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158話 :(1869年7月下旬/盛夏:D+60) 租税と関税

盛夏の台南は、湿った熱気が石畳を焼き付けるように漂っていた。海からの風が吹き込んでも、蒸した空気は肌にまとわりつき、汗を拭ってもすぐに滲み出てくる。そんななか、台南府庁の大堂では、朝から大勢の人々が行き交っていた。


 庁舎の広間には、長机がいくつも並べられ、その上には帳簿や竹簡、そして新たに日本から持ち込まれた洋紙と鋼鉄のペンが並んでいる。机の一方には現地書記たちが、もう一方には日本から派遣された事務官たちが座し、互いに言葉を交わしながら筆を走らせていた。


 「名前、年齢、家族の人数は……」

 現地の書記が福建語で問いかけ、それを通訳が日本語に改める。日本の事務官はすぐさま帳簿に記入し、確認の印を押した。


 列に並んだ住民たちは最初こそ不安げだったが、次第に安堵の表情を見せるようになっていた。記録を終えた農民の一人が、帰り際に呟いた。

 「これまで税を取られるだけで、名も歳も聞かれたことはなかった。……こうしてきちんと記録されるのなら、子や孫も安心だ」


 その声は列に並ぶ人々の耳に届き、静かなうなずきが広がった。


 ――統治の基本は、まず現状を知ることから。


 江戸の藤村は、机上に届いた報告書の端にその言葉を書き付け、深く息をついた。江戸城の執務室にも夏の光は容赦なく差し込み、障子越しに蝉の声が響いていた。台湾で進められている戸口・地籍の暫録は、ただの数字や文字の羅列ではない。人々の生活を「見える化」する第一歩であり、これなくして税制も統治も成り立たないのだ。


 ――――


 現地では、作業を進める日本人事務官と現地書記の間で、自然と学び合いが生まれていた。


 「この記号は何を意味する?」

 日本の若い事務官が竹簡の古い符号を指差す。


 「これは“租地”を表す印です。清の頃から続いています」

 年配の現地書記が即座に答えた。


 「なるほど。では日本式では、こう記す。――地租の区分を分ければ、誰がどの土地を耕しているか、すぐにわかる」


 互いの筆記法を教え合い、紙面の上に新旧の符号が並んでいく。そこには文化の衝突ではなく、融合の姿があった。


 「これで、我らの土地もきちんと認められるのか」

 ある農夫が問いかけると、事務官は真っ直ぐに答えた。

 「記録するということは、守るということだ。土地も家も、帳簿に刻まれたものは国が保証する」


 農夫の顔に、初めてのように安心の笑みが浮かんだ。


 ――――


 江戸に届く報告の束は日ごとに厚みを増し、藤村の机を埋めていった。


 「住民の協力的態度顕著。聞き取り調査、順調」

 「台南周辺の人口、予備集計にて十万を超える見込み」

 「土地台帳、次月末までに一次完成予定」


 報告書を繰りながら、藤村は小さく独白した。

 「税とはただの金のやり取りではない。人を数え、土地を量り、暮らしを記録することだ。……それが秩序の根本になる」


 外では夏の夕立が始まり、激しい雨が瓦を叩いていた。藤村は雨音に耳を傾けながら、台湾の湿った空気と、そこで暮らす人々の顔を思い浮かべた。


 ――これから先、数字と記録が彼らを守る盾となる。


 そう確信すると、筆を取り、新たな覚書にこう書き加えた。


 「租税と関税の統一は、単に金を集めるためではない。民の信を集めるためである」


 その一行が、江戸の夜に灯火のように浮かんでいた。

蝉の声が絶え間なく鳴き響く台南の午後。府庁の奥に設けられた会議室では、扇風機もない蒸し暑さの中、日本側の事務官と現地の商人・官僚が向かい合っていた。机の上には、厚紙に刷られた新しい税制布告案と、清朝以来の複雑な税目がびっしりと記された古い帳簿が並べられている。


