277話:(1880年1月/新春)新春の世界的試練
明治十三年、新春。各地で門松が片付けられぬうちから、ロンドンでは不穏な空気が漂っていた。テムズ川の水面には冬の霧が厚く垂れこめ、国会議事堂の尖塔は半ば雲に隠れていた。石畳の上を馬車が列をなし、国際会議場の玄関には燕尾服の列強代表たちが続々と到着していた。
イギリス首相は開会の言葉で遠慮を見せなかった。
「紳士諸君。日本が世界五大強国に値するか、我々は厳格に試験せねばならぬ。急激な台頭を許すことは、秩序の崩壊を意味する」
その声音は冷ややかで、議場に漂う暖炉の熱気を吹き飛ばすようだった。フランスの代表は腕を組み、ドイツの使節は書簡を机に叩きつける。アメリカの特使は眉をひそめ、ロシアの代表は口元に薄い笑みを浮かべた。すべての視線が、日本に注がれていた。
やがて一通の電報が東京へと届いた。
「一か月以内にロンドンにて『国際実力査定会議』を開催す。日本は必ず代表を派遣せよ」
官邸の執務室で藤村は文面を見つめ、しばし黙した。冬の日差しが障子越しに差し込み、文机の上の白い紙面を鋭く照らしていた。慶篤副総理は険しい表情で呟いた。
「欧米は、我らの成功を認めつつも、その根を試すつもりだ」
大久保利通は深いため息をつき、髭を撫でた。
「表面では承認したが、まだ信じてはおらぬ。試練という名の査問だろう」
後藤新平は帳簿を閉じ、冷静に付け加える。
「経済、外交、軍事。三つの局面で揺さぶるつもりです。数字だけでは測れない、人心と組織の結束が問われましょう」
藤村はようやく筆を置き、微かに笑んだ。
「よかろう。彼らが我らを試すなら、こちらもまた彼らの成熟を測らせてもらう。試験官とて、子ども同然であることを示す時が来た」
その言葉に室内の空気が変わった。重苦しさの中に鋭い光が差し込み、誰もが背筋を伸ばした。外では新春の風が庭木を揺らし、凍てつく空気の奥から、かすかな梅の香りが漂い始めていた。
こうして、新しい年は日本にとって最大の試練とともに幕を開けた。世界は、日本が真に五大強国たり得るのかを見極めようとしていた。だが藤村の胸には確信があった――この試練を越えた先に、世界を導く責任と未来があることを。
ロンドンの国際会議場。重厚なシャンデリアの下で、各国代表が一斉に日本へ向けた「試験」の内容を読み上げていった。そこには容赦という言葉はなく、むしろ日本を躓かせようとする周到な罠が練り込まれていた。
最初に提示されたのは経済の試練だった。英国の財務官が立ち上がり、冷淡に告げる。
「第一の試練は経済危機対応能力。欧州金融界は日本関連投資を一斉に引き上げる。アジアの貿易ルートも封鎖し、資源価格を操作する。さらに通貨攻撃を仕掛け、国際市場からの排除圧力をかける。我らが問いたいのは、日本が自力で経済を守れるかどうかだ」
会場の空気が揺らぎ、各国の金融関係者が冷笑を浮かべる。これは単なる試験ではなく、露骨な経済戦争であった。
次に立ち上がったのはフランス外相だ。彼は長い書簡を机に置き、声を張った。
「第二の試練は外交。複数の問題を同時に突きつけ、日本の調停力を査定する。清国は満州の権益を要求する。ロシアは北方領土の問題を蒸し返す。欧州は東南アジアへの進出を口実に干渉する。さらに朝鮮の独立を国際議題とし、琉球の地位も論争の俎上に載せる。――さあ、日本よ。いかに調停し、衝突を避けるのか」
列席者の間から小さなざわめきが広がる。これは外交的包囲網に等しかった。
最後にドイツの軍務卿が立った。低い声が会場を震わせる。
「第三の試練は軍事。イギリス・フランス・ドイツ三国の連合艦隊を日本近海に派遣し、威圧的な演習を行う。日本がそれをどう受け止め、どう対応するか。我らが見るのは、軍事力を誇示するのではなく、平和の名に値する判断力があるかどうかだ」
