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95話:白鷹丸、凱旋の港

鹿児島湾での砲声が止んで、わずか一月。

 常陸藩政庁の一室には、金貨を詰めた木箱の山が幾重にも積み上がっていた。蓋には英国王室の紋章。薩英戦争の賠償第一弾――金貨七十五万ドル分である。


 黄金の輝きは、夜明け前の灯火のように冷たくも確かな光を放っていた。

 晴人は箱を一つ開け、掌に収まる金貨の重みを確かめながら、低く呟く。

「……この金を、銃や大砲だけに使う気はない。未来を作る種に変える」


 その言葉通り、晴人は幕府と薩摩を巻き込んだ合同貿易使節団の派遣を即断した。

 目的地は太平洋の向こう――合衆国アメリカ。

 南北戦争の真っただ中にあるこの国は、軍需景気と移民需要で活況を呈しており、そこから得られる工業品・農業機械、そして西部開拓地で採れる綿花や鉱石は、日本の近代化に欠かせない資源となる。


 ◇


 晩夏、横浜港。

 蒸し暑い潮風が吹き抜け、桟橋には木箱や樽が山のように積まれ、船乗りたちが汗だくで縄を引いていた。帆船と蒸気船が並び、汽笛の響きと帆の軋む音が交じり合う。

 波止場の先に停泊するのは、常陸藩が新たに仕立てた最新式の蒸気船《白鷹丸》。三本マストに鉄の船体、そして艦船並みの蒸気機関を備えた堂々たる姿だ。


 甲板では坂本龍馬を含む先発組の面々が、最終的な積み込み指揮を執っていた。

 輸出品は主に米・茶・海産物、それに近江・越後から買い付けた絹織物。これらをアメリカで売り、代わりに農機具、紡績機、製鉄炉用の耐火煉瓦、そして銃器や弾薬を積み込む計画である。


 晴人が甲板に立ち、声を飛ばす。

「積み込み、急げ! 重い箱は左舷に寄せろ!」

 潮の香りと油の匂いが混じる中、木靴の音が板張りの甲板を響かせる。


 そのとき、薩摩から派遣された大山綱良が駆け寄ってきた。

「藤村様、あちらの商人が契約の件でお話があると」


 桟橋の先で待っていたのは、背の高い髭面の男。青い上着に金の懐中時計を提げ、陽に焼けた顔は自信に満ちている。

 彼の名はサミュエル・ローガン――ニューヨークを拠点とする商社《ローガン&カンパニー》の代表だった。


「ミスター・フジムラ、お会いできて光栄です。あなた方の金貨は、今のアメリカにとって非常に魅力的だ。ですが――」

 ローガンは声を潜め、帳簿を広げる。

「今は南北戦争で物価が激しく変動しています。農機具も銃器も、数か月で値が倍になる可能性がある」


 晴人は微笑んだ。

「だからこそ、いま契約するのです。三年契約、固定価格。代金は金貨で前払いする。これなら、あなたも損はしない」


 ローガンの眉がわずかに動く。

 机上に広げられた契約書には、三年総額で金貨五十万ドル相当の取引条件が記されていた。輸出入の品目には、綿花、農機具一式、紡績機二十台、工作機械十台、鉄鋼材千トン、そして最新型のスプリングフィールド銃三千丁が並ぶ。


 汽笛が遠くで鳴り、港のざわめきが一瞬だけ収まった。

 ローガンは短く笑い、契約書にペンを走らせる。

「ミスター・フジムラ、取引成立だ。あなた方の船は、これからアメリカの港で歓迎されるだろう」


 固い握手の感触が手の中に残る。

 晴人は甲板に戻り、夕陽に染まる海を見つめた。水平線の向こうには、大西洋の先に広がる市場と、まだ見ぬ機械文明の姿がある。


 (この航海が、日本の未来を変える。銃声ではなく、汽笛と機械の音で)

太平洋を渡った《白鷹丸》は、霧のベールを抜けると、サンフランシスコ湾の輝く水面にその姿を現した。九月の初秋。海上を吹き抜ける風は涼やかで、塩と松の香りが混じっている。桟橋には、洋装の男たちと、色鮮やかな帽子を被った女たちが集まり、珍しい東洋の船を一目見ようとざわめいていた。


