられることとなる――。
江戸の夏は、湿度と熱気に満ちていた。梅雨が明けぬ空は重く垂れ込め、街道を行く人々は手ぬぐいで汗を拭いながら早足に通りを急ぐ。蝉の鳴き声が石垣の間から響き渡り、屋根瓦に染み込んだ熱気が夜まで残る日が続いていた。
その日、主人公は一橋家の屋敷に呼ばれていた。
表向きの理由は、「一橋慶喜が将軍継嗣に決まったことへの礼」。だが実際には、それだけではない。主人公自身も察していた。慶喜が直接言葉を交わす機会は滅多にない。にもかかわらず、この場が設けられた理由は――。
「――ご苦労であった」
襖が開け放たれた広間に、慶喜の声が響く。
「おかげで、余も将軍継嗣という重き立場を得ることができた。父上からも聞いた。お主の働きは、実に見事だったと」
主人公は畳の上に両手をついて深く頭を下げた。
「身に余るお言葉にございます。ただ、私の務めは羽鳥の未来を守ること。それが、ひいては御国のためにもなると信じております」
「……羽鳥」
慶喜の口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「奇妙な縁だな。あのような田舎の地が、これほどまでに政の中枢に食い込んでくるとは」
主人公は笑わなかった。ただ、ゆっくりと顔を上げ、正面から慶喜の視線を受け止めた。
「田舎には、知恵と想いと、そして生きる力があります。都市では見えぬものも、あの地でははっきりと浮かび上がる。だからこそ、私はあの町の記録を続けております。これは、羽鳥だけのものではないと信じております」
「記録、か……」
慶喜は立ち上がり、縁側へと歩み出た。庭には白砂が敷き詰められ、刈り込まれた松と紅葉が風に揺れていた。池の端では小鷺が羽を休めている。
「もし余が将軍となれば――その記録とやら、幕府にとっての『鏡』となるかもしれぬな」
「……願わくば、民の姿もそこに映していただければ」
主人公の言葉に、慶喜はわずかに振り返った。その目は、何かを試すように細められていた。
「お主、何者だ?」
一瞬、広間に静寂が満ちた。
主人公は、その問いにすぐには答えなかった。だが、やがて静かに言った。
「ただの旅の者にございます」
その声音に虚勢も嘘もなかった。慶喜はそれ以上は追及せず、視線を空へと戻した。
「ならば、その旅の道すがら……もうしばらく幕府の行く末を見ておれ」
「……御意」
その日の帰路、主人公は道端の茶屋に立ち寄った。客はまばらで、軒先に吊るされた風鈴が、かすかに鳴っていた。
「よう、お久しぶりですな。あんた、江戸におると聞いておりましたが……まさか本当に、あの“将軍候補”と顔を合わせるとは」
声をかけてきたのは、羽鳥から出張していた文書方の青年だった。汗をぬぐいながら、彼は帳面を広げる。
「羽鳥の記録です。建設前の空地から、今の都市機能まで、月ごとに記録されております。殿が『これは後世への“物語”だ』と申されまして」
「“殿”……?」
主人公が聞き返すと、青年は恥ずかしそうに笑った。
「……あ、すみません。斉昭様のことではなく、羽鳥の皆がそう呼ぶんですよ。あなたのことを」
主人公は思わず手を止めた。
「私を?」
「ええ。最初は『羽鳥の旦那』とか『役人さん』だったんですが、いつの間にか、皆『殿』と呼ぶようになって……何だか、町の“柱”みたいな存在ですから」
主人公は、ふと視線を遠くに向けた。江戸の町並みを照らす夕陽。その光景の中に、羽鳥の風景が重なった気がした。
小さな市場。笑い合う子どもたち。行灯の灯り。織物工房から流れる機音――。
(……羽鳥は、まだ“途中”だ)
自分の帰る場所は、あそこにある。
記録の続きも、見守るべき人々も、すべてがあの町に詰まっている。
翌日、主人公は東湖と斉昭のもとを訪れ、正式に江戸を発つ意志を告げた。斉昭は軽く頷き、東湖は一言だけこう言った。
「羽鳥を頼む。あれは、未来の光だからな」
六月末、江戸を離れた主人公は、再び東国の空の下、懐かしい羽鳥の町へと戻る。
町は、変わっていた。だが、変わらぬものもあった。
子どもたちの声。広場で談笑する老人たち。遠くから聞こえる織り機の音。そして――道を行く者たちの表情に宿る、“誇り”。