その言葉と同時に、軍服の肩章が灯りに反射し、圧力が視覚化されたかのようだった。
この三つの試練を前に、日本代表団の背後に緊張が走る。慶篤副総理は眉をひそめ、「これは試験ではなく挑戦状だ」と囁いた。大久保利通は顎に手を当て、「彼らは我らを屈服させようとしている。だが逆に、これは真の強国の証明の場にもなる」と冷静に言った。
藤村は席を正し、静かに目を閉じた。会場のざわめきが遠のき、頭の中に浮かんだのは三人の息子の顔だった。義信の冷静な軍略、久信の柔らかな外交感覚、義親の無垢な科学的発想。――彼らならば、この三重の試練を越えられる。
藤村は口を開いた。
「よかろう。日本はこの試練を受ける。しかし忘れるな。試されるのは我らだけではない。世界が成熟しているかどうかも同時に問われているのだ」
その言葉に、一瞬会場の空気が張りつめた。日本は挑発に怯まず、真正面から立ち向かう覚悟を示したのであった。
東京。まだ正月飾りの門松が残る官邸の庭先を、冷たい北風が吹き抜けていた。冬の空は澄んでいたが、空気はどこか張りつめていた。ロンドンからの急報を受けて、藤村はすぐに「緊急対策本部」を設置した。白壁の大広間には畳が外され、代わりに長机が四方に並べられている。その中央に大きな世界地図が広げられ、赤と青のピンが突き立てられていた。
集まったのは慶篤副総理、大久保利通、河井継之助、黒田清隆、清水昭武、後藤新平、陸奥宗光、北里柴三郎、福沢諭吉、大村益次郎ら、錚々たる顔ぶれだった。彼らは正月気分を一夜にして脱ぎ捨て、冷厳な戦略家の面持ちで机に着いた。
そしてその場には、まだ幼さの残る三兄弟もいた。義信は十三歳、久信は十二歳、義親は六歳。しかし彼らはすでに、国家の未来を託された存在として、その場にいることが当然とされていた。
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最初に口を開いたのは、大久保利通だった。
「欧米が仕掛ける三つの試練は、我らを挫くために練りに練られた。経済、外交、軍事……一つでも誤れば、築き上げた帝国の信頼は瓦解する。藤村様、どうお考えですか」
藤村は机上の文書を手に取り、深く息を吐いた。
「これは単なる圧迫ではない。世界が我らに『成熟』を求めているのだ。だからこそ、この試練は三兄弟に任せる。彼らは未来の日本を象徴する存在。十三歳、十二歳、六歳という若さでこそ、世界に新しい風を吹き込める」
場内に小さなどよめきが走る。だが誰も異を唱えなかった。彼らがすでに数々の局面で力を示したことを、全員が知っていたからだ。
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まず義信が前に進み出て、地図の太平洋上に並んだ赤い艦隊マークを見つめた。
「軍事の試練は私に任せてください。欧米の連合艦隊が日本近海に集結するとの報。彼らは挑発を望んでいる。しかし、挑発に乗ってはならない。真の強さとは、怒りを制御することです」
義信は黒板にチョークで五つの方針を書き出した。
一、防衛態勢を各地で強化する。ただし攻撃的配置は避ける。
二、連合艦隊に対しては礼を失せず、規律をもって応じる。
三、軍旗や砲を誇示するのではなく、兵の生活と規律を整える。
四、現地住民の安全を最優先に守る。
五、常に平和的解決の意思を示す。
その文字は幼さを残した筆跡でありながら、力強く大人の心を打った。大村益次郎が口元を緩め、「十三にしてここまでか……」と低く呟いた。
