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270話:(1879年6月/初夏)初夏の四正面成功

明治十二年六月、初夏。

 東京は深い緑と澄んだ空気に包まれていた。

 皇居の堀は陽光を反射し、柳の枝は風にそよいで水面に影を落としている。

 隅田川を行く蒸気船の汽笛は低く、しかし力強く鳴り響き、町の人々は半袖に袖を通し、夏の到来を実感していた。



 この朝、首相官邸の特設大広間は熱気に包まれていた。

 壁には大きな地図が掲げられ、赤い線が満州・朝鮮・台湾・琉球・北海道・東南アジアを結んでいる。

 それは一枚の織物のように複雑でありながら、確かに一つの環を形づくっていた。


 会場には各地域の責任者が集っていた。

 ――満州総督・河井継之助。

 ――朝鮮総督・西郷隆盛。

――台湾総督・後藤新平。

――北海道・北方開発総責任者・黒田清隆と清水昭武。

――東南アジア統括・清水昭武(兼任)。

 さらに、各分野で三兄弟を導いてきた 五師匠――福沢諭吉・大村益次郎・北里柴三郎・後藤新平(台湾総督としても)・千葉栄次郎――も列席していた。

 三兄弟はその背に並び、真剣な眼差しで壇上を見つめていた。



 やがて壇上に藤村総理大臣が姿を現すと、会場は静まり返った。

 藤村はゆっくりと地図を見渡し、深い息をついてから語り出した。


 「諸君。明治十二年六月、ここに歴史の節目を迎えた。

  昨年八月から今日まで、わずか十か月。

  我らは満州・朝鮮・台湾・琉球・北海道、そして東南アジアを結び、かつて誰も成し得なかった統合システムを築き上げた。

  本日ここに、四正面成功と、その延長にある真のアジア帝国完成を宣言する」


 会場には静かなどよめきが広がった。



 藤村は手元の報告書を掲げ、力強く言葉を続けた。

 「満州では三民族を融和させ、工業と農業を同時に興した。

  朝鮮では清国の影を払い、民が自立の道を歩み始めた。

  台湾では多民族を尊重し、文化と近代化を両立させた。

  琉球では王家の威厳を守りつつ、海の中継地として繁栄の門を開いた。

  北海道では開拓と資源開発が進み、北方の背骨が固まった。

  そして東南アジアでは、軍旗ではなく契約と信頼によって、広大な経済圏を築いた。


 これらはすべて、武力ではなく制度と信頼によって成し遂げられた。

 征服ではなく共存。

 支配ではなく協力。

 その結果として、我らは短期間で歴史を塗り替えたのだ」



 壇上で藤村が地図に手を置くと、光が各地域を照らした。

 大連と釜山、台北と那覇、函館とシンガポール。

 点と点は線で結ばれ、やがて一つの輪を描き出した。


 「見よ。これは帝国の姿ではない。

  これは共存帝国――人と人、文化と文化がつながり、未来へ伸びる大きな環である」


 会場の視線がその環に注がれた。

 五師匠の目にも光が宿り、三兄弟の胸には新たな使命感が芽生えていた。



 藤村は最後に、初夏の陽光に照らされる会場を見渡し、言葉を結んだ。

 「今日を起点に、我らは過去を総括し、未来を築く。

  十か月で歩んだ道を、十年、百年の秩序に変えていく。

  帝国とは武で得るものではなく、徳で守るものだ。

  この道を、ここに誓う」


 大広間は拍手と歓声に包まれた。

 窓外では青空が果てなく広がり、夏を告げる風が新時代の香りを運んできていた。

藤村総理の開会宣言が終わると、会場は静けさを取り戻した。

 次に求められたのは、数字と事実に裏打ちされた報告である。

 官邸特設大広間の片隅には、統計表と地図を並べた分析室が設けられており、そこから次々に資料が運び込まれていた。

 会場の空気は一層引き締まり、誰もが耳を澄ませた。



 最初に壇上へ立ったのは、満州総督・河井継之助であった。

