301話:(1881年・大雪)大雪の教育戦争
大雪前の冷えが骨にしみる頃、東山州の州都では雪雲よりも重たい議題が空を覆っていた。会津・米沢・新潟・長野――四つの文化圏が一州に収まる東山州の議会は、教育予算をめぐって真っ二つどころか四つに割れている。会津派は「什の掟」を核にした厳格な徳育を主張し、米沢派は上杉鷹山の系譜に連なる実学・産業教育を押し立てる。新潟派は港湾都市らしく商業・語学・会計の拡充を、長野派は山間の暮らしを支える農政・林業・測量の底上げを――どれももっともだが、州の財布は一つしかない。
予算案は十二パーセントで据え置き。配分表が机上に置かれるたび、会津派は「道徳なくして技能なし」と眉を吊り上げ、米沢派は「技能なき道徳は腹を満たさぬ」と応じ、新潟派は「輸出の言葉がなければ米も売れぬ」と食い下がり、長野派は「土を知らぬ頭は雪崩の下敷きになる」と譲らない。議長の木槌が乾いて響くたび、場は元どおりの混線に戻る。審議は五日に及び、教育行政は事実上の停止に陥った。
行き詰まりのまま、東山州知事は江戸州へ電報を打った。「常陰州の教育制度、調査と助言を請う」。折返しの回答はすぐに届く。「常陰州モデル、視察を受け入れる。藤村邸にて意見交換可」。こうして、東山州の視察団は新宿の藤村邸へ向かうことになった。
甲州街道沿いに広がる藤村家の屋敷は、三万坪の敷地に学舎・蔵・温室・実験棟・書庫が点在し、小さな町のようだ。表門をくぐった視察団は、まず敷地の“静けさ”に足を止めた。外の喧騒が嘘のように薄れ、竹の葉擦れと墨を擂る音だけが耳に残る。案内役の秘書官が客間へ通そうとしたその時、廊下の向こうから紙束を抱えた小柄な影が駆けてきた。
「義親、走るな。角で曲がる時は減速」
柔らかな叱りを受けた少年は、ぱっと顔を上げて会釈した。八歳の義親である。目は疲れを知らぬ硝子玉のように澄んでいるが、その手に抱えた紙はびっしりと数字で埋まっていた。
「失礼しました。東山州の教育統計、少し見せてもらってました」
視察団の一人が思わず笑みを漏らす。
「八つで統計か。かわいいお遊びだな」
義親は首を傾げ、紙束の一枚を差し出した。
「お遊びなら、ここに書いた十二パーセントの内訳を、派閥ごとの要求と重ねる必要はないはずです。けれど現状は、要求の合計が二二・五パーセント相当。だからゼロサムの喧嘩になる。違いますか」
視察団の視線が一瞬で真剣味を帯びる。黒い印の細い棒グラフ、赤い折れ線、余白の小さな注釈――「会津:徳育+規律(単価低・波及長)」「米沢:実学+工匠(単価中・即効)」「新潟:商業+語学(単価中・外貨効果)」「長野:農政+測量(単価中・災害減)」――幼い字面に、完璧ではないが確かに“設計の匂い”がある。
応接に移ると、藤村晴人が静かに出座した。五十七歳、総理の仕事柄か夜目にも強い眼差しで、客人を順に見渡す。
「遠路ご苦労。常陰の制度を見たいとのこと、喜んで開陳する。ただ、今日は一つお願いがある。わたしの話を始める前に、息子に五分だけ時間を」
視察団の間にざわつきが走る。「子供に何が話せる」と顔を見合わせる者もいたが、藤村はそれを受け流すようにうなずいた。義親は小さく深呼吸し、卓上に四枚の紙を横一列に並べた。
「会津の教育は、基礎体力です。規律が教室へ、教室から工場や役所や港へ移ります。米沢の教育は、設計図です。手が動くようになるから、明日の稼ぎになります。新潟の教育は、入口です。外と話す窓口が増えて、売り先が変わります。長野の教育は、足場です。崩れない土台があると、全部の効果が長持ちします」
会津派の長老が鼻を鳴らした。
「言い換えの妙で煙に巻く気か」
義親は首を振り、次の紙を示した。
「違います。争っているのは理念ではなく、配分の順番です。十二を四つで割れば三。三では、全部が『足りない』感覚になる。だから相手を否定して自分の分を増やそうとする。ぼくの提案は、まず“総量”を少し増やして、選べる仕組みに変えることです」
新潟派の若い議員が身を乗り出す。
「総量を増やす? 州の税収は天井だぞ」
義親は屋敷の庭を指し示した。ガラス越しに見える温室の隅で、数人の見習いが植物の札を書き換えている。
「常陰州は教育支出を二十パーセントにしています。いきなりは無理でも、十五までなら届くと思います。理由は二つ。一つは“投資だから”。もう一つは“選択式だから”。一校一様に全部を詰め込むのでなく、地域の特性に合った“モデル”を複数置いて、家庭と子が選べるようにすると、無駄が減ります」
米沢派の重鎮が眉を上げる。
「投資、とな」
義親は紙の端にさらさらと書き足した。