 「……これまでの税は、土地の広さと収穫高で決められてきた。だが港に運ぶ途中で徴税があり、さらに倉庫で課税、そして輸出の際に関税……」

 現地商人のひとりが、汗を拭いながら苦々しく語った。

 「何度も取られるから、商売をしても利益が残らぬのです」


 それを聞いた日本の事務官は、布告案を手に取り、通訳を介して静かに説明した。

 「日本式では、徴収を二段階に統一する。港に入る時の関税、そして通商に必要な印紙代。それ以外は不要だ。重複は排す」


 広間にざわめきが走る。現地の役人たちは互いに顔を見合わせ、長年の慣習を手放すことへの不安を隠せないでいた。


 そこへ、江戸からの藤村の訓示が読み上げられた。書状にはこう記されていた。

 「急激な改革は、民を疲弊させる。三年をかけ、段階的に移行せよ。まずは既存の税率を据え置き、次に日本式の方式に慣れさせ、最後に完全な統一を行う」


 その文言が響くと、会場の空気が少し和らいだ。現地官僚の一人が口を開いた。

 「三年……ならば民も混乱せずに済もう。税の据置は安心材料だ」


 さらに日本側は、軽減税率の一覧を示した。

 「機械、医薬品、学問に関する書物――これらは発展のために必要だ。したがって他の商品より低い税率とする」


 通訳が声を張り上げると、会場から思わず安堵の笑みがこぼれた。とりわけ医薬品を扱う薬舗の主人は大きく頷いた。

 「これで薬が高騰せずに済む……病に苦しむ民が救われる」


 ある若い砂糖商人も声を上げた。

 「合理的だ! 商人は計算できることを望んでいる。清の頃のように役人ごとに税が変わるのはもう御免だ」


 日本側の事務官たちは記録を取りながら、現地の反応を丁寧に書き留めていった。税制はただ数字の問題ではなく、人々の信頼をどう得るかという問題である。


――――


 その夜、藤村のもとに届いた報告電信には、こう記されていた。

 「段階的改革案、住民おおむね好感。特に軽減税率に理解。――混乱少なし」


 藤村は机の上の地図を見つめながら、静かに呟いた。

 「税は国家の血管だ。流れを急に変えれば体は壊れる。だが道筋を整えれば、血は自然に巡り、体は健やかになる」


 障子の外では、盛夏の夜風が木々を揺らしていた。その音に耳を傾けながら、藤村は次の一手――台湾の税制統一の完成形を心に描いていた。

台南の府庁の奥、ひんやりとした石造りの広間に、昼の熱気を避けるように重苦しい空気が漂っていた。そこには清朝から派遣された使者二名と、台湾在地の官僚数名、日本側からは榎本武揚、陸奥宗光、それに通訳たちが居並んでいる。机の中央には一枚の羊皮紙――「租借恒久化案」の草稿が置かれていた。


 「皇帝の権威を傷つけぬこと。それが第一の条件です」

 清朝使者は険しい顔で言い切った。口調は硬いが、その瞳には一縷の期待も宿っている。


 榎本は頷き、用意してきた文案をそっと示した。

 「ここをご覧いただきたい。“台湾島は清帝国の領土であることを確認する。ただし、軍事・行政・財政の実務は日本国が代行する”――これは、あくまで“代行”であって奪取ではない」


 通訳が伝えると、清朝官僚たちの眉間の皺がわずかに緩んだ。彼らが最も恐れているのは「皇帝の威信が地に落ちる」ことだった。名目さえ保たれれば、実際の権限を手放すことも飲める余地がある。


 陸奥宗光がゆっくりと言葉を重ねた。

 「我々は清朝を辱めるつもりは毛頭ございません。むしろ、この島の秩序を維持し、外敵の侵略を防ぐことで、皇帝の徳を輝かせるつもりです」


 清側の一人がため息を吐いた。

 「……もしそれが真実なら、我らも面子を保ちつつ、この案を持ち帰ることができるだろう」


―――


 会談が一時休憩に入ると、榎本と陸奥は広間の隅に退いた。榎本は扇を広げ、低く囁いた。

 「陸奥、これは綱渡りだぞ。清の面子を保たせすぎれば我らの権限が揺らぐ。だが削れば即座に反発だ」

 陸奥は涼しい顔で応じる。

 「外交とは常にその綱渡りです。だが今は好機。欧米列強は清国の弱さを知りながらも直接支配には動かぬ。だからこそ“日本が管理する”という形に彼らも利を見いだすでしょう」


