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33話:剣と銃、視る者の眼

午前の陽が、山沿いに広がる演習場を黄金に染めていた。


 水戸藩が開発を進めてきた「水戸式ニ号銃」。その試射が、いよいよこの日、行われようとしていた。


 銃架の上に据えられた漆黒の銃身は、精緻な細工とともに、どこか無骨な美しさを備えている。引き金の前には新たに設けられた“安全装置”がつき、火蓋の機構には真鍮の補強が施されていた。


 「……よくここまで辿り着いた」


 藤村晴人は、銃に手を置きながら、静かに呟いた。


 後ろには、火薬の調整を担った若き職人・伊三次と、銃床の加工を担当した鍛冶屋の源吉が控えている。彼らの目は真剣そのものだった。


 「準備完了です、先生」


 「風は北から……少しだけ左へ流れてます。射角、修正しました」


 晴人はうなずき、的の設置を確認した。約百間先の標的は、厚く板を張った四尺四方の枠。その中央には、墨で描かれた円がくっきりと浮かんでいる。


 「伊三次、火薬装填」


 「はい!」


 金属の音が響き、火薬が銃身に滑り込む。その動作は、一つひとつが研ぎ澄まされていた。


 観閲する藩士たちの中には、頷く者、眉をしかめる者、無言で見つめる者――さまざまだ。


 「晴人様、試射の許可を」


 「撃て」


 その一言とともに、弾は放たれた。


 乾いた破裂音が演習場に響き、銃身がかすかに跳ねた。煙が白く舞い上がる中、しばしの沈黙。


 「……命中!」


 的の確認役が叫んだ。中央からほとんど外れていない着弾。


 歓声が、抑えきれずに漏れた。


 「やった……」


 伊三次の肩がわずかに震えた。隣で源吉も、無言のまま拳を握っていた。


 「次、三発連続で撃つ」


 晴人の指示で、次の試射が行われた。連射性能の検証だ。


 一発、また一発――小気味よい音とともに、すべての弾が的に吸い込まれていった。


 煙の向こう、晴人の目は細められていた。射撃精度、安全装置、装填のスムーズさ。いずれも“戦場で使える”と評価できる水準に達していた。


 「これが“水戸式ニ号銃”だ。安全性、精度、取り扱いの簡便さを兼ね備えている。我が藩の防衛を担う、新たな矛と盾となるだろう」


 宣言する晴人の声に、藩士たちは黙って耳を傾けていた。


 「だが、忘れてはならない。この銃を振るうのは人だ。そして、その人が護るべきは命であり、暮らしであり、志である」


 淡々と語るその姿に、若手藩士のひとりが、思わず拳を握った。


 「晴人様……この銃で、我らが水戸を守ってみせます」


 「頼む」


 晴人は短く返した。彼の胸中にあるのは、誇りではなく、責任だった。


 * * *


 その夜。


 啓学館の一室で、晴人は職人たちに向けて講義を行っていた。


 黒板には「ニ号銃改良点」「安全装置の展望」「装填手順と対応方法」などが書き込まれている。


 「今回の試射で分かった通り、機構は一定の完成を見せた。だが、それは“今の敵”に対して、だ」


