307話:(1882年・芒種)潮風の架け橋
陽の光が白砂を照らし、波が銀色にきらめく。
初夏の琉球――芒種を迎えた南国の空は、青を溶かしたように澄み渡っていた。潮の匂い、三線の音、どこか懐かしい旋律が風に乗って流れてくる。
ここは琉球州。十五州の中でも最南端に位置し、かつては独立した王国であった。
だが今、その立場は微妙だった。幕府崩壊後、藤村政権による州制度が敷かれたとき、琉球は正式に日本の一州として編入された。
象徴的な地位として王家は存続し、「琉球国王」は名誉総督として文化と伝統を守る存在とされた。
それでも――清国はこの統合をいまだ認めていない。
ある日、那覇の港で小さな衝突が起きた。
日本の関税法が新たに適用されたことで、清国商人たちが怒りの声を上げたのだ。
「琉球はもとより清の冊封国である! 日本の法を押しつけるとは何事か!」
怒号が港に響く。波止場に並んだ木箱には、陶磁器・香辛料・絹布が山のように積まれていた。
港湾管理官が毅然とした声で応じる。
「琉球は日本の十五州のひとつです。日本の法律に従っていただく必要があります」
「ならば我らは交易をやめる!」
清国商人が一斉に背を向け、船を引き返す。
その瞬間から、琉球州の経済は急速に冷え込んだ。交易が途絶え、港の倉庫には出荷されぬ物資が積み上がる。
失業した港の労働者たちが酒場に溢れ、街は静かに沈んでいった。
琉球州知事・尚盛親は、深くため息をついた。
「清国との関係を断つわけにはいかん。だが、我らはもう独立国ではない」
その言葉は、まるで風に溶けるように虚しかった。
――六月、常陰州・水戸。
藤村政権の執務館「尚文館」に、琉球州代表団が訪れた。
使者の列の先頭には、白衣をまとった琉球王国の特使が立っている。
知事と商人代表も随行し、旅の疲れを押して総理との会見に臨んだ。
「総理、琉球の苦境を訴えに参りました」
知事の声は低く、しかし震えていた。
「我々は日本の一州として、この州制度に従う覚悟を決めております。国王陛下もそれを望まれております。
だが、清国がそれを認めず、交易を停止しました。民は飢え、商人は破産寸前です」
藤村晴人は静かに頷いた。
「……わかりました。清国からは正式な抗議も届いています。『琉球の地位は未解決、日本の一方的な併合は無効』と。外交上の火種を残したままではいけませんね」
「私どもは日本人なのでしょうか、それとも琉球人なのでしょうか」
商人の老人が震える手で言った。
「どちらの言葉を使い、どちらの礼を守ればいいのか、もう分からないのです」
その言葉に、部屋の空気が沈んだ。
藤村は彼らをまっすぐ見つめ、言葉を選ぶように答えた。
「あなた方は琉球人であり、同時に日本人です。州制度とは、異なる文化を一つの国家の中で尊重し合うための仕組みです」
だが、理屈では民の心は救えない。
琉球の民は困窮し、子どもたちの学校も閉ざされつつあった。
会見の後、藤村は執務室に戻ると、地図を広げた。
十五州の中で、最も文化的に独立した位置にある琉球――その存在が、今や州制度の理念を試す「最初の試金石」となっていた。
その夜。
邸宅の書斎では、藤村の三人の息子たちが議論を交わしていた。
長男・義信は軍服姿のまま机に肘をつき、眉をひそめた。
「外交問題だ。軽々しく介入すれば清国を刺激する。軍の立場から見ても、琉球の扱いは慎重にすべきだ」
次男・義親は書類をめくりながら口を挟む。
「でも、放っておいたら民が飢えるよ。琉球の経済は交易で成り立ってるんだ。農地も狭いし、自給なんてできない」
そのとき、末弟の久信が口を開いた。
「……僕が行きます」
二人の兄が振り向いた。
藤村も、静かに顔を上げる。
「お前が?」
「はい。僕はこの半年、外交と異文化について学んできました。英語とフランス語の勉強に加えて、中国語も学び始めました」
藤村は目を細める。