 彼は落ち着いた口調で報告を始めた。

 「満州は清朝との共存統治の下、十か月で劇的な変貌を遂げました」


 資料にはこう記されていた。

•工業と農業の総合生産性:200%向上。

•人口は流入により15%増加。

•鉄道網2000kmを新設し、道路網は三倍に拡充。

•教育普及率は30%から85%へ。

•医療体制の整備により平均寿命は5年延長。


 さらに民族間の融和を示す数値も示された。

 満州族・漢族・モンゴル族の通婚率は三倍に増え、合同事業参加率は九割を超え、民族間紛争はゼロ。

 「かつて対立を繰り返した三民族が、今や互いに未来を築いております」

 その言葉に、会場はどよめきと拍手に包まれた。



 次に立ったのは朝鮮総督・西郷隆盛である。

 その声音には力強さがあった。

 「朝鮮は、この十か月で完全に近代国家へと生まれ変わった」


 示された数字は驚異的だった。

•国内総生産(GDP):三倍に増加、東アジア最高の成長率。

•工業化率は5%から60%へ。

•都市化率は20%から70%に上昇、漢城と釜山は大都市に変貌。

•識字率は25%から90%に跳ね上がった。

•平均所得は四倍に増加。


 さらに、七割の行政が朝鮮人官僚により運営され、貿易の自主管理体制も整備された。

 「清国の属国だった時代は遠い過去となった。朝鮮は自立し、日本と肩を並べる力を得たのだ」

 その言葉に、若い官僚や通訳たちは胸を張った。



 続いて登壇したのは、台湾総督・後藤新平である。

 彼は眼鏡を押さえ、冷静に述べた。

 「台湾において、多民族共存の社会が形を成しました」

•原住民の平和的統合はほぼ百パーセント達成。

•漢民族は九割が近代化事業に自発的に参加。

•客家の文化保護と経済発展が両立。

•衛生革命により熱帯病の死亡率は八割減。

•糖業と茶業は完全に近代化。


 「台湾はアジアの縮図です。ここで築いた共存の制度は、世界に誇れるものとなりましょう」

 その言葉に、福沢諭吉が深く頷いた。



 琉球の報告は、藤村が代読した。

 尚泰王の使節も壇上に立ち、静かに頭を下げた。

 「琉球は東南アジア戦略の黄金拠点となりつつあります」

•航路の短縮により、東南アジアとの輸送時間は五割削減。

•那覇港はアジア有数の国際港に発展。

•住民所得は五倍に増え、貿易中継業が繁栄。

•琉球固有の文化は完全に保持され、王室の権威も守られた。

•住民支持率は98%に達し、史上最高の統治評価を得ている。


 使節は言葉を添えた。

 「王の決断は正しかった。民は皆、日本と共に歩む道を誇りに思っております」



 さらに報告に立ったのは、北海道・北方開発を担う黒田清隆と清水昭武であった。

 黒田は声を張り上げた。

 「北海道は帝国の食料と資源の基盤として確立しました」

•農業生産が急増し、本州への安定供給を実現。

•石炭や金属資源の採掘が本格化。

•移住者の定着率は95%に達した。

•札幌と函館を結ぶ鉄道が開通。


 清水は補足した。

 「アイヌ政策においても、文化を守りながら近代化を進めています。北方の成功モデルは、各地域開発の基盤ともなりました」



 最後に登壇したのは、東南アジアを統括する清水昭武(兼任)と三大財閥代表であった。

 「日本主導の平和的経済圏は完全に確立しました」

•現地住民の所得は三倍に増加。

•日本企業は主要都市すべてに進出。

•石油・ゴム・香辛料の供給ルートは安定。

•各地の政府との協力関係が築かれた。

•日本語を学ぶ者は十倍に増加。


 清水は胸を張って言った。

 「我らは剣ではなく契約によってアジアを結んでいます」



 壇上の報告が終わると、大広間にはしばし沈黙が広がった。

 数字の重みと人々の努力の積み重ねが、会場に圧し掛かったからだ。

