78話:視察と模倣 ――羽鳥モデル、諸藩へ
春の陽が羽鳥の丘陵を照らし、若草が一斉に芽吹く中。常陸藩政庁――通称・羽鳥政庁には、今、異例の客人が集っていた。
薩摩藩の島津久光。越前藩の松平春嶽。そして尾張藩からは藩政参与の老臣・村瀬主計。
いずれも幕末の政局を動かす重鎮たちであり、その目が向けられたのは、“羽鳥モデル”――藤村晴人の手によって築かれた、新たな政治と教育、そして社会の仕組みだった。
政庁の玄関前、晴人は白の羽織に身を包み、直々に三藩の賓客を出迎えていた。随伴の家臣や筆頭局長らを伴い、礼を失さぬように、だが過剰にへりくだることもなく、まさに現代的な“行政官”の風格を漂わせていた。
「ようこそお越しくださいました。遠路はるばるのご訪問、心より感謝申し上げます」
晴人の声に、久光がわずかに目を細める。
「……言葉遣いが、武士というより役人じゃのう」
松平春嶽がすぐさま笑みを浮かべた。
「それがこの地の“型”ということかもしれませんな。噂には聞いておりました、藤村殿の治める羽鳥は、もはや一つの国だと」
「いえ、ただの一行政区でございます。ただ、時勢に応じて“変えねばならぬもの”を、恐れず進めたまで」
淡々と応じる晴人の背後――政庁正面に掲げられた白地の旗には、常陸藩の家紋に加えて、“三民一体”と記された新たな理念の文字が染め抜かれていた。
久光が目を留めたのは、その文字の下にあった「羽鳥式教育法」の要綱を記した看板だった。
「ふむ……町人も百姓も、平等に学問を受ける……か。士族の権威を損なうのではないか?」
その言葉に応じたのは、晴人の側近である津田真道だった。彼は元々、郷学で頭角を現した学才の持ち主であり、晴人が羽鳥に赴任してから、直接の教えを受けて学び続けた青年だ。
津田は一歩前に出て、丁寧に一礼した。
「確かに、従来の武家制度とは異なります。しかし、今後の時代は、身分よりも“知”と“責任”に基づく統治が求められると我々は考えております。町人が読み書きそろばんを学び、百姓が地租の仕組みを理解することで、社会全体が強くなるのです」
「ふん……よう言うた」
久光は肩をすくめたが、その視線にはどこか感心の色が混じっていた。
春嶽が政庁の玄関脇に並ぶ数枚の掲示を指さす。
「この“郡制”というのは……?」
「はい、羽鳥周辺を行政単位として“郡”に区分し、それぞれに郡政所を置いております。小規模自治の集積により、中央からの指示を待たずとも、民の声を拾い、即応できる仕組みです」
「まさに“小藩分立”の逆を行く考えか……いや、それでいて幕府に反抗するのではなく、独自性を持ちながら秩序を築く……なるほど」
春嶽の声は静かだったが、深く感銘を受けているのは明らかだった。
案内された政庁内――そこには、役人が机に向かい、書類を捌き、時には相談に訪れた町民や農民と対話する姿があった。
身分の差はあれど、椅子と机を挟んで対等に言葉を交わす――その様は、まるで欧米の近代官庁のようでもあった。
村瀬主計が呟く。
「まさか……これほどの“開放”が、武士の手で行われていようとは……」
晴人は言葉を選ぶように口を開いた。
「武士は変わらず藩を支える柱です。しかし、政を任すには、身分に加えて実力も問われる。これからは、“責任ある地位”としての士を求める時代です」
静寂が流れた。
それは、破壊でも否定でもない。だが、“変化”の核心を突く言葉だった。
そのとき、政庁内奥から一人の若き文官が小走りで駆け寄ってきた。
「報告いたします。下妻郡における文民試験の申込者、本日現在で七十二名を超えました」
晴人が静かにうなずくと、春嶽が低く笑った。
「いずれ、江戸でも、この仕組みを取り入れねばならぬ日が来よう……我が越前も、その備えを始めねばなるまい」
「薩摩も、黙ってはおれまいな」
久光が険しい顔で言い残し、政庁の広間を見渡す。