「どうして中国語を?」
「琉球の問題を聞いてからです。彼らの商人は皆、福建や広東から来ています。言葉が通じれば、話し合えるかもしれないと思いました」
義信が苦笑した。
「半年の勉強で通訳をするつもりか?」
「完璧じゃなくてもいい。心を伝えたいんです。言葉は、相手を理解しようとする意思そのものですから」
部屋が静まり返る。
次の瞬間、藤村が微かに笑った。
「……いいだろう。久信、お前に任せる。ただし、兄たちも同行しなさい」
「はい!」
久信の目が輝いた。
その夜、彼は机に向かい、琉球語の教材を開いた。
「はいたい(こんにちは)」――発音を何度も繰り返す。
言葉のひとつひとつに、島の風と波の音が宿っているようだった。
翌朝、藤村家の庭には、出立の支度を整えた三兄弟の姿があった。
風は南から吹き、芒種の空に雲がゆるやかに流れていく。
義信は軍帽をかぶり、義親は書類鞄を手に。
久信は胸の奥に、まだ見ぬ琉球の青を思い描いていた。
彼の旅は、ひとつの国の未来を変える旅でもあった。
帆船が那覇港に入ったのは、蒸し暑い昼下がりだった。
潮の香りと共に、南風が肌にまとわりつく。
白い砂浜の先には赤瓦の屋根が連なり、港では男たちが船の縄を引き、女たちが桶を担いで走り回っている。
遠くでは三線の音が聞こえ、太陽に焼けた子どもたちが、笑いながら海辺を駆けていた。
久信は船の欄干からその光景を見つめ、深く息を吸い込んだ。
「……青いですね。空も海も、どこまでも」
義親が苦笑した。
「暑いのに、詩人みたいなこと言うなよ」
義信は軍帽を指で押さえながら言った。
「気を抜くな。視察とはいえ、外交任務だ」
港には琉球州の役人と、琉球王国の使者が出迎えに来ていた。
先頭に立つのは、痩せた中年の男。深い褐色の肌に、白い衣が映えている。
「お初にお目にかかります。琉球州庁より参りました志多波と申します。遠路ようこそお越しくださいました」
柔らかい言葉づかいだが、その瞳の奥には、警戒と誇りが交錯していた。
久信は一歩前に出て、ぎこちなく口を開いた。
「……はいたい、うとぅるさ、なーふぇーら」
琉球語で「こんにちは、会えてうれしいです」と言ったつもりだった。
だが、周囲が一瞬静まり返り、次の瞬間、港の女たちがくすくすと笑い出した。
志多波も思わず微笑をこぼす。
「発音が、少し…“那覇”ではなく“宮古”のように聞こえましたな」
久信は顔を赤らめ、頭を下げた。
「すみません、まだ勉強中で……」
「いえ、うれしいことです。言葉を覚えようとしてくださるだけで、民は安心します」
彼らの乗る馬車は、港から街へと向かった。
那覇の通りは狭く、石畳の上に市場の喧噪が満ちている。
果物を売る声、魚をさばく包丁の音、どこかの家から聞こえる三線の調べ。
そして、そのすべての上に、祈りのような言葉が重なる――
「うがみそーれー(神に祈りを)」
道端の老婆が手を合わせ、三兄弟に深々と頭を下げた。
久信は慌てて手を合わせ返す。
義親が小声で尋ねた。
「祈られてるのか?」
志多波が笑う。
「ええ、“遠い国から来た賓客に幸あれ”という祈りです」
その夜、三兄弟は琉球庁の迎賓館に泊まった。
夕食には豚肉の煮込みと海藻の汁、そして泡盛。
月明かりに照らされた庭では、白い花が咲いている。
久信はその香りを吸い込みながら、心の底で何かが静かに解けていくのを感じていた。
翌朝、彼らは市内の学校を訪れた。
校舎は木造で、風が通り抜ける。
黒板には「日本語」「琉球語」「漢文」の三種類の文字が並んでいた。
教師の女性が笑顔で迎える。
「ようこそお越しくださいました。ここでは三つの言葉を教えています」
「三つも?」と義親が驚いた。
「はい。日本語で行政文書を、琉球語で生活を、漢文で貿易や古典を学びます」
久信は黒板に書かれた琉球語の文字を指でなぞり、感嘆の息を漏らした。