 やがて拍手が湧き上がり、壁に掲げられた地図が誇らしく輝いて見えた。

統計成果の発表が終わると、会場の空気は熱を帯びながらも、どこか荘厳な静けさをまとっていた。

 壇上の藤村が一礼し、場を移して江戸城内の特別会議室――そこで三兄弟を中心に、五師匠による最後の評価が行われることになった。



 会議室の畳の間に、福沢諭吉、大村益次郎、北里柴三郎、後藤新平、千葉栄次郎――五人の師が並び座した。

 その前に義信、久信、義親の三兄弟が正座し、背筋を伸ばしている。

 窓の外からは初夏の風が吹き込み、障子に木漏れ日の影を映していた。



 最初に口を開いたのは、福沢諭吉だった。

 「十か月という短さで、数十年分の改革を成し遂げた。

  それは制度の力もさることながら、人の心をつかんだからこそだ。

  文明とは、鉄道や工場だけでなく、人が互いを尊重する姿にある。

  お前たちはその理念を理解し、実行できる器を持っている」


 義信(十二歳)は深く頷き、

 「先生、僕は満州や朝鮮で見た人々の笑顔を忘れません。

  制度が人を変えると同時に、人も制度を強くするのだと学びました」

 と答えた。



 次に大村益次郎が低く語った。

 「戦場に銃声は響かなんだ。

  だが守るべきものは確かにあった。

  軍は恐怖で民を縛るものではなく、安心を与える存在であるべきだ。

  お前たちが次代を導くなら、この原則を忘れてはならん」


 久信(十一歳)は筆を走らせながら、

 「朝鮮で、兵士が子供に井戸の煮沸を教える姿を見ました。

  それが国を守ることだと理解しました」

 と語った。



 北里柴三郎は眼鏡を外し、柔らかい口調で言葉を続けた。

 「医学と衛生は数字には現れにくい。

  だが、死者が減り、子供が笑うことが何よりの証だ。

  病を制することは、帝国を守ることに等しい。

  科学の目を持ち、人の命を尊ぶ心を忘れるな」


 義親(五歳)は無邪気に笑みを浮かべ、

 「先生、ぼくも病気を治す人になりたい! みんなが元気なら、もっと楽しい国になるから!」

 と叫んだ。

 北里は目を細め、「その気持ちを持ち続けなさい」と微笑んだ。



 後藤新平は統計表を広げ、冷静に話した。

 「数字は冷たいように見えて、実は人の暮らしを映す鏡だ。

  台湾でも朝鮮でも、制度と統計が人々の安心を支えた。

  君たちも必ず数を読む目を養い、数の裏にある人の声を聴け」


 久信は深く頷き、

 「制度をつくるとき、人々の顔を思い浮かべることを忘れません」

 と静かに言った。



 最後に千葉栄次郎が、竹刀を床に置いて語った。

 「知と理だけでは、己を支えきれぬ。

  剣を学ぶとは、敵を斬ることではない。己の心を正すことだ。

  戦わずとも強く在る。これが武士道だ」


 義信は思わず背筋を伸ばし、

 「剣を通じて学んだのは、恐れを制する心でした。

  戦場に出なくても、この学びを胸に刻みます」

 と答えた。



 五師匠は互いに目を合わせ、満足げに頷いた。

 福沢が総括するように言った。

 「知・理・体、すべてを備えた。

  三兄弟よ、次はお前たちが世界に理念を示す番だ」


 その場にいた藤村総理は、子らの姿を見つめながら言葉を添えた。

 「成功の秘訣は一つだ。相手を尊重し、共に発展する心だ。

  征服者ではなく協力者として歩む。

  それが帝国を永続させる」


 三兄弟は深く頭を下げ、その言葉を胸に刻んだ。



 窓の外には初夏の空が広がり、風が緑を揺らしていた。

 五師匠と三兄弟の誓いは、帝国の未来そのものを映す光となっていた。

江戸城での教育総括が終わるころ、外務省には次々と各国からの電報が届いていた。

 それは、わずか十か月で世界史を塗り替えた日本に対する驚愕と評価を伝えるものであった。



