4話:策士の素顔、炭火の対話
読者の皆様、いつもお読みいただきありがとうございます。
この度、エピソード6を全面改稿いたしました。前回の投稿後、キャラクターの言動に一貫性がないとのご指摘をいただき、エピソード5との繋がりを重視した内容に修正しております。
改稿版では、東湖と晴人の関係を既に確立された協力関係として描き、復興計画の実行から診療所の開設、そして登勢の体調悪化へと自然に展開するよう構成を見直しました。
既読の方も、ぜひ新しいバージョンをお楽しみください。今後ともよろしくお願いいたします。
東湖との面談から三日が過ぎた。
晴人は寺と城下を往復しながら、復興計画の第一歩を踏み出していた。まず取り組んだのは、避難所ごとの状況把握である。
朝霧のなか、晴人は手にした紙へ記録をつけながら歩いた。寺の裏門を出て城下の北へ。瓦礫の撤去が進む道を抜け、仮小屋の立ち並ぶ空き地へ向かう。
「おはようございます」
声をかけると、焚き火の傍らに座っていた老人が顔を上げた。
「ああ、藤村さんか。今日も見回りかい」
「はい。お変わりありませんか?」
「おかげさまでね。昨日、藩から米が届いたよ。少しだけど、ありがたいことだ」
晴人は頷き、紙に書き込む。〈北側空き地――米の配給あり。十五世帯、子ども八人〉。
どこに何人がいて、何が足りないのか。情報を集め、整理し、東湖に報告する。それが、晴人に与えられた最初の役目だった。
次の避難所へ向かう途中、晴人は炊き出しの場に立ち寄った。寺で始めた炊き出しは、いまや城下の数か所に広がっている。
「藤村さん、来てくれたの!」
若い女性が笑顔で迎えた。彼女も避難民の一人だが、今では炊き出しの中心を担っている。
「今日の具合はどうですか?」
「おかげさまで。あなたが教えてくれた通り、火を弱めてゆっくり煮たら、味がぐんと良くなったわ」
「それは良かった。少し味を見せてもらえますか?」
晴人は鍋を覗き、小さな木匙で汁をすくった。口に含むと、根菜の甘みと味噌の香りが穏やかに広がる。
「いい出汁が出ています。これなら皆さん、喜んでくれるでしょう」
「ありがとう!」
女性は嬉しそうに笑った。
こうした小さなやり取りの積み重ねが、人々の暮らしを支えていた。晴人はその手応えを、確かに感じていた。
* * *
昼過ぎ、晴人は藤田家の屋敷を訪れた。
門をくぐり、書院に通される。部屋には東湖が座しており、机の上には晴人が提出した報告書が広げられていた。
「藤村殿、よく来てくれた」
東湖は筆を置き、晴人を見た。
「報告書、読ませてもらった。詳細で、わかりやすい。よくここまで調べたな」
「ありがとうございます。まだ不十分ですが、少しずつ状況が見えてきました」
「北側の空き地では、米の配給が始まりました。ただ、南側の寺にはまだ届いていません。道が崩れていて、運搬が難しいようです」
「ふむ……」
東湖は報告書を見つめた。
「では、南側には人手を回そう。まずは道の修復を優先する」
「ありがとうございます。それから、医者が足りていません。特に子どもの怪我や病気が増えています」
「医者か……藩医だけでは足りぬな」
東湖は腕を組み、少し考え込んだ。
「藤村殿、そなたは簡単な手当ができると聞いた」
「はい。応急処置程度でしたら」
「ならば、そなたも手を貸してくれ。医者が来るまでの間、症状を悪化させぬことが肝要だ」
「承知しました」
晴人が深く頭を下げると、東湖は立ち上がり、窓の外を見た。庭では家臣たちが復興作業の打ち合わせをしている。
「この復興は、長い戦いになる。だが、そなたのような者がいれば、必ず道は開ける」
「恐れ入ります」
「いや、礼を言うのはこちらだ。そなたがいなければ、ここまで細かく状況を把握できなかった。引き続き、頼む」
「はい。全力を尽くします」
晴人は一礼し、部屋を出た。
廊下を歩きながら、小さく息を吐く。
(……少しずつ、形になってきた)
だが、まだ課題は山積みだ。食料、医療、住居――どれも不足している。