主人公は静かに呟いた。
「……さあ、“物語”の続きを書こう」
風が吹き、街道の並木を揺らす。
その音が、まるで羽鳥という町の鼓動のように、主人公の背を押していた――。
安政五年七月十日、蒸し暑さが街の隅々にまで染み渡る江戸の朝。
その日の幕府政庁には、異国の正装をまとった人々が集っていた。長机の上には国旗が掲げられ、条約文が整然と並ぶ。朱塗りの文箱に収められたそれらは、羽鳥で作成された“和文英訳”の新方式に基づいて印刷されていた。
各国の使節団が席につく中、主役として静かに立ち上がったのは、晴人だった。
彼は深く一礼すると、流暢な英語で開口する。
「Ladies and Gentlemen. Today, Japan opens its gates not to surrender, but to embrace mutual respect and prosperity.」
通訳が不要であることに、各国の使節たちは一様に驚きの色を見せた。だが、それが演出であると悟った瞬間から、場の空気が引き締まる。彼の発言が、儀礼ではなく“交渉”の主軸であると理解されたからだ。
ロシア、イギリス、オランダ、そしてアメリカ。
それぞれの使節たちは微妙に顔を見合わせながらも、言葉を重ねるごとに晴人の語調に惹き込まれていく。
「この国はまだ若く、そして未熟です。だが未熟であることを恥じるのではなく、それをもって学び、共に未来を築く気概があります」
静かな拍手が一部の席から起こる。
「The treaty we sign today is not a chain, but a bridge.」
その言葉に、アメリカ公使ハリスは椅子を少し前に寄せ、深く頷いた。
「平等な条約を前提とすることで、我々は初めて信頼を語ることができるのです。通商は利益のための道具ではなく、相互理解の始まりであるべきです」
数ページに渡る条約文が配られる。各国語の版と、晴人が羽鳥で構築した“日本式の外交文書構成”による和訳文。その構文は単純かつ明快で、交渉の意図を曇らせる要素が徹底的に排除されていた。
イギリスの代表はその精密さに感嘆しながらも、こう尋ねる。
「Who devised these linguistic structures? This is… impressive.」
晴人は微笑を浮かべ、首を軽く振った。
「It is the fruit of collective wisdom. From scholars in the provinces to translators in Edo. This is Japan’s effort.」
使節たちはこの答えを気に入り、互いに目配せするようにして書類に目を通していく。
午後、調印の時間になると、各国の使節は迷いなく署名を始めた。
文書は互いの原語で作成され、翻訳も信頼できる形式で整っている。
なにより、条約の骨子が“相互の関税協定・領事裁判権の保留・治外法権の制限”といった日本に不利な要素を排した、極めて対等な内容だった。
会場の外では、これを一目見ようと群衆が集まり、火消しや同心らが見物客を整理していた。
館の上階。
一橋慶喜と徳川斉昭、そして藤田東湖が並んで会場の様子を見下ろしていた。
「……これが、あの男の“力”か」
斉昭が目を細め、ぽつりと呟く。
「ええ。この数年で羽鳥は甦り、今や江戸の政治まで動かし始めた。まさか条約すら……」
藤田東湖もまた、胸中で驚愕を抑えきれなかった。かつての“学才の若者”が、いまや列強を対等に渡り合う外交官として立つ姿は、想像の遥か先を行っていた。
「だが、これで一歩踏み出せた。攘夷か開国か、ではなく“どう生きるか”を語れる時代へ」
その言葉に、慶喜も頷いた。
「……今後は私が将軍となり、この舵取りを継ぐことになる。その時、あの男が必要になるだろうな」
会場では、日本代表の筆頭として、晴人が最後の署名を済ませる。
会釈の後、彼は全体を見渡すように顔を上げた。
その視線の先には、混迷と変革、そして希望があった。