 その時、通訳が駆け寄り、清側が再開を望んでいると告げた。榎本は深く息を吸い、再び中央の机に歩み寄った。


―――


 午後の協議は、細部の調整に移った。租税の分配比率、貿易港の開閉、外交文書の署名順……ひとつひとつに「清の面子」と「日本の実権」が交差する。


 「税収の報告書は“清国宛”にて作成する。ただし実際の徴収・管理は日本が行う」

 「外交上の通報は“皇帝陛下の御名”で発せられる。しかし内容の起草は日本側が担う」


 表向きの看板は清、だが中身の歯車は日本が回す――それが陸奥の描いた構図だった。


 清朝官僚のひとりが、ようやく口元をほころばせた。

 「……これならば我らも北京に顔向けできよう。皇帝の威信は守られ、島は安定する」


 榎本はその言葉に頷き、心中で静かに叫んだ。

 ――これで、実質的統治権は我らの手に落ちた。


―――


 その夜、江戸の藤村邸に届いた電信には、陸奥の筆跡が並んでいた。

 「租借恒久化案、清側概ね了承。面子条項により反発回避見込み」


 藤村は電文を読んで、灯火の下で独り微笑んだ。

 「権威を奪わず、権力を得る。――これぞ近代外交の妙だ」


 夏の夜風が庭を渡り、竹の葉がさやさやと音を立てた。数字だけでは動かぬ国際秩序、その裏に潜む人の心を読んでこそ、統治の基盤は固まっていくのだった。

七月の台南は、湿り気を含んだ重たい風が町の通りを吹き抜けていた。港には砂糖を積んだ船、樟脳を樽に詰め込む労働者たちの掛け声、そして検査のために待つ船主や商人たちのざわめきが渦巻いていた。だがその場に立ち会った船主たちが最も気にしていたのは、船腹に積まれた商品そのものよりも「保険料率」の新制度であった。


 榎本武揚総督の脇に、外套を翻しながら立つのは陸奥宗光。彼は手元の書類を指で軽く叩きながら、各国から集まった保険会社の代表に向けて声を張った。

 「諸君、これより台湾航路における新たな保険制度を布告する。――船齢ごとの割増・割引を導入し、新しい船ほど安い料率で航海できるようにする」


 通訳の声が広間に響き渡ると、欧米の保険商たちはざわめき、互いに視線を交わした。あるイギリス商館の代表が小声で言った。

 「新しい船を持つ者にとっては有利だが……老朽船の扱いはどうするつもりだ」


 榎本がすぐさま応じる。

 「老朽船であっても、修繕証明を提出すれば追加割増を軽減できる。つまり、投資と整備を怠らぬ者を守り、怠ける者にのみ負担を課す仕組みだ」


 その説明に、場内の空気が落ち着いた。


―――


 会議の後、船主たちが港の倉庫で集められた。木の机に広げられた契約書には「台湾航路保険規程」の文字が躍っている。商人たちはそれを覗き込み、複雑な英文条項を通訳に確認しながら、少しずつ納得の色を見せていった。


 「つまり……わしの新造船なら、これまでより〇・二ポイント安くなるということか」

 「そうだ。しかも検疫を遵守すれば、さらに割引される」

 「ほう……船を新しくし、規律を守れば守るほど得をする、というわけか」


 労働者上がりの船主が、腕を組みながらうなる。彼の顔には、これまでの「高い保険料に泣かされてきた」疲れと苛立ちが刻まれていたが、今はわずかに希望が灯っていた。


―――


 一方で、古参の船主のひとりが、ためらいがちに口を開いた。

 「だが、新しい船を持つ余裕のない者はどうなる。皆が新造船を買えるわけではない」


 その言葉に榎本は静かに首を振った。

 「だからこそ、修繕証明を提出する道を開いた。船を大切に使う者は保護される。逆に、朽ち果てた船で海を渡る者は、他人の命をも危険にさらす。――これは罰ではなく、責任の分配なのだ」