「仮の数字ですけれど――識字と計算が身についた人の生涯の稼ぎは、およそ二倍になります。税が戻るのは二十年先かもしれないけど、戻り始めたらずっと続きます。軍艦は三十年で老いますけど、学んだ人は五十年、六十年と働けます」
会津派の長老が黙った。新潟派は腕を組んで俯き、長野派は窓外の庭を見た。米沢派は、紙の余白に書かれた「測量・治水・林政=災害コスト減」の小さな丸囲みに目を留める。
そこへ藤村が言葉を継いだ。
「常陰では“自由教育特区”を置いた。徳育に重みを置く学校、実学を磨く学校、商業に強い学校、土と向き合う学校――看板を分けて、地域で選んでもらう。揉め事は減り、成果は見えやすくなった。……東山の四派の主張は、どれも正しい。争点は“どれか一つ”に絞るかどうか、だ」
視察団の空気が、はじめて大きく揺れた。会津の長老が低く問う。
「“全部”を掲げれば、何もかもが薄まるのではないか」
「薄めないために、選ぶのだよ」
藤村は静かに応じ、脇の書生へ目配せした。書生が卓上に常陰州の学校配置図を広げる。色分けされた校名の脇に、進学・就職・起業・公務採用の四指標が年次で並び、特区の“偏り”がむしろ成果の輪郭を濃くしているのが分かる。
視察団の誰かが、ふっと笑った。
「なるほど、“勉強しろ”と言うのではなく、“勉強の道を増やす”のか。……話が、ようやく腹に落ちた」
雪の気配を運ぶ風が、縁側の障子をわずかに鳴らした。庭の端では、見習いたちが札を掛け替え終え、温室の灯を落としている。東山州の議場に溜まった氷の塊は、まだ固い。それでも、少しずつ解けはじめる音がした。
応接間に移り、囲炉裏の火がぱちぱちと弾ける音のなかで、視察団の一人がふと問いかけた。
「義親殿、先ほどの話は驚嘆に値する。しかし、あなた自身はどのような教育を受けてきたのですか?」
問いかけは半ば試すようであり、半ば興味からでもあった。
義親は少し考えてから、静かに答えた。
「特別なことはしていません。父から『勉強しろ』と強く言われたことは一度もないんです」
「では、どうやってそのような知識を?」
「ただ――知りたいと思った時には、必ず本がありました。父は“知識帳”を右筆に書き写させて、僕に見せてくれましたし、兄たちも惜しまずに教えてくれました」
視察団の誰かが失笑する。
「子供の好奇心任せとは危ういものだ。規律を欠けば、学問は放埓に流れる」
義親はまっすぐに相手を見返した。
「規律は叱って教えるものではなく、日常で自然に身につきます。父は、嘘をつけば必ず見抜きました。兄たちとの議論では、間違いを突かれればきちんと認めなければ先へ進めません。そうしているうちに、秩序を守ることが“当たり前”になっていったんです」
沈黙の後、米沢派の代表が興味深げに頷いた。
「なるほど……実学のように、環境そのものを教育の場とするわけか」
義親は微笑んだ。
「午前は大学に行って化学の研究を学び、午後は自宅の実験棟で自分の実験をします。夜は兄たちと議論を交わす。父の書庫や温室、庭の作業場、すべてが僕の教室でした」
「八歳で大学に?」
視察団の一人が思わず声を上げた。
「講義を受けているわけではありません。研究者の方々に見学を許していただき、器具の使い方や基礎的な化学反応を教わっているだけです。けれど、それだけで世界がぐっと広がります。僕は兄たちに理論を聞き、父の“知識帳”で裏付けを探し、大学の研究室で現物を見て確かめられる。三つが揃うから、知識が定着するんです」
視察団は言葉を失った。八歳の子供が、机上と現場と議論を往復している――それは、彼らが構想するどんな教育制度よりも完成された姿に見えた。
「……自由に学ばせて、これほど育つのか」
長野派の老人が、雪で濡れた外套の裾を撫でながらぽつりと漏らした。
藤村晴人が口を開いた。
「教育とは押しつけではない。子が知りたいと思った時に、学べる環境を整えてやること。それが常陰州の基本だ」
さらに義親は補足した。
「僕は農業の実習もやりました。新宿の屋敷の畑で、土を耕して苗を植える。そこから分かったんです。教科書に書いてある“収量”と、実際の収穫量は必ずしも一致しない。病害虫や天候があるから。こういう“誤差”を体で知っていると、机で計算するときも数字をうのみにせず、常に疑問を持てるようになります」
「……それは道徳の根幹にも通じるな」
会津派の重鎮が、腕を組んで低く呟いた。
「嘘をつかぬこと、誤りを認めること、そして労を惜しまぬこと。什の掟に書かれているが、学問の場でも通じるとは」
応接間の空気は、わずかに和らいだ。
会津派、米沢派、新潟派、長野派の代表たちは、再び互いを睨み合った。
囲炉裏の火がぱちりと爆ぜ、重苦しい空気を照らす。
「道徳を抜きに教育を語るなど狂気の沙汰だ!」
会津派の老人が声を荒らげる。
「いや、実学こそが人を救う。机上の空論では国は立たぬ!」
