112話:改易の朝―秩序は速さ/賠償の骨組
夜明け前の萩城下は、深い霧に包まれていた。夏草の匂いと、遠く波打つ音が、町全体をゆるやかに満たしている。だが、その静けさの奥では、武家屋敷の門が次々と開き、戸籍簿や土地台帳を抱えた役人たちが、決められた持ち場へと急いでいた。
「地券改正は本日より開始する。旧領主名義はすべて抹消し、新たに幕府名義で発行せよ」
藤村の低い声が、城内政庁の広間に響いた。長机には墨壺と朱筆、束ねられた白紙の地券。十名余りの書役が背筋を伸ばして座り、その背後には護衛の武士たちが腕を組んで目を光らせている。
「戸長の任命は?」
渋沢が帳簿を繰りながら答えた。
「各町村に一名ずつ。地元からの推挙で、読み書きができ、帳簿をつけられる者に限りました」
「よし。戸長は徴税と衛生札の管理を兼ねる。選びを誤れば町はすぐ乱れるぞ」
衛生札――港や市場に掲げる木札で、青は安全、黄は注意、赤は危険を示す。戸長が定期巡回し、札を差し替えることで衛生状態を一目で把握できる仕組みだ。藤村は札の束を手に取り、傍らの若い兵に渡した。
「これを各市場に。札が変われば商人も客も動きを変える。病を出すな、町を死なせるな」
外では既に市場の設営が始まっていた。魚屋の台の脇に桶が並び、井戸水と石鹸が置かれる。桶には檸緑を薄めた液が注がれ、客や商人が手を洗ってから商品に触れるよう促されていた。女将たちは最初こそ怪訝そうだったが、手を浸すと香りがよく、魚の生臭さが取れることに驚きの声を上げる。
「これはええわ。客も品も清潔になる」
藤村はその様子を遠目に確認し、再び政庁へ戻った。今日はもう一つ、大きな議題が控えている――四国連合艦隊との賠償交渉の骨子合意である。
広間の上座には、幕府、常陸藩、軍功諸藩の代表が並び、壁際には通訳役の昭武が控えていた。卓上には英語とフランス語で書かれた合意文草案が広げられている。
「総額三百万ドル。三回分割で日本へ支払う。第一回は来年二月、百二十万。二回目も同額を翌年、最後の六十万をその翌年二月とする」
藤村が淡々と読み上げる。昭武が英語で繰り返し、さらにフランス語で要点を補足する。外国使節たちは頷き、手元の文書に朱印を入れた。
「薩英戦争賠償の残額七十五万は既定通り。第一回七十五万は常陸が受領し外貨準備へ。残り七十五万のうち薩摩へ四十五万、幕府へ三十万を年内に払う」
渋沢が別紙を広げ、国内配分を示す。四国賠償三百万のうち、幕府四割の百二十万、常陸三割の九十万、軍功諸藩三割の九十万――配分は港監督の実績、弾着修正の精度、負傷率などの数値指標で決定する。
「つまり、働きに応じた分け前だな」軍功藩の代表が頷く。
「功があれば銭が動く。情ではなく数字で決める」
会議の終盤、昭武が口を開いた。
「この合意文、独語訳も加えておきましょうか」
「……ドイツ語も?」
「はい。将来、プロイセンや北ドイツ連邦と交渉する際に有用です」
藤村はわずかに笑みを見せた。
「いいだろう。ただし、余計な手の内は見せるな」
昭武は静かに頷き、筆を取った。
外に出れば、霧は晴れ、冬を告げる冷たい風が城下を渡っていく。地券改正の札が新たに掲げられ、戸長たちが衛生札を巡っている。港の方角からは荷役の掛け声が響き、積まれた箱の側面には「常」の焼印が並んでいた。
速さは秩序の証し――藤村はそう心に刻み、賠償交渉の次の一手を思案した。
昼を回ると、萩の町はようやく賑わいを取り戻しつつあった。城下の大通りには、地券改正の告示を確かめに来た町人や、衛生札の交換を見物する農夫たちが行き交っている。