 陸奥が横から補足する。

 「そして重要なのは、この制度によって“安全な航路”が証明されることだ。保険会社は台湾航路を“安定した投資先”と見なし、外国の資金が流れ込む。つまり、諸君自身の船も長期的には潤う」


 通訳が言葉を伝えると、ざわめいていた場の空気が次第に落ち着きを取り戻した。


―――


 その日の夕刻。台南港に停泊する大型帆船の甲板で、契約を終えたばかりの船主たちが潮風に髪をなびかせながら、互いに握手を交わしていた。


 「これなら、もう無理に積荷を増やして沈没を恐れることもない」

 「余分に払っていた保険料が浮けば、新しい帆布や道具に投資できる」

 「日本の制度は理に適っている……そう思わぬか?」


 仲間同士の会話が自然と漏れ、笑みさえ浮かび始めていた。


―――


 夜。江戸の藤村邸に届いた電信は短い文言であった。

 「台湾航路保険制度、列強代表承認。船齢別割増導入。保険料〇・二ポイント低減成功」


 藤村は書斎でその電文を読み、静かに息を吐いた。帳簿の横に積まれた砂糖の契約書や統治費用の明細に目をやりながら、心中で思った。

 ――これはただの数字の変化ではない。命を守り、船を守り、未来の投資を呼び込む“仕組み”の勝利だ。


 彼は机上の蝋燭の炎を見つめ、遠い台湾の港で交わされた握手を想像した。そこには確かに、「統治を経済と結びつける」新しい近代国家の姿が芽生えていたのである。

七月も終わりに近づき、台南の空は入道雲が白く高く盛り上がっていた。蒸し暑い風が街路を吹き抜け、人々は団扇で顔をあおぎながら往来を行き交う。その一方で、鎮撫府の会所では統治費用の帳簿が一行ごとに検められていた。


 「統治関連費用、九千両にて今月を収束」

 主計官が読み上げる声が、広間に低く響いた。彼の指は墨痕鮮やかな帳簿の列をなぞり、一つひとつの数字に赤と黒の印をつけていく。


 机上に並べられた項目は実に細かい。

 ――配給米・塩:二千三百両

 ――治安維持(憲兵・地元保正給与):千七百両

 ――教育(学校・掲示・体操教材):六百両

 ――医療(薬・診療・検疫幕舎):千両

 ――経済支援(港手形・倉庫改修):八百両

 合計を積み上げると、九千両。


 「……前月より経費を一割削減しつつ、成果はむしろ拡大しております」

 主計官の声は静かだが、誇りを帯びていた。


―――


 榎本武揚総督は帳簿を手に取り、頁をめくりながら問いかける。

 「削ったはずの経費で、どうして学校と診療所が増えているのか」


 横に控えていた書記官が即答した。

 「港倉に設置した湿度計が、同時に衛生掲示板の下地として利用可能と分かり、二重投資を省けました。また、学校の教材は常陸から送られてきた古帳面を再製紙として活用しております」