米沢派が反論し、机を叩いた。
「港湾都市を抱える新潟はどうだ! 商業教育なくして経済の未来はない!」
「農業を軽んじれば、民は飢える!」
議論は堂々巡りとなり、互いの言葉は相手に届かず、ただ激しくぶつかり合うばかりであった。
その時、静かに義親が口を開いた。
「どうして、どれか一つを選ばなければならないんですか?」
場が凍りついた。誰も、八歳の子供が議論に割って入るとは思っていなかった。
義親は怯むことなく、淡々と続けた。
「会津の道徳も、米沢の実学も、新潟の商業も、長野の農業も、全部大事だと思います。どれかを捨てる理由なんて、どこにあるんですか?」
一同はしばし言葉を失い、互いの顔を見合わせた。
義親は、紙と墨を取り、さらさらと計算を書き始める。
「これは教育理念の対立ではありません。予算の取り合いです。東山州の教育予算は州税の十二パーセント。でも常陰州は二十パーセント。比べてみれば一目瞭然です」
代表たちが身を乗り出す。
「もし予算を十五パーセントに増やせば、四派閥すべてに配分できる。増税ではなく、無駄な出費を抑えて回せばいい。軍備や役所の贅沢を減らせば、三パーセントくらいすぐに出せます」
米沢派が苦笑する。
「八歳が財政を語るとはな……」
だが義親は真剣そのものであった。
「教育を受けた人は、二十年後に必ず州の税収を増やします。僕は兄から聞きました。米沢の改革は、短期の節約より長期の投資で町を立て直したって」
会津派が反論する。
「だが、子供に選ばせれば、道徳を捨てて楽な道に走るのではないか?」
義親は首を振った。
「それは信じていない証拠です。子供は、思っているよりずっと真剣に考えます。僕だってそうです。会津の“什の掟”を兄から学びました。嘘をつかないこと、卑怯をしないこと。それがあったから、僕は実験で失敗しても必ず正直に記録するようになった。道徳があるから、実学が正しくなるんです」
今度は新潟派が口を挟む。
「しかし商業教育は……」
「商業だって、農業だって、全部一緒に進めればいい。なぜなら、子供は選べるからです」
義親の声は澄んでいた。
「会津の子供は道徳教育を受けたいなら受ければいい。米沢では実学を。新潟では商業を。長野では農業を。それぞれが誇りを持って、自分の道を選べるようにすればいいんです。大人が押しつける必要なんてありません」
代表たちは再び黙り込んだ。だが今度の沈黙は、怒りや呆れではなかった。八歳の論理が、大人たちの胸を静かに揺さぶっていた。
数日後、東山州議会の大広間。
吹雪に閉ざされた外とは対照的に、内部は熱気に包まれていた。
壇上に立つのは藤村晴人。
総理である彼は、分厚い紙束を手に、ゆっくりと語り始めた。
「かつて、資源の乏しい島国があった。だが識字率は九十九パーセントを超え、人材の力だけで大国と渡り合った。教育こそが未来をつくる。私はそう確信している」
議場がざわめく。
「軍艦は三十年で老朽化する。だが教育を受けた人材は、五十年、六十年と国を支える。どちらが真の投資か、諸君はすでに答えを知っているはずだ」
藤村は各派閥を順に見渡した。
「会津の道徳教育は人間の根を育む。米沢の実学は改革の血を受け継ぐ。新潟の商業教育は経済を動かし、長野の農業教育は国を養う。――どれか一つではない。全部が必要なのだ」
その言葉は、氷のように固まっていた議員たちの心を、少しずつ解かしていった。
議場の中央に置かれた票箱へ、次々と票が投じられていく。
結果は――
「賛成六十五、反対二十五、棄権十」
議長の声が響く。
「よって、教育予算を十二パーセントから十五パーセントへ増額。段階的に十八パーセントを目標とし、四派閥それぞれの教育方針を認める。さらに、常陰州式“自由教育特区”を試験的に設置する――可決!」
場内がどよめきに包まれる。完全な勝利ではない。だが、大雪の中で東山州は一歩を踏み出したのだ。
その後、視察団の代表たちが藤村邸を訪れ、義親に深々と頭を下げた。
「義親殿、八歳のあなたが、この膠着を動かした」
義親は小さく首を振った。
「僕は解決したんじゃありません。ただ、みんな正しいって言っただけです」
会津派の老人が苦笑する。
「だが、それこそが解決だったのかもしれぬ」
義信と久信も駆けつけ、弟の肩を叩いた。
義信「教育政策まで動かすとはな」
久信「僕が会議で挫折した時、義親が助けてくれた」
義親は照れ笑いを浮かべた。
「僕だって、二人から教わったから。会津の誇りも、米沢の精神も、全部」
父・藤村は静かに目を細めた。
(義親は“正解”を示したのではない。“多様性”を示したのだ。それこそ、私が教えたかったこと)
外では雪が降り続いていた。
しかし、東山州の教育に、新しい春の兆しが芽吹き始めていた。