藤村晴人という男が築こうとしているもの――それは、単なる藩の改革ではなかった。
それは、“日本”そのものの形を、静かに、だが確実に変えつつあるものだった。
羽鳥政庁の奥に設けられた“行政展示室”は、外部からの視察に備えて作られた簡易な情報公開スペースであった。白木の柱が立ち並び、壁には模造紙のように見える和紙が貼られ、そこに藩の制度改革の概要が整然と記されている。
「これが……“羽鳥式教育法”の全容か」
松平春嶽は、貼り出された図解資料に見入っていた。
和紙に描かれたのは、就学年齢の制度、町ごとの学舎設置数、教師育成プログラム、学習内容の指針……そして、“学力調査”と呼ばれる年次テストの実施計画まであった。
「これは……武家の子弟だけではなく、農・商の子らも受けると……?」
「はい。身分に関係なく、一定の年齢に達すれば“共に学ぶ”。それが羽鳥式の柱です」
案内していた津田真道が答えた。晴人の元で文官となった若き才子は、板書に使う細筆を手にしながら、来訪者の前で図を指し示す。
「初等では、読み書き・計算・道徳・作法を中心に、中等では歴史・地理・自然学を。特等の教育館では、農政、商業計算、政治史、国際知識などを教えております」
「な……国際知識……?」
春嶽の目が見開かれた。
久光も驚きの声をもらす。
「清や欧米の事情を、百姓にまで教えるのか?」
「はい。世界の情勢を知ることが、攘夷か開国かの判断材料になると考えております。無知は恐怖を生みますが、知識は冷静さをもたらすのです」
その口調に、春嶽は息を呑んだ。
「……藤村殿の教えか」
「はい。私たちは、晴人様の下で“この国の先を考える”学問を学びました」
津田の瞳はまっすぐに輝いていた。かつては百姓の出であった彼が、今こうして藩の要職に立っている――それ自体が、制度改革の“証明”でもあった。
「うむ……うむ……これは、いずれ越前にも取り入れる必要があろう……」
春嶽は腕を組み、顎に手を当てた。
政庁の一角に設けられた“通信室”では、次に羽鳥独自の“郵便制度”の視察が行われた。
小さな木製の仕切りに囲まれた机では、若い書記官たちが藩内各地から届いた封書や帳簿を整理し、配達路線別に振り分けている。
「……まるで江戸の飛脚組織のようだな」
久光が呟くと、晴人が補足した。
「飛脚とは異なります。これは“定期郵便”です。郡ごとに設けられた“郵便役所”を基点とし、各村の集配所をつなぎ、書状を定刻で往復させます」
「その人足は、どうして集めるのです?」
「郡政所に登録された文民志願者のうち、健康と精勤に優れた者を雇用し、月給制で雇っています」
春嶽が驚いたように振り返った。
「月給……? 飛脚でさえ出来高制が基本であったものを、定額で?」
「安定した通信網は、軍事にも経済にも不可欠です。人件費の安定化は、その基盤となります」
晴人の言葉に、村瀬主計がぼそりと漏らす。
「まるで……欧羅巴の制度のようだ……」
さらに驚きは続く。案内された“経理課”では、羽鳥藩の歳入・歳出の帳簿がすべて「簿冊化」されて管理されていた。
各郡から上がる税収、農政支出、教育費、建築費、さらには住民数や出生率、病患数までもが、統計として日々更新されていた。
「……なにゆえ、そこまで数を並べる必要がある?」
久光がいぶかしむ。
その答えを返したのも、津田真道だった。
「正確な数字こそが、政の根幹です。感覚や印象で予算を動かす時代は、終わるべきだと考えております。数字は嘘をつきません」
沈黙――いや、もはや“言葉を失う”というべき間が流れた。
視察の終わりに近づくにつれ、三藩の使節らの表情には、共通の色が浮かび始めていた。
それは“危機感”だった。
越前、薩摩、尾張――いずれも雄藩と称される強国ではある。だが、今、自分たちの目の前にある“羽鳥の政”は、それらを凌ぐ速度と深度で、未来を見据えていた。
