賢王と狂王の天秤
ゆるふわ設定、シリアス仕立ての婚約破棄風味です
吐息すら凍てつく夜空に、畏怖の念を抱くほど美しく浮かぶ月の様な銀髪。夜が明け、無事に生きのびた事への感謝を何度も捧げた朝日と同じ緋色の瞳。
つい何日か前まで数百人が住んでいた小さな村は、大量の火薬により硝煙が至る所で立ち昇る。
一面焦土と化したこの戦場に立ち、いつ浴びたかもわからない返り血の饐えた匂いを身体中に纏いながら、正気を保つために何度も"加護の玉"がついた組紐を指でなぞる。
君は、もう忘れているだろうか。
♦︎♦︎♦︎
遠い国境線で繰り返されてきた十年に及ぶ近隣国との戦争は、エルグランド皇国が見事その勝利を手中におさめ、皇国全土が沸き立った。
その犠牲はあまりに大きかったが、疲弊した国にようやく繁栄の光が差し込む事が約束された中、病に侵されつつ戦時の皇国を支えていた女皇が崩御したのは一年ほど前の事だった。
その時すでに皇国の勝利宣言はなされており、独立機関である教皇庁へ新条約申請を通すのみとなっていたため女皇崩御の混乱はなく、全てが滞りなく進んでいった。
皇族が崩御した場合、喪に服し式典や催しは取りやめる事が慣例であるが『十年戦争の終結により、我が皇国の勝利を祝う催しは恙無く行うように』という、教皇庁を通した女皇直々の遺言により、本日はエルグランド皇国全ての貴族が一堂に会し、戦勝後初の大々的な舞踏会が取り行われていた。
「ルディア・グリーングラス! お前との婚約を今をもって破棄するっ!」
衆目を集める中、人差し指を向けて高らかに婚約破棄を宣言したのは、この国の第二皇太子ルーベルト・エルグランドだった。
ルーベルトは母親である亡き女皇の面影を持ち、なかなかの美丈夫ではあるものの、高慢で選民的な思想を持っており非常に歪んだ性格をしていた。
対して、公の場で婚約破棄を言い渡されたのは、建国時代からこの国を支える大貴族グリーングラス公爵家の娘ルディア・グリーングラスだ。
ルディアはたっぷりとした癖のない直毛の銀髪と、橙色の複雑な色合いの瞳を持った美しく嫋やかな女性である。
ルディアは勉強嫌いでよく脱走をするルーベルトを姉のように優しく諭したり、彼の劣等感が何かの拍子に刺激され異常に攻撃的になった時には、隣に寄り添い根気強く宥めたりしていた。
当たり散らされ暴れられる事もしばしばだったが、ここ近年ルディアを一番困らせていたのは、婚前であるにも関わらずルーベルトはルディアと肌を重ねたがる事で、ルディアは何度もそれを拒絶し続け純潔をなんとか守っていた。
戴冠の儀と結婚式は十八歳になる歳の冬に行う事が通例であるため、あと二月後に盛大に執り行われる予定だった。
突然の婚約破棄と、今まで向けられた事のない好奇の視線に晒され、ルディアの手はカタカタと震えている。
そんな彼女の様子を冷えた目で眺めるもう一人の中年の男は、ルーベルトの父ロジャース・カルカロスだ。王配の一人だったロジャースは他国の王族の傍系であり、生まれを鼻にかけて皇宮をいいように支配してきた。
ロジャースは女皇の数多い王配の中でも見た目は特にパッとしなかったが、生まれの良さと狡猾さで言葉巧みにその地位を築いていった。
皇太子の父親という立場を手に入れた彼は、段々と本性を表していき女皇が崩御してからの一年間は、まるで自身が皇帝になったかのように振る舞っていた。
「……こんな状況ごとき対応できないとは、想像以上に情けない娘だな。次期皇帝である我が息子ルーベルトの横に並ぶ資質ではないというのが、これでようわかったわい」
息子とはあまり似ておらず、脂ぎったおでこをテラつかせ傲慢に言い放った。
「その通りです、父上。それに比べて、アリアーナは僕に甘えてまことに愛い人だ。婚約者とは名ばかりで僕を慰めもしない冷酷なお前など、もういらん」
ルーベルトの傍らには、胸を強調する様に下品なほど肌を露出した子爵令嬢のアリアーナ・ハートナーが寄り添っている。
二人は誰から見ても一線を越えた距離におり、関係が深いものだとよくわかる。ハートナー家は国境線に近い領地を任されており、此度の戦争により莫大な富を得た貴族らしい。
「そんな、殿下……」
ルディアの失意により悲痛の滲む声が会場に響いた。ルディアも別にルーベルトの事を特段好いていたわけではなかったが、貴族の義務として嫁ぐ覚悟は既に出来ていたというのに、この仕打ちはいくら何でもひどかった。
「ふんッ! それに、グリーングラス家には謀反の疑いがある。そなたの父親にも拘束部隊を差し向けたから、今頃騎士達が公爵邸に向かっているであろうよ」
ルディアの父グリーングラス公爵は流行病で体を壊し、ルディアの弟があと数ヶ月後に成人するのに合わせて爵位を譲り、引退する予定だった。
公爵はロジャースの傲慢な振る舞いに何度も苦言を呈しており、元々この機会に乗じて排除しようと画策していたのだろう。
「そんなっ! きっと……きっと、何かの間違いです」
「はっ、そんなの知った事かっ! 反逆を企てるものを父に持ち、息子を誑かそうとするとは……そなたは見た目によらず、とんでもない悪女だなルディアよ」
