表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

311/375

278話:(1880年2月/立春)立春の鎌倉静養

立春の朝、官邸の庭に置かれた枯山水の白砂が、薄氷のひび割れを映していた。松の梢を渡る風はまだ鋭く、煤払いの梯子が裏門に立てかけられたまま、寒さにきしむ。文机の上には、電報の薄紙が幾枚も重なり、朱の傍線がところどころで滲んでいる。藤村は筆を置き、茶碗を持ち上げたが、湯気の向こうで指先がわずかに震えた。


 北里柴三郎は黙って立ち上がり、袖口から手首を取り、脈を二度、間を置いて三度確かめた。掌の皮膚の乾き、目の下の影、夜更けの墨の匂いの濃さ――すべてが一つの答えに収束していく。彼は診療録に冷静な字で書きつけ、顔を上げた。


 「脈は常より二十速い。眠りは浅く、夜明け前に必ず覚醒しておられる。体重は三旬で二斤落ちました。茶碗を持つ手に微細な振戦。……これ以上は、国が総理を失う危険があります」


 室内の空気が固まった。慶篤は膝を正し、大久保利通は髭に触れた指を止めた。後藤新平は帳簿の角を整え、陸奥宗光は万年筆の蓋を閉じた。藤村は短く息を吐き、障子越しの白い光を見た。


 「分かった。鎌倉の別邸で静養しよう。三か月、できれば半年。政務は慶篤に託す」


 言葉が落ちるまでの沈黙に、家族の気配が滲んだ。障子の陰で、義信が一歩だけ近づきかけ、踏みとどまる。久信は視線を落とし、両手を重ねる。義親は息を呑み、湯呑の湯気を目で追った。北里は小さく頭を垂れ、医師団の指示書を差し出す。


 「完全静養の条件を書きました。来客は日に一度、電報の閲覧は午前と夕刻に限る。読書は一日二刻まで、散歩は浜まで往復二町。食は薄味、睡眠は子の刻に就寝、寅の刻までの連続睡眠を確保――これが守られねば、私どもは鎌倉の門を閉ざします」


 大久保が口を開いた。「体制は私と慶篤で支える。正印は鎌倉へ。同副印は官邸に留める。電報の要件は甲・乙・丙に仕分け、甲のみ日に一度鎌倉へ。緊急は慶篤が即断、追って承認。印璽簿は両所で照合する」


 慶篤が深く頷く。「日常政務は私が全件代行します。重要案件は鎌倉でご相談を。各地域の総督には権限を広く委ね、官邸は調整に徹します」


 藤村は微笑をつくり、三兄弟に目をやった。「お前たちは、私を忘れさせること――それが仕事だ」


 出立の日、別邸行きの馬車が玄関前に据えられた。冬の光が薄く差し、門松の青が凍てついている。書記官が封緘した包みを慶篤に渡し、陸奥が電信室の鍵を受け取る。大久保は短く「頼む」とだけ言って踵を返し、裏庭を抜けて官邸の金庫へ向かった。印璽の移動は最小の人員で、静かに。


 鎌倉への道は、裸木の影を連ねて続いた。切通しの岩肌は冷気を吸い、馬の吐息は白い霧になって後方に流れた。鶴岡八幡宮の石段を横目に、別邸の門をくぐると、潮の匂いが低く満ちている。松の枝越しに冬の白い日が差し、砂の上を烏が二羽、慎重に歩いた。


 「ここでは、国の音を忘れなさい」北里が穏やかに告げる。


 療養の初日、藤村は戸口で草履の鼻緒をつまみ、一歩だけ庭に踏み出した。海からの冷気が胸の奥でほどけ、硬く縮んでいたものが静かに緩むのを感じる。座敷に戻ると、義信が敷かれた座卓の端に小さな紙片を重ねていた。看護の時間割、散歩の距離、来客の制限、電報の受け渡し――すべてが簡潔に書かれている。