 榎本は目を細め、口元に笑みを浮かべた。

 「工夫で費用を削り、なお成果を上げるか。――これは藤村長官の“無駄を嫌う癖”が、江戸からここまで届いたのだな」


 会所の窓から差し込む陽光に、埃がきらめきながら舞っている。机を囲む官僚や技師、現地の通訳官までがその言葉に頷いた。


―――


 その日の午後、鎮撫府の広場では住民説明会が開かれた。簡易な帳簿の写しが壁に貼り出され、誰でも覗き込めるようにしてある。


 「見てごらんよ、米と塩の配給にどれだけ使われたか、ちゃんと書いてある」

 「ほう……前よりも少ない金で、配給が増えておるぞ」


 集まった農民や商人たちの声は驚きと安堵に満ちていた。これまで清朝の役所では、税銀がどこに消えたのか誰も分からなかった。だが今は違う。数字は開かれている。


 ある若い商人が小さな声で呟いた。

 「これなら、こちらも安心して税を納められる。無駄遣いされぬなら、負担もまた誇りになる」


 それを聞いた憲兵隊の下士官が、そっと背筋を伸ばした。統治の正当性とは、兵の銃剣よりも帳簿の一行に宿る――それを実感する瞬間だった。


―――


 夕刻、榎本は台南城の高台に立ち、港を見下ろした。砂糖を積んだ船がゆっくりと沖に滑り出していく。空は茜色に染まり、海面には金の光が揺らめいていた。


 「費用九千両。……この数字はただの支出ではない」

 榎本は胸の内で言葉を続けた。

 「数字の裏に、人々の飯と塩と薬と教えがある。無駄を削り、効率を高めることが、住民の信頼を育てるのだ」


 近くで控えていた副官が記録帳を閉じ、深々と頭を下げた。

 「総督、現地住民の協力度は日を追って高まっております。会計の透明さこそ、最大の武器でございます」


 榎本は静かに頷き、遠い江戸を思い浮かべた。藤村が机上で細かな数字を積み重ねている姿を。

 ――江戸と台南、海を隔てた二つの机に刻まれる数字が、やがて日本という国を支える骨格になる。


 そう確信しながら、彼は夕闇に沈む港を見つめ続けた。

七月最後の夕暮れ。台南の税関所には、一日の業務を終えた職員たちの声がまだ響いていた。西の空には赤紫の帯が広がり、港の水面はその色を映して揺れている。荷を積んだジャンク船や洋式帆船が、ゆるやかに沖へと漕ぎ出していた。


 その税関の執務室で、一人の現地職員が机に広げられた紙を丹念に確かめていた。厚紙にしっかりと貼られた日本式の印紙。そこには墨で「租税印・壹圓」と明記され、偽造防止のための透かし模様まで施されている。


 「これが……新しい方式か」

 彼は指で紙の感触を確かめ、小さく頷いた。隣の同僚が言葉を継ぐ。

 「前は複雑で、どの文書にどの印を押すのか、役人によって違っていた。だが、今は一目で分かる。……前よりずっと楽だ」


 机を囲んでいた若い書記官たちも、互いにうなずき合った。旧来の清朝式の税制は、土地税、通行税、雑税と細分化され、賄賂や裏取引が常態化していた。しかし今は違う。印紙が貼られ、記録簿に番号が書き込まれる。手続きは透明で、誰の目にも等しく見える。


―――


 外では、関税所の窓口に行商人が並んでいた。暑さに汗をかきながらも、彼らの顔には不思議と安堵が浮かんでいる。


 「見ろよ、今日は三十文だ。昨日と同じ額だ」

 「うむ、役人に袖の下を渡さなくても通してくれる。こんなことは初めてだ」


 行商人たちは互いに頷き合い、手形を握りしめて港へ向かっていった。そこには新しい秩序への信頼が芽生え始めていた。


―――


 やがて夜の帳が下りる頃、台南城の一室で榎本武揚と藤村の代理官が報告書を整理していた。窓の外からは虫の声が入り、灯火に映える紙面にはびっしりと数字が並んでいる。


 「現地職員の評判は良好。印紙制度は理解され、むしろ歓迎されております」

 代理官の声に榎本は深く頷いた。


 「租税と関税は国家の血管だ。ここが詰まれば国は死ぬ。だが流れが整えば、すべてが活きてくる」


 彼の声には確信があった。税制は単なる収入の仕組みではない。それは人々の生活と労働を正しく循環させるための血の道であり、国家を動かす動脈だった。


―――


 その夜遅く、江戸の藤村にも台南からの電信が届いた。


 《台南税関、印紙制度浸透。住民・商人共に好評。租税関税改革、定着しつつあり》


 藤村は報告を読み、静かに目を閉じた。机上のろうそくが小さく揺れ、墨の香りが漂う。


 「……租税と関税。制度が定まったとき、国もまた定まる」


 その言葉を胸に、彼は窓の外を見やった。江戸の夏の夜風が障子を震わせ、遠くには隅田川の水音がかすかに聞こえる。


 海を隔てた台南と江戸。二つの地で刻まれる制度と数字は、やがてひとつの国の未来を形作るだろう。藤村はその確信と共に筆を執り、次の指示を書き始めた。

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