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続いて久信が前へ出る。彼は分厚い外交文書の束を胸に抱き、机に置いた。
「外交の試練、つまり複数の同時危機は、私にお任せください。清国、ロシア、欧米、朝鮮、琉球――五つの課題を同時に投げ込むのは、我々を混乱させるためです。しかし、これを逆に協力の場へと変えてみせます」
彼は五つの課題をそれぞれ矢印で結び、共通の円を描いた。
「清国とは満州の互恵協定を。ロシアには北方の境界を巡って共同漁業権を提案。欧米には東南アジアでの共同開発を。朝鮮の独立問題は、我々が国際的に後ろ盾となることで安定させる。琉球は独自文化の尊重を条件に日本との結束を示す」
彼は声を張り上げた。
「つまり、彼らが“危機”と呼ぶものは、我らにとって協力の種なのです!」
その言葉に陸奥宗光が目を見張り、「まさに外交の本質を突いている」と頷いた。
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最後に義親が立ち上がった。六歳の小さな体は机に隠れそうだったが、その瞳は誰よりも澄んでいた。彼は手にしていた小瓶を机の上に置き、にこっと笑った。
「ぼくは科学で手伝うよ。人の心は混ぜ物みたい。条件をそろえれば、仲良くなる」
彼は五つの提案を語った。
一、欧米が欲しがる最新の医療技術を提供する。
二、環境を守る技術を国際的に分け合う。
三、新しい通信技術を広げ、国際協力を早くする。
四、科学的なデータを示して、感情ではなく事実で問題を解く。
五、人道的な支援を惜しまず行い、信頼を得る。
彼の幼い声は、会場にいた重鎮たちの胸を打った。北里柴三郎は目頭を押さえ、「六歳にして、科学の精神をここまで理解するとは……」と震える声で言った。
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藤村は三兄弟を見渡し、深く頷いた。
「よい。我らは挑発に屈さず、むしろこの試練を新たな信頼の礎とする。欧米は我らを子ども扱いするだろう。ならばその子どもたちが、彼らの老いを超える知恵を示せばよい」
慶篤が静かに言葉を継いだ。
「この試練は日本を揺さぶると同時に、欧米の心を試す。彼らが自らの傲慢を克服できるかどうかも、ここで見えてくる」
会議室の窓から見える梅のつぼみは、まだ固く閉じていた。しかしその奥には確かな春の気配があった。日本という若木は、冷たい風を受けながらも、真っすぐに芽吹こうとしていた。
ロンドン会議で突きつけられた三つの試練は、ほどなく現実の形をとって日本に襲いかかってきた。まず動いたのは金融市場だった。欧州の投資銀行は一斉に日本関連の証券を売り払い、アジア航路では荷の積み下ろしが不自然に滞り始めた。銀相場は乱高下し、横浜の取引所には冷や汗を浮かべた商人たちが群れた。通貨を売り浴びせる動きも加わり、日本経済を人為的に揺さぶろうとする企図は明らかだった。
だが藤村の布告は素早かった。「外部の資金が引いても、我らには内なる力がある」。すぐにアジア各地域へ電報が飛んだ。満州の穀物、朝鮮の繊維、台湾の砂糖、琉球の中継港、そして東南アジアの香辛料と鉱産。これらを結ぶ独自の結束網を強化し、外資が去っても地域間の流通で十分に補える体制を組み上げたのだ。三大財閥も動き、現地での共同基金を立ち上げ、通貨の安定を支えた。
横浜の市場では最初、値札が混乱したが、三日と経たずに市民は冷静さを取り戻した。ある商人が口にした言葉が広まった。「欧州が引いても、アジアの船は港に入る」。それは確信に変わり、逆に日本の経済的自立への信頼を高める結果となった。