条約調印から数日後――。
晴人は江戸城西の丸御殿の一角、臨時の謁見の間にいた。蒸し暑さを忘れさせるような白木の間。障子越しの光がふわりと揺れ、時折、庭先で蝉の声が響く。
緊張に包まれていたのは、晴人だけではなかった。列席している幕閣たち、目の前の将軍・徳川家定ですら、どこか落ち着かない表情を見せていた。
家定は病に伏しがちな将軍として知られ、その威厳ある声を聞いた者は少ない。しかし今日、この席にはもう一人の存在がいた――一橋慶喜である。
その目は鋭く、晴人をまっすぐに見つめていた。
「……貴殿が交渉の場を取り仕切り、条約を結んだのか」
慶喜の問いに、晴人はひざまずき、静かに答える。
「はい。羽鳥よりの命により、列席いたしました。すべては、国と民のためでございます」
「国と民のため」――その言葉が、場の空気を変えた。武士の“忠”とは、上に対する絶対の忠誠とされるが、晴人の語る“忠”は、民を見ていた。
それを誰よりも敏感に感じ取ったのが、同席していた井伊直弼だった。
彼は涼しげな表情のまま、声をかける。
「ふむ。貴殿は水戸藩出仕と聞く。だが、その働きは、幕府全体を動かすほどのものだ。異国の言葉を使い、交渉を導き、なおかつ民を見据えている。……いったい、何者なのだ?」
晴人は一瞬ためらいながらも、こう答える。
「私は、かつて遠き地にて学び、さまざまな知を得ました。名もない一役人にすぎませんが、志は変わりません。……この国を、戦ではなく、言葉で守りたく存じます」
その瞬間、部屋に柔らかな沈黙が生まれた。
“戦ではなく、言葉で守る”
それは、この時代において極めて異質で、しかし力強い決意だった。
慶喜はふと目を細め、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「藤田東湖殿が申しておられた……“羽鳥に、火が灯った”と。なるほど、あの火はここまで届いていたか」
晴人が静かに頭を下げると、その頭上で、家定の小さな声が響いた。
「よい、よい……」
それは称賛とも、許可ともとれる声だったが、何よりも“容認”の意思がこもっていた。
晴人はその場を退き、障子を開けて外へ出た。
――蝉の声。眩しい夏の日差し。城内の石畳が、まるで白金のように光っていた。
※
その日の夕刻。
羽鳥から江戸へと上ってきていた藤田東湖は、久しぶりに晴人と対面した。
二人は茶屋に腰を下ろし、冷たい麦茶をすすっていた。
「……して、どうであったか」
「調印は滞りなく済みました。内容も、ほぼこちらの提案通りです。ただ、井伊殿が……少し、あの場での私の出すぎた様子を気にされたようです」
東湖は目を伏せ、少し苦笑した。
「仕方あるまい。あの井伊掃部頭は、誰よりも“幕府の威”を守ろうとする男じゃ。だが、そなたのような異分子は、その枠を崩してしまう。……だが、それもまた、時代の流れかのう」
晴人は東湖を見た。白髪が混じり始めた髪、深く刻まれた皺、それでも目の奥には、昔と変わらぬ“炎”が宿っていた。
「私は、先生から多くを学びました。文も、志も。……その教えがなければ、きっと、私は江戸の場に立つことなど叶わなかったでしょう」
東湖は無言で頷いた。
その横顔はどこか寂しげでもあり、しかし満足げでもあった。
※
夜。江戸の空に、ぽつりぽつりと星が灯り始める。
晴人は一人、宿に戻った部屋で、羽鳥から送られた一通の書状を手にしていた。
差出人は、開発局の若者。そこには、こう綴られていた。
「記録館に、羽鳥の“復興記録”を展示しました。殿が“これは後世への物語だ”と仰いました。――この国がどう歩み始めたのか、誰かがきっと知りたがると」
“殿”とは、斉昭だ。かつて反骨と理想で燃えた水戸の“学者大名”。
彼もまた、今や晴人の背を静かに押してくれる存在になっていた。
晴人は筆を執る。
“語るべきは、自分ではなく、民の歩み”
その思いを胸に、彼は返信を書き始めた。
条約が結ばれた今も、変革は終わらない。
羽鳥の未来は、江戸の未来とつながっていた。
そしてその先には、もっと遠い未来――まだ誰も知らない“新しい日本”が、確かに見え始めていた。