 「父上が安心して休めるよう、動線を作りました。来客は北の縁から、電報は南の縁です。書物はこの棚の列で、一日二冊まで」

 少年らしからぬ実務の匂いに、藤村は目を細めた。


 午後、久信が湯気立つ白湯を盆に載せて入ってくる。「海の音を聞きに行きましょう。話は私がしますから、父上は頷くだけで」

 浜に下りると、波は低く寄せ、砂は冷たく締まっていた。久信は他愛ない話題――鎌倉の店のこと、松の形、烏の歩き方――を選んで語り、父の眉間の皺を少しずつほどいていく。戻る道すがら、「東京のことは気にしないでください」とだけ添えた。言葉に力はない、けれど揺るぎがない。


 夕餉の支度のころ、義親が台所に立っていた。小さな手で海藻を洗い、根菜の皮をむく。北里が「塩は少なめに」と言えば、少年は「じゃあ昆布で旨味を足す」と答える。食卓に並んだ汁は温かく、喉を滑ると胸の奥の冷えが和らいだ。義親は満足げに頷いた。「お父さんが元気になる研究、ここでもできるよ」


 夜、暖炉の火が小さくはぜる。藤村は本を開き、頁を数える指に意識を向けた。茶碗を持つ手は、朝ほど震えない。北里が脈を取り、「よろしい」と一言。南の縁を風が走り、簾がわずかに揺れた。


 そのころ、東京では体制が回り始めていた。官邸の電信室は要件を甲・乙・丙に仕分け、甲のみを夕刻の便で鎌倉へ送る。印璽簿は毎夕、官邸と鎌倉とで照合され、誤差はゼロで記録された。慶篤は日々の決裁を淡々と進め、緊急の案件――小規模な関税紛争、港での通関遅延――は即断して納めていく。大久保は時に短い書き付けを送った。「人事の火種、小。鎮火済み」「在京公使、動向静」。過度な言葉はないが、背後の緊張を確かに伝える。


 各地からは祈りが届いた。満州では氷上に松を立て、長老が塩を振った。朝鮮では市庁前に寄せ書きが掲げられ、墨の匂いが冷たい風に混じった。台湾では竹灯籠が夜道を照らし、琉球では浜辺に篝火が焚かれ、祈り歌が波に乗った。いずれの声も、鎌倉の座敷に座る一人の人間に向けられている。


 三日、七日、十日――回復の指標は静かに積み上がった。脈は整い、睡眠は深く、朝の散歩は二町から三町へ、やがて浜の岩場まで伸びた。読書は二刻を守り、夕餉の量は少しずつ増えた。来客の制限は厳しく、閣僚の面会は日に一人、十五分。北里の視線は厳しかったが、藤村は従った。


 ある夕暮れ、門の内側で三兄弟が肩を並べて夕日を見ていた。義信は看護表の余白に小さな印を押し、久信は話題のメモを畳んで懐にしまい、義親は海藻の新しい煎り方を考えていた。藤村はその背を見て、胸のどこか柔らかな場所が、確かな温度を取り戻しているのを知った。


 「この国は、一人で担ぐものではない」

 独りごちた声は、潮騒に紛れて誰にも届かない。だが、庭の松だけは枝を揺らして応えたように見えた。翌朝、藤村は北里に言った。「四月から、書面で軽い政務に戻す。五月には週三日、上京を。六月には全体を復す。……だが、印璽の運用と権限の配分は、このままの工夫を残そう」


