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169話 :(1869年12月下旬/初冬) 連合評議会

冬の冷たい風が漢城ソウルの街路を吹き抜け、朝鮮王宮の瓦屋根を白く染め上げていた。雪はしんしんと降り続け、大殿の軒下では、雪片が灯火に溶けて小さな滴となって落ちる。王宮の奥深く、大殿の広間には、異例の会合が開かれようとしていた。


 玉座に控えるのは朝鮮国王。長衣をまとい、静かに視線を前へと向けている。両脇には士大夫層の重臣たちが並び、その正面には日本からの代表団が着座していた。榎本武揚、陸奥宗光、坂本龍馬――そして彼らを支える日本人事務官たちの姿があった。


 「これより、連合評議会の設置を布告する」


 通訳を介して告げられた王の言葉が、大殿の梁に響いた。


 瞬間、場にざわめきが広がる。伝統的に国政は王と士大夫による合議に委ねられてきた朝鮮において、異国の代表が正式に議場に加わることは前代未聞であった。しかしその驚きは次第に、緊張と期待を含んだ沈黙に変わっていく。


―――


 会議の冒頭、国王は低く語り始めた。


 「王室の伝統は守られねばならぬ。しかし国の発展もまた急務である。余は、この評議会にて両立を望む」


 言葉に応じて、士大夫のひとりが進み出る。皺を刻んだ顔には慎重さがにじんでいた。


 「我ら士大夫にも発言の場が与えられるのであれば、改革に反対する理由はない。伝統を尊びつつ、新しきを受け入れることこそ、国を護る道であろう」


 その言葉に広間の空気が少し和らぐ。


―――


 次に立ち上がったのは陸奥宗光であった。整った面持ちを正し、冷静な声で語り出す。


 「諸君、この評議会の設計は、三者が対等に意見を交わし、合意により物事を決する仕組みです。独裁ではなく協議、押し付けではなく調和。長期的安定をもたらすのは、権力の均衡と透明性にございます」


 通訳を介して伝えられると、士大夫たちが互いに顔を見合わせた。これまで「日本による一方的な支配」を恐れていた彼らにとって、この説明は意外であり、同時に心強いものであった。


―――


 場を和ませたのは坂本龍馬であった。にやりと笑みを浮かべ、朗らかな口調で声を上げた。


 「わしらは喧嘩をしに来たんじゃない。国と国が一緒に飯を食うには、台所も広げて、皿も増やさんといかん。ここで皆で相談して、どうすれば腹一杯になれるか決めればええんじゃ」


 直喩に会場が一瞬和み、士大夫の中から笑いが漏れた。堅苦しい議論に、庶民的なたとえで風穴を開けるのは龍馬の得意とするところだった。


―――


 王は深く頷き、玉座に戻る。


 「よかろう。余は伝統を護る。士大夫は知恵を尽くす。日本は新しきを示す。三者が力を合わせてこそ、国は進むであろう」


 こうして「連合評議会」の設置が正式に宣言された。


―――


 式の後、大殿の外へ出ると、雪はやや小降りになっていた。庭の松に積もる雪が静かに解け落ちる。陸奥は庭園の石灯籠を見上げ、龍馬に向かって小声で語った。


 「連合評議会は、やがて合邦への最良の準備段階になるだろう」


 龍馬は頷きながら、手にしていた羽織を直す。


 「みんなが納得して一つになる。これが本当の統一ぜよ」


 二人の視線の先には、雪に覆われながらも力強く根を張る松があった。その姿は、伝統と革新を併せ持つ新しい朝鮮の姿を象徴しているかのようであった。


―――


 こうして朝鮮王宮の庭に、歴史的な新機構「連合評議会」が誕生したのである。王室の威信を保ちつつ、士大夫の声を残し、日本の近代的制度を組み合わせたこの体制は、確実に新しい時代の扉を開こうとしていた。

雪を踏みしめる音が、王宮の回廊に静かに響いていた。大殿での設置式の後、評議会はそのまま初めての議事に入った。蝋燭が並ぶ机の上に、分厚い文書の束が置かれる。その表紙には「合邦詔草案」と墨で記されていた。


 陸奥宗光が席を立ち、手にした文書を広げて語り出した。


 「この草案は、急激な併合ではなく、段階的な制度統合を目指すものです。地租、戸籍、司法の三つをまず整え、時間をかけて調和させる。その過程で、朝鮮の伝統や慣習を尊重しつつ、近代国家の制度に歩み寄る道筋を明確にするものです」