藤村は政庁を出て、二人の護衛とともに城下を歩いた。道沿いの戸長所では、先ほど任命されたばかりの戸長が、机に向かって地元の者の名前をひとつずつ帳簿に記している。
「これは持ち家か、借家か」
「借家です。主は下関におります」
淡々としたやり取りの背後では、子どもが市場帰りの母親と並び、青い衛生札を指差して喜んでいた。
「今日は青だね!」
その声に、母親も笑って頷く。
衛生札の色は、町の空気を変える。青札の日は安心して市が立ち、黄札の日は水を沸かして使い、赤札が出れば人通りもぐっと減る。藤村は、衛生が数字や理屈ではなく色で伝わることの力を改めて感じていた。
◇
港へ向かう途中、藤村は一軒の大きな倉庫に足を止めた。入口の戸口には、先ほど貼られたばかりの赤札が揺れている。中から顔を出したのは、白髭の古参商人だった。
「旦那、この赤札は……」
「軍需品の保管と判定された。大砲の弾、銃、火薬、それらに類する物は一時没収だ」
商人は苦い顔をしつつも、やがて肩を落とした。
「わかりました。命あっての商売ですけぇな」
藤村は軽く頷き、記録役に赤札番号と品目を控えさせた。
港では、荷役人足が石炭の山を崩し、袋詰めにして船へ運び込んでいる。これは敵艦から押収した燃料ではない。戦前から貯蔵されていた、長州の艦船用の備蓄だ。港監督の指揮で厳密に封印され、一部は幕府艦隊の補給に回される。
「この石炭庫、封印は二重にしてあるか?」
藤村の問いに、港監督が即答する。
「はい、鎖と封印札、それと番兵を置いております」
「よし。これで港の動脈は我らの手の中だ」
◇
午後、政庁の会議室では賠償交渉に関する最終調整が続いていた。机の上には、四国連合艦隊の代表が署名を入れた予備合意書が置かれ、その脇には英語、フランス語、さらにドイツ語訳の文書が整然と並んでいる。
昭武が指で三枚の書類を示しながら言った。
「これで、主要三言語すべて揃いました。交渉の場でどの国が優位を取ろうとしても、文面の差で付け入る隙はなくなります」
渋沢が感心したように笑う。
「金の計算と同じですな。数が揃えば、余計な口論も減る」
藤村は椅子に腰を下ろし、視線を各代表に巡らせた。
「配分は既に確認済みだ。幕府に百二十万、常陸に九十万、軍功諸藩に九十万。この割合は港監督の実績、弾着修正の精度、負傷率など、すべて記録に基づく」
「功ある者が報われる。それでいい」
薩摩藩の使者が頷く。会議の空気は穏やかだったが、数字の裏では互いの腹の探り合いが続いている。
◇
夕刻、藤村は港の突堤に立ち、夕陽に照らされた積み荷を見下ろした。木箱の側面には「常」の焼印が並び、その脇に立つ兵が一つひとつ検査をしている。潮の匂いの中に、檸緑の柑橘香と、石炭の乾いた匂いが混ざっていた。
その横に、町の少年が駆け寄ってきた。手には真新しい青い衛生札を持っている。
「これ、戸長さんからもらったんだ!」
「そうか、大事にしろ。札の色が変わったら、ちゃんと従えよ」
少年は真剣に頷き、駆けていった。
藤村は、その背中を目で追いながら思った。――秩序とは、こうした小さな信頼の積み重ねだ。港も市場も、地券も札も、すべてはそのためにある。
明日はまた、新しい動きがあるだろう。だが今夜は、港の灯が静かにともり、波音が石垣を優しく打っていた。
夜の港は、昼間の喧噪とは別の顔を見せていた。突堤に沿って等間隔に灯がともり、その光が水面にゆらゆらと揺れる。荷役の作業はすでに終わっているが、倉庫の中では港監督と番頭たちが机を囲み、赤札・青札の台帳とにらめっこをしていた。
