398話:(1891年・7月初旬)アメリカ訪問③ 太平洋の礎 ―サンフランシスコ日系圏の光と影
朝霧の向こうに、海の匂いがした。
大陸横断鉄道の車輪が最後のきしみを上げ、列車はゆるやかに停まる。
鉄橋の下をくぐる潮風が、鉄と油の匂いを混ぜ合わせ、海の彼方へと抜けていった。
久信は帽子を取り、濃い霧の向こうに浮かぶ「San Francisco Station」の看板を見上げた。
太平洋の西岸――つい先日、ワシントンで日米が決裂した国の、もう一つの顔がここにある。
ホームには白人労働者の怒号と、アジア人たちの控えめな声が交錯していた。
「……着きましたな。」建野郷三公使が言った。
「ここが、太平洋移民の終点です。」
駅舎の外では、霧が街を包み込むように流れ、馬車の車輪がぬかるみを掻く音がした。
久信は手袋を直しながら、深く息を吸い込んだ。海と油と人の汗――それがサンフランシスコの匂いだった。
「今日は、日系移民街を訪ねます。」
建野が続ける。「この街には三万人の日本人が暮らしています。」
「三万……?」久信は思わず声を上げた。
「はい。サンフランシスコの人口の一割です。カリフォルニア全体で十万、アメリカ全土で二十万。太平洋を渡った日本人は、すでに四十万に達しています。」
数字の響きに、海鳴りのような重みがあった。
「……四十万。」
金子堅太郎が低く呟く。「これが、藤村晴人の描いた“太平洋日系圏”の骨格です。」
馬車が到着した。御者は日焼けした日本人青年で、流暢な英語で挨拶を交わす。
街路を進むと、景色がゆっくりと変わっていった。白い石造りのビル群から、瓦屋根と木の看板が並ぶ一角へ。
「ここが、ジャパンタウンです。」建野が手綱を引く。
通りの両側に、赤い暖簾がはためいていた。
「日本食堂」「雑貨 山本屋」「旅館 日の出」。
英語と日本語が並ぶ看板が、異国の風に晒されている。
その奥には、仏教寺院の尖塔が霧の中から突き出ていた。
人々の顔も、街の音も、日本に似ていた。
浴衣姿の子どもが走り、店の前で女たちが井戸端会議をしている。
男たちは帽子をかぶり、英語混じりの日本語で客の呼び込みをしていた。
遠くの屋台から、焼き魚と味噌汁の香りが漂う。
久信は歩みを止め、胸の奥で何かが震えるのを感じた。
「……小さな日本だ。」
呟きは霧に溶け、静かに消えた。
街角の石畳を踏みしめながら、彼は一軒の食堂の前で足を止めた。
木の看板には筆太に「田中屋食堂」と書かれている。
暖簾をくぐると、味噌と醤油の香ばしい香りが鼻をついた。
厨房から湯気が立ち、炊きたての米の匂いが空腹を刺激する。
「ようこそ、藤村久信様。」
店主の田中太郎が深く頭を下げた。日焼けした顔に皺が刻まれ、しかしその目は誇り高く光っていた。
「まさか、藤村首相のご子息がこの地を訪れてくださるとは。」
彼らは木の卓に向かい合い、湯呑みから立ちのぼる湯気の向こうで言葉を交わした。
「……生活は?」久信が問う。
「厳しいが、悪くありません。」田中は笑う。「渡航費は政府の補助で賄い、定住資金の支援も受けました。最初の五年は農場でしたが、貯めた金でこの店を。」
厨房の奥から、香ばしい音が聞こえる。鉄板の上で魚が焼け、油が弾ける。
「この街では、日本人が互いに助け合っています。商人も農夫も労働者も、同じ船の仲間です。」
「息子は?」久信が尋ねた。
「学校に行っております。」田中が笑みを浮かべる。「土曜日には日本語学校です。」
そのとき、店の奥から小さな声がした。
「お父さん、ただいま!」
十歳ほどの少年が走り出てきて、きちんと礼をした。
「初めまして、藤村様。」
澄んだ発音の日本語だった。
「君は日本語が上手だね。」
「ありがとうございます。土曜日に日本語学校で習ってます。」
久信は微笑み、心の奥に父の言葉を思い出す。
――「移民が言葉を失えば、心を失う。」
田中は誇らしげに息子の肩を抱いた。