 通訳が慎重に言葉を選びながら伝えると、広間は深い静けさに包まれた。士大夫たちは互いに目を見交え、ためらいを含んだ表情を浮かべる。だが、年長の士大夫が静かに頷いて言った。


 「我らも変化の必要を知ってはいる。しかし一度にすべてを失えば、民は恐れ、混乱する。……段階的に進めるのならば、受け入れよう」


 別の若い士大夫が口を開いた。

 「もし地租制度が整えば、農民は安堵しよう。戸籍が記されれば、身分をめぐる不正も減る。司法が整えば、訴えの場も公平になる。確かに、この三つなら反発は少ないかもしれぬ」


 場に安堵の気配が流れた。


―――


 龍馬が前に出て、袖を払って笑みを浮かべた。


 「いっぺんに飲み込もうとすりゃ、喉を詰まらす。ゆっくり噛んで呑み下せば、腹も壊さん。無理に急いで反発を招くより、着実に進む方が賢いぜよ」


 庶民的なたとえに、広間のあちこちで小さな笑いが漏れる。緊張で張り詰めていた空気が、龍馬の一言で柔らいでいく。


―――


 陸奥は頷き、草案の要点をさらに説明した。


 「この合邦草案は“詔”として朝廷と幕府の双方にて承認し、さらに評議会にて確認する三重の仕組みを取ります。いかなる変更も、独断では行えない。すべて合議による。これにより、信頼と透明性を担保するのです」


 士大夫の一人が小声で「なるほど……」と呟いた。かつての専制と違い、今度は自分たちにも議論の余地があることを理解したのだ。


―――


 王が玉座から前を見据え、ゆっくりと言葉を発した。


 「ならば、余も賛成する。段階的に進めることで、民を守り、伝統を損なわず、国を強くするのであれば――評議会にて、この道を歩もう」


 その言葉に、広間に集う面々は一斉に頭を垂れた。


―――


 雪が舞う外庭。松の枝に積もった雪が重みで落ち、石畳に淡い音を立てて砕け散る。龍馬はその音を聞きながら、陸奥に小声で語った。


 「急げば雪崩れ、ゆっくりならば雪解け。……合邦も同じことぜよ」


 陸奥は微笑み、白い息を吐きながら答えた。

 「ええ。雪解けの水はやがて大河を作る。今はその始まりに過ぎません」


―――


 こうして「合邦詔草案」は連合評議会に正式に提出され、朝鮮近代化の第一歩が確かに刻まれたのであった。

王宮の大殿での議論がひと区切りついた午後、雪解け水のように冷たい空気が石畳を渡っていた。評議会の机の上に、新たな巻物が広げられる。それは藤村が江戸から送った配分表の控えであった。


 「関税収入配分表――海横四〇、繰上三五、衛教一五、予備一〇」


 陸奥宗光が読み上げると、通訳が朝鮮語で丁寧に繰り返した。重々しい数字の響きが広間に落ち、士大夫たちは互いに視線を交わした。


 「これは……何を意味するのか」

 財政官僚のひとりが問いかける。額には冷や汗がにじんでいた。


 陸奥は巻物の端を押さえ、落ち着いた声で答えた。

 「これは日本本土で既に用いている予算配分の方式です。港湾収入や関税をこの割合で振り分ければ、無駄なく運用できる。特に注目すべきは“衛生と教育”に一五%を固定する点です」