 先発組の代表としてタラップを降り立ったのは坂本龍馬だった。黒の洋服に身を包み、胸元には懐中時計、腰には短剣。日本の侍らしい鋭さと、西洋人のような柔らかな笑みを同時に漂わせている。その後ろに続くのは、分厚い帳簿と金勘定の算盤を抱えた岩崎弥太郎、そして冷静な眼差しで港を観察する陸奥宗光。三人とも、既に数か月の航海と上海での中継交渉を経て、海の匂いと異国の空気に馴染み始めていた。


 港の入口では、背の高い白人紳士が待っていた。青い上着の胸元には銀の懐中時計が光る。彼が今回の主な交渉相手、商社《ローガン&カンパニー》の代表、サミュエル・ローガンである。握手の瞬間、龍馬は相手の手をしっかりと握り返した。


 「ミスター・サカモト、ようこそカリフォルニアへ」

 「こりゃあ、おおきに。太平洋は広かったが、港の景色はええもんじゃ」


 軽口を交わす龍馬の横で、岩崎は既に桟橋脇の荷役作業を確認していた。木箱の側面には日本語で「米」「茶」と墨書きされている。ほかにも、越後や近江から買い付けた絹織物の包みが、港の倉庫へと運ばれていく。その視線は鋭く、港湾労働者の動きや積み荷の扱いまで見逃さない。


 陸奥はローガンの背後に控える通訳と、数名の弁護士風の男たちに目をやった。契約は単なる売り買いではない。長期的な貿易協定に加え、港湾での優先荷役権、関税の優遇、治安維持の取り決めなど、多岐にわたる条項が必要になる。


 港を見渡すと、背後には金門の丘陵が青く霞み、その向こうに西部開拓の大地が広がっている。ローガンは軽く顎をしゃくって倉庫の中へと案内した。


 「まずはこちらをご覧いただきたい」

 扉が開かれると、内部には磨き上げられた農機具や工作機械が整然と並んでいた。鋼の輝きがランプの光を反射し、油の匂いが立ち上る。木製の車輪を備えた蒸気トラクター、脱穀機、鋳鉄のプレス機──すべてが日本ではまだ珍しい品ばかりだ。


 岩崎が低く唸る。

 「……こいつぁ、維持費はかかるが、一度動かしゃあ百人分の働きができる」


 陸奥はその横で、機械に貼られた価格票を一つひとつ確認していく。価格はドル建てだが、南北戦争の影響で相場は不安定だ。それでも金貨払いで固定契約を結べば、長期的には大きな利益になると見込める。


 ローガンは一枚の紙を机に置いた。そこには三年間の供給契約案が記されている。内容は、農機具、紡績機二十台、製鉄炉用耐火煉瓦一万枚、鉄鋼材千トン、スプリングフィールド銃三千丁──加えて、西部産の綿花を年二千俵、固定価格で供給するというものだった。


 龍馬が顎に手をやる。

 「悪かない条件じゃが……関税と港での荷役順番、この二つをなんとかしてもらわんと、日本に帰ってから荷が痛むき」


 陸奥がそこで口を開いた。英語は流暢で、しかも訛りが少ない。

 「ミスター・ローガン。我々は単なる買い手ではない。この契約が成立すれば、貴国の西部開拓にも資金が回る。ゆえに、我らの船には港での優先権を与えていただきたい。条文に明記を」


 岩崎もすかさず加わる。

 「それと、支払いはすべて金貨で前払いする。その代わり、相場がどう変わっても三年間の価格は変えんと明記してもらうぜ。俺ぁ博打は嫌いだが、こういう勝負なら乗る」


 ローガンは少し目を細めた。沈黙のあと、ゆっくりと笑い、契約書の余白に羽ペンを走らせる。

 「よろしい。あなた方の条件を呑みましょう。ただし、契約成立後の最初の積荷は、今週中に港を出ること。戦時ゆえ、港の情勢は日ごとに変わりますからな」


 握手が交わされた瞬間、倉庫の外から汽笛が鳴り響いた。白鷹丸の煙突から白い蒸気が立ち昇り、港の喧騒と西部の風が三人の顔を撫でていく。


 龍馬は空を見上げ、口元に笑みを浮かべた。

 「これで、日本の船が太平洋を行き来するのは当たり前になるぜよ。銃声じゃなく、汽笛と機械の音で未来を作るんじゃ」


 岩崎は帳簿を閉じ、陸奥は契約書を革鞄に収めた。サンフランシスコの港には、異国の言葉と匂いと、これから始まる新しい時代の息吹が満ちていた。

契約成立の翌朝、サンフランシスコ湾は薄い霧に包まれていた。港の水面は朝日を受けて銀色に揺れ、遠くでは帆船の白い影が霞んで見える。波止場には早くから荷役人足たちが集まり、縄や滑車を扱う音、木箱が地面に置かれる重い衝撃音が途切れなく響いていた。