「日本語学校は、日本政府の補助で運営されています。教員は本国から派遣され、教科書も無償。日本の歴史と文化を教えてくれます。」
「そして、近くには寺もあります。京都の本願寺から僧侶が来てくださっているんです。」
窓の外に、霧に包まれた瓦屋根が見えた。鐘楼から鈍い鐘の音が響く。
「……なるほど。」久信は小さく頷く。「父は、信仰と教育を柱に据えたのか。」
田中は、真剣な眼で言った。
「おかげで、私たちはこの国にいながら、日本人の心を失わずに済んでいます。」
湯呑みの中で茶が揺れ、湯気が二人の間にゆらめいた。
久信はそれを見つめながら、胸の奥で呟いた。
「父上……あなたの描いた“太平洋の日本”は、確かにここに息づいている。」
食堂を出ると、午後の日が霧を割り、街の屋根を照らし始めていた。
風が吹くたび、暖簾が翻り、白地に赤い文字の「日本食堂」が柔らかく揺れる。
異国の大地に咲いた一輪の旗のように、それは小さくも力強く、確かにそこにあった。
昼下がりの霧が薄れ、坂道を登る馬車の車輪が軋んだ。
サンフランシスコの高台に建つ木造寺院――「本願寺別院」は、まるで異国に根を下ろした一本の樹のように、静かに街を見下ろしていた。
瓦屋根には潮風の塩がこびりつき、木の柱には渡航者たちの名が刻まれている。
山門をくぐると、板張りの縁がひんやりと足裏に伝わった。土間で革靴を脱ぎ、揃えて脇へ寄せる。足袋で上がり框を越えると、畳の青い香りが肺の奥に満ちた。
奥から聞こえる読経の声は、子どもたちの高い声と混じり合い、どこか温かく響いている。
「南無阿弥陀仏……」
声は幼く、しかし真剣だった。
堂内では十数人の少年少女が正座し、白衣の僧が教本を手にしていた。久信がそっと足を止めると、僧が気づき、穏やかに頭を下げた。
「ようこそ、藤村久信様。私は、京都本願寺より派遣されました、僧正・松尾恵順と申します。」
松尾の声には、柔らかい京都訛りがあった。
「子どもたちは?」と久信が問う。
「この地に生まれた二世たちです。日曜は礼拝、土曜は日本語学校。彼らに“帰る場所”を教えるのが、我らの務めでございます。」
子どもたちの唱える経文は、漢字とひらがなが交じる教本に記されていた。薄口の紙に活字の跡が端正に並び、余白に僧の朱が小さく添えられている。
「この経本も、日本から運んだのですか?」
「いいえ。」松尾は微笑む。「本国から送られた原本を、こちらで清書し、簡易印刷機で刷っております。印刷機の費用は、藤村内閣の“移民信仰助成金”から。大量配布は印刷、法要や学びの場では、このように加筆して使うのです。」
その言葉に、久信は目を細めた。父の政策が、こんな場所にまで息づいている。信仰が国家の延長としてではなく、“心の根”として機能している。
外では鐘が鳴った。午後の風が木戸を叩き、線香の煙をやわらかく揺らす。
松尾は視線を海の方へ向け、静かに言った。
「ここに来て、皆が口を揃えて申します。“神も仏も、海の向こうに残してきた”と。――けれど、祈りを取り戻せば、心は戻る。祈りは帰路でございます。」
久信は胸の奥で、小さく頷いた。
「信仰は、国より先に人を支えるものだ。」
やがて子どもたちの授業が終わり、別棟の校舎へ移動する時間となった。松尾が案内する小さな建物――それが「日本語学校」であった。
白い木壁に小さな日の丸が掲げられ、入口の上には手彫りの看板がかかる。
「日本語学校 第一分校」
中に入ると、墨と木の匂いが混じった。黒板には「日本」「心」「家族」と大きく書かれ、机の上には毛筆と硯が整然と並ぶ。
十数人の子どもが一斉に立ち上がり、声を揃えて言った。
「先生、こんにちは!」
教師は若い女性だった。薄茶の髪をきちんと結い上げ、淡い小紋に洋靴。
「こちらは本国から派遣された教師、滝口咲子先生です。」
松尾の紹介に、彼女は微笑んだ。
「藤村様、お目にかかれて光栄です。教員派遣制度のおかげで、この地にも教材と印刷物が滞りなく届くようになりました。」