次に訪れたのは外交の連打だった。清国は突然、満州の旧来の宗主権を主張してきた。北京の使節は声を荒げたが、久信は静かに言葉を返した。「では共に管理してはどうでしょう。互いに利益を得られる協定を結べば、対立は協力に変わります」。清国は驚いたが、互恵協定の提案は魅力的であり、交渉の場が即座に設けられた。
ロシアは北方領土を蒸し返した。だが久信は、国境線を巡る争いを「漁場の共同利用」にすり替えた。「どちらの国民も魚を食べる。ならば境界を血で染めるより、網を共に下ろす方が賢明です」。これにより会談は武力論から漁業協定へと変化し、緊張は和らいだ。
欧州は東南アジアへの進出を盾に圧力をかけてきた。だが久信は笑顔を崩さず、「では共同開発としましょう」と切り返した。独占を奪おうとした列強は、逆に協調の輪の中に取り込まれることになった。
朝鮮の独立問題が国際議題に上ると、久信は毅然として立ち上がった。「我らは朝鮮を縛らぬ。彼らが自らの旗を掲げられるよう後ろ盾となるだけだ」。その言葉に、会議場の一角で朝鮮の代表が深く頭を下げた。
琉球についても論争が起きた。だが若者議会の署名と王室の印を並べた新制度を示すと、欧州の代表は「これほど住民の意思を尊重した例はない」と認めざるを得なかった。外交の嵐は嵐のまま消えず、次々と形を変えて襲ったが、久信は一つ一つを協力の芽に変えていった。
最後に迫ったのは軍事的な威嚇だった。イギリス、フランス、ドイツの連合艦隊が津軽海峡、長崎沖、横須賀沖に姿を現し、大砲を並べて威圧的な演習を始めた。海沿いの村々には緊張が走り、住民たちは空を見上げて息を呑んだ。
そのとき義信は各方面に命を下した。「挑発には乗らず、礼を失するな。だが規律を乱さず毅然とせよ」。沿岸の砲台は火を噴くことなく、しかし兵士は整列し、補給線は乱れず、村の避難は秩序立って進められた。艦隊を視察に訪れた外国将校は、日本兵の落ち着いた表情に驚愕した。「砲を撃たずとも、これほどの威厳を示せるのか」と。
さらに義信は各艦に使者を送り、礼儀正しい挨拶と共に水や食料を提供した。「敵ではなく客として遇する」。その態度に連合艦隊の提督らは言葉を失い、演習は虚しさを抱えたまま終息していった。
その間、義親は後方で小さな声を響かせていた。「争うより、技術でつながればいい」。彼の提案で、最新の血清療法と通信技術の研究成果が各国に開示された。欧州の科学者たちは驚き、軍事よりも医療と科学での協力を求め始めた。六歳の少年の純粋な発想が、冷たい軍艦の影を薄めたのだ。
三つの試練が終わったとき、世界は沈黙した。金融は崩れず、外交は協力へと変じ、軍事は礼節と科学によって無力化された。イギリス首相は記者に対して吐き出すように言った。「我々は完全に敗北した。これほど成熟した国家指導力を見たことがない」。フランス大統領は驚愕を隠せず、「十三歳、十二歳、六歳の子供たちが、老練の政治家を超える判断を示した」と語った。ドイツ皇帝も声を震わせ、「日本は試練を越えただけでなく、我らに新しい政治の形を教えた」と認めざるを得なかった。
ロンドン会議場の最後の日、国際政治学会の判定は厳かに読み上げられた。「日本は世界五大強国として完全に認定される。その指導力は既に世界最高水準にある」。
その瞬間、藤村は深く頭を垂れた。「我らは認められた。しかしこれは威張るためではない。より大きな責任を背負うということだ」。背後に並ぶ三兄弟は、互いに顔を見合わせ、静かに頷いた。彼らは子どもでありながら、真の世界的指導者として一段上へ成長したことを確信していた。
その夜、ロンドンの空に雪が舞った。街灯に照らされた白い粒は、世界秩序の新たな幕開けを告げる祝福のように見えた。