 北里は短く頷き、脈を取った。「茶碗の手、震えませんね」

 藤村は笑った。「家族と過ごす時間が、何よりの薬だった」


 立春の冷たい日差しが座敷に満ちた。鎌倉の海はまだ冬色だが、波の裾には微かに春の光が宿っていた。藤村の呼吸は深く、歩幅は一歩ぶんだけ大きくなっていた。

鎌倉への出立から二日。東京では、代行の歯車が音を立てずに嚙み合いはじめていた。官邸の金庫前で、慶篤は印璽簿を開き、書記官に静かに告げる。


 「正印は鎌倉で使用する。こちらは副印で日常決裁を滞らせぬこと。電報は甲・乙・丙に仕分け、甲のみ夕刻に鎌倉へ送る。乙は二日に一度、丙は週報に織り込め」


 仕分け台では、薄紙の電報が素早く並べ替えられた。甲――関税の一時的滞留、在京公使の意見照会、満州からの入札規程改定案。乙――学校教員の増員要望、鉄道工区の資材不足。丙――各地の祭礼日程、夜学の受講者増。仕分けが終わるたび、慶篤は端的な朱書きを添える。「鎌倉諮問」「代行承認」「現地裁量」。机に積まれた綴りの角は整い、日取りの札が一枚ずつ裏返る。


 大久保利通は扉の影から短い言葉だけを残す。


 「印璽の照合は毎夕。副印押捺の通帳は写しを鎌倉へ。――それでよい」


 そして踵を返すと、内閣書記室の机ごと人間を並べ直した。決裁の滞る節を見抜く目は鋭いが、言葉は節約されている。人の動線を変えると、紙の滞りも嘘のように消える。大久保は慶篤の耳元にだけ低く囁いた。


 「代行は“代わり”ではない。自分の業として進めよ。後で総理に礼を返す」


 陸奥宗光は外務電信の鍵束を指に絡め、在京公使の動きを箇条書きにした。「静観」「探り」「祝意」「牽制」。新聞社の社説見出しを数枚切り抜き、「静養中の国政」についての論調を並べる。彼は窓へ一歩寄り、冬光を背に言う。


 「在京の目は冷たく、ただし公平だ。こちらの動きが滞らなければ、二週間で紙面は飽きる。――詰めるのは最初の十日」


 役所の廊下を、書記官の靴音が規則正しく駆け抜ける。印影の乾く匂い、電信室の火花と油の匂い、茶の湯気の薄さ――官邸は、総理不在をむしろ音と匂いで埋めていた。


 満州総督府からは、電報に続けて厚い包みが届いた。河井継之助の筆になる「配分公開の手引き」である。市場中央の掲示板に、仕入原価・手数料の上限・卸の顔を毎朝掲げる手順が、時刻まで細かく記されている。手引きの最後に一文だけ、河井は自嘲気味に記す。


 「数字はぬくもりに負けることが多い。ゆえに数字に、人の名を添える」


 慶篤は朱で「実施」と書き、三大財閥の代表に同一様式の導入を求める書状を出した。返信は驚くほど早かった。「賛同」。つい先日まで威勢よく数字だけで語っていた商人たちが、今は名を晒すことの利を感じ始めている。


 朝鮮からは、西郷隆盛の手書きが届いた。紙面の余白に、円を並べた図が描かれている。世代間対話の座席配置だ。長老と若者を交互に座らせ、真ん中に火鉢、壁際に湯呑の盆。「まずは黙って三十分、相手の話だけを聞く」。西郷らしい簡潔な指示に、現地の役人は目を丸くし、やがて頷いた。


 台湾の多民族協議所では、土地権の「護りの基金」が設計された。市場の収益の一定割合を自動で聖域維持に回し、勘定は壁に貼る。基金の名は、原の言葉、漢の言葉、客家の言葉で三枚並んだ。後藤新平は小さく笑って書き添える。


 「線は争いの印にも護りの印にもなる。意味を変えれば、心は追う」


 琉球では、掲示板の前に人だかりができた。王の冊印と若者代表の署名が並んだ布告が張り出され、袖章をつけた港務員が誇らしげに胸を張る。若者の頬に、初めて「自分たちの時代の印」が触れた。官邸に戻ってきた報告書に、慶篤は朱で「継続」と記した。


 各地の電報は、鎌倉へも滞りなく届く。別邸の応接間には、午前と夕刻に一度ずつ封が運ばれ、北里の監督のもとで藤村が目を通す。甲の電報のみ、短い朱書きが戻る。「承認」「再検討」「委任」。細密な統御ではない、枠と呼吸だけを押さえる決裁だ。決裁の返送を見届けると、北里が静かに紙束を片づける。「今日はここまでです」。藤村は笑って頷く。