 《白鷹丸》の船腹が、積み込みに備えて静かに横付けされている。その甲板には既にいくつもの木箱や樽が積み重なり、側面には墨文字で「鉄材」「綿花」「機械部品」と書かれた荷札が揺れていた。龍馬は桟橋に立ち、片手で帽子を押さえながら、荷の一つひとつを確認していく。


 「おい、その樽は奥に積め。波で揺れたら割れてしまうき」


 声を張り上げる龍馬の隣で、岩崎弥太郎は大きな帳簿を片手に、積み荷の数と順序を細かく記していた。船倉の奥に入る荷物は帰路で取り出さないものでなければならない。農機具や大型の鉄材は最下層、逆に到着後すぐ使う銃や工具は甲板近くに置く。岩崎は額に汗をにじませながら、港湾労働者の動きを逐一指示していた。


 陸奥宗光は少し離れた場所で、ローガン商会の代理人と英語でやり取りをしていた。契約条項に沿って輸出証明や関税の確認を行い、通関役人に書類を提示しては署名を受け取る。その動きは一分の隙もなく、船の出港時刻を意識して時計を何度も見やる。


 桟橋の端では、現地の少年たちが好奇の目で日本人の一団を眺めていた。鮮やかな着物姿の船員、異国の文字が書かれた荷札、見慣れぬ形の刀。時折、勇気のある少年が近づいてきては、龍馬に「サムライ?」と英語で尋ね、龍馬が笑って頷くと、歓声を上げて駆けていった。


 港の空気は、木の匂いと油の香り、そして海から吹き寄せる塩気が混じり合っていた。近くでは蒸気船の煙突から黒い煙が上がり、汽笛が腹の底に響く低音を響かせる。その音に合わせるように、クレーンが唸りを上げ、巨大な木箱が宙を舞って《白鷹丸》の甲板へと降ろされた。


 岩崎は積み込みの合間に龍馬へと歩み寄った。

 「龍馬さん、銃器の積み込みは最後に回しましょう。あれは港の役人が数を確認したがる」

 「わかった。船尾のスペースを空けちょくき」


 陸奥が書類を持って戻ってきた。

 「通関は済んだ。あとは積み残しがなければ予定通り明日の昼には出港できる」

 「上出来じゃ。帰りの航路はどうする?」

 「ローガン商会の蒸気船アトラスと並走すれば、途中の寄港で便宜を図ってくれるそうだ」


 三人の会話をよそに、甲板上では船員たちが掛け声を揃えて木箱を運んでいる。船倉に続くハッチの中からは、鎖と滑車の金属音が絶え間なく響く。積み込み作業は昼を過ぎても続き、港の喧騒はさらに熱を帯びていった。


 午後になると、ローガンが再び姿を見せた。手にはワインの瓶を抱えている。

 「契約成立と積み込みの無事を祝して、一杯どうです?」

 龍馬は笑みを浮かべ、受け取った瓶を掲げた。

 「おおきに。だが、飲むのは港を離れてからにしようや。こりゃあ帰りの海風にゃ似合う酒じゃ」


 夕方、最後の荷が積み込まれた頃、湾内の霧はすっかり晴れ、赤く沈む夕日が海面を染めていた。港のクレーンが止まり、人足たちが道具を片付け始める。岩崎は帳簿の最終ページに丸をつけ、陸奥は契約書と積荷目録を革鞄にしまい込んだ。


 龍馬は桟橋から港全体を見渡し、深く息を吸った。

 「これで、こっちの使命は果たせた。あとは太平洋を渡って、日本でこの荷を動かすだけじゃ」


 その声には、航海の疲れと同時に、これから始まる新しい商いへの期待が滲んでいた。港の空には、早くも群れを成したカモメが旋回し、遠くから汽笛が二度、短く響いた。

翌日正午、サンフランシスコ湾に乾いた汽笛が鳴り響いた。港に並んだ人々が手を振る中、《白鷹丸》はゆっくりと岸壁を離れていく。帆が高く掲げられ、港風を孕んで膨らむと、船体がわずかに傾きながら沖へと滑り出した。船縁からは、積み込まれた木箱や樽が規則正しく並び、甲板の一角には新調されたばかりの大砲が覆い布の下で眠っている。