 「未来の敵は、もっと遠く、もっと多く、もっと狡猾になる」


 「だから、歩みを止めてはならない。常に次を見据えること。技術も、人も――育ち続けなければならない」


 若者たちは、真剣な眼差しで彼の言葉に頷いた。


 そしてその日、水戸藩は“水戸式ニ号銃”の製造・配備を正式に決定する。


 それは、藩の軍事力強化であると同時に、「戦わずして守る力」を持とうとする、晴人の信念の形だった。


 しかし同時に、その動きは、幕府の一部の目に“過激”と映り始めていた。

試射成功の報が、翌日には城下を駆け抜けた。


 「水戸で新しい銃ができたらしい」「しかも百間先の的に三発連続で命中したってよ」


 噂は尾ひれをつけながら町中を巡り、ついには近隣藩の耳にも届くこととなった。


 水戸藩が開発した新型銃――“水戸式ニ号銃”。


 その名前は、しばらくしてから江戸城の中でも囁かれるようになる。


 「……水戸の動きが速すぎる。軍備拡張の意図は明白ではないか」


 将軍家の側近のひとりが、密かに上申した文書を机に置いた。


 「火薬の増産、銃の製造、さらに藩士による警備強化……これが単なる防備の域を出ぬと、誰が言える?」


 上座にいた老中が眼鏡を外し、文書をじっと睨みつけた。


 「だが、水戸は御三家のひとつ。あまりに過敏な対応は、政争の火種となろう」


 「それでも……無視はできませぬ。もしや、反幕の意志が芽吹いておるのではと、一部では囁かれております」


 老中は溜息をついた。


 「……やむを得ぬ。信頼できる目を、水戸へ遣わすしかあるまい」


 


 * * *


 


 その報を受けた男がひとり、江戸の道場にて黙々と竹刀を振っていた。


 額から汗が垂れ、白の道着がわずかに揺れる。


 「男谷どの。密命でございます」


 使いの者が口にしたのは、水戸への“視察”という名の調査依頼。


 男谷信友は、剣術指南役として名高く、将軍家とも縁の深い人物だった。


 「……晴人殿が“過激”とな? なるほど。だが、剣を持たぬ者に、“構え”の意味は分かるまい」


 彼は竹刀をゆっくり鞘に見立てて納めた。


 「自らの目で見てこよう。“剣”とは、時に“盾”でもあることを、忘れてもらっては困る」


 


 * * *


 


 一方、水戸では、藩の中でも賛否が分かれ始めていた。


 新銃配備による「軍備の近代化」に対して、保守的な家臣たちがざわつき始めていたのだ。


 「確かに銃の精度は見事。しかし、これではまるで、“討幕”の気配ではないか」


 「将軍家に睨まれては元も子もない。開発の指揮官である藤村殿には、慎重な言動を求めねば」


 その空気は、藩庁内部の会議にも影を落とした。


 「晴人どの。このたびの件、幕府が関心を寄せておるとの噂がございます」


 「……承知しております。ですが、“技術”を持つことは罪ではありません」


 「しかし、“使う意図”が疑われております」


 晴人は、机に置かれた図面を指でなぞった。


 「技術は誰のためにあるのか。……私は、“戦を望まぬ者のため”にこそあると信じます」


 


 * * *


 