 最初に読み上げられたのは、ロンドンからの公電だった。

 「十か月でアジア帝国を築き上げた日本の手法は、我らの帝国統治を根底から揺るがす」

 イギリス首相の言葉は、畏怖と羨望が入り混じったものだった。

 次いでパリからは、

 「日本の文化尊重型統治は、我々のアフリカ政策に欠けている視点だ」

 と外務大臣が評した。

 さらにベルリンからは、

 「効率性と人道性を兼ね備えた統治モデル。これは未来の帝国の姿だ」

 との皇帝の声明が届いた。

 ワシントンからも短いながら強い文言が送られた。

 「太平洋の向こうに、新たな文明が芽生えている。我々も学ばねばならない」


 欧米列強は一斉に、日本の成功を新しい秩序の到来として受け止めていた。



 一方で、清朝とロシアの反応は深刻であった。

 北京からは李鴻章の報告が届いた。

 「日本の成功速度は我々の想像を遥かに超えている。このままでは清朝の影響力は完全に失われる」

 彼の筆は震え、絶望がにじんでいた。

 ロシア外務省の分析は冷徹だった。

 「満州での日本の統治が安定すれば、我が国の南下政策は完全に阻まれる。

  極東の勢力均衡は崩壊し、我らの戦略は根本から見直しを迫られる」


 日本の成功は、列強にとっては学ぶべき「文明モデル」であると同時に、脅威として迫っていた。



 この国際情勢を背景に、藤村総理は再び官邸の壇上に立った。

 照明に照らされた彼の影は長く、背後の大地図を覆っていた。


 「諸君。本日ここに宣言する。

  日本は真のアジア帝国となった。

  これは武力による征服帝国ではない。

  共存共栄による、平和の帝国である」


 彼は言葉を区切りながら、力強く続けた。

 「我々の帝国は、多民族が平等に繁栄し、各文化が尊重され、経済発展の果実を全住民が享受する。

  人類史上初の『徳治帝国』である」



 慶篤副総理が補足し、詳細な統計を示した。

 「統治地域は満州・朝鮮・台湾・琉球・北海道・東南アジア主要部に広がり、人口は五千万を超えた。

  日本本土を合わせれば八千万体制。

  経済規模はアジアの六割を統合し、GDP総計は世界第三位に躍進した。

  住民支持率は平均九五パーセントを超えております」


 会場に集った官僚や外国特使は息をのんだ。

 数字は虚飾ではなく、生活の変化そのものであった。



 その後、皇居に移った式典で、孝明天皇が承認を与えた。

 「藤村よ、そなたは十か月で東洋の新秩序を築き上げた。

  これこそが真の『富国強兵』である」

 勅語が発せられ、全アジアに同時放送された。


 東京の皇居前広場では群衆が万歳を叫び、

 奉天では三民族が合同で祝典を開き、

 漢城では朝鮮人自らが祝賀行事を企画し、

 台北では原住民と漢民族と客家が一堂に会し、

 那覇では伝統芸能が夜を彩った。

 札幌ではアイヌの舞踊が披露され、

 シンガポールでは諸民族合同の祭りが開かれた。


 初夏の夜空に、松明と灯籠の光が星のように瞬き、全アジアの都市を結んでいた。



 藤村は最後に国民と世界に向けてこう締めくくった。

 「この初夏の日に、我らは人類史に新たな一頁を刻んだ。

  真のアジア帝国の完成により、世界に『共存共栄』の道を示した。

  我らは誓う――この帝国を永続させ、アジアの全民族、そして世界の平和と繁栄のために尽力する。

  武力ではなく、愛と協力によって世界を変えるのだ」


 その声は広間を超え、アジアの海を越えて響いた。

 人々の胸に熱い灯をともしたその瞬間、世界史は確かに新しい段階へと進んだのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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