第1章 ワールドプロセッサー
「梨多さんおはようございます。」
もう住み慣れてしまった、この薄ぼけた街の薄ぼけた住宅街からテンプレート通りの声が響いた。
「愛莉さんおはようございます。今日も一日元気に学校がんばりましょう。」
私もテンプレート通りの言葉を返す。テンプレート通りの言葉を返さなければ新言語秩序の「再教育」を施されてしまうからだ。
私の通う中学校では試験的にテンプレート言語教育を取り入れている為、新言語秩序の監視の目がより一層厳しい。
つい先日も遊び半分で言葉ゾンビのシンパ共が開発した検閲解除アプリを使用した2つ隣のクラスの男子が再教育の餌食となり、まるで嵐の海にさらわれ、乗組員の半分以上が失われた船のような哀愁と絶望感ですっかり別人のように成り果ててしまっていた。
しかし、それとは裏腹に空っぽな屈託のない笑顔とブツブツと何度も繰り返すセリフだけは私の耳から離れなかった。
“ あなたの人生は希望に溢れている。”
そのような拷問じみた再教育で悍ましい姿にはなりたくない。だから私はテンプレート逸脱をしないように言葉を選んで会話することに努めている。
「梨多さん、今日は数学のテストがありますが勉強はしっかり行いましたか。あの先生の授業は分かりにくくて......
あっ」
「愛莉さん、今のはテンプレート逸脱ですよ。聞いていたのが私でよかったですね。新言語秩序の方々に拘束されるところでしたよ。」
こういったテンプレート逸脱言語に対しての注意も怠らない。新言語秩序はどこに監視の目を光らせているのか分からないので友人同士や家族間で常にお互いを監視し合っているのだ。
しかし、注意したのはいいものの、今回のテンプレート逸脱判定は少し厳しすぎたのかもしれない。
気まずい空気が2人の間を飽和していく。 都心へ向かう線路が横切った高架下のトンネルに差し掛かった時、私は少しでも気を紛らわせる為にも道端の落書きに目をやった。
そこには言葉ゾンビの若き活動家、希明の指名手配ポスターの上に『日本死ね』や『希明様こそが救い』や『愚連隊参上』や『fuck』や『終末は訪れる』などと言った全てテンプレート逸脱する言葉が書き殴られていた。
その中で1つの落書きが私の目を引き留めた。 それはまるで小さい頃、父に読み聞かされた、あの懐かしい絵本の中に殺伐と憎しみとを織り交ぜたただ一言だった。
“ 言葉を取り戻せ ”