それでも確実に前へ進んでいる。その実感が、晴人の背を押していた。
* * *
その日の夕方、晴人は登勢の様子を見に寺へ戻った。
彼女の部屋に近づくと、障子の向こうから咳の音が聞こえた。
「登勢様?」
襖をそっと開ける。登勢は布団の上に横たわり、顔色はやや悪く、額には汗が滲んでいた。
「藤村さん……すみません、少し体調が……」
「無理をなさらないでください。今、温かいものを用意します」
晴人は急いで台所へ向かった。火鉢に火を起こし、湯を沸かす。生姜と梅干しを用意し、簡単な薬湯を作った。
部屋に戻ると、登勢は目を閉じていた。呼吸は浅く、額の汗は増えている。
「登勢様、少し飲んでください」
晴人は椀を唇に近づけた。登勢はゆっくりと目を開け、少しだけ口をつける。
「……ありがとう」
かすれた声だった。
晴人は額の汗を拭い、布団をかけ直した。
「今日は早めにお休みください。明日、また様子を見に来ます」
「ええ……すみませんね」
登勢は小さく微笑んだ。
晴人は部屋を出て、廊下で立ち止まる。
(……体調が悪化している)
地震の疲労がいまになって出たのか、それとも別の原因か。
いずれにせよ、注意深く見守る必要がある。
晴人は寺の住職に声をかけた。
「登勢様の様子を、よく見ておいてください。何かあれば、すぐ知らせを」
「承知しました」
住職は頷く。
晴人は小屋に戻り、手帳を開いた。避難所の状況、食料の配給、病人の数――びっしりと記された記録の末尾に、新たな一行を書き加える。
〈登勢様、体調不良〉
静かな夜風が小屋の隙間から吹き込み、紙の端を揺らした。
(……まだ、やることは多い)
だが、一つずつ積み上げていくしかない。
晴人は手帳を閉じ、明日の準備に取りかかった。
翌朝、晴人は東湖からの使いを受けた。
「藤村殿、至急お越しいただきたいとのことです」
使者の声には、かすかな緊張が滲んでいた。
晴人は身支度を整え、急ぎ藤田家の屋敷へ向かった。
書院に通されると、東湖が地図を広げ、何やら書き込んでいた。傍らには数人の家臣が控えている。
「藤村殿、来てくれたか」
「はい。お呼びとのことで」
「うむ、そなたに相談したいことがある」
東湖は地図を指し示した。
「城下の復興だが、思ったより進みが遅い。瓦礫の撤去は進んでおるが、その先が見えぬ」
「と、申されますと?」
「人々が、元の場所に戻れないのだ。家を失った者も多い。このまま仮住まいで冬を越せば、病が広がる」
東湖の声には焦燥があった。
晴人は一呼吸おいて、静かに口を開いた。
「住居の問題はすぐには解決できません。ですが――病を防ぐことはできます」
「どういうことだ?」
「まず炊き出しを充実させます。温かい食事が取れれば体力が保てます。次に、簡易の診療所を設けます。医師が常駐できずとも、応急処置ができる場があれば重症化を防げます」
東湖は深く頷いた。
「なるほど……住む場所がなくとも、食と医があれば命は繋げる、ということか」
「はい。そして、人々に“仕事”を与えることです」
「仕事?」
「瓦礫の撤去、道の修復、薪集め。働くことで賃金を得られ、自ら食を買えるようになります。そして、働くことが希望を生みます」
東湖の目がわずかに光を帯びた。
「そなたの言う通りだ。ただ与えるだけでは、人は立ち上がれぬ。自らの手で未来を掴む――それが肝要だ」
彼は家臣たちに向き直った。
「藤村殿の案を採用する。すぐに準備を始めよ」
「はっ!」
家臣たちが一斉に頭を下げた。
東湖は再び晴人に向き直る。
「藤村殿、そなたには炊き出しと診療所の整備を任せる。人手が足りぬときは遠慮なく申せ」
「承知しました」
晴人は深く一礼した。
* * *
その日の午後、晴人は城下を歩きながら診療所に適した場所を探していた。
炊き出しの拠点はすでに寺や空き地にある。だが、診療所となると、屋根があり風を防げる場所が必要だった。
歩くうち、崩れかけた商家が目にとまった。壁は傾いていたが、土台はしっかりしている。屋根も半分残っていた。
「……ここなら、使えるかもしれない」
