49話:織女たちの館
夏の陽が照りつける羽鳥の町では、蝉の声が昼の静けさを埋め尽くしていた。だが、その賑やかさとは裏腹に、町役所の一角では深刻な議論が交わされていた。
「薪の価格が、ひと月で三割も上がった……!」
机を叩いたのは、木材流通を取り仕切る商人頭・大槻だ。髪に白いものが混じり始めた大男で、普段は物静かな人物だが、今は額に汗を浮かべ、声を荒らげていた。
「山の伐採規制が響いているんでしょうか?」
そう尋ねたのは町工房の整備主任・芳賀。木炭の供給量が目に見えて減っており、金属加工や釜の焚き出しが遅れ始めていた。
「いや、問題はそれだけじゃない」
沈んだ声で割って入ったのは晴人だった。
「庶民の冬支度も始まってる。仮設住宅にはまだ囲炉裏もない家が多い。……薪がなければ、寒さで人が死ぬ」
場が静まり返る。
人口一万人を超えた羽鳥の町。その多くが、まだ木造の簡素な住まいで暮らしている。日々の煮炊きや風呂、冬場の暖房に至るまで、“薪”と“炭”が生活の根幹を支えていた。
「このままでは、寒さが武器になるぞ……」
晴人は、そう言って立ち上がると、机上の地図を指差した。
「……しかし、打つ手がないわけじゃない。炭だ。石の炭を探す」
「いし……の、たん?」
大槻が眉をひそめた。
「石炭です。石のように硬くて、薪や木炭よりも遥かに長く、強く燃える。文明を動かす“血液”です」
言い切る晴人に、場の空気が揺れた。
江戸時代の日本において“石炭”は未知の存在ではなかったが、その価値を正しく理解し、産業として扱える者はごくわずかだった。ましてや、羽鳥のような新興の町では、誰一人として“炭鉱”の意味を知らない。
「そんなもの、どこにあるというのですか……?」
疑問の声が上がる中、晴人は一冊の記録帳を開いた。旧家の聞き取り調査を行った際の記録だ。
「ここだ。日立山中の村で、“昔、黒い石を燃やしたら火がついた”という話が伝わっていた。炊事に使おうとしたら煙が多くてやめたと」
「それは、まさか……」
「恐らく、未採掘の炭層がある。質はまだわからないが、試す価値はあるはずだ」
晴人の言葉に、工房の面々や役人たちは互いに顔を見合わせた。
「……行くつもりか?」
清田が口を開いた。
「もちろん」
晴人は、涼しい顔で答えた。「俺たちは、もう“道具を待つ時代”を卒業した。必要なら、掘り出すまでだ」
かくして、“石炭”という未知の鉱物を求めて、晴人は少数の測量班と共に日立山中への調査を開始した。
炎天下の山道を歩き、藪をかき分け、古老の話を頼りに谷を探る。
「この辺りだったと、祖父が言っていたんです」
案内人の村人は、小さな祠の裏手に広がる岩場を指差した。
晴人は、地面に膝をついて岩肌をじっと見つめた。斜面に刻まれた灰黒色の層。それは、石灰岩とは違い、やや艶を帯び、指でこすると黒い粉がついた。
「……これは、亜瀝青炭だ。質は上等ではないが、燃える」
すぐさま試料を採取し、現地に持ち込んだ小型の簡易炉で燃焼実験を行う。
「――着火確認!」
芳賀が叫ぶ。火はゆっくりとだが安定して燃え、周囲に熱を放った。
「やった……!」
清田が呟くように言った。
晴人は、小さく頷いたまま、静かに空を見上げた。
(この“火”が、羽鳥の未来を変える)
その目には、すでに夜の闇を照らす“ガス灯”の幻影が映っていた。
日立山中、簡易な掘削現場では、朝霧が岩肌を濡らし、わずかに立ち昇る炭の香りが空気に紛れていた。
掘り進められた斜坑の中では、鉱夫の手でツルハシが打ち込まれ、炭層が断続的に削り取られていた。作業員の中には、水戸の武家出身ながら脱藩して参加した者もいれば、かつて炭焼きを生業としていた農民の若者も混じっていた。