「……美しいですね。日本語と中国語のあいだにあるような文字」
「そうです。私たちは“間”に生きている民族です」教師が言った。
その声には、誇りと少しの哀しみが混じっていた。
学校の中庭では、子どもたちが笑いながら声を上げていた。
「せんせーい、あの人たち日本のえらい人?」
「そうよ。東京の、えらい人たち」
「すごいね! でも言葉わかるのかな?」
久信は微笑みながら子どもたちの輪に入り、ぎこちない琉球語で話しかけた。
「なーふぇーら、ぬーやが?(こんにちは、元気ですか?)」
「はいたい!」子どもたちは一斉に笑いながら答えた。
彼の不器用な発音に、笑い声がさらに広がる。
けれどその笑いには、拒絶の影はなかった。
むしろ――“受け入れられた”という温かさがあった。
その午後、三兄弟は琉球商人の集会に招かれた。
古い木造の建物の中に、南方の香辛料の香りが立ちこめている。
白髭の商人が、扇で顔をあおぎながら口を開いた。
「我ら琉球商人は、清国とも日本とも交易してきた。
どちらかを選べと言われても、どちらも切り離せぬのです」
義親が静かに頷く。
「琉球は、両方の文化を結ぶ橋ですね」
「橋……そう言ってもらえるのは初めてです」商人の目が潤む。
「だが今、清国の商人たちは去り、日本の法ばかりが押し寄せてくる。
我らはどこに立てばよいのか分からぬ」
久信は一枚の紙を取り出した。
それは琉球の港での貿易統計だった。
「交易量は半減していますね……」
「ええ。清国の陶磁器や薬材が来なければ、庶民の生活にも影響が出ます」
「分かりました。僕たちは、あなた方の声を必ず東京に届けます」
そう言う久信の瞳には、少年の純粋さと政治家の芽が混じっていた。
帰り道、義信がぽつりと漏らした。
「……なるほど、これは戦じゃないな」
「え?」久信が振り向く。
「銃を持たず、刀を抜かず、言葉で国を守る戦だ」
義信の言葉に、南の風が答えるように吹き抜けた。
夕暮れの港。
太陽が水平線の向こうに沈み、空は茜から群青へと変わっていく。
漁火が一つ、二つと灯り、波間に揺れた。
久信は港の端に立ち、潮風の中で目を閉じた。
――琉球の人々は、確かに日本人であり、琉球人でもある。
彼らの中に流れる二つの血を否定することは、誰にもできない。
やがて遠くで、夜の祈りの太鼓が鳴り響いた。
その音は、まるで「この島を見捨てるな」と訴えるようだった。
久信はそっと呟く。
「必ず道を見つけます。清国とも、日本とも敵にならない道を」
夜風が彼の頬を撫で、星がひとつ瞬いた。
それは、彼の決意に応えるような、南の夜の祝福の光だった。
数日後の午前、那覇港は異様な緊張に包まれていた。
停泊している清国商船〈永昌号〉の甲板には、五人の商人が並び、腕を組んで港を見下ろしている。
その顔には怒りと不信の影が濃かった。
岸では、琉球庁の役人たちがうろたえながら書簡を手に立ち尽くしている。
港の倉庫には積み下ろしの止まった荷が山積みになり、魚の匂いと海風が入り混じっていた。
「……彼らは、もう三日も入港手続きを拒んでいます」
志多波が苦い声で報告した。
「理由は『琉球は清の属国である』――つまり、日本の関税を受ける筋合いはない、ということです」
久信は頷き、静かに前に出た。
白い学生服の襟を正し、船へと歩み出る。
周囲がざわつく。
「若様、危険です!」
「大丈夫です。……言葉を交わしてきます」
桟橋を渡ると、清国商人の一人が冷ややかに言った。
「何の用だ、小僧。日本の役人なら帰れ。我らは清の臣民だ」
その声には、侮りと疲労が混じっていた。
久信は一瞬だけ目を閉じ、そして、ゆっくりと中国語で口を開いた。
「我是藤村久信。請讓我說幾句話。」
(私は藤村久信と申します。少しだけお話を聞いてください)
その瞬間、港にいた全員の息が止まった。
清国商人の一人が目を見開く。
「……你會中文?」
(お前、中国語ができるのか?)