 その日。水戸城の外れにある啓学館では、子どもたちが木製の“模擬銃”を手に、部品の名前を覚えていた。


 「これが銃床、これが銃身、これは……火打石の“蓋”? なんでこんなもんあるの?」


 「暴発を防ぐためだって。火花が勝手に飛ばないようにするんだと」


 「ふーん……安全の“しかけ”かあ」


 そんな声を、廊下の奥で聞いていた晴人は、微笑を浮かべながら外へ出た。


 風が吹く。遠くから、馬の蹄の音が近づいていた。


 門前に姿を現したのは、墨染めの羽織をまとった武士ひとり。


 「藤村晴人殿に、お目通りを願いたい」


 その声に、門番がざわついた。印籠の紋が、ただ者ではないことを示している。


 「御三卿筋の剣術指南役――男谷信友殿とお見受けします」


 晴人の名を呼んだ男の瞳は、まっすぐに彼を見据えていた。

火薬の香りと、焼けた鉄の匂いが漂う試射場の奥。


 銃声が数発、乾いた音を立てて夜気を切り裂いた。標的の藁人形には、的確に銃弾が収束していた。


 「命中精度、安定性、いずれも申し分なし……これで“水戸式ニ号”も、実戦配備へ踏み出せます」


 晴人が記録用の板に書き込むそばで、伊三次が頷いた。


 「鍛冶場も昨日から量産体制に入りました。改良した火皿と銃身の鋳型も、皆が誇りに思ってますよ」


 晴人は思わず伊三次の背中を叩いた。


 「お前たちの腕が、命を救う時代が来る。誇れ」


 試射場に居並ぶ藩士や職人たちの顔には、達成感と緊張が交錯していた。


 しかしその一角に、よそ者の姿があった。


 淡い茶の羽織をまとい、風に靡くような姿勢で銃を眺める男――その存在に、晴人は最初、気づかなかった。


 「見事な銃ですな。銃床と銃身の接合部、そして火皿の加工精度。……これは、よほど腕の立つ者たちが仕上げたのでしょう」


 その声に晴人が振り向くと、男はすでに一礼していた。


 「……どちら様で?」


 晴人の問いに、男は懐から小さな印を取り出した。


 それは、幕府目付の通行印。だが公に掲げるものではなく、選ばれた者にしか持てぬ密命専用のしるしだった。


 「……では、改めて名乗りましょう」


 男は背筋を正した。


 「男谷信友。幕府より、水戸藩の軍備と政務に関する“内々の視察”を命じられ、参りました」


 その名を聞いた瞬間、晴人の脳裏に警戒信号が走った。


 ――男谷信友。


 江戸の講武所で名を馳せ、“直心影流”の正統と目される剣士。そして、あの勝海舟の義兄でもある。


 iPadに保存していた幕末関連の資料で、何度もその名前を目にしてきた人物だった。


 「……あなたが、あの男谷信友……」


 言葉が自然に漏れた。思わず背筋を正す。


 男谷は穏やかな笑みで首を横に振った。


 「ご心配には及びません。今回はあくまで、非公式の見聞です。将軍家から直接の命ではなく、旗本連中の間で上がった“懸念”に対する調査の一環……と、でも申しましょうか」


 「懸念……ですか」


 「はい。水戸が突如として火薬と銃の生産を始め、藩士ではない者にも知識を教えている……と」


 「……それが、“過激”と見えるわけですね」


 「そうです」


 男谷はわずかに目を細めた。


 「今の幕府にとって、最も警戒すべきは、“武力と思想”を併せ持つ存在。しかもそれが、江戸に近い水戸で起きているとなれば……自然と目は向けられます」


 晴人は唇を引き結んだ。


 「……しかし、我々は侵略の意志など、毛頭ありません。これはあくまで、防衛と教育のための手段です」


 「承知しています」


 男谷は静かに頷いた。


 「私もまた、幕府の内側にいながら、時折その古さに歯噛みすることがある身です。“剣は盾にもなる”。それを知っている者は、そう多くない」


 晴人の目が見開かれた。


 まさに今、自身が啓学館で掲げている理念だった。知識も技術も、誰かを守るための“盾”になる。


 「あなたは……剣の人かと思っていました」


 「剣に生き、剣に疑問を持ち、だからこそ剣以外を求めてきた男です」


 男谷は試作品の銃に指を添えた。


 「……この水戸式ニ号。確かに、銃としては素晴らしい。だが、これが“人を守る道具”として運用されるのか、あるいは“脅しの武器”として拡散するのか。それを私は、見届けねばならない立場にあります」


