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【篤姫と結婚した公務員】水戸藩から始まる幕末逆転録 ~公務員が理と仕組みで日本を救う~  作者: 一条信輝


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390話:(1891年・春)ドイツ訪問② 鉄血宰相の遺言―Balance of Powerの継

暖炉の火が、ゆるやかに燃えていた。

 薪が崩れ落ちる音が響くたび、古い書架の影が長く伸び、壁に揺らめいた。

 ビスマルクの応接室には、世界地図が貼られている。黄褐色に焼けた紙の上に、国境線を示す赤い線が細かく走っていた。


 老宰相は、その地図の前に立ち、杖の先で静かにドイツの位置を示した。

 「Herr Fujimura、これが我が祖国だ。」

 声は低く、しかし不思議な響きを持っていた。

 「Balance of Power――これが、外交の秘訣だ。」


 久信は椅子から立ち、近づいた。地図の上に刻まれたヨーロッパの輪郭が、まるで生き物のように見える。

 「詳しく、教えてください。」


 ビスマルクは、杖を北海から地中海へ滑らせた。

 「ヨーロッパは、五つの力で保たれている。」

 杖の先が順に動く。

 「ドイツ、フランス、ロシア、オーストリア=ハンガリー、そしてイギリス。」


 その名を告げるたびに、彼の声は少しずつ硬さを増した。

 「一つの国が強くなりすぎると、他が恐れる。そして、彼らは手を組む。これが均衡――バランスだ。」

 淡い陽光が窓から差し込み、地図の上で線を走らせた。


 「君はナポレオンを知っているな?」

 「はい。」

 「では見よ。」

 ビスマルクは杖でフランスを叩いた。

 「一八〇五年、オーストリアを撃破。翌年、プロイセンを叩き、さらにロシアをフリートラントで倒した。

 強くなりすぎたフランスに、他の国々は恐怖した。」


 杖の先が、ゆっくりと西から東へ移る。

 「だが、強さは孤立を生む。ナポレオンがロシアに遠征した一八一二年――雪と泥に敗れた。

 そして翌年、英・露・普・墺が手を組み、ライプツィヒで彼を打ち倒した。

 Balance of Power in Action。これが実際に働いた時の姿だ。」


 久信は息をのむ。

 「一つが強くなれば、他が連携し、均衡を保つ……。」

 「そう。これは世界の“自然法”だ。」


 ビスマルクは再び杖を掲げ、ドイツの中央を示した。

 「私は、一八七一年にドイツを統一した。しかし、統一直後の我が国は、若く、強すぎた。」

 「フランスが、恐れたのですね。」

 「そうだ。フランスは復讐を誓い、私はそれを防がねばならなかった。」


 机の上の古地図を開くと、墨で引かれた複雑な線が見える。

 「これが私の同盟網だ。」


 彼は一本ずつ指でなぞった。

 「まず、三帝同盟。ドイツ・ロシア・オーストリアの三つの帝国が協力した。だが、バルカンを巡って露と墺が争い、崩壊した。

 次に、独墺同盟を結び、フランスの孤立を保った。

 そして一八八二年、イタリアを加えて三国同盟とした。これで大陸の中央を固めた。」


 炎の明滅に合わせて、地図上の線が赤く光った。

 「だが、これでも足りない。ロシアとの関係が不安定だったからだ。」

 ビスマルクは小声で続けた。

 「だから私は、一八八七年、ロシアと“再保障条約”を結んだ。

 フランスと戦う時はロシアは中立、オーストリアと戦う時はドイツは中立。

 互いに戦わず、互いに後ろを守る――それがこの条約の核心だった。」


 久信は地図に手を伸ばし、その線を目で追った。

 「……それは、完璧な均衡ですね。」

 「そうだ。私の生涯で最も美しい構築だった。」

 老宰相の声が、炎の音に混じって少しだけ震えた。