「よし、ここは厚い層だ! 深く掘るぞ!」
叫ぶのは、元尾去沢鉱山で働いていたという古老・嶋田。晴人の招聘で羽鳥に移住してきた人物で、土や石を“読む”力に長けていた。
坑道の奥では、岩を照らす松明の火が揺れ、その橙の光の中に、漆黒の炭層が静かに光っていた。
「これは……いい色だ」
晴人は、ヘルメット代わりの編み笠を外し、汗をぬぐいながら呟いた。
石炭の中でも、比較的若い層に分類される亜瀝青炭。それでも、日本の木炭に比べれば熱量は段違いだった。試験燃焼の結果、一定の乾燥を施せば、工業炉や釜に充分使用可能と判断された。
「冬場の燃料どころか……蒸気機関に使えるな」
晴人の口から出たその言葉に、側にいた清田が顔を上げた。
「まさか……本当に?」
「ああ。これだけの炭があれば、蒸気機関の導入も現実になる。ポンプ、精錬炉、製紙機械、織機……いずれ“動く文明”が羽鳥に来る」
その声には確信と熱が込められていた。
翌週、晴人は水戸城下へ赴き、徳川斉昭の前に試掘報告書と石炭の見本を提出した。
「――これが、黒い石か」
掌に乗せた炭塊を見つめる斉昭は、しばし無言だった。
「薪や炭より遥かに長く燃え、火力も強く、そして埋蔵も多い。……まさに、近代の要と申してよいでしょう」
晴人の説明に、斉昭は静かに頷いた。
「分かった。試験採掘の費用、藩が出そう。藩営事業として坑道と作業小屋を建て、炭鉱夫を雇え」
「かたじけのうございます!」
この一言が、すべてを変えた。
羽鳥に戻った晴人は、すぐさま作業所の建設に着手した。
木組みの小屋がいくつも建ち並び、地元の大工や職人たちが掛け声を上げて材を運び、掘削機具の鍛造が工房で始まった。斉昭の命令により、水戸藩の武士階級からも若手が“技術研修”という名目で参加した。
「おい、あの“まっ黒い石”って本当に燃えるのか?」
「さっき試しにくべたら、すごい火力だったぞ。鍋底が溶けそうだった」
町の若者たちは興奮を隠せず、口々に語り合った。
その熱気に乗せられるように、羽鳥と日立をつなぐ仮設道路の整備も進んでいく。ぬかるんでいた山道は砕石で均され、丸太橋が掛けられ、荷車が通れるように拡幅された。
「この炭が……町を支える力になる。生活も、工房も」
晴人は坂道の上に立ち、運搬に使われる荷車が列をなして山を登っていく光景を見つめた。
このとき、すでに町では小さな変化が起き始めていた。
燃料の価格がわずかに下がり始め、工房での作業時間が再び延長された。鋳物職人たちは「ようやく“火の心配”をせずに打てるようになった」と安堵の息を漏らし、釜炊きの女たちは炊き出し量を増やせるようになったと笑った。
だが、晴人の眼差しはさらに遠くを見ていた。
「ここからが本番だ……“灯り”を変えるぞ」
彼の脳裏には、ガス灯の設計図が浮かんでいた。水戸の城門前に仮設のガス灯を点すことで、人々に“夜の文明”を見せる。それは、次なる大計画の序章にすぎなかった。
夜を制する者が、未来を制す。
その信念を胸に、晴人は再び羽鳥の町へと戻っていく。
陽が傾き始めるとともに、水戸城下では騒がしい準備が進められていた。城門前の空き地には、材木と鋼管で組まれた台座が立ち、慎重に固定されたガス灯の支柱がその中心にそびえていた。
その足元には、仮設の“ガス発生炉”が据えられていた。
「石炭を熱することで、可燃性の気体を得る。そのガスを導管で送って灯す――仕組み自体は単純だが、圧力と濃度の調整が難しい」
晴人は、炉に火が入るのを見守りながら、背後に立つ斉昭に静かに説明した。
「ふむ……木蝋や油に代わる“火”か。見たことも聞いたこともない灯だな」
「今日、ご覧いただけます。これが“文明の火”です」