藤村は入口で一呼吸置いてから足を踏み入れた。木の床が鳴る音に、全員が顔を上げる。
「どうだ、整理は進んでいるか」
港監督が立ち上がり、台帳を差し出した。
「赤札倉は計十一棟。火薬、砲弾、銃器が主体です。青札倉は二十八棟。食料、布地、医薬が多く、すべて封印して保全中です」
藤村は台帳のページをめくり、細かな品目を目で追った。
「赤札の品は順次、萩港から下関へ回送せよ。港ごとに監査を入れ、紛失を出すな」
傍らの渋沢が、別の帳簿を開いて声を出した。
「三百万ドルの賠償金、第一回の百二十万分について、既に為替計算を済ませています。搬入港を横浜にする案と、長崎にする案の二つを比較しました」
「長崎は関税が軽くなるが、横浜は関東への輸送が容易だな」
「はい。常陸と幕府の取り分を早期に配分するなら横浜、軍功諸藩を含めるなら長崎が有利です」
藤村はしばらく考え、短く言った。
「両方使う。第一回は横浜、第二回は長崎。第三回は状況を見て決める」
◇
その翌朝、藤村は萩城の政庁広場に立っていた。城下の各町から呼び出された戸長や有力町人たちが、広場を半円状に囲んでいる。中央には長机が三つ並べられ、その上には地券の束と朱印、そして青・黄・赤の衛生札が整然と置かれていた。
「今日から、お前たちが町を守る。武士が守るのは戦、戸長が守るのは暮らしだ」
藤村の言葉に、戸長たちの顔が引き締まる。
「衛生札は毎朝確認し、必要なら色を替えろ。青の日は市を開き、黄の日は湯を沸かして水を使え。赤の日は人の集まりを避け、病の芽を摘む。それが町の命綱だ」
通訳がその言葉を英語とフランス語に直し、列席していた外国人領事たちにも意味が伝えられる。領事の一人が静かに頷いた。
「秩序がある町は、交易に向いている」
その一言は、藤村にとって何よりの褒め言葉だった。
◇
昼過ぎ、藤村は港のはずれにある検査所へ向かった。ここでは、港に入るすべての荷が札と帳簿で管理されている。入口には二つの列があり、右が青札荷、左が赤札荷だ。
「これは何だ?」
藤村が指差したのは、青札のついた大きな樽だった。
「干し魚です。塩分が強く、長期保存可能。兵站用としても使えますが、現状は市に回します」
「よし、札はそのままにしておけ」
別の場所では、赤札荷の検査が行われていた。木箱を開けると、中から鉄製の砲弾が現れる。
「三十二ポンド砲用か……」
検査役が頷く。
「はい。数は四百発強。全て計測し、重量を記録済みです」
藤村は眉をひそめた。
「封印を二重にしろ。搬送時は必ず監督をつける」
◇
その日の夕方、政庁の奥にある小部屋で、藤村と昭武、渋沢の三人が向かい合っていた。机の上には、英語、フランス語、ドイツ語の三種類の合意文と、それぞれの付属表が広げられている。
昭武がペンを置き、指で一行を示す。
「この部分、“compensation for the restoration of port order”の訳語ですが、仏語だと“indemnité pour la restauration de l’ordre portuaire”になります。ニュアンスとして、あくまで秩序回復の費用という意味を強調できます」
藤村は頷き、さらに独語の文面を確認した。
「Gut. これなら誤解は生まれない」
渋沢が笑みを浮かべる。
「三か国語揃えば、どこに持って行っても同じ意味になりますな」
窓の外では、港の方から船笛の音が響いてきた。藤村はふと、その音の向こうに、三年かけて支払われるはずの三百万ドルの銀貨を思い描いた。それは港を動かす燃料であり、町を生かす血潮でもある。
◇