 ただ、順風だけではない。野党の論客が国会の廊下で皮肉を飛ばす。「総理不在の国政は危なっかしい」――翌日の夕刊に小さな見出しが載る。外務省の前では外国紙の特派員が「静養の真相」を探る。陸奥は対応を迷わない。特派員を小さな記者会見室に招き、北里の診断書の概要と代行体制の詳細を配る。「正印・副印の運用」「電報の仕分け」「緊急対応の手順」。透明な説明は、余計な憶測を削った。


 また、官邸の裏手で小さな摩擦が起こる。ある局長が「総理不在を口実に」部内の権限を握ろうとしたのだ。気づいた大久保は呼び出し、一行だけ言う。


 「この時期に器を大きく見せた者が、あとで器を割る」


 それで十分だった。局長は翌日から淡々と自席に戻り、紙は滞りなく流れた。


 夜の官邸。印璽簿の照合が終わり、電信の火花が眠りにつくころ、慶篤は灯りを落とした廊下を一人で歩く。唐木の手すりに手を置き、息を整える。責任の重さは、静けさの中でこそ増す。それでも彼は歩みを止めなかった。襟元に冬の冷気が入り、視界が澄む。彼は小声で呟く。


 「総理、安心してお休みください」


 鎌倉。別邸の座敷では、三兄弟が寝静まった後、藤村が布団から上半身を起こし、襖越しの海鳴りに耳を澄ませていた。茶碗を持つ手はもう震えず、呼吸は深い。庭先で、義信が明朝の看護表に小さな印を押す。久信は翌日の散歩の話題を二つ書き留める。義親は海藻と根菜の献立に星印を付ける。


 東京と鎌倉の間を、目に見えない糸がぴんと張った。糸は一本ではない。印璽簿、電報、掲示板、円座、基金、署名――数えきれない細糸が、国の呼吸を支えている。静養の三週間目、官邸の中庭で梅の蕾が細く開いた。庭番が「今年は早い」と呟く。慶篤は一瞬だけ立ち止まり、その色を確かめた。


 「あと少しで、春だ」


 その言葉は誰にも聞かれなかったが、官邸の空気はわずかに温み、鎌倉の海風も穏やかになった。藤村の回復は指標で示され、代行体制は音を立てずに回り続ける。国はゆっくりと、しかし確かに、立春から春へ歩を進めていた。

潮は引き、濡れた砂の筋が朝の光を細長く返していた。別邸の縁先で、義信は膝に小さな札入れを置き、筆の穂先を細く立てる。看護表の余白に、昨夜思いついた改良を一つ、また一つ。散歩の道順、来客の導線、電報の置き場所。玄関から座敷までの動きに「間」を作るため、花を一輪置く位置まで印をつける。足音が続くと心が落ち着かない――北里に教わった言葉を自分の手の言葉に直し、表の片隅に小さく「間」と書いた。


 筆を置くと、義信は庭の松を迂回し、切通しの手前で立ち止まる。冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、思考の糸をたぐる。紙の上ではなく、頭の中の地図に線を引く稽古だ。線は進軍路ではない。来客の動き、看護の呼吸、父の眠りの波――それらの「流れ」を重ね合わせ、最も静かで、最も短い道を探す。千葉の稽古で身についた「間合い」の感覚が、ここでも役に立つのだと知るたび、身体の芯が少し温かくなる。


 座敷に戻ると、父はまだ眠っていた。襖の隙間から差す光が枕元の白い紙に柔らかく広がり、茶碗の湯気は細く立つだけ。義信は来客簿を確認し、北里に目配せする。医師は軽く頷き、「午前は読書二刻、来客は一名十五分」と囁いた。義信はその場で札を裏返し、南の縁に誰にも気づかれないように立てかけた。