 「目標はただ一つ。フランスを孤立させること。

 そしてロシアとオーストリアの間で、綱を渡るように友好を保つ。

 どちらかが倒れれば、ドイツは巻き込まれる。だから両方と繋がる。」


 久信は、静かに頷いた。

 「両方と……ですか。まるで、両岸に橋をかけるような。」

 ビスマルクが目を細める。

 「良い比喩だ。外交官の言葉だな。」


 室内の空気が、わずかに緩む。

 しかし、次の瞬間、彼は再び厳しい声に戻った。

 「だが覚えておけ。均衡は、常に崩れようとする力との戦いだ。

 誰かが欲を出し、誰かが恐れ、誰かが裏切る。

 その中で、いかに“崩れぬ形”を保つか――それが外交の芸術だ。」


 窓の外では、森の枝が風に揺れていた。

 薄曇りの光が地図に落ち、ヨーロッパの線がまたひときわ際立つ。

 久信はその地図を見ながら、心の中で呟いた。

 ――「均衡」とは、力の均等ではなく、恐怖の均等なのだ。


 ビスマルクが椅子に戻り、葉巻を口にした。

 「日本もまた、この法則の中で生きねばならぬ。」

 煙が天井へと立ち昇り、薄く広がっていく。

 「東の島国であっても、Balance of Power の外にはいられない。

 ロシア、清国、英国――いずれも君の国の周りにいる。

 同盟を組み、敵を測り、常に“均衡”を保て。」


 久信は、炎のゆらめきを見つめながら深く息をついた。

 「……それが、平和を守る唯一の方法なのですね。」

 「そうだ。」

 「戦を避けるために、力を整える。」

 「その通り。Balance of Powerとは、平和を保つための“準備された戦”だ。」


 その言葉を聞いた瞬間、久信の胸に、何かが沈んだ。

 ――力のない平和は、幻想にすぎない。


 炎が静かに燃え続ける。

 その光の中で、老宰相と若き外交官の影が、ゆっくりと重なっていた。

 新しい時代と、過ぎ去った時代。

 その二つが交わる瞬間に、ヨーロッパの地図はまるで呼吸しているように見えた。

重厚な沈黙が、応接室を包み込んでいた。

 暖炉の薪が音を立て、ぱちりと弾ける。

 その音だけが、老宰相の胸の奥から漏れる寂寥をかき消すように響いていた。


 久信は、机の上に置かれた分厚い書類の山に目をやった。

 すべてが過去の成果――統一、条約、改革、そして戦争の記録。

 ビスマルクは、指先でその一枚に触れながら、低く呟いた。


 「私は、二十八年間、帝国に仕えた。」

 声には怒りよりも、疲労があった。

 「一八六二年から、一八九〇年まで――。プロイセンの宰相として、皇帝を支え、ドイツを統一した。」


 その目は炎を見つめていたが、視線の先には過去の戦場が広がっているようだった。

 「だが、一瞬で終わった。」

 短く、乾いた笑い。

 「若い皇帝――ヴィルヘルム二世が、私を切り捨てた。彼は『親政』を望んだ。だが、私は警告した。権力の均衡を壊せば、帝国は崩れると。」


 久信は静かに頷いた。

 その声に、かすかな震えがあった。

 「……それでも、陛下は耳を貸さなかったのですね。」

 「そうだ。」

 ビスマルクは葉巻を握りしめる。

 火の先が赤く燃え、灰がこぼれた。


 「再保障条約――聞いたことはあるか?」

 「はい。ロシアとの秘密条約です。」

 「そうだ。あれこそ、ヨーロッパの安定を保つ錨だった。」

 杖の先が机を叩いた。

 「だが、皇帝は更新を拒んだ。私はロシアとの関係を維持したかった。だが彼は、オーストリアとの絆を選んだ。」

 「その結果、ロシアが……。」

 「そう、フランスに近づいた。」


 老宰相は、深く息を吐く。

 「私は恐れている。二十年後、ヨーロッパは燃える。」

 その言葉に、部屋の空気が一瞬、凍りついた。

 金子も伊東も、息を呑んだまま動けない。

 「……二十年後?」

