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271話:(1879年7月/夏至)夏至の世界的衝撃

明治十二年七月、夏至。

 ベルリンの空は長い陽光に照らされ、日が暮れてもなお街路は明るかった。

 だが、その明るさとは裏腹に、帝国首都の空気は張りつめていた。

 欧米列強の首脳が集まり、緊急国際会議が開かれようとしていたからである。



 会議場は荘厳な造りの大ホールで、窓からはまだ夕暮れ前の光が射し込んでいた。

 各国の旗が並び、記者や外交官が緊張した面持ちで控えている。

 壇上にはドイツ皇帝と宰相ビスマルク、イギリスの首相と外務大臣、フランスの大統領、アメリカ合衆国の代表、ロシアと清国の特使までもが列席していた。


 議長を務めるビスマルクが口火を切った。

 「諸君、日本はわずか十か月で五千万の人々を統治下に置き、しかもその生活水準を飛躍的に向上させた。

  これはもはや奇跡ではない。歴史の転換点だ。

  この成功は、我々の植民地統治を根本から見直させるものだ」



 ドイツ皇帝も椅子から身を乗り出した。

 「確かに、効率性において日本は驚異だ。

  我が国が数十年かけて整えた制度を、彼らは一年も経たずに形にしてしまった」


 イギリス首相は、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 「警戒すべきはその速度だ。

  だが、学ぶべきはその統治手法である。

  文化を尊重し、住民を味方につける。

  インドにおける我らの課題に、明確な答えを突きつけているのではないか」


 議場にざわめきが走った。



 フランス大統領は両手を広げて言った。

 「日本は『徳治帝国』を掲げ、武力ではなく制度と信頼で支配を築いた。

  アフリカの統治において我々が直面する反発を、彼らは笑顔に変えている。

  住民支持率九五パーセント――この数字は、我らにとって夢物語だ」


 フランス植民地大臣も頷いた。

 「住民が自ら進んで協力する統治……これを真似できなければ、我々の帝国はやがて崩れる」



 アメリカの代表は腕を組み、複雑な面持ちを見せた。

 「太平洋の向こうで、新しい文明が芽生えつつある。

  我々は協力すべきか、警戒すべきか……。

  日本が掲げる『共存共栄』の理念は理想的だが、その影響力が拡大すれば、太平洋の均衡は大きく揺らぐ」


 清国の特使は青ざめた顔で、かすれた声を漏らした。

 「このままでは我が国の威信は完全に失われる……」


 ロシアの代表は低い声で応じた。

 「南下政策は、日本の壁に阻まれた。

  だが我々は退くつもりはない。必ず新たな道を探す」



 会場は熱を帯び、列強の首脳は互いの視線を探り合った。

 日本に対する評価は、畏怖と尊敬、警戒と羨望が入り混じり、複雑な感情となって渦巻いていた。


 ビスマルクが再び声を張り上げた。

 「諸君、日本の台頭は避けようのない現実だ。

  我らは学ぶのか、それとも対抗するのか。

  この夏至の日、選択を迫られているのは我々自身だ」


 夏至の長い陽光はまだ窓を照らしていたが、会場の空気は夜の嵐のように重く揺れていた。

ベルリン会議の熱は冷めやらず、各国の首脳と外交官たちはそれぞれの立場で意見を戦わせていた。

 そこには共通した驚きと、しかし一致しない評価があった。



イギリス ― 大帝国の焦燥と学習


 イギリス外務省の代表は、地図に視線を落としながら低くつぶやいた。

 「日本は、太平洋を内海と化しつつある。我が国の東洋戦略に甚大な影響を与える」


 インドから地中海に至る航路を誇るイギリスにとって、太平洋の覇権を握り始めた日本の存在は計り知れない脅威であった。

 だが同時に、彼は声を強めた。

 「しかし注目すべきは、彼らの文化尊重型統治だ。

  住民の文化を守り、彼らを協力者とする手法……これは我々のインド統治にも応用できる」


 在日イギリス公使からの報告も読み上げられた。