「悪女だなんて……ッ──きゃあっ!」
ルディアが困惑していると、ルーベルトの横にいたアリアーナから冷たいワインをかけられた。ポタポタと髪から滴り落ちていく雫を信じられない気持ちで眺める。
「あら、ごめんなさい。罪人の娘の分際で、口答えなんてなさるからつい手が滑ってしまって」
アリアーナは艶然と笑みを浮かべながら、空になったグラスをこちらへ傾けている。ルーベルトはアリアーナを叱る事なく、むしろ「よくやった」と言わんばかりにそのままアリアーナを抱きすくめ、軽く頭にキスをしていた。
ロジャースはワインにより濡れたルディアをみながらニヤニヤといやらしい笑いを浮かべ、彼女の身体を上から下まで舐め回すように眺めた。ロジャースのニヤついた笑みを見た瞬間、背筋がゾッとしたルディアは警戒心により身構える。
「……まぁ、しかし。そなたがこれまでのワシと息子に対する頑なな態度を改め、誠心誠意尽くすと誓うのならばそなただけは助けてやる」
「誠心誠意……? そのような事は、未来の夫にするものです。そして、私の婚姻はすでに神の御許に託されております。カルカロス卿にどうにか出来るものではありませんわ」
ルディアの言う『神の御許へ託された』というのは教皇庁を通しての誓約書で、絶対の効力を持つ。これを覆す事は基本不可能だ。
ルディアは震える声で、しかし毅然とした姿でロジャースを睨み返すが、彼は余裕のいやらしい笑みは消えず、ロジャースは顎肉を撫ぜながら「ん〜? ああ、そなたが誓いを立てた『王家に連なる、未婚の男子と婚姻を結ぶ』というものか」と、聞こえよがしにつぶやいた。
ロジャースのその不躾な視線だけで、ルディアは体中にナメクジが這っているような気持ち悪さを感じて身震いをした。
「ワシは事前に息子からそなたとの婚約を破棄する旨を聞いておった。慈悲深いワシは傷物になってしまったそなたに、今後婚姻を結びたいものは現れないのではと不憫に思ってなぁ……ワシとの婚姻届を、ひと月程前に教皇庁へ提出しておいたぞ」
「…………は、」
一度教皇庁へと提出された書類は、通ってしまえば覆らない。ひと月もあれば、いくら仕事が遅い教皇庁でもとっくに受理されてしまっている。
あまりの展開にルディアは頭がついて行かず、その場に立ち尽くしていた。
──私が……カルカロス卿の、妻? そんな……
耐え難い現実に放心状態のルディアを気にする事なく、ロジャースはつらつらと言葉を述べる。
「ワシは亡国の由緒ある王家に連なりし高貴な身分であり、女皇陛下も崩御されて一年が経ったため喪も明けておる。そなたは、今後はワシの伴侶として公爵夫人の座をくれてやろう。ワシ好みに躾直してやるから感謝するがよい」
ロジャースの言葉に放心しているルディアを他所に、アリアーナは一気にテンションを上げてにこやかに微笑んだ。
「まぁっ……! お義父様はなんて慈悲深いのかしらっ! 身分だけで大した取り柄もなく、その上罪人の娘として連座されてもおかしくないお立場のルディア様を娶って差し上げるなんてっ! これ以上ない幸せですわ……ねぇ?」
あまりの悍ましい展開に会場にいる貴族も引いているのがわかるが、所詮は他人事。
次期皇帝とその父親を止められるものなど、ここにはいない。
「もちろん、そなたは皇帝となるルーベルトの誘いがあれば必ず受けねばならん。ハートナーの娘は心広き女性ゆえ、自分の地位さえ揺るがなければ、そなたの元へルーベルトが通っても一向に構わんと言っておるしな。ワシと倅に跨り、毎夜許しを乞うがよい」
アリアーナは、どこか勝ち誇ったようにルディアを睥睨しルーベルトに胸を押しつけながらしなだれかかっている。
ルディアは生まれたその時から古の伝統を持つ公爵令嬢であり、将来は皇帝と共にこの国のために身を捧げる皇后となるべく教育されてきた。
母親はルディアが幼い頃に儚くなってしまったが、尊敬出来る父親と素直で利発な弟に恵まれて、愛情込めて育ててもらったという自負がある。
"貴族たるもの、常に気高くプライドを持ち、迫り来る困難に立ち向かうべきである"と、父親からの教えを忠実に守り育ってきたのだ。
こんな扱いを受ける謂れはない。
「……ルーベルト殿下、カルカロス卿。私はこの国の民を守る皇后へ即位するために、この身を捧げてまいりました。そんな、ふしだらで意味のない婚姻を結ぶくらいならば、私は喜んで死を選びます」
ルディアはワインが滴る中、見事なカーテシーをして拒絶を示した。
まさか、あの穏やかな気性のルディアがここまではっきりと固辞してくるとは思っていなかったロジャースとルーベルトの顔は、見ていられないほど真っ赤に染まった。
周囲からも、その一部始終を嘲笑うかのような含み笑いが聞こえる。
「くっ……生意気な……っ! 罪人の娘の分際で、少し情けをかけてやれば調子に乗りおってっ!! 不敬罪にて処罰したいところだが、早速躾が必要なようだな。死ぬより酷い目にあわせてやる。おいっ! この女を拘束しろっ!!」
ロジャースとルーベルトの周りに控えていた近衛騎士が動き、その一人がルディアを拘束した。
床へと無理やり平伏させられたルディアを嘲笑いながら、それまで父親の所業を