 久信の声が震える。


 ビスマルクは立ち上がり、杖を支えに窓辺へ歩いた。

 外では、風に揺れるブナの木々がざわめき、遠くで教会の鐘が鳴っている。

 「火種はすでにある。バルカンだ。」

 窓の外を見据えたまま、ビスマルクの声は低く響いた。

 「オーストリアとセルビアが衝突する。ロシアがセルビアを支援し、ドイツがオーストリアを支援する。

 フランスはロシアを助け、イギリスが加わる。……世界が炎に包まれる。」


 炎の音が、まるで戦場の砲火のように耳に残った。

 「そしてドイツは――敗れるだろう。」

 その言葉に、誰も返すことができなかった。


 久信は、思わず口を開く。

 「なぜ……そう言い切れるのですか。」

 ビスマルクは、振り返って言った。

 「Balance of Power が崩れるからだ。」

 杖の先が床を鳴らす。

 「ロシアを敵に回し、フランスとロシアが手を組めば、ドイツは二つの戦線を抱える。

 二正面作戦――それはどんな天才でも防ぎきれぬ。」


 老宰相の手が震えていた。

 だが、その目は澄んでいた。

 未来を恐れながらも、真実だけを見据える目だった。


 「人は過去の成功に酔う。皇帝も、国民も。だが、酔えば足を取られる。」

 「……日本もそうなるでしょうか。」

 ビスマルクは苦く笑った。

 「どんな国でもそうなる。繁栄は盲目を招く。」


 しばらく沈黙が続いた。

 久信は、炎のゆらめきを見つめながら、老宰相の言葉を一つひとつ刻んでいく。

 「……侯爵。あなたは、それでも後悔していますか。」

 「している。」

 ビスマルクは短く答えた。

 「私の政策は、戦争を防ぐための政策だった。

 だが、彼らは“平和が続くこと”を当然と考えた。

 平和は努力の果実だというのに。」


 葉巻の煙が細く立ち上り、暖炉の光をくぐる。

 その光の中に、若き日のビスマルクの影が見えた気がした。

 「私は、戦争のために働いたのではない。

 戦争を避けるために“力”を使ったのだ。」


 その言葉には、鉄と血で築かれた政治の底に潜む、老政治家の静かな悲しみがあった。


 「藤村殿。」

 ビスマルクがふいに呼びかけた。

 「君たちは今、まさに我々がかつて通った道を歩んでいる。

 近代化の熱狂、産業の成長、軍備の増強――それらは輝きだ。だが、眩しさの裏に影がある。

 君たちの敵は、他国ではない。自らの慢心だ。」


 久信は、拳を握った。

 「……肝に銘じます。」

 「よい。」

 老宰相は微かに頷き、窓の外を見た。

 「君の国には未来がある。私の国には、過去しかない。」


 その声音は穏やかだったが、どこか遠くへ行く者のようでもあった。

 夕陽が西の森に沈み、光が室内に長い影を落とした。

 ビスマルクの影と久信の影が、床の上で重なった。

 それはまるで、老いと若さが一瞬だけ交錯する――歴史の継承の瞬間だった。

夕陽が窓の縁を朱に染めていた。

 ビスマルク邸の応接室は、昼の喧騒を失い、静かな余熱だけが残っている。

 壁の油絵が柔らかく照らされ、絹のカーテンが風に揺れた。

 その穏やかな空気の中で、鉄血宰相の声だけがなおも鋭く響いた。


 「さて――東アジアの話をしよう。」


 久信たちは姿勢を正した。

 机の上にはドイツ製の世界地図が広げられている。

 そこには極東の小さな島国、日本が、細い線で描かれていた。


 「日本には敵がいる。」

 ビスマルクの杖の先が地図を叩く。

 「北にロシア、南に清国。二つの巨影に挟まれている。」


 久信は静かに頷いた。

 「清国については、フランスでも多くを聞きました。官僚は腐敗し、軍は古い。弱体化しています。」

 「その通り。」

 老宰相は短く息をつき、ワインのグラスを指先で回した。

 「清国は病人だ。オスマン帝国のように、広大で、しかし心臓が動かぬ。やがて崩れる。」