 「日本統治下の満州・朝鮮・台湾・琉球では、住民の生活水準が劇的に向上している。

  これは我々の植民地政策に対する痛烈な批判となり得る」


 議場にいた英首相は唇をかみ、

 「学ぶべきか、それとも阻むべきか……」

 と独白のように呟いた。



フランス ― 革命精神を刺激する驚嘆


 フランス大統領は身を乗り出し、力強く語った。

 「日本の『徳治帝国』は、我々のアフリカ統治に革命をもたらす可能性がある」


 彼は手元の資料を掲げた。

 「住民支持率九五パーセント。これは我々が夢に見る数字だ。

  反乱や暴動ではなく、祝賀と協力で成り立つ統治……」


 植民地大臣も同意した。

 「現地の文化を守りつつ、経済発展を促す仕組み。我々の限界を示している」


 フランスの代表団は、日本の成功を単なる驚異としてではなく、「学ぶべき新しいモデル」と捉え始めていた。



ドイツ ― 効率性と制度への感嘆


 宰相ビスマルクは冷徹に事実を整理した。

 「十か月で五千万の人々を統治下に置き、すべての生活水準を向上させた。

  これは我々の制度設計においても前例のない効率性だ」


 ドイツ皇帝も頷いた。

 「制度と軍事、経済と文化を一体に結びつける……我々が求めてきたものを、日本はすでに形にしてしまったのだ」


 ドイツ代表団の間には、学問的関心すら漂っていた。

 「日本の方法を研究しなければ、我々は置き去りにされるだろう」



アメリカ ― 太平洋を挟んだ葛藤


 アメリカの代表は、複雑な表情で語った。

 「太平洋の向こう側で、新しい文明が誕生している。

  我々はこれとどう向き合うべきか」


 大統領からの声明が読み上げられた。

 「日本の『共存共栄』の理念は理想的である。

  だがその影響力が拡大すれば、我々の太平洋戦略は揺らぐ。

  協力すべきか、警戒すべきか……判断は容易ではない」


 アメリカの議場には沈黙が広がった。

 太平洋を挟んだ向こう岸に現れた新たな巨人に、誰もが答えを出せずにいた。



 こうして、ベルリン会議に集った列強の首脳は、互いに異なる立場で日本を見つめていた。

 警戒と尊敬、学習意欲と恐怖。

 その感情は交錯し、会場の空気を重くさせていた。


 夏至の長い日差しはなお窓から差し込んでいたが、議場の人々にとっては、すでに新しい時代の影が迫っていることを感じさせていた。

ベルリンでの会議の余波は、電信網を通じて瞬く間に東京に届いた。

 欧州列強の首脳が日本を議題の中心に据え、畏怖と尊敬を入り混ぜた言葉を交わしている――その事実だけで、政府中枢は異様な緊張に包まれていた。



 首相官邸の国際会議室。

 大理石の机の上には、各国からの電報と翻訳資料が山のように積まれていた。

 藤村総理はそれを一枚ずつめくりながら、静かに語り始めた。


 「予想通りだ。欧米の反応は、警戒と尊敬が交錯している。

  イギリスは太平洋覇権を脅かされることを恐れつつ、我らの統治手法に学ぼうとしている。

  フランスは素直に称賛し、学習意欲を示している。

  ドイツは効率性に驚嘆し、制度研究の意向を持っている。

  アメリカは……まだ揺れているな」



 陸奥宗光外務大臣が資料を手に取り、声を張った。

 「総理、これは我々にとって好機です。

  欧州列強が日本を恐れつつも学ぼうとしている今こそ、我らが新しい国際秩序の主導権を握るべきです」


 彼の眼差しは鋭く、外交戦略家としての自信が滲んでいた。

 「各国に対し、『日本は征服帝国ではない』と示し、徳治と共存の理念を世界へ輸出するのです。

  軍事同盟ではなく、統治ノウハウの共有という形で協力を呼びかければ、我々が中心に立てます」



 慶篤副総理も頷き、低い声で補足した。

 「私も同意します。ただし、単に優位を誇るのではなく、平和のための成功として提示することが肝要です。

  もし我々の成果が『新たな脅威』としてのみ受け取られれば、欧州全体が対日包囲網を築く危険もある」


 彼は机に広げた世界地図に手を置き、

 「我々の帝国は、平和と繁栄を両立させた前例のない試みです。