安政五年九月。
秋の江戸は、見えぬ恐怖に包まれていた。
柔らかな陽射しに銀杏の葉は金色に染まり、町人たちの着物も秋支度を始めていた。だが、通りを行き交う人々の顔には、不安の色が濃く宿る。
「コロリが来たぞ……」
その一声が、江戸の街を駆け巡ると、町は沈黙に沈んだ。人々は道の隅に寄り、誰もが互いの顔色を疑うように見つめ合った。
――コレラ。
西洋からの客人がもたらした見えぬ災厄は、この国の衛生観念では太刀打ちできぬ猛威だった。下痢、嘔吐、そして急速な脱水。命を奪うまでにかかる時間は、短ければ数時間。
死は、音もなく、等しく訪れる。
寺社の境内では、藁に包まれた遺体が次々と運び込まれた。火葬場は夜通し煙を上げ、近隣住民はその臭気に顔をしかめながらも、黙って手を合わせるしかなかった。
「流言飛語、慎まれよ! 医師の指示に従うように!」
町奉行所は触れ回りを強化し、蘭方医たちは町々に巡回を始めていた。だが、すでに民衆の恐怖は頂点に達していた。
その最中、羽鳥からひとつの密書が、将軍家斉昭のもとに届けられた。差出人は、羽鳥改革を主導する藤村晴人。
「これが……羽鳥の“消毒法”か」
斉昭は、写しを手にしながら眉をひそめた。
紙には「煮沸消毒」「塩素水の使用」「水源の隔離」など、従来の衛生概念とは異なる理論が記されている。さらに、羽鳥の医師団が行った〈病原の伝播経路〉に関する観察記録も添えられていた。
「なるほど……これは“穢れ”ではなく、“水”が病を運ぶと」
藤田東湖が横から目を通し、呟く。
「やはりあやつの知識は、西洋の術理にも通じている。妙な話だが……“未来”からの使者であるようにも思える」
「……あまりに早すぎる導入は反発を招く」
「されど、このままでは、江戸が死ぬ」
二人は顔を見合わせ、頷いた。
江戸における羽鳥式消毒法の導入は、まず寺社と医師会を通じて密かに進められた。全ては「主君直々の命令」として、形を整え、町民の信を得る工夫がなされた。
そして同じ頃、外交の最前線では、もうひとつの大きな局面が動いていた。
九月三日――
日仏修好通商条約、締結。
会場となった浜御殿には、再び藤村晴人の姿があった。通訳として、外交交渉の支援として、彼の語学と政治観はすでに幕府内で不可欠な存在となっていた。
「Monsieur le ministre, je vous remercie pour votre patience.(大臣閣下、辛抱強くお付き合いいただき、感謝します)」
流暢なフランス語で笑顔を見せる晴人に、仏使システィーヌ伯は目を丸くして頷いた。
「C’est rare, un japonais qui parle aussi bien.(これほど話せる日本人は珍しい)」
「この条約は、単に交易のためだけではありません。我らの尊厳、文化、そして未来の在り方を左右するものです。平等であることが、その第一歩でなければなりません」
条約案には、日本からの輸出入に関する税制と関税規定の明文化が盛り込まれていた。治外法権については、仏側が強硬に主張していたが、晴人は江戸幕府の法体系と刑法改正の道筋を提示し、妥協案に持ち込んだ。
「交易の秩序を守るには、双方の法を尊重しあわねばなりません」
結局、日本は他国と異なり、外交裁判権の全面的な譲渡を避ける形で合意に至った。これは後世、幕末外交における“奇跡的成果”と記録される。
「それにしても……」
交渉後、東湖は会場の片隅で晴人に尋ねた。
「なぜお主は、あれほどまでに多くの言葉を知っておる?」
晴人は少し黙し、穏やかに言った。
「昔、ある先生が申していました。“言葉を知れば、心を開ける”と。だから、覚えておきたかったんです。争いではなく、対話の道を選ぶために」
東湖はただ一言、「それで十分じゃ」と頷いた。
――こうして安政五年九月、日仏条約は“ほぼ対等”の形で成立。
一方その頃、羽鳥では小四郎たち青年層が、都市衛生と医術の普及に向け、奔走を始めていた。
「“文明”とは何か? それは、人の命を守るためにあるものだ」
晴人の言葉が、羽鳥の若者たちに根を張り始めていた。