 晴人は静かに深呼吸した。


 「どうか、我々の“学び”をご覧ください。これは決して、力を誇るためのものではありません」


 男谷は黙って頷いた。


 その目には、剣客としての鋭さと同時に、“教育者”としてのまなざしがあった。


 「では、ひとつお願いしましょう」


 男谷が口元に笑みを浮かべた。


 「この“水戸式ニ号”、私に試し撃ちをさせていただけますか」


 晴人は少し驚いたが、すぐに頷いた。


 「もちろん……構いません」


 銃を受け取った男谷は、手際よく構え、風を読み、標的へと照準を合わせる。


 呼吸を一つ整え、引き金を引く。


 ――ズドンッ。


 鋭い発射音が再び試射場に響いた。


 標的は、中心部を正確に撃ち抜かれていた。


 「……素晴らしい」


 男谷は口元を緩め、銃をそっと戻した。


 「武器としての性能は申し分ない。そして、誰かを守るための意志を、私は見た気がします」


 その言葉に、晴人は心から安堵した。


 だが、これが“終わり”ではない。


 ――むしろ、“始まり”なのだ。


 男谷信友という“幕府の目”が、水戸をどう見たか。

 そしてこの銃が、今後どう扱われていくのか。


 それは、晴人自身が選び取らねばならない“未来”だった。

その夜、晴人はひとり、藩庁の執務室に灯をともしていた。

 帳面には、男谷信友が視察した内容、彼の所感、そして幕府側に伝わる可能性のある情報を細かに記録していた。


 「……“信頼できる方”とはいえ、江戸に戻れば彼もまた“体制側”だ」


 呟きながら筆を走らせる手は、少しだけ震えていた。


 今日の一件は、晴人にとって“合格”であると同時に、“警告”でもあった。


 ――水戸式ニ号の完成は、確かに技術の結実だった。

 だが、同時にそれは、藩という枠を越えて、幕府中枢にまで届きうる“火種”となる。


 「男谷が来た、ということは……もう、誰の目にも“水戸は動いている”と映っているわけだ」


 かすかに風が入り込み、机の上の図面が揺れる。

 晴人は、ふと視線をそらした。


 部屋の隅、暗がりの中には、水戸式ニ号の“予備型”が一本、布にくるまれて立てかけられていた。

 重みは軽減され、火皿の構造も二重安全装置付きに進化している。


 だが、それ以上に、晴人の胸を占めていたのは“その銃が向けられる先”のことだった。


 「もし……もし、この銃が“思想の武器”になれば……」


 想像するだけで、胃の奥がきりきりと痛む。


 そこへ、ノックの音。


 「……どうぞ」


 入ってきたのは、木村と伊三次だった。二人の表情は、硬い。


 「旦那……いえ、先生」

 「お話が」


 晴人は頷き、椅子をすすめた。


 「……何かあったか?」


 木村が、やや低い声で切り出した。


 「他藩の商人が、“水戸式銃を売ってくれ”と接触してきました。……どうも、内通者が情報を漏らしたらしく」


 「……やはり」


 晴人は机の縁を握りしめた。


 伊三次が続けた。


 「銃の注文自体は、三河や相模からも入り始めています。“正規の手続きを通して”と申し出る者もいますが、裏から回ってる者も多いです」


 「銃が、商品になったか……」


 晴人は頭を抱えた。


 ――武器の流通。それは、技術の進歩がもたらす避けられない影だった。


 「断ることもできる。ただし、“売らない藩”という印象を持たれれば、かえって疑念を深めるかもしれない」


 木村が言う。


 「売り方が問われる段階です。藩としての方針を、明確にしないと」


 晴人は深く息を吐いた。


 「……売ろう。ただし、“構造の一部を変えた廉価版”にして、弾薬の規格も変える。それで“互換性”を絶つ」


 伊三次が目を見張る。


 「まさか、そこまで手を……」


 「うちが“本式”を握っていれば、常に優位に立てる。相手に与えるのは、“使えるようで使いにくい銃”にすぎない」


 木村は深く頷いた。


 「技術の格差を、制御として活用する……ですね」


 「そうだ」


 晴人は立ち上がり、窓を開けた。


 夜風が、学舎の方から届いた。


 灯りがいくつも、ちらちらと揺れている。


 夜間授業の終わりを告げる鐘が、遠くで鳴っていた。


 「子どもたちが、“未来”を信じて学んでいる。その希望だけは、武器に潰させるわけにはいかない」


 木村が、わずかに笑った。


 「相変わらず、無茶な道を行かれますね」


 「お前たちがいれば、行ける」


 伊三次が、拳を握った。


 「俺たちが作った銃で、町を守る。先生の背中、ちゃんと見てます」


 その言葉に、晴人は小さく頷いた。


 ――たとえ、時代のうねりが押し寄せようとも。

 ――水戸式ニ号の“真価”は、誰の手にあるかで決まる。


 それは、晴人自身の決意であり、これから先に試され続ける“覚悟”だった。

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