黒板の隅には日本地図。海の向こうに赤い線でアメリカまでの航路が描かれ、余白に子どもの字で「二か月の海路」と書き添えられている。
「この子たちは、まだ日本を知りません。だから“言葉”と“地図”が、その代わりなのです。」
滝口の声はやさしく、しかし芯があった。
「英語は生きるための道具。でも日本語は、魂の居場所です。」
彼女はチョークを取り、黒板に大きく「志」と一画ずつ運ぶ。
「これは“こころざし”。皆さん、読みましょう。」
子どもたちが一斉に声を出す。その響きに、久信は胸が熱くなった。文字一つ一つに、海を越えた人々の祈りが宿っている。
滝口が続ける。
「学校の運営費は、本国の支援と、移民の方々の寄付で成り立っています。
一人の子を学ばせる費用を、皆で分け合う。“子を育てるのは村の務め”――その約束を、この街でも生かしています。」
教室の隅の小さな木箱には、「日本語学校基金」と墨書されていた。箱の中には銀貨がいくつか、折り紙に包まれた硬貨、そして刷りたての薄冊子――今日配る読本の束。小さな共同体の“未来への投票”が、静かに光っていた。
外に出ると、海風が吹き抜けた。瓦の間をすり抜けた陽が、街並みを金色に染める。坂道の下から、子どもたちの声。
「さようなら! また明日!」
久信は振り返り、彼らに微笑み返した。瞳には、確かな希望が映っている。信仰と教育――その二つがある限り、祖国の“心”は滅びない。
そして、彼は胸の内で静かに呟いた。
「父上、貴方の蒔いた種は、もう芽吹いています。」
午後の日差しが傾き、サンフランシスコの街を金の霧が包んでいた。
建野公使の公館は、市街地から少し離れた丘の上にあり、玄関前の旗竿には日章旗が静かに揺れていた。
外ではカモメが鳴き、波の音が微かに聞こえる。西海岸の風は潮と油の匂いを運び、どこか鉄錆びのような香りを含んでいた。
執務室の中は薄暗く、分厚いカーテン越しに午後の光がこぼれている。
壁には明治政府の地図と、太平洋一帯の海運路を描いた掛け軸。針の先ほどの赤い印が、ハワイ、フィリピン、サンフランシスコ、そして横浜を結んでいた。
その地図の前で、建野郷三がゆっくりと語り始めた。
「久信殿――貴殿は、なぜお父上がここまで移民を推し進めたのか、お分かりになりますか」
久信は沈黙したまま、地図の赤線を目で追った。
「……太平洋の支配、でしょうか」
「その通りです。しかし、それだけではありません」
建野は机の上の書類を一枚、そっと指先で押し出した。そこには、アメリカ本土・ハワイ・フィリピンにおける日系人口の統計表が並んでいる。
「ハワイには四万五千、フィリピンには十五万、そしてアメリカ本土に二十万。――合計、四十万です」
「……四十万人。」久信は思わず繰り返した。
「ええ。藤村晴人首相は二十年かけて、人を送り込みました。
移民支援金、教育派遣、僧侶制度……。一見すれば慈善事業のようですが、実際は“布陣”です。太平洋を“人”で囲む戦略なのです。」
建野の指が、赤い線の上を滑る。
「ここ、ハワイでは日本人が人口の五割を超えました。フィリピンでは港湾労働者の三割。アメリカ本土では一〇%に届こうとしています。」
「……少数派ではなく、共同体として生き残る数。」
「まさに。お父上は“数の政治”を理解しておられる。」
久信は小さく息を吐いた。
父の姿が脳裏に浮かぶ――国会の壇上で、冷静に数値を語りながら、未来を見据えるあの眼差し。
「だが……その成功が、同時に恐怖を呼んでいるのです。」
建野の声が、低くなった。
窓の外では、港の汽笛が遠くで響く。
「アメリカ人は言います。“ジャップが街を乗っ取る”と。」
彼は机の引き出しから新聞を取り出した。
『THE JAPANESE MENACE ― 白人社会の危機』
大きく黒い活字が踊り、見出しの下には、着物姿の労働者たちが描かれていた。
「彼らは、我々の勤勉さを恐れています。
彼らは、我々の団結を恐れています。