  この理念を国際社会に刻み込まねばならぬ」

 と結んだ。



 五師匠もそれぞれ意見を述べた。


 福沢諭吉:「いまこそ『文明開化』の真価を示す時だ。日本が学んだ西洋文明を、逆に西洋に返す時が来た」


 大村益次郎:「軍を誇示してはならぬ。むしろ戦わずして守る仕組みを強調するのだ」


 北里柴三郎:「医療と衛生の成果を前面に出すべきです。病を制した帝国――それは誰も否定できない」


 後藤新平:「統計と制度の具体的な数値を提示せよ。欧州人は理念よりも証拠を求める」


 千葉栄次郎:「忘れてはならんのは心の在り方だ。誠を尽くす姿を示せば、いかなる相手も耳を傾けよう」



 藤村は全員の意見を静かに聞き終え、深く頷いた。

 「よい。では我らの道は定まった。

  日本は自らの成功を誇るのではなく、世界に分かち合う。

  我らの帝国は、武力ではなく協力によって築かれるのだと示そう」


 彼の声は低く、しかし会議室の壁を震わせるほどの力があった。

 三兄弟も真剣な表情で父の言葉を聞き、未来への責任を実感していた。



 こうして、日本政府の方針は固まった。

 「国際秩序の主導権を握るが、誠意と協力を旗印に」

 夏至の光が窓を照らし、机上の地図の上で赤線を輝かせていた。

 その光は、帝国の未来と、世界に広がる新たな時代の始まりを暗示しているかのようであった。

七月の夜、東京・首相官邸。

 会議を終えた藤村は、その足で記者団と各国外交団の前に姿を現した。

 夏至を過ぎたばかりの月は高く、広間の灯火は白く彼を照らしていた。

 壇上に立つその姿は、単なる一国の宰相を超えていた。



 藤村は静かに、しかし一言ごとに重みを込めて語り始めた。


 「諸君、十か月前、日本は混乱と借財の中にあった。

  だが今、満州・朝鮮・台湾・琉球・北海道・東南アジアを結び、五千万の人々が共に歩み始めた。

  これは征服による帝国ではない。共存共栄の帝国である」


 会場が静まり返る。

 外国特派員は万年筆を走らせ、電信士は次々にコードを打ち込んだ。



 藤村はさらに言葉を強めた。


 「欧米列強は我らに警戒と尊敬を抱いている。

  それでよい。だが我らの目的は彼らを凌ぐことではない。

  我らが成し遂げた制度と信頼の統治を、惜しみなく世界に提供することこそ使命である。


  医療も、教育も、行政も、兵站も。

  すべてのノウハウを、人類の平和と繁栄のために分かち合う。

  今こそ、真の国際協力の時代を築こうではないか」



 その声に、後列にいた三兄弟の胸は震えた。

 義信は「帝国を守るのは剣ではなく理念だ」と感じ、

 久信は「人々の幸せを世界と共有する道がある」と悟り、

 義親は「ぼくも病気をなくす力を世界に広げたい」と純粋に思った。


 五師匠もそれぞれ心中で頷いていた。

 福沢は「文明開化の理想が、世界規模へ広がる」と喜び、

 大村は「軍なき秩序の実証」と安堵し、

 北里は「科学は国境を超える」と確信し、

 後藤は「制度は輸出可能な財産だ」と冷静に分析し、

 千葉は「理念も力も、心身の鍛錬あってこそ」と噛み締めた。



 藤村は最後に、初夏の夜風を受けて宣言した。


 「この夏至の季節、日本は世界に誓う。

  我らは人類史を新しい段階へと進める。

  アジアから始まった共存帝国は、やがて世界協力体制の礎となるだろう。

  我らは剣を誇らず、心と制度を以て世界と歩む。

  それが日本の道であり、未来の人類の道である」



 その言葉は電信網を通じて世界に伝えられた。

 ロンドンでは新聞の号外が配られ、パリでは知識人が拍手し、ベルリンでは学者が討論を始め、ニューヨークでは市民が驚きの声を上げた。

 清国の官僚は沈痛な面持ちで報告書を閉じ、ロシアの将軍は地図を睨んだ。


 だが、人々の胸には確かに灯火がともっていた。

 「帝国は支配ではなく協力で築ける」――その理念が、世界の常識を揺さぶり始めていた。

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