春嶽がぽつりと呟く。
「これが……まだ三年と経たぬ改革だと?」
「はい。文久元年に制度を定め、実施はその年の夏より」
「……我らは、何をしていたのだ……」
その声に、久光が苦笑を漏らす。
「正直に申す。嫉妬すら覚える。薩摩の中でも、これほど明快な制度を見たことはない」
「されど、これを真似しようと思えば……人材が足りぬ」
「いいえ」
その言葉に、晴人が小さく首を横に振った。
「制度は、誰でも学べます。問題は“始める勇気”があるか否かです。人材は、育てればいい。三民すべてに、才はあります」
それは、晴人の信念だった。
身分も、出自も、過去も問わず――未来を作る意志を持つ者すべてに、門を開く。
それが、“羽鳥モデル”という革新の本質だった。
春霞が漂う羽鳥の空に、静かに鐘の音が響いた。時を告げる音に導かれるように、晴人は羽鳥政庁の政務室を後にし、歩を裏庭の文庫へと向けていた。
そこには、常陸藩と来訪藩の外交記録が丁寧に保管されている。棚の間を抜け、晴人が手に取ったのは、つい先ほど届いたばかりの最新報告――「幕府、上海に千歳丸を派遣す」の報であった。
「上海か……ついに、清と真正面からの交易を始めたか」
晴人は目を細めながら呟いた。開国以降、日米修好通商条約に続き、諸外国との経済的つながりは次第に強化されてきた。しかし、今回の上海との直接交易は、単なる貿易の枠を超えて“思想”と“現実”の衝突を引き起こす予兆を孕んでいた。
上海は、アヘン戦争を経て開港された清国最大の国際都市。租界にはイギリス、フランス、アメリカなどの列強が拠点を構え、西洋建築と漢民族の街並みが混在する、まさに“未来”の縮図だった。
晴人のもとにも、横浜在住の民間商人や通訳を介して、現地の様子が逐次報告されていた。
〈鉄道こそ未だ敷かれずとも、道路は舗装され、蒸気船が揚子江を遡り、電信線が港を囲む。西洋人は英字新聞を発行し、夜はガス灯が通りを照らす〉
その現実を突きつけられた幕府の内部では、動揺と焦燥が交錯していたという。
そして、常陸藩内でも、その報に呼応するかのように緊張が高まっていた。
「藩主様、視察団より使者がまいりました。越前・尾張・薩摩、いずれも御礼と共に、郡制・学制に関する詳細資料の提供を求めております」
「受け取っておけ。そして、“視察”はもはや遊覧ではなく、模倣の前提であると心得よ」
晴人は迷いなく答える。
西の藩が続々と羽鳥を訪れる理由。それは、羽鳥が“西洋を模倣せずして追いつく”ための制度を確立しつつあるからだ。開港後の混乱を、あらかじめ予測し、対策してきた結果だった。
この日、執務室には津田真道、佐久間象山、そして武市半平太が顔をそろえていた。
「幕府の交易は……いずれ破綻するかもしれません」
そう呟いたのは象山だ。彼は続ける。
「輸出するものは限られ、輸入品は贅沢品ばかり。産業の地盤がない今、交易を続ければ銀が流出し、国内物価が跳ね上がります」
「むしろ問題は、交易そのものより、列強の“居座り”だ。租界を作られれば、主権が削がれる」と津田も言葉を重ねる。
「武市、そなたはどう見る?」
晴人の問いに、武市半平太は腕を組んで答えた。
「上海の様子を知れば、攘夷を叫ぶ声が高まるでしょうな。あまりに惨めな現実を前にすれば、人は刀を握りたくなる。だが、それで勝てますか?」
「勝てぬ。清国が証明している」
静かに答えた晴人の眼差しには、どこか冷ややかさが漂っていた。
「ならば我らは“負けない備え”をせねばならぬ。それが教育であり、制度であり、郡制の強化である」
晴人は机上の地図を指差した。
「いずれ、羽鳥も開港する。だが、列強を招くのではない。“選んで”迎えるのだ。教育とは、その“選ぶ目”を持つ者を育てることに他ならない」
その言葉に、一同は静かにうなずいた。
上海は、西洋の姿を伝える“鏡”である。その鏡を見て、怒るのか、怯むのか、あるいは備えるのか。