晴人の言葉には、一分の迷いもなかった。
周囲には、大勢の町人や藩士が集まり、騒然とした雰囲気が漂っていた。藩主の臨席とあって、門前は仮設の柵で仕切られ、町の役人たちが人波を整理していた。夕暮れの空に、まだかまだかと期待の気配が満ちる。
「おい、本当に光るのか?」
「燃える石から……火が出るんだってさ」
「まさか、そんな……」
町人たちがざわつく中、作業場では慎重な最終点検が進んでいた。導管の気密、炉の温度、風向き、そして点火の合図を受ける位置――すべてに狂いは許されない。
「準備、整いました。点火しますか?」
「……ああ、始めよう」
晴人が合図を送ると、作業員たちが一斉に動き出した。石炭炉に火を入れ、圧力計と温度計を袖口の内側に仕込んだ補助具で密かに確認。誰にも気取られぬよう、わずかに角度を変えながら必要な情報だけを目視する。
(露骨に見せることはない。ただ、失敗は許されない)
ガス生成炉が静かに唸りを上げ始めた。白く揺れる煙が立ち昇り、鋼管を伝ってランプの灯具へと気体が流れていく。
そして、黄昏の空に、最初の灯りが――
「点けっ!」
晴人の掛け声とともに、点火棒が伸ばされる。導火線に火が走り、数秒の沈黙ののち――
ボウッと、柔らかな橙の光が灯った。
「……!」
瞬間、周囲がどよめいた。
それは、炎でありながら、煤も煙も立たず、静かに空気を押し返すような“光”だった。蝋燭や油灯のように揺らめかず、どこか“制御された”輝き。まさに人工の陽光とも呼べる、その美しさに、人々の目が奪われた。
「うわ……夜なのに、昼みたいだ……!」
「明るい……でも熱くない……不思議な火だ……!」
「まさか……燃える石から、これほどの光が出るとは……!」
子どもから老人まで、誰もが口を開けて見上げていた。まるで、空から降りた星のような、あるいは未来を告げる灯のような。
斉昭もまた、その光をじっと見つめていた。
「……これが、お前の言っていた“灯火の革命”か」
「はい。これで、夜に作業ができます。商いもできる。治安の巡回も、安全になります。……町が、止まらなくなります」
晴人の声は、いつになく静かだった。
「“夜”を制す者が、“文明”を制す……か」
その言葉の意味を、斉昭もまたじっくりと噛み締めるように呟いた。
この“ガス灯”はあくまで仮設。だが、都市の基盤としてこれを常設化し、ガス供給網を整備することで、街路灯・工房照明・住居照明といった生活インフラの転換が進む。やがては“都市”の形そのものを変えていくことになる。
拍手が起こった。やがて、それは次第に広がり、門前の町民すべてが歓声とともに両手を叩いていた。
「おおーっ!」
「晴人様万歳! 文明の火に万歳!」
「水戸は……水戸は変わるぞ!」
老女が、涙を拭いながら灯を見上げていた。若者たちは口々に「俺も炭鉱に行こうかな」「町で火を扱う役になりたい」と話していた。まさに、変革の予兆が夜空に瞬いた瞬間だった。
晴人は小さく息を吐き、ガスの圧を見守りながら、ひとことだけ呟いた。
「この火は、やがて日本を照らすことになる――」
その声は誰にも届かないほどに小さかったが、確かに、そこには確信があった。
“この光の先に、新しい時代がある”
夜の帳が下りきる前、水戸城下はまるで祝祭でも始まるかのような活気に包まれていた。ガス灯が点灯してからというもの、町人たちは家路に就くどころか、むしろ門前に集まり続けていた。人の輪はますます広がり、城門前の空き地を中心に、まるで円を描くように人々が陣取っていた。
晴人は静かに群衆を見渡し、視線をゆっくりと夜空に向けた。星が淡く輝き始めている。けれど、今宵はその星すらもかすむほどの“人工の光”が、眼下に力強く灯っていた。