「まだ下手です。でも、話したいんです」
久信はたどたどしく、それでもまっすぐな発音で続けた。
「琉球は、確かに長く清国の冊封を受けていました。
しかし今、琉球の人々は日本の州民として生きています。
彼らは清国を嫌ってはいません。むしろ尊敬しています」
商人たちは互いに顔を見合わせた。
その中の一人、白髭の長者が一歩前に出た。
「少年よ、我らの国では“恩義を忘れる者”を最も卑しいとする。
琉球は清に銀を受け、衣を賜ってきた。
それを忘れたというのか?」
久信は首を横に振った。
「忘れていません。だからこそ、争いたくないのです」
彼は手に持った布地を広げた。
それは琉球の織物――紅型の一反だった。
「この布は、清国の染料と日本の織りで作られています。
どちらかが欠けても、完成しません。琉球はその“結び目”なんです」
沈黙が訪れた。
遠くで波が砕け、白い飛沫が風に舞う。
商人の一人が、眉をひそめて言った。
「理屈は分かる。だが、日本の法が我らの港に立ち入ることはできぬ」
久信は一歩近づいた。
その表情は、少年らしい無垢さと、政治家の冷静さが奇妙に同居していた。
「ならば――折衷案を」
懐から取り出した紙に、さらさらと書き記す。
「『琉球文化保護特区』という制度を作ります。
清国と琉球の交易だけは、特別な通関枠を設け、清国慣習を一部適用する」
「そんな勝手なことが許されるのか?」
「総理の許可を得ています」
久信の声には、ためらいがなかった。
商人たちがどよめく。
「日本が、清の制度を認めるのか?」
「はい。文化として、認めます」
「だが、それは日本が琉球を支配することの証になるぞ」
「違います」久信は首を振る。
「支配ではなく、“尊重”です」
そのとき、上空を白い鳥が横切った。
その影が、彼と商人の間をゆっくりと滑っていく。
久信はその瞬間、まるで神に導かれるように言葉を継いだ。
「日本と清国は、どちらも古い文明を持っています。
だが今、世界は新しい道を求めている。
争うよりも、学び合う時代です。
琉球はその“最初の橋”になれる」
白髭の長者が、長く息を吐いた。
「……言葉は若いが、心は老練だな」
久信は頭を下げた。
「僕は十四です。未熟です。でも、戦より話し合いを信じたいんです」
そのとき、背後で足音がした。
志多波と琉球庁の役人たちが立っていた。
「久信様……」
「もういい。言葉は届いた」
白髭の商人が、ゆっくりと桟橋に降りてきた。
「我らの船は今日から交易を再開する。ただし、条件がある」
「お聞かせください」
「琉球の人々が清の礼を忘れぬように。祭のたびに、かつての使節への祈りを捧げること」
久信は即座に頷いた。
「約束します。文化は争いではなく、祈りで守ります」
港に静かな拍手が起こった。
漁師たちが手を叩き、女たちが涙ぐみながら手を合わせる。
「神さまが見てるよ……」
子どもが呟いた。
久信は振り返り、港の海を見た。
波の上に陽光が踊っている。
それはまるで、異国と異国を結ぶ“見えない橋”のようだった。
志多波がそっと言う。
「久信様……あなたの言葉で、琉球が息を吹き返しました」
「僕の言葉じゃありません」
久信は首を振った。
「琉球の人たちが、僕を信じてくれたんです」
風が吹き抜け、桟橋の端で紅型の布がはためいた。
その模様は、赤と青、黄と緑――まるで日本と清国、そして琉球がひとつの色になったようだった。
六月の陽光が、那覇の議場を黄金色に染めていた。
芒種。南風が吹き抜け、港の帆が静かに鳴る。
琉球州議会――木造の大広間には、各地から集まった議員や商人、そして琉球王家の使者が並び、熱気と緊張が満ちていた。
壇上に立つのは、藤村久信。
まだ十四の少年。
だが、彼の眼差しは、百の言葉より強い信念を宿していた。
横には義信と義親、後方には陸奥宗光、小村壽太郎の姿もある。
国の未来を背負う若者と老練の外交官たちが、同じ場に立っていた。
議長が木槌を鳴らす。
「藤村久信君、発言を許可する」
久信は一歩前へ出た。
手の中の紙は、風に揺れて端がかすかに震えている。
彼は深呼吸をひとつして、琉球語で口を開いた。
「くぃや ふじむら くぃしん やいびーん」
(私は藤村久信と申します)
発音はぎこちなく、会場の一部から小さな笑いが漏れた。