夜、藤村は一人で城下を歩いた。昼間は人で賑わう大通りも、提灯の灯がゆらめくばかりで、足音がよく響く。角を曲がると、小さな市場があり、魚屋の台の脇に青い衛生札が掲げられていた。
「旦那、札のおかげで客足が途絶えません」
魚屋の女将が笑顔で言う。
「札は守りの印だ。色が変わっても、守ればまた青に戻る」
藤村はそう言い残し、港の方へ歩き出した。
港の突堤からは、真っ黒な海面に灯が映り、ゆっくりと沖へ出ていく船影が見えた。風は冷たく、しかし澄んでいて、遠くの水平線まで見渡せる。
――速さは秩序、秩序は信頼、信頼は力になる。
その思いを胸に、藤村は静かに港を後にした。
冬の気配が濃くなった萩の町に、冷たい風が吹き抜けていた。港から城下へと続く道には、荷を背負った男たちや、手をつないで歩く母子の姿がある。だが、数か月前の混乱とは違い、その歩みは落ち着いていた。道端には青い衛生札を掲げた茶屋が湯気を立て、干し魚や海苔を売る店先からは活気のある声が響く。
藤村は、通りを抜けて政庁へ向かう途中、ふと足を止めた。小さな魚屋の前で、桶の水に手を浸す少年がいる。桶の中には檸緑を薄めた液が満たされ、淡い香りが漂っていた。
「坊主、それは冷たくないか?」
藤村が声をかけると、少年は笑って首を振る。
「魚の匂いがとれるんだ。母ちゃんが、これを使えって」
その笑顔に、藤村は小さくうなずき、再び歩みを進めた。衛生札と桶——地味な道具だが、町を守る盾になる。
◇
政庁の会議室では、すでに幕府、常陸藩、軍功諸藩の代表が席に着いていた。机の中央には、地図と配分表、そして三か国語で書かれた賠償合意文が置かれている。
「では、配分の確認を行う」
藤村が口火を切る。
「四国からの三百万ドルは、幕府が四割、常陸が三割、軍功諸藩が三割。この比率は変えない。だが、各藩の分け前は功績に応じて再計算する」
「功績とは、何で測るのだ?」と一人の代表が問う。
渋沢が即座に答えた。
「港監督業務、弾着修正の正確度、負傷率の低減。この三つをKPIとして数値化しています」
「情ではなく数字か……」
「そうです。数字なら誰も文句は言えません」
静かなざわめきの中、藤村は次の議題を口にした。
「薩英戦争の残額七十五万ドルについては、薩摩が四十五万、幕府が三十万。期日は来年内だ。遅延があれば利息を上乗せする」
この厳しい条件に、一瞬空気が張り詰めたが、誰も反論はしなかった。
◇
会議後、藤村は昭武を伴い、港の埠頭へ向かった。潮は引き、海底の石畳がところどころ顔を出している。遠くには、積み荷を終えた帆船がゆっくりと沖へ出ていくのが見えた。
「第一回分の百二十万ドル、横浜着で間違いないですね」
昭武が念を押す。
「ああ。横浜なら関東への輸送が早い。常陸と幕府の分け前を先に回す」
「第二回は長崎……第三回は情勢次第、でしたね」
藤村は頷き、視線を海の向こうにやった。
「三年で三百万。受け取るだけでなく、使い方を間違えれば、町は死ぬ」
昭武は、手にした英・仏・独の合意文を見下ろした。
「この文書、領事たちにも好評でした。『秩序ある港』という言葉が効いたようです」
「秩序は港の命だ。銭はその血だ。どちらかが欠ければ、すぐに腐る」
◇
その夜、港の倉庫で、番頭衆が封印された赤札荷の確認を行っていた。油灯の明かりに照らされ、木箱の鉄の留め金が鈍く光る。
「三十二ポンド砲弾、計四百十八。封印、異常なし」
検査役の声が響く。藤村はその場に立ち会い、印を押した。
「封を破るときは必ず監督立ち合いだ。盗み出した者は即刻処罰する」