―――


 会場の後方にいた若い士大夫が手を挙げた。

 「衛生と教育に一定の割合を――。だが、これまでの朝鮮の財政は、王室と軍事に偏ってきた。民に直接還元されることはほとんど無かった」


 陸奥は静かに頷いた。

 「だからこそ、新しい配分を取り入れるのです。病を防ぎ、子に学を授ける。これは遠回りに見えて、国の基盤を固める最短の道です」


 その言葉に、重臣たちの間にどよめきが広がった。


―――


 一人の高官が声を張った。

 「しかし、数字を固定してしまえば柔軟性が失われる。飢饉や戦乱が起こればどうするのだ」


 龍馬が袖を翻して立ち上がった。

 「だから“予備一〇”があるんぜよ。困難に備えるための貯えじゃ。普段は使わず、いざというときにだけ使う。それがあれば臨機応変に対応できるがや」


 軽やかな土佐弁が広間に広がり、士大夫たちの硬い表情が少し和らいだ。


―――


 財政官僚の一人が震える手で巻物をなぞった。

 「ここまで明確に数字を示された予算表は、我らの記憶にはない……。これならば役人の私腹を肥やす余地も減るだろう」


 別の官僚が低く呟いた。

 「なるほど、汚職を防ぐには、まず数字を明るみに出すこと……」


 やがて、王族代表が口を開いた。

 「王室の費用は、この配分のどこに含まれるのか」


 陸奥は深く一礼し、答えた。

 「王室の尊厳を守る費用は“繰上三五”の中に組み込まれます。儀礼・行事も含めて記録し、国の品位を保つ。決して軽んじることはありません」


―――


 沈黙が流れた後、年長の士大夫が口を開いた。

 「……民のために衛生と教育を重んじる配分、王室の威を守る仕組み、そして予備の余地。確かに、これならば国は揺らがぬかもしれぬ」


 場内にゆるやかな頷きが広がった。


―――


 評議会後、広間を出ると雪がちらついていた。石畳に白い斑点が舞い落ちる中、龍馬が肩をすくめて言った。


 「数字を示せば人は安心する。けんど、それを守り続けるのは骨が折れるぜよ」


 陸奥は雪を払いながら笑った。

 「骨を折るのが政治の役目でしょう。だが、その骨が折れれば国も倒れる。だからこそ、数字を骨組みにするのです」


 二人の声は冬空に溶け、広間で交わされた数字の重みが雪の冷たさとともに心に残った。


―――


こうして「関税収入配分表」は朝鮮統治にも準用され、日朝双方が初めて同じ数字の基準を共有することとなった。財政の透明性と公平性――それは、信頼という見えざる資本を積み上げる第一歩であった。

冷たい風が王宮の庭を渡り、雪をまとった松の枝が小さく震えていた。大殿の中では、火鉢の赤がほのかに揺れ、冬の静けさを押し返すように人々の声が響いていた。そこに座するのは、王族代表、士大夫層の代表、そして日本からの陸奥宗光と坂本龍馬をはじめとする代表団。


 「本日より、重要な政務は三者の合議によって決する」


 陸奥の声が広間に落ちると、通訳が静かに朝鮮語に移した。重厚な響きが石の床を伝い、士大夫たちは互いに顔を見合わせた。


―――


 これまでの朝鮮に、真に「合議」の場はなかった。王命は絶対であり、士大夫は諫言こそすれ、王の意を左右することは難しかった。だが今、机を囲む全員に発言権が与えられている。


 年配の士大夫が筆を持ち上げ、低い声で尋ねた。

 「我らの意見も、王室と同じ重みを持つというのか」


 通訳が言葉を伝えると、陸奥は穏やかに微笑んだ。

 「その通りです。三者の合意がなければ、どの案も実行には移されません。独裁ではなく、対等な議論の上に成り立つのです」


 士大夫たちの間に小さなざわめきが走る。


―――


 坂本龍馬が袖を払って前に出た。

 「わしらが作りたいのは、“誰か一人の国”やない。“みんなが納得して進む国”ぜよ。急に西洋の真似をせんでもええ。まずは合議や。話し合いの積み重ねが、一番強い土台になるきに」


 その土佐弁混じりの言葉に、場内の空気が少し和らいだ。笑みを浮かべる若い士大夫もいた。


―――


 王族代表が立ち上がり、慎重な表情で言葉を選んだ。

 「王室の意見も、尊重されるのであろうな。我らの威信が損なわれてはならぬ」


 陸奥は深く頭を下げた。

 「もちろんです。王室は国の象徴であり、精神的支柱です。その声が軽んじられることは決してありません。むしろ、王室の意志を他の代表と共に形にしていく場が、この評議会なのです」


 その説明に、王族代表はゆっくりと頷き、席に戻った。


―――


 議題の一つに「教育の整備」が取り上げられた。日本側は衛生と算術を中心に据える提案を行い、士大夫は儒学を重んじる立場からの意見を述べる。


 「伝統を残すことと、新しきを取り入れること……その両立は可能であろうか」


 とある若い士大夫の問いに、龍馬はにやりと笑った。

 「それが合議のええところじゃ。残すも入れるも、全部机の上に出して、納得するまで話しゃええ。ひとりで抱え込むから衝突するんじゃ」


 その言葉に、重臣の一人が思わず膝を打った。


―――


 やがて議論は熱を帯び、時に声が重なり合い、時に沈黙が落ちる。だが、最後には必ず一つの結論にまとまっていった。全員が「自分も関わった」という実感を持てる仕組みが、場に新しい活力をもたらしていた。