 日が昇りきる前、久信が湯気の立つ白湯を盆に載せてやって来た。座布団を父の背に少しだけ差し入れ、力の入り過ぎない姿勢に整えると、取り留めのない話を選んで口に運ぶ。庭の烏が松ぼっくりを落としたこと。浜で見つけた黄色い貝殻の筋が、昨日のものより一本多かったこと。言葉が枯れないのは、前夜に話題の札を三つ準備しているからだ。一つは自然、一つは昔話、一つは他愛のない噂。体調によってどれを差し出すかを選ぶ。それだけで、父の眉間の皺が一筋薄くなる。


 午後は浜へ。手を貸して立ち上がる父の歩幅に合わせ、砂の上に残る足跡の間隔を見守る。昨日より半寸広い。久信はその違いに気づくと、声に出さずに嬉しくなる。浜の小屋の前で漁師と交わす会釈にも、心の支えが含まれているのを知っている。「総理がここにいる」とどこかの誰かが思えば、知らぬうちに国は背筋を伸ばす。そんなことさえ、今の久信には体でわかる。


 帰る道すがら、彼は切通しの陰に隠すように置いてある木桶を指さした。「ここで一息いれましょう」。桶の中には薄く温めた白湯。ふと、父が口を開いた。「東京はどうだ」。久信は間を置かず、用意してきた一文をそっと差し出す。「進むべきものだけが進んでいます」。それ以上は語らない。知っていることは多いが、今は胸にしまう。その抑えが「支え」になることを、彼は学び始めていた。


 義親は昼過ぎ、台所で真剣な顔をしていた。海藻を短く切り、根菜を薄く削る。北里に言われた“塩は少なめに”を頭の真ん中に置き、昆布と干し椎茸で出汁を引く。鍋の縁で泡が小さく弾ける音が、彼には音符のように聞こえる。「今は弱火、もう少しで“おいしい”になる」。味見をすると、眉がすこし上がり、口元がゆるむ。足元では、紙に描きつけた「海藻図鑑」が一枚増える。浜で拾った貝殻の断面、松の樹皮の模様、庭の苔の触り心地――六歳のノートは、研究書というより詩集のようだが、北里はいつも真剣にページをめくる。「これは立派な観察記録だよ」と言って、日付と天気を書き加える手つきがやさしい。


 午後の二刻、義親の「実験時間」になる。庭の隅で、布に薄く煎じ液を塗り、干し台にかける。防虫効果がどれほど続くか、日ごとに印をつける。井戸水に米ぬかをひとつまみ落とし、布で濾してから煮立てると、透明度がどれだけ上がるかを目で確かめる。義親は結果が出ると、走って座敷へ駆けこんで報告する。「お父さん、今日の水はもっときれいだよ」。それを聞いて父が笑うと、世界全体が明るくなった気がする。


 夕方、鎌倉の町から戻った久信が、海辺で拾った小さな石を二つ、文机に置いた。「これは東京新聞の社説に載っていた新しい言葉の“重さ”と同じくらいです」と冗談めかして言い、父の肩を軽く叩く。実のところ、彼は陸奥から預かった外国紙の切り抜きをそっと懐にしまっており、夜、北里の許しが出た時間だけ父と目を通す。「静養の真相」を探る記事に揶揄もあるが、慶篤の説明が効いているのか、次第に論調は沈静化しつつある。父と目を合わせた瞬間、二人が同じ箇所で同じ呼吸をしたのが、義信にははっきりわかった。


 夜の稽古は短い。千葉栄次郎がふらりと現れ、縁側で三兄弟に竹刀の握りだけを見せる。「今日は握りだけだ」。義信の握りは強すぎず、弱すぎず。久信は最初の一押しに迷いが出る。「迷いは悪ではない」と千葉は言い、迷いの先を見てから一歩出すよう教える。義親は竹刀がまだ重いが、手の位置は日々下がり、肘の角度は自然になってきた。「剣は斬らぬ術。役に立つものの重さを測る手だ」と千葉は言い残し、音もなく帰っていく。