 龍馬は船首に立ち、帽子を脱いで湾内の街並みに別れを告げた。背後からは岩崎の声が飛ぶ。

 「龍馬さん、航路図の確認を。次の寄港地はホノルルです」

 「おう。あそこじゃ水と果物を補給できるき、寄っていこうや」


 陸奥は既に船室に入り、航海日誌に出港時刻や天候を記していた。海面は穏やかで、薄青の水面が遠くの水平線まで途切れることなく広がっている。港の喧騒が遠ざかるにつれ、船上には波の音と帆を打つ風の音だけが残った。


 午後、甲板では船員たちが航海に備えて縄や滑車の点検を行っていた。船大工が船腹の継ぎ目を油で磨き、若い水夫たちはロープを素早く巻き上げる。岩崎はその合間を縫って積荷の状態を見回り、揺れによる損傷がないかを入念に確かめる。銃器の木箱には革紐で十字に固定が施され、農機具は木枠でしっかりと支えられていた。


 夕暮れが近づくと、空は茜色に染まり、海面も黄金に輝き始めた。龍馬は舷側にもたれ、海を見つめながら呟く。

 「……これが無事に日本へ届いたら、きっと国が変わるぜよ」

 陸奥が横に立ち、静かに頷く。

 「変わらねばならない。開国しただけでは足りん。力をつけねば、また奪われる」


 その言葉に、龍馬は短く笑いを返した。

 「おまんらしい言い方じゃ。まあ、わしらの役目は、その力を持ち帰ることぜよ」


 夜、甲板の上には星が溢れた。帆の間から覗く天頂には、北斗七星が鮮やかに瞬き、海面にその光を落としている。船員たちは交代で舵を握り、羅針盤の針が真北を指すのを確認しながら、一定の速度で進んでいく。時折、海を割ってイルカの群れが並走し、白い飛沫を上げては闇の中に消えていった。


 数日後、朝の見張り台から声が上がった。

 「陸影ーっ! 東の空に陸影!」

 その声に、甲板にいた全員が顔を上げる。水平線の向こう、薄い雲の切れ間から緑の島影が浮かび上がっていた。ホノルルだ。湾内へと近づくと、港には色鮮やかな帆布を張ったカヌーが行き交い、岸辺では現地の人々が魚を干している姿が見えた。


 港に入ると、陽気な歌声とともに果物を積んだ小舟が近づいてきた。龍馬はパイナップルを手に取り、甘い香りを確かめながら岩崎に笑いかける。

 「こりゃあ、航海のご褒美じゃのう」

 「ええ、ビタミン補給にもなりますし、船員の士気も上がります」


 陸奥は港役人との交渉を済ませ、必要な水樽と塩漬け肉を補給する手配を進めた。現地の市場では、真紅の花を耳に飾った女性たちが笑顔で布や工芸品を売り歩き、陽光の下では鮮やかな色がさらに映えていた。船員たちの何人かは短い上陸許可を得て、甘い果物や香辛料を抱えて船に戻ってきた。


 二日後、再び出港。ホノルルの緑の山々が遠ざかり、代わりに果てしない太平洋の青が視界を満たす。海は次第に荒れ、甲板に波しぶきが飛び込む日もあった。船員たちは合羽を着込み、濡れた甲板で足を踏ん張りながら作業を続ける。


 ある晩、岩崎が船室で龍馬と陸奥を呼び寄せた。

 「この天気、数日は荒れます。帆を減らして速度を落としましょう」

 「そうじゃな。積荷が傷んだら元も子もないき」


 その夜は嵐だった。稲妻が黒い雲を裂き、海面に白い閃光を走らせる。波は船体を叩きつけ、甲板の上では船員が必死にロープを締め直していた。龍馬は舵輪を握る水夫の背に声を張り上げ、陸奥は船室で重要な書類を防水袋に移し替えていた。


 夜明けとともに風は弱まり、雲間から光が差し込んだ。荒れた海の名残が小さなうねりとなって船を揺らすが、空気は清々しく澄んでいる。船員たちは互いの無事を喜び合い、甲板の水をかき出しながら再び通常の航海に戻った。