 会議の終わりに、年長の士大夫が立ち上がり、深々と頭を下げた。

 「合議とは、ただの言葉ではなかった。……我らも声を持てると知り、胸のつかえが下りた思いだ」


 王族代表も静かに言葉を添えた。

 「王室の声もまた、この場で形となる。これならば民も納得するだろう」


―――


 広間を出ると、外は雪が舞い始めていた。龍馬が肩をすくめ、隣を歩く陸奥に囁いた。

 「合議の場は時間がかかる。けんど、人の心を合わせるにゃ時間がいるきに」


 陸奥は笑みを浮かべ、頷いた。

 「急ぐよりも、納得を重ねる方が強い。それを今日、確かに見ました」


―――


こうして「連合評議会」は、独裁でも命令でもない、新しい形の合議制として動き始めた。王族、士大夫、日本代表――三者が机を囲む光景は、朝鮮における評議制民主主義の萌芽であり、未来への静かな灯火となった。

初冬の王宮庭園は、朝の雪を薄くかぶり、松の枝が白く縁どられていた。凛とした冷気のなか、池の氷がきらめき、吐く息が白く舞った。大殿の障子が開き、会議を終えた連合評議会の代表たちが一人、また一人と庭に姿を現した。


 陸奥宗光は裾を正しながら外へ出た。頭の中には、先ほど決定したばかりの議事の数々が鮮やかに残っている。地租と戸籍の統一、司法制度の調整、そして合邦詔草案。いずれも一朝一夕では成らぬ重い課題であったが、確かな一歩を踏み出した実感があった。


 「陸奥どん、ようやったなあ」


 隣に立った坂本龍馬が、寒気をものともせず豪快に笑った。彼の息は白い煙のように宙を舞い、冬空に溶けていった。


 「評議会は合邦への最良の準備段階や。誰もが自分の声を出し、皆で決める。その積み重ねが、統合への道筋を作る」


 陸奥の言葉に、龍馬は力強く頷いた。


 「そうぜよ。無理に飲ませても喉を詰まらすだけ。みんなが納得して一つになる。それが本当の統一じゃきに」


―――


 庭園の奥から王族代表が歩み寄ってきた。彼は足元の雪を踏みしめながら、静かに口を開いた。


 「王室の存置が約されたこと、安堵しております。我らにとって王室は血脈であり、誇りでありますゆえ」


 陸奥は深く頭を下げた。

 「誇りを守りつつ、近代の風を取り入れる。それがこの評議会の役割です」


 その答えに、王族代表の表情はわずかに和らぎ、目尻に雪解けのような微笑が浮かんだ。


―――


 士大夫の若手たちも集まってきた。彼らは議場では真剣に論を戦わせたが、今は雪を握りながら子どものように顔を赤らめている。


 「これまでの朝議は、上からの命をただ聞くばかりでした。しかし、今日は我らの言葉が机の上に並び、形となった。……胸が熱くなりました」


 一人の士大夫が感慨を漏らすと、他の者たちも口々に頷いた。


 龍馬はそんな若者たちを見て、にやりと笑った。

 「そうやって自分の言葉で国を動かす経験を積んでいけば、いずれ大きな流れになる。評議会はその最初の小さな波ぜよ」


―――


 庭の中央には雪をかぶった松が立ち、その枝の間から冬の陽が差し込んでいた。冷たい風が吹き、雪片が舞い上がる。その光景を見つめながら、陸奥は胸の奥で言葉を結んだ。


 「連合評議会は合邦への道を照らす灯火だ。急がず、しかし確かに、この灯を絶やさぬように育てねばならぬ」


 その声に応えるように、龍馬が笑いながら言った。

 「一本の背骨で繋がった軍、合議で動く政、そして民が納得する経済。……全部が揃えば、もう誰にも揺らされんぜよ」


―――


 遠く、鐘の音が響いた。冬の澄んだ空気に溶け、庭園を包み込むように鳴り渡った。その音は、古き伝統と新しき制度が交わり合い、ひとつの国を形づくろうとする響きのようでもあった。


 雪の庭を歩きながら、陸奥も龍馬も、そして王族も士大夫も、それぞれの胸に同じ未来の姿を思い描いていた。


 それは、王室の誇りを守りつつ近代化を進める、巧妙でしなやかな制度設計の未来。

 連合評議会という小さな輪が、やがて合邦という大きな環へと繋がる――その確信が、白い雪明かりの中にくっきりと刻まれていた。

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