 夜半、障子の外で潮の音が大きくなる。藤村は布団の中で、茶碗を持つ手をそっと空に上げてみる。震えは、もうない。北里の脈取りは、二度だけで終わる。「よく眠れている証しです」。北里が微笑むと、座敷の空気が少しだけ柔らかくなる。


 東京の官邸では、灯りが遅くまで消えない。慶篤は電信室から戻ると、廊下の手すりに掌を置いて息を整える。その手の下で木が温もりを返すのに気づいて、そっと指を離す。彼は日誌に短い一行を書き足す。「遅延なし」。大久保は人の配置を一目で見直し、混むべきところに人を置き、空くべきところの紙を減らす。陸奥は特派員に「見に来なさい」と言って小さな会見室を開き、説明を続ける。余計な隠し立てはしないが、飾らない。説明の透明さが、市井の不安を徐々に薄めていく。


 各地の祈りは、夜ごと形を変えて届いた。満州の氷上の太鼓、朝鮮の町角の合唱、台湾の山道の竹灯籠、琉球の浜の祈り歌。義親はそれを絵に描き、久信は短い言葉を添え、義信は看護表の余白に印を押す。三人の小さな動作が、父の呼吸を深くし、また一日を支える。


 立春の月は痩せているが、夜の庭は透き通って見えた。藤村は最後の白湯を一口飲み、杯を置いた。音はしなかった。茶碗の底が畳に触れる瞬間、手に力が入りすぎていないことに自分で気づき、微かに笑う。廊下の向こうで、三兄弟が寝息を揃えた。潮騒は変わらぬ音で続き、松の梢は風にかすかに鳴った。


 「四月から、戻る」

 誰にともなく、藤村は呟いた。声は低いが、揺れはない。静養の家の空気がその言葉を受け止め、海へと運んだ気がした。翌朝、梅の蕾が一つ、音もなくはじけた。

潮の香りが柔らかく庭に満ちる頃、藤村は縁側に腰を下ろし、三兄弟の笑い声に耳を澄ませていた。義信は机に広げた帳面を整え、看護表の余白に小さな朱印を押す。久信は浜辺で拾った貝殻を見せ、父の顔色をうかがいながら明るい話題を差し出す。義親は湯気の立つ椀を両手で支え、「今日はお父さんが一番元気になる汁を作ったよ」と胸を張った。


 北里が脈を測り、静かに頷いた。「呼吸は深く、睡眠も整ってきました。三月を越えれば、軽い執務なら再開できます」。その言葉に座敷の空気が和らぎ、藤村は深い息を吐いた。政務を忘れ、ただ家族と過ごす時間が薬であることを、ようやく実感していた。


 一方、東京では慶篤の代行体制が安定していた。毎夕の印璽簿の照合は誤差なく、電報の仕分けも滞りはなかった。官邸の書記官たちは「鎌倉の静養があるからこそ、自分たちも一層引き締まる」と語り、各省の役人も迅速に動いた。野党や外国紙は静養中の国政に疑念を向けたが、陸奥宗光が淡々と説明を続け、透明な体制が不安を打ち消した。


 各地域からも祈りが続いた。満州では氷上に松を立てて長老が塩を振り、朝鮮では市庁前に寄せ書きが掲げられた。台湾の山道には竹灯籠が並び、琉球では浜辺に篝火が焚かれ、祈り歌が夜空を渡った。電報に添えられた言葉はどれも「回復を待つ」という素朴な願いだった。


 そして三か月が経とうとする頃、藤村は庭に咲いた梅を見上げながら口にした。「四月から、軽い政務に戻ろう。五月には東京へ、六月には完全に復する」。北里は短く「よろしい」と答え、義信は看護表の新しい欄に赤い丸をつけた。久信は「では、その時は私が初めての公務のお供をします」と笑い、義親は「新しい薬を持って行くね」と声を弾ませた。


 鎌倉の海風はまだ冷たかったが、春の気配は確かに漂い始めていた。静養の日々は、ただ体を癒すだけでなく、家族と体制の絆を深め、次の時代に向けての力を静かに養っていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