そして何より、“日本政府が裏で動いている”と思っている。」
久信は新聞を見つめ、唇を噛んだ。
印刷のインクの匂いが鼻を刺し、記事の中の言葉がじわりと心に染みていく。
――“東洋の侵略は、銃ではなく移民から始まる。”
「建野閣下、中国人排斥法のようなものが、日本人にも?」
「そう。すでに議会では、そうした声が上がっています。」
建野は頷き、静かに続けた。
「十八八二年に中国人排斥法が制定されたとき、移民は十万人でした。今の日本人はその倍です。」
「そして、組織化されている。」
「まさにそこが問題なのです。」
彼の目は、わずかに悲しげだった。
「日本語学校、日本人会、仏教寺院。――これらは、我々から見れば誇るべき文化維持ですが、彼らから見れば“閉じた国の再現”です。」
久信は、ふと昼間に見た子どもたちの姿を思い出した。
チョークで「志」と書き、まっすぐに声を合わせた彼ら。
それが恐怖を呼ぶなど、あまりに理不尽だ。
「アメリカは、自由を謳いながら、恐れるのですね。」
「自由を守るために、恐れるのです。皮肉なことに。」
建野は苦笑し、背もたれに身を預けた。
部屋の時計が静かに鳴った。
針の音が、国際政治の鼓動のように響く。
「久信殿。――あなたのお父上は未来を見ておられる。
我々がその“未来”に追いつけるか、それが問題だ。」
久信は静かに立ち上がった。
窓の外、夕暮れの港には無数の帆が並び、赤く染まった海がゆるやかに揺れていた。
「父は、令和を知っている。」
心の中で呟いたその言葉は、誰にも聞こえなかったが、胸の奥で重く響いた。
――現代日本の失敗を、彼は知っている。
言葉を失った移民。
誇りを失った民族。
だから、教育と信仰を絶やさなかったのだ。
久信はゆっくりと拳を握った。
「たとえ、世界が敵になっても、守らねばならぬものがある。父はそれを知っている。」
建野は深く頷いた。
「……そうです。ですが、その信念が、やがて戦火を呼ぶかもしれません。」
「覚悟の上です。」
その瞬間、部屋の奥でカーテンが揺れた。
薄赤い光が差し込み、二人の影を壁に映した。
その影は、まるで二つの国の未来が重なり合うかのようだった。
外では風が強まり、港の旗がはためいた。
夜の気配が、静かに太平洋の彼方から忍び寄っていた。
夜明けの霧が、ゆっくりと海を包んでいた。
サンフランシスコ湾に浮かぶ船の汽笛が低く響き、岸壁には潮と油の混ざった匂いが漂っている。
桟橋には、出航を見送る人々の群れ――帽子を振る男、ハンカチを握る女、そして、小さな手で旗を振る子どもたち。
久信は、その群れの中に田中太郎と家族の姿を見つけた。
「久信様!」
田中の声は、波音にかき消されながらも、はっきりと届いた。
彼の顔には、あの日、食堂で見せた笑みと同じ穏やかさがあった。
「どうか日本政府にお伝えください。――我々を、見捨てないでほしいと。」
風が強くなり、帽子が飛びそうになる。
田中の妻は幼い息子を抱きしめ、その頬を潮風が打った。
少年が前に出て、小さな声で言った。
「ぼく、日本人です。アメリカで生まれたけど、日本語学校でちゃんと勉強してます。」
久信は、静かに頷いた。
「立派だ。――君のような子がいる限り、日本は滅びない。」
少年ははにかみ、胸を張って言った。
「お父さんが言いました。海の向こうに国があるって。いつか行ってみたいです。」
久信は少し笑い、「必ず行ける」と答えた。
その声が震えていたのは、風のせいだけではなかった。
汽笛が再び鳴り、白い蒸気が空にのぼる。
乗船の合図。
久信はゆっくりと振り返り、船のタラップを登った。
桟橋の人々が一斉に帽子を振る。田中は手を高く上げ、声を張り上げた。
「我々は、ここで日本人であり続けます!」
船が岸を離れる。
ロープが水面に落ち、波が白く砕ける。
やがて距離が広がると、街並みの向こうに朝日が昇った。
霧の切れ間から現れる金門の丘――その上をカモメが舞っていた。