青札荷の倉庫では、干し魚や穀物、布地が積まれ、戸長が記録を取っている。市場に回す分は青札のまま、兵站に回す分には新たな印が押されていた。
「物が動くたびに札が変わる。面倒だが、この面倒さが秩序になる」
藤村の言葉に、戸長は深くうなずいた。
◇
深夜、政庁の一室に灯がともっていた。藤村と渋沢、昭武が机を囲み、翌日の行程を確認している。
「明朝は城下南の市場視察、その後戸長会議。午後は港の衛生検査です」
渋沢が予定を読み上げる。
「衛生札の運用は順調か?」
「はい。青札の市場では客足が戻り、赤札の市場は改修作業に入っています」
昭武がふと、窓の外の暗い海を見やった。
「三年後、この港はどうなっているでしょう」
藤村は短く答えた。
「速く、清く、そして強くなっている。そうでなければ、ここまでやる意味がない」
風が窓を鳴らし、海の匂いが部屋に流れ込んだ。外の世界は動き続けている。藤村たちは、その流れを止めず、乱さず、しかし確実に自らの手で握ろうとしていた。
賠償交渉の席を離れた藤村は、萩城下の高台に足を運んだ。眼下には、改易後の新しい秩序が、まだ揺らぎながらも形を帯びつつあった。市場の通りでは、青札と黄札が並び、戸長たちが筆を片手に巡回している。魚屋の台に置かれた檸緑桶には、子どもが手を差し入れ、石鹸の泡を楽しげに撫でていた。
――速さは秩序の証し。
それは藤村の口癖だった。朝に決まったことが昼には動き、夕暮れまでに数字になる。地券改正も、衛生札も、賠償金の配分も、待たせる時間が短ければ短いほど、人は安心し、町は息を吹き返す。
港の方から、荷役の掛け声が届く。赤茶けた板壁の倉庫に、焼き印「常」が押された木箱が次々と運び込まれていく。その中には、四国賠償の一部で購入した最新式の秤や封印具がすでに積まれていた。これらは単なる道具ではない。三年にわたる分割支払いの間、港の信用を守る盾であり、未来の商いを約束する証文の延長でもあった。
「三百万ドル……三年の時をかけて手に入れる金が、どれだけの形になるかだ。」
背後から声をかけたのは渋沢だった。彼は帳簿を脇に抱え、港の様子をじっと見ている。
「幕府に四割、常陸に三割、軍功諸藩に三割。配分は功績で決める――港監督、弾着修正、負傷率。どれも数で測れる。数字は嘘をつかない。」
藤村は頷き、しかし目は港から外さない。
「嘘はつかないが、活かすも殺すも人次第だ。だからこそ、港の秩序は壊させぬ。」
夕日が水平線に沈みかけるころ、港の灯が一斉にともった。その明かりの下で、石炭を積む人夫たち、荷を検める番頭、旗の意味を確認する若い水夫……それぞれが小さな役割を果たし、全体の流れを保っている。
四国賠償金の初回支払い――百二十万ドルが届くまで、あと三か月。だが藤村の頭の中には、その後の二回目、三回目の使い道までもう描かれていた。港の拡張、防波堤の延伸、航路灯の新設、そして各港を結ぶ通信線。外国船との取引で主導権を握るためには、軍艦や砲台だけでなく、荷と情報を途切れさせない仕組みが要る。
そのために、昭武には語学と交渉の現場を任せるつもりだった。英語、フランス語、ドイツ語――どの場でも即座に言葉を返せる力は、ただの便利さではない。相手の心を一瞬で掴む武器になる。だが、それを支えるのは現場の秩序と数字であることを、藤村は何度も言い聞かせていた。
「三年後、この港を見に来た外国人が驚くようにしてやる。」
そう呟くと、潮風が頬を撫で、遠くから帆を畳む音が聞こえた。
夜が深まり、政庁の灯が消えるころ、藤村は最後の一筆を帳簿に記した。
――秩序は速さ。速さは信頼。信頼は国を立たせる。
この信条を胸に、彼は静かに筆を置いた。