会話にある価値
会話は何で出来ているのか、という質問が思い浮かびました。友達には何を話したらいいか、どんな話がいいか、時折思います。たまにも、考えなしで話しができるように感じますが、これはどうしてか気になります。
知りたいのは、会話の元となるもの。
まずは、考えてみましょう。何かをするには何が必要ですか?
たとえば、学校でたまに(私はいつも* _*)勉強したくないときもあるのですよね。私は、「これを勉強する必要はあるの?」と思ったらが最後、やる気が消えてしまいます。
この場合では、必要は理由と違いはない意味を持っている。
んで、何かをするときには理由が要るのだとしたら、話すときも理由は大事なはずです。
会話の理由ってどんな理由なのだろうか。
色々あるのだが、このエッセイを見ると、一方的に話してるみたいだと思いませんか?読者たちは直接言い返すことはできないが、私からは言いたいことを伝えることができる。この話になった初めを振り返れば、私は質問や問題を提起していました。
友だちと話してるとき、きっと話題はあるのです。話題は質問・問題と同じだと言ってもいいと思います。
ならば、会話の元となるものはやはり話題(問題・質問)ですね!
しかし、理由があれば別に問題・質問がないと会話できないわけじゃないですよ。
この理論をちょっと証明していきたいです。ここでエッセイが終わりそうなのだが、新しい質問でエッセイは続けるはずです。
では、
何が面白い話か面白くない話か、それを区別する要素はなにか?
これに対する答えは人によって違うので、一般的な答えは見つけられないです。
質問をもっと的確にすると、このエッセイを面白い話と思う人はどんな人なのか?
このエッセイは単に一石を投じるためなので、これを好む人には面白い話だというのでしょう。
えっと。
この質問はあんまり良くないですね。「人による」簡単に答える質問だから、話はすぐに終わってしまう。
逆に答えにくい質問はどうだろうね?
あー、思い出せないです。
いや!それだ!
ついさっきは面白いか面白くない話の話なのだが、今、その質問は良くないって。すぐに答えてしまうだからって。
簡単すぎる質問は良くないと言いました。
なら、面白い話か面白くない話ではなく、
良い質問か悪い質問を作る要素は何なのか?のはずでした。
ですが...良い質問と悪い質問はまた人によって違うのではないかな?
んー、面倒くさいです!
でも、やっぱり面白い!(o´∀`o)