 その後は順調に日数を重ね、日本の港まであとわずかとなった。龍馬は遠く東の空を見やり、低く呟く。

 「もうすぐぜよ。あの荷が着いたら、いよいよ始まる」


 甲板の上には、帰国の喜びと、これから迎える激動の予感が入り混じった空気が漂っていた。

晩夏の朝、東の空にかすかな陸影が滲み始めた。

 見張り台の若い水夫が声を張る。

 「日本だぁーっ! 陸だ、陸影だぞーっ!」


 甲板にいた者たちが一斉に顔を上げ、船首側へと集まった。うねる波の向こう、靄の中から緑がかった山並みが姿を現す。龍馬は帽子を押さえ、目を細めた。

 「……ようやく帰ってきたぜよ」


 風は湿り気を帯び、潮の匂いにどこか土と草の香りが混ざっている。太平洋を越えてきた者だけが知る、日本の匂いだった。


 岩崎は航海日誌に帰国予定時刻を書き込みながら、陸奥に声をかける。

 「宗光さん、入港手続きの段取りは?」

 「先発組に文を送ってある。港役人も迎えに来るはずだ」


 港に近づくと、白い帆の間から小舟が現れ、櫂を巧みに操って近づいてきた。船首に立つ港役人が手旗を振る。

 「おかえりなさい! 先発組が岸で待っています!」


 船体が湾内へ入ると、岸辺には多くの人影が見えた。漁師や町人、役人らが入り混じり、背伸びして白鷹丸を見つめている。

 その中には、先に出発していた若き藩士たちの姿もあった。見知った顔が笑顔を浮かべ、手を振っている。


 「龍馬さん!」

 「岩崎さんも無事か!」


 船が岸壁に横付けされ、太い縄が桟橋に投げられる。錨が降ろされると同時に、木製のタラップが架けられた。最初に龍馬が降り、先発組の藩士たちと固く握手を交わす。


 「ずいぶん痩せたんじゃないか?」

 「海の揺れにやられただけぜよ。だが、荷は無事じゃ」


 陸奥と岩崎も次々に上陸し、港役人に文書を渡して入港手続きを済ませる。周囲には積荷の確認に来た蔵役や奉行所の役人たちが集まり、木箱の印や封を慎重に照合していた。


 「これは銃器の箱か」

 「こちらは農機具。舶来の鋼製とは珍しい」


 蔵役が帳簿に墨で書き入れるたび、周囲から小さなどよめきが起こった。荷の一部はその場で開封され、磨かれた銃身やきらめく鋼の刃が陽光を反射する。見物に来た町人たちは、思わず息を呑み、その物珍しさに目を見張った。


 岩崎は船大工とともに積荷の検品に立ち会い、湿気や損傷の有無を細かく確かめた。

 「大砲も無事だな。弾薬も湿っていない」

 陸奥は一歩離れ、港の外れに待たせた馬車の方を見やった。

 「これらは直ちに政庁へ運び、主君にお目通りさせよう」


 昼近く、港の一角に設けられた臨時の休憩所で、先発組と後発組が車座になった。木の机には握り飯や漬物、熱い茶が並び、久々の日本の味に誰もが笑顔をほころばせる。


 「いやあ、向こうじゃ塩漬け肉ばかりで、胃が飽きておった」

 「この梅干しの酸っぱさが、妙に嬉しいぜよ」


 食事を終えると、陸奥が懐から封筒を取り出し、先発組の隊長に手渡す。

 「これが今回の渡航記録と取引明細だ。政庁への報告は一刻を争う」

 「承知した。すぐに馬を走らせる」


 港の外では、荷馬車が次々と並び、荷役たちが木箱を積み込んでいく。農機具や工芸品は布で覆い、大砲や銃器は厳重に縄で縛られた。海風に揺れる旗が、任務の成功を静かに告げているようだった。


 夕刻、白鷹丸の帆は畳まれ、港の一角で休むように停泊していた。龍馬は船縁から岸を眺め、遠くで子どもたちが船の絵を描いているのを見つけた。

 「……あの子らが大きくなる頃、この国はどうなっちゅうろうな」

 岩崎が隣に立ち、低く答える。

 「少なくとも、今日よりは強い国になっているはずです」


 その横顔を見て、龍馬は小さく笑った。彼らの胸には、これから訪れる激動の時代への覚悟と、積み込んできた荷と同じ重みの希望が宿っていた。

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