だが、その笑いはすぐに感嘆に変わった。
――本土の少年が、自分たちの言葉を話した。
それだけで、場の空気が変わった。
「私は、皆さんの言葉を完璧に話すことはできません。
でも、理解したいと思っています」
彼は日本語に切り替え、堂々と視線を上げた。
「琉球は、かつて清国と友誼を結び、日本と繋がりを持ちました。
それはどちらの属国でもなく、“架け橋”の民としての誇りでした。
今もその本質は変わっていません」
議場が静まり返る。
琉球の年長議員が呟いた。
「架け橋……か」
久信は続ける。
「私たちは、琉球を日本の中の一州として迎えました。
しかし、それは“日本に染める”ことではありません。
琉球の言葉、文化、風習、祈り――そのすべてを守りながら進む道です。
今日ここで提案します――『琉球文化保護特区』の設立を」
ざわめきが起こる。
久信は手元の資料を示した。
「この制度は、琉球をただの辺境ではなく、日本と清国を繋ぐ“知の交差点”にするものです」
紙には四つの条項が書かれていた。
1. 琉球文化保護特区の設立
琉球州を第一号とし、独自の言語・芸能・礼法を保護対象とする。
2. 多言語教育センターの設置
日本語・琉球語・中国語を教える公立学校を新設し、全国から生徒を受け入れる。
3. 琉球—清国交易の特例枠
清国との伝統交易を、関税調整の上で合法化する。
4. 文化祭祀の保護
旧冊封の儀礼や祭祀を“歴史的文化”として公認する。
「これらは、琉球を“日本の中の異彩”として生かすための政策です」
議場はしばらく静寂に包まれた。
やがて、一人の老人議員が立ち上がった。
「少年よ、琉球の痛みを知って語っているのか」
「はい」
久信は即答した。
「交易が止まり、職を失った人々を見ました。
海岸で泣く母親の姿も見ました。
琉球が誰にも理解されずに苦しんでいたことを、私はこの目で見ました」
老議員は長く黙り、やがてうなずいた。
「……よかろう。お前の言葉、海風よりも真っ直ぐだ」
賛同の声が次々と上がる。
「賛成だ」「琉球の子らに未来を」
木槌が鳴る。
議長「賛成多数により、可決!」
瞬間、会場に拍手が巻き起こった。
久信は小さく息をついた。
隣で義信が肩を叩く。
「よくやったな」
義親が笑う。
「兄ちゃんの琉球語、すごく下手だったけどね」
「……うるさいな」
その夜、琉球王家の別邸で祝宴が開かれた。
燭台の明かりに、金色の琉球舞踊が舞う。
藤村晴人は、静かに杯を手にしていた。
陸奥宗光が言う。
「息子君、立派なものですな。外交官の資質があります」
小村壽太郎も頷く。
「彼の言葉には、政治家にはない“素朴な信頼”がある。それが一番難しい」
藤村は微笑んだ。
「理論で国は動かせても、人の心は動かせない。
あの子は、それを分かっているようです」
窓の外、南風がヤシの葉を揺らす。
遠くで波音が絶え間なく続いていた。
久信は縁側で、海を見つめていた。
義信が隣に座り、問いかける。
「結局、完全な解決にはならなかったんだろ?」
「うん。清国は琉球の日本編入を認めてない」
「じゃあ、成功とは言えない」
久信は首を振った。
「いや、取引は再開した。
琉球の人たちは笑ってた。それで十分」
そのとき、沖の方から花火が上がった。
青と紅が夜空に弾け、海面を照らす。
義親が笑った。
「きっと、あの花火、琉球語で“ありがとう”って言ってるよ」
久信も、ふっと笑った。
「“にふぇーでーびる”……だね」
――その翌週。
清国から正式な書簡が届いた。
「琉球の日本編入は認めぬ。ただし交易は続ける」
陸奥が苦笑した。
「典型的な清国文体だな。半分の承認だ」
藤村は静かに答えた。
「外交とは、半分の承認を積み重ねることだ」
「完全な勝利ではなく、関係を続けること……ですね」
「そうだ。久信の言葉で、少なくとも扉は閉じなかった」
藤村は立ち上がり、窓の外を見た。
白い帆船がゆっくりと那覇港を出ていく。
潮風の中に、紅型の布が翻っている。
――交わされた約束の証のように。
(内心)
この世界では、琉球は争いの火種ではなく、文化の橋として生きる。
異なる言葉を持つことが、弱さではなく強さになる。
藤村は、静かに呟いた。
「次は、蝦夷だな……」
その声を、遠く潮風が運んでいった。