「……これが、近代の夜か」
晴人の呟きに、側にいた津田図書が目を細めた。
「まさか、かような灯火が――蝋燭にも油にも頼らず、しかもこれほど明るいとは……。拙者、目が眩みそうですぞ」
「驚きは、これからですよ。今は仮設です。これを水戸中に張り巡らせて、夜を“安全に活動できる時間”へと転換する。そのための起点です」
津田がごくりと喉を鳴らした。
「まるで……町全体が、夜を恐れぬ“城”になるようなものですな」
晴人はうなずいた。
ガス灯のもたらす変化は、それだけに留まらない。治安の改善、労働時間の延長、夜間商業の活性化……そして何より、“文明”の到来を目の当たりにした町民たちの意識そのものが変わり始めていた。
「これから、城下だけでなく、羽鳥にも設置していきます。工房、医療施設、宿場、夜警詰所……用途は無限です」
そう語る晴人の声には、確信と使命感がにじんでいた。
人波の中から、ひとりの少女がそろそろと近づいてきた。薄手の布を肩にかけ、煤けた顔には緊張と好奇心が入り混じっている。晴人は彼女に気づき、優しく声をかけた。
「どうした? 何か困ってるのかい」
「……あの、お侍さま。この“火”、もっとたくさんつけられるんですか?」
「もちろん。これからたくさんの場所で、夜が明るくなる」
少女は目を丸くし、うなずいた。
「じゃあ、あたし、字の稽古がしたいんです。夜は暗くて、母ちゃんがろくに読んでくれなくて……でも、明るければ、自分でいっぱい練習できるから」
その言葉に、晴人は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。文明の利器とは、戦や産業だけでなく、こうして人の夢にも手を差し伸べるものなのだ。
「……約束するよ。君が読み書きできるようになるまで、夜を明るくしておくから」
少女ははにかみながら頭を下げ、群衆の中へと消えていった。
その姿を見送りながら、晴人はあらためて自分の任に想いを馳せた。
羽鳥の改革だけでなく、水戸城下の近代化――それも、民を起点にした“暮らしの変革”を目指しての取り組みが今、ようやく実を結び始めたのだ。
その夜、城内では急遽、藩重役による会議が開かれた。ガス灯を見た藩主・斉昭が、自ら全藩的なインフラ整備に言及し、支藩や他の宿場町への導入検討までを含めた指示を出したのである。
「これは、進む者だけが手にできる“時代の火種”だ。遅れを取れば、藩政そのものが沈む」
その一言で、反対派は沈黙した。いまや誰も、晴人の言葉を“夢物語”と切り捨てることはできなかった。
晴人が役人宿に戻ると、机上には報告書の束が積まれていた。ガスの圧力記録、炉の耐久試験結果、搬入した石炭の種類と炭質分析……iPadで密かに解析した結果をもとに、彼は一つずつ筆で清書し、翌朝の上呈に備えた。
(次は、供給網の整備と、灯具の量産。手を抜ける余地など、どこにもない)
だが、夜空のどこか遠くで、ふいに犬の遠吠えが聞こえた。
晴人はふと顔を上げ、窓から闇を見つめた。城下のはずれ――仄かに灯るガス灯の明かりが、まるで未来へ向けて伸びる小道のように続いていた。
その光の先に、彼が目指す“時代のかたち”がある。
(必ずや、この手で――)
そう心に誓い、再び筆を取った。
蝉の声が町のあちこちで鳴き交わす盛夏のある日――羽鳥の東端、旧田地を改良して整備された一角に、ひときわ目立つ建物が完成した。
漆喰の白壁に桧の梁が映える、二階建ての和洋折衷造り。その名も「織女館」。
縫製場、調剤所、活版印刷所――すべてが女性のために用意されたこの館は、羽鳥の新たな希望の灯として、この日ついに扉を開いた。