 「だが、崩壊を急がせるな。」

 久信が顔を上げる。

 「……なぜですか。」

 「清国が消えれば、その空白をロシアが埋める。北の熊は、空いた土地を見逃さない。」

 その声には、長年ヨーロッパを観察してきた者の確信があった。


 「強くなるのに、十分なだけ要求しなさい。だが、すべては奪うな。敵を残すことで、敵の敵を制する。」

 久信は、胸の奥でその言葉を繰り返した。

 「Balance of Power……勢力の均衡。」


 ビスマルクの口角が上がる。

 「そうだ。均衡が崩れれば、すべてが滅ぶ。

 ――日本が清国に勝つとき、勝利の大きさが災いになるかもしれない。」


 その瞬間、屋敷の外で馬車の車輪が石畳を滑る音がした。

 夕闇のベルリンに、灯りが一つ、また一つと灯っていく。


 「戦うなら、迅速にだ。」

 老宰相の声が再び鋭さを取り戻した。

 「長期戦は悪夢だ。他国の介入を招く。

 一八六六年の普墺戦争――七週間で終わらせたからこそ、他国は手を出さなかった。」

 「迅速に、決定的に……」

 久信は記録帳に走り書きした。


 「そして朝鮮だ。」

 ビスマルクは杖を北東に向けた。

 「朝鮮を制する者が東アジアを制する。

 ロシアよりも先に、そこを確保しなさい。」


 「海軍を鍛えなさい。島国の防衛は、海の上にある。」

 炎の明かりが、老宰相の横顔を照らす。

 皺の刻まれた頬に、なおも鋼の光が宿っていた。


 「ロシアを孤立させろ。」

 その声は低かったが、刃のように鋭い。

 「私がフランスを孤立させたように。英国と結び、必要ならドイツ、アメリカとも協力しなさい。

 味方を多く持て。それが平和を守る唯一の道だ。」


 沈黙が流れた。

 金子が恐る恐る口を開く。

 「ビスマルク侯爵……同盟というのは、どれほど続くものなのでしょうか。」

 「賢い質問だ。」

 老宰相は笑った。

 その笑みは、戦場で生き延びた者の知恵を帯びている。

 「永遠の味方はいない。永遠の敵もいない。あるのは永遠の利益だけだ。」


 久信は息を呑んだ。

 政治とは信義ではなく、利害の均衡によって成り立つ――その現実を突きつけられた気がした。


 「Realpolitik。」

 ビスマルクはその単語をゆっくりと口にした。

 「理想ではなく、可能性の芸術だ。

 自分がしたいことをするのではない。自分ができることをする――それが政治だ。」


 暖炉の炎が一瞬、強く揺れた。

 それはまるで、老宰相の言葉に呼応するかのようだった。


 伊東が身を乗り出す。

 「では……ドイツと日本が手を組む日は、来るのでしょうか。」

 「それは難しい。」

 老宰相は淡く笑みを浮かべた。

 「我が国は遠い。軍事的な支援は難しい。だが、技術では協力できる。

 鉄鋼、化学、機械。ドイツは学問の国だ。知識を与えることならできる。」


 その瞬間、久信の胸の奥で何かが静かに灯った。

 ――それは、国の未来を支える工業立国の構想だった。


 「藤村殿。」

 ビスマルクの声が、柔らかく響く。

 「理想を持ちなさい。しかし、理想に溺れるな。

 現実を知り、現実の中で戦い、そして勝ちなさい。」


 久信は、深く頭を下げた。

 老宰相の言葉は、もはや助言ではなく、“遺言”に近かった。

 日が完全に沈み、部屋の中をランプの光が満たす。

 その灯りの下で、若き日本人と老宰相は、歴史の糸を静かに結んだ。

夜のベルリンは、霧のように冷たい空気に包まれていた。

 ビスマルク邸の門前では、煤けた街灯が淡く灯り、馬車の吐く白い息がゆらめいている。

 屋敷の窓にはまだ暖炉の炎が揺れ、老宰相の影がゆっくりと揺らいでいた。


 久信たちは、玄関の大理石の階段を降りようとしていた。

 その足を、ビスマルクの声が呼び止めた。