晴人は羽鳥に、三番目の道を選ばせたのだった。
夕刻の羽鳥政庁。南棟の書見室には、障子越しに柔らかな夕陽が射し込み、欄間に刻まれた桜の彫り細工を黄金色に染めていた。
部屋の中央、文机を囲んで座すのは、藤村晴人と、薩摩の島津久光、越前の松平春嶽、尾張の徳川茂徳。三藩の名だたる藩主たちが、無言のまま一冊の分厚い文書に目を通していた。
それは、『羽鳥政庁制度概要』と題された冊子だった。
郡制の仕組み、戸籍と徴税、教育制度、郵便と通信網、商業政策、そして議会制度。いずれも明快な文と図表で整理され、明らかに“実行された制度”であることがうかがえた。
「……これは、驚いたのう。民の声を郡会で吸い上げ、政庁が直に応える仕組みとは。拙藩では、いまだ町役人と代官任せにしておる」
久光の低い唸りに、晴人は控えめに頭を下げた。
「お褒めにあずかり、光栄です。もっとも、これは完成されたものではありません。日々の声を拾い、制度そのものも変化していく。進化を続けることが、羽鳥の基本姿勢です」
春嶽は、冊子の奥付に目をやり、ふと声を漏らした。
「……先月の日付か。この分量を、月単位で改訂しておるのか?」
「はい。制度と現場に乖離があっては意味がありませんので。常に情報を集め、月ごとに見直しております」
まるで中央省庁の官僚を相手にしているかのような応答に、三藩の藩主たちは一瞬、目を見張った。そこには、若さを感じさせない確固たる政治意志があった。
そのとき、障子の外から声がかかる。
「晴人様、尾張藩より徳川茂徳公の使者が到着しました」
現れたのは、羽鳥政庁の若き頭脳――津田真道。彼は晴人の元で教育制度を築き上げた参謀格であり、先進的な発想を現場に落とし込んできた人物だった。
津田は丁重に一通の書状を差し出す。
「徳川様より、『羽鳥の制度を学びたい』との書付にございます。郡制導入と教育制度の確立を目的に、視察団を組織したいとのことです」
徳川家の筆頭である尾張藩が、自ら他藩の制度を学ぼうとする。そのこと自体が、既存の幕藩体制の変化を物語っていた。
「ご英断に、心より敬意を。視察団は、心を込めてお迎えいたしましょう」
晴人の応答に、春嶽がふと口元を緩める。
「見事なものじゃ。羽鳥は今や、東日本の秩序再編の中心になっておる。信州や上野でも、そなたの名が囁かれ始めておるそうじゃぞ」
「過分なお言葉です。ただ、羽鳥が目指すのは“模倣されること”です。各藩が工夫を重ねて、それぞれに発展させてこそ、この仕組みに意味があります」
その言葉に、場が静まった。
「……その視野を持つ者が、我らの世代から現れるとはな」
春嶽の呟きには、羨望と一抹の安堵が滲んでいた。
その夜、視察団のために開かれた懇談の席では、三藩の代表者が夜更けまで語り合った。郡制と戸籍、教育と徴兵、通信と産業――羽鳥の仕組みは単なる地方改革ではなく、国家構造そのものを変える可能性を秘めていると誰もが感じていた。
翌日、視察団が羽鳥市街の学校や郵便局を見学する姿を、町人たちが不思議そうに見守っていた。
「なぁ、おい……あれ、薩摩のえらい人らしいぜ」
「へぇ? うちの郡長に頭下げてたぞ?」
「はぁ? 武士が役人に頭下げるんかよ?」
「だって、学校の先生相手だぜ?」
羽鳥では当たり前になった光景も、他藩の目には異様に映る。
だがそれは“異常”ではなく、“進歩”という名の静かな革命だった。
その後、羽鳥の制度は越前・薩摩・尾張を皮切りに、徐々に諸藩へと広がっていくことになる。
「羽鳥式郡制」「羽鳥教育法」「羽鳥郵便制度」――名を冠された制度は、新しい時代の胎動を象徴する記号となった。
しかし、晴人はまだ知らなかった。
その影で、旧来の権益を守ろうとする者たちが、“羽鳥の急進性”を危険視し始めていることを。
静かなる革命の裏で、時代はまた、次のうねりを孕み始めていた。