[人魚と獣スピンオフ] 武田隆明 5個のケーキ
うちの実家は造園業をしている。本当なら俺が跡取りなんだが、いまは違う会社で営業の仕事をしている。父はいずれ後を継いで欲しいとは思っているようだが、強制する気はないらしい。
自分としてもまだ今は準備期間だと思っている。もちろん遊びで営業をしているわけではない。まずは社会人として必要な知識や常識を身につけ、人脈を得る。それからどちらの道に進むか判断しても遅くはないだろうと父にも納得してもらっている。
ちょっと大変だった仕事の片が付き、久しぶりに母の料理が食べたくなって週末は実家に帰ることにした。晩ご飯の時間に間に合うように帰ると母に電話し、奮発して有名店でケーキを5種類買った。同じ物を5個買わないのは、そういう買い方をすると千絵子に「選ぶ楽しみがない!これだから男は!」と説教されるからだ。本当にあいつは口が達者で困る。
自宅は自宅兼任事務所の建物の3階にある。鍵は持っているので自分でドアを開けて、母にケーキを渡そうと台所に行くとテーブルにはもう家族全員揃っていた。母の椅子はまだ空いているが、父はもう座ってビールを開けていた。千絵子は背中を向けている。そしてその隣には雅之が座っていた。
なんだ、やっぱり死んだなんて嘘だった。ちょっといなくなっていただけで、いつもの席に座っているじゃないか。
「お兄ちゃん、どうしたの?!」
台所から料理を運んできた母が驚いたような声をあげる。千絵子と雅之も振り返ったが、雅之だと思ったのは俺が知らない若い男だった。
言われてみて初めて俺は自分が泣いていることに気づいた。
「なんでもない…ちょっと…」
そう言ったが涙が止まらなかった。おかしい、雅之の葬式でもそんなに泣かなかったのに、なぜいまこんなに涙が出るんだろう。
「ちょっとこっち来なさい」
母に連れられて二人きりでリビングに入る。母から渡されたティッシュでおもいっきり鼻をかんだ。
「ごめんね、言ってなかった。びっくりした?」
「…あれ誰?」
「お父さんが雇った新人さん。いま下の休憩室に寝泊まりしてるの。ときどきご飯食べさせろってお父さんが連れてくるのよ。」
雅之かと思った?と母は言わなかった。言わなくても俺がそう思ったのはわかっているだろう。俺もまさか5年も過ぎているのにこんなに泣くとは思ってなかった。
いや、年月など何の意味もないんだろう。ただ考えないようにしていただけだ。その証拠に俺はケーキを5個買ったじゃないか。合理的に考えれば4個でいい。一度仏壇にあげてお下がりをいただけばいいだけのことだ。だがうちは5人家族なんだから5個買うのは当たり前だって思ってた。
黙って母にケーキの箱を差し出す。
「あら、お土産?さすがに営業やってると気が利くようになるわね。」
「5個ある。食事が終わったら食べよう。」
なぜ5個なのか母は聞かなかった。
「数が足りてよかったわ。落ち着いたらいらっしゃい。紹介するから。」
そう言って母はケーキの箱を持ってリビングを出て行った。
一人になるとクソ生意気な中学生だった雅之のことを思い出した。小さいときは俺の後をついてまわってたくせに。なんだよ、気を利かせて自分の代わりなんかよこすなよ。余計悲しくなるじゃないか。ああ、本当にいなくなったんだ。
俺はもう一度落ち着いて、5年分まとめてゆっくり泣くことにした。