中に入り、床の状態を確かめた。瓦礫を片付ければ十分な広さがある。
近くで瓦を運んでいた男に声をかける。
「すみません、この建物の持ち主をご存じですか?」
「ああ、それなら俺だ。地震で店が潰れちまってな」
「ここを診療所として使わせていただけませんか? 修繕費用は藩が負担します」
男の目が驚きで見開かれた。
「診療所……? 本当か?」
「はい。怪我や病の手当をする場所にしたいのです」
「そ、それは……ありがたい! ぜひ使ってくれ!」
男は深々と頭を下げた。
晴人は微笑んだ。
「ありがとうございます。すぐに準備を始めます」
* * *
数日後、簡易診療所が開設された。
瓦礫を片付け、壁を補強し、床に筵を敷く。薬箱や包帯、清潔な布を整え、火鉢を置いて湯を沸かせるようにした。
初日から、多くの人々が訪れた。
「すみません、子どもが熱を出して……」
若い母親が、ぐったりした子を抱いて駆け込んでくる。
晴人は子どもの額に手を当てた。熱い。脈を確かめ、喉を覗く。
「風邪ですね。まず体を温めましょう」
晴人は生姜湯を作り、少しずつ飲ませた。最初は嫌がったが、母親が優しく声をかけると、子どもはゆっくりと口をつけた。
「今日は安静にしてください。明日また様子を見に来ます」
「ありがとうございます!」
母親は涙ぐみながら頭を下げた。
その後も、怪我人や病人が次々と訪れた。晴人は一人ひとり丁寧に対応し、できる限りの手当を行った。
夕刻、東湖が診療所を訪れた。
「これは……見事だな」
整然とした薬箱、清潔な床、柔らかな火鉢の明かり。
「わずか数日で、ここまで整えたのか」
「皆さんの協力があってこそです」
晴人は控えめに答えた。
東湖は満足げに頷く。
「そなたの働き、確かに見届けた。この調子で頼む」
「はい」
東湖が去ると、晴人は火鉢の前に座り、静かに息をついた。
(……少しずつ、形になってきた)
だが、まだ終わりではない。これからが本当の戦いだった。
* * *
その夜、晴人は登勢の様子を見に寺へ戻った。
部屋に入ると、登勢は布団の中で横たわっていた。顔色は悪く、呼吸も浅い。
「登勢様、お加減はいかがですか?」
登勢はゆっくり目を開けた。
「藤村さん……いつも、すみませんね」
「いえ、当然のことです」
晴人は額の汗を拭い、薬湯を差し出した。
「少しずつで構いません。飲んでください」
登勢は椀を受け取り、かすかに口をつけた。
「……あなたの作るものは、本当に優しい味ですね」
「ありがとうございます」
登勢は微笑み、晴人を見つめた。
「藤村さん、あなたは……本当に不思議な方です」
「と、仰いますと?」
「あなたと話していると、まるで未来が見えているような気がするのです」
晴人は少し驚き、言葉を探した。
「……そんなことは」
「いいえ。きっと、あなたには見えているのでしょう。この先、この国がどうなるのか」
登勢の声は静かだが、どこか確信めいていた。
「どうか、東湖を……支えてあげてください」
「登勢様……」
「あの子は、強いように見えて、実はとても繊細なのです。人を信じることが、怖いのです」
登勢の瞳には、母としての深い愛情が宿っていた。
「ですが、あなたのことは信じています。それが、母としてとても嬉しいのです」
晴人は何も言わず、ただ静かに頷いた。
登勢は目を閉じ、かすかに息を吐いた。
「ありがとう、藤村さん。あなたがいてくれて……」
その声は、次第に細くなり、部屋に静寂が戻った。
晴人は障子をそっと閉め、廊下で立ち止まる。
(……登勢様の体調が、心配だ)
このままでは危険かもしれない。
晴人は決意を固めた。明日、東湖に相談しよう。専門の医師を呼ぶべきだと。
外に出ると、夜空の星が冷たく光っていた。
風が吹き抜け、竹林がかすかに鳴る。
晴人は小屋に戻り、手帳を開いた。
『登勢様、体調悪化継続。要注意』
筆を置き、静かに目を閉じた。
明日もまた、長い一日が始まる。
だが――どんなに困難でも、歩みを止めるわけにはいかない。
それが、この時代で生きると決めた者の務めだった。