 「――藤村殿。」


 振り返ると、老宰相が杖を突きながら立っていた。

 その顔は、炎の光に照らされて赤銅色に輝いている。

 皺の一本一本に、戦争と外交、勝利と孤独が刻まれていた。


 ゆっくりと近づき、ビスマルクは久信の肩に手を置いた。

 大きく、重たい掌だった。

 「あなたは若い。あなたには未来がある。」

 低く、だが力のこもった声だった。

 「私は老いた。私には過去しかない。」


 久信は、返す言葉を見つけられなかった。

 ただ、その手の温もりと、かすかに震える指先を感じていた。

 それは、長年“国家”という重荷を背負ってきた者の手だった。


 「だが――」

 ビスマルクは目を細め、かすかに笑った。

 「あなたは、私の教えを使える。」

 「日本を強くしなさい。だが、強すぎるな。」

 「Balance。常にBalanceだ。」


 その言葉が、夜気の中に静かに溶けていった。


 久信は、胸の奥から込み上げるものを押さえながら答えた。

 「……はい。忘れません。」


 老宰相はわずかに頷き、握った杖の先で床を二度叩いた。

 「Auf Wiedersehen, junger Samurai.」

 ――さらば、若き侍よ。


 その発音は少し硬かったが、どこか優しかった。

 久信もまた、胸に手を当て、静かに頭を下げた。

 「Auf Wiedersehen, Fürst Bismarck.」


 二人はしばらく、言葉を交わさず見つめ合った。

 歴史が、まるでその瞬間を記憶に刻もうとしているかのようだった。


 やがて、久信は馬車に乗り込んだ。

 窓越しに見えるビスマルクは、玄関に立ち尽くしていた。

 背筋はまだ伸びていたが、どこか寂しげだった。

 馬車が動き出すと、老宰相はゆっくりと手を上げた。

 夕陽の残光が消え、街灯の下で、その手だけが白く浮かんだ。


 久信は胸が締めつけられる思いで、その姿を見つめていた。

 (――鉄血宰相と呼ばれた男も、今はただ一人の老人だ。)

 彼は、自らの人生のすべてを“国家の均衡”のために費やした。

 その果てに残ったのは、孤独と警鐘。

 だが、その声は確かに若者の胸に届いていた。


 ベルリンの街を走る馬車の中、久信はノートを開いた。

 ランプの灯が揺れ、インクの文字が淡く光る。

 ――Balance of Power。

 ――Realpolitik。

 老宰相が繰り返した二つの言葉を、ゆっくりと書き記した。


 「……政治は理想ではない。可能性の芸術だ。」

 その声が耳に残っている。


 「自分がやりたいことをするのではない。できることをするのだ。」

 久信は、ゆっくりと息を吐いた。

 理想を追う青年の心の奥に、現実を見据える眼が芽生えていた。


 ふと、窓の外を見れば、線路沿いに灯る家々の灯りが点々と続いている。

 その一つひとつが、静かな国の生活を照らしていた。

 戦争のない夜――それこそが、ビスマルクが生涯求めた“平和のかたち”だったのかもしれない。


 金子が小声でつぶやいた。

 「……偉大な人ですね。」

 伊東も頷く。

 「戦い続けた人ほど、平和を語るものなのかもしれません。」

 久信は微笑み、窓外を見つめた。

 「ええ。そして、あの人の平和は“力”の上に築かれていた。」


 列車がベルリン中央駅に近づく頃、夜は深まっていた。

 久信はノートを閉じ、胸の奥でそっと呟いた。

 「Balance……必ず日本で生かす。」


 その言葉に、静かな決意が宿っていた。


 ――翌日、久信はカプリヴィ首相との会談へ向かうことになる。

 鉄血宰相から受け取った哲学を胸に、新たな現実主義の交渉が始まろうとしていた。

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