朝早くから、館の前には色とりどりの着物を着た女性たちが列をなしていた。中には、顔を半ば隠すように手拭を被った者もいれば、幼子の手を引いて不安げに立ち尽くす者もいる。
そのほとんどが、かつての遊郭から解放された元遊女や、戦災や飢えで夫を亡くした未亡人たちだった。
「……ここに来れば、本当に“働ける”のか?」
「字もろくに書けねぇし、縫い物だって長らくやってねぇよ……」
呟く声に、隣の若い女性がそっと応える。
「でも……やってみなきゃ、始まらないよ。あたしは、もう一度“人として”生きたい」
扉が開く音とともに、館の前に立ったのは、年配の女性だった。
背筋をぴんと伸ばし、浅黒い肌に刻まれた皺が、彼女の年月の重みを語っている。名は梶川しづ。かつて江戸で女性職人の指導にあたっていた人物で、晴人の招きに応じて羽鳥へと移住してきた。
「今日より、この館は――“織女たち”の新たな天の川です。技はなくとも志あらば、明日を縫い直すことはできます」
彼女の一言に、ざわついていた列の空気がすっと張り詰める。
「中へどうぞ。一歩、踏み出してごらんなさい」
女性たちが次々と館の中へと導かれる。
木の香りがまだ残る廊下の先には、明るく広い作業室。足踏みミシンが十台、手織り機や染め場、薬草を扱う調剤台まで並んでいた。
「これが……あたしの席?」
「うち、薬草の匂い、好きかも……」
驚きと感嘆が、館の各所でささやかれた。
一方で、町の一部では、まだ冷ややかな声も聞こえていた。
「なに? 元遊女が集まる館だと? どうせまた、男をたぶらかすのが関の山だ」
「未亡人に仕事? 甘やかしだろうが」
そんな声に対し、役所の高札には晴人の名で書かれた文言が貼り出された。
“弱き者に再起の場を与えぬ町に、明日はない”
その筆致は力強く、通りかかる者の心に鋭く突き刺さる。反発の声はやがて次第に薄れ、代わりに「立派な館だ」「あの人、目が変わってきたな」といった変化が町人の間にも現れ始めた。
数日後、晴人は館の視察に訪れた。
作業場には、真剣な眼差しで針を持つ女性たち、薬草を量って紙に包む若い母親、活版を丁寧に並べる少女の姿があった。
「……変わったな。羽鳥の空気が」
呟いたそのとき、一人の小さな少女が彼に気づいた。
「おじさん、もしかして“殿様”?」
「いや、違うよ。殿様はもっと偉い人さ。僕は……町のお手伝いをしているだけ」
「ふうん……じゃあ、このおうちは、おじさんが作ったの?」
「うん。作ったというより、“開けた”んだ。ここが、みんなの未来になるようにって」
少女は、彼の手をじっと見つめた。小さくて、か細いその視線に、晴人は静かに微笑みながら続ける。
「君は、何がしたい?」
「……あたし、お母さんがいつも泣いてたから……ここで、お母さんが笑えるようになったら、うれしい」
「それは……きっと叶うよ」
晴人は頭を撫でると、ふと、館の入口に掲げられた木札に目をやった。
“織女館”――天の川に住む、七夕の織姫。織物を司り、願いを紡ぐ女神の名だ。
「名前の由来、知ってるかい?」
「しょくじょ……って、お星さま?」
「そう。織女星。こと座のベガと呼ばれる、夏の星だ。願いを叶える星でもあるんだ」
「ふうん……あたし、願う。お母さんと、ずっと一緒に笑えますように」
晴人はその言葉を聞き、目を細めた。
“ここは、生まれ変わる場所だ”
かつて誰かの所有物だった者たちが、自分の手で“技”を持ち、生活を築き直す。その営みは、誰かの人生だけでなく、この町そのものを変えていく。
星は遠く、触れられない存在に思える。
だが、ひとつひとつの灯が集まれば、空に川が流れるように――
羽鳥という小さな町に、またひとつの“光”が灯った。