久信は甲板に立ち、風を受けながら目を閉じた。
潮風が頬を撫で、胸の奥にしみる。
(父上……四十万人の民が、海の上で生きています。
彼らの言葉、彼らの祈り――そのすべてが、貴方の理想の証です。)
彼はゆっくりと目を開けた。
遠ざかるサンフランシスコの街並みは、黄金色の朝光に包まれ、まるで幻のように揺れていた。
その美しさの中に、戦火の影が微かに重なって見える。
「……この美しい国と、いつか争う日が来るのか。」
その独り言は、風に消えた。
金子が近づき、肩越しに言った。
「久信殿、出航です。次はオランダ経由でヨーロッパへ。」
「そうか……長かった旅も、あと少しだな。」
金子は頷き、「米国で得たものは?」と尋ねた。
久信はしばらく沈黙した後、答えた。
「希望と、恐怖だ。」
甲板の下では、移民の若者たちが航海の歌を口ずさんでいた。
異国に渡る者、祖国へ帰る者――声は混じり合い、波音に溶けていく。
久信はその歌を聞きながら、ゆっくりと呟いた。
「信仰と教育。……それがあれば、民族は死なない。」
船が沖に出るころ、霧が晴れ、太平洋の水平線が開けた。
その向こうに、次の航路――オランダ、そして日本が待っている。
久信は懐から父の手紙を取り出し、封を切らずに握りしめた。
(父上、私は貴方の蒔いた種を、この目で見ました。
だが、その根が広がるほど、影も深くなります。)
海原の向こうに、見えない未来の戦雲が漂っている気がした。
それでも彼は、顔を上げた。
「……戦うためではなく、生き延びるために備える。それが父のRealpolitikだ。」
その夜、船室の窓から見た星空は、まるで凍てついた銀の砂のようだった。
夜風が静かに帆を鳴らし、遠くで機関の鼓動が響く。
久信は日記帳を開き、ペンを走らせた。
「太平洋に四十万の同胞あり。彼らは、未来の礎なり。
だが、この礎がやがて戦火の的となること――その重さを忘れてはならぬ。」
インクの光が消えるまで、彼は手を止めなかった。
――そして、同じ頃。
東京・首相官邸。
明治政府の会議室では、藤村晴人が報告書を静かに読み終えていた。
窓の外には、雨に濡れた紫陽花が揺れている。
陸奥宗光が口を開いた。
「久信殿からの電信です。太平洋日系圏の形成、順調。移民数四十万。
日本語教育、僧侶派遣、日本人会、いずれも定着しております。」
藤村は頷き、椅子に深く腰を下ろした。
「……よくやった。風は吹いている。」
「しかし、米国では排斥の兆しがございます。」
陸奥の声に、藤村は静かに微笑んだ。
「恐れは力の証だ。彼らが恐れるうちは、我々が進んでいる証左でもある。」
大隈重信が帳簿を開き、言った。
「この二十年で投じた国家予算は一億円。
だが、得たのは四十万人の“分身”ですな。」
「そうだ。」
藤村の声は落ち着いていた。
「太平洋を支配するには、艦隊よりも先に“人”が必要だ。
人がいれば、文化が根づき、旗はあとから立つ。」
児玉源太郎が問う。
「しかし、アメリカとの衝突は避けられません。
太平洋の覇権を二国が共有することは――」
「不可能だ。」藤村が遮った。
「だが、今は戦う時ではない。二十年後、三十年後。
その時、日本が真に立てるように準備をする。」
室内に沈黙が落ちた。
雨音だけが、静かに畳を叩いている。
藤村は立ち上がり、地図の前に歩み寄った。
指先で、ハワイ、フィリピン、そしてサンフランシスコをなぞる。
「四十万の民。これが、我が国の生命線だ。
たとえ排斥されようとも、動かぬ礎となる。」
やがて彼は背を向け、窓の外を見つめた。
雲間からわずかに光が差し、雨の粒がきらめく。
「――久信。
お前は、太平洋の現実を見ただろう。
だが、恐れるな。理想は、現実に耐えてこそ真価を持つ。」
その言葉は、遠く海の彼方へと届くように、低く響いた。
その日、東京の雨と、太平洋の風が、同じ瞬間に動いた。
まるで二つの時代が、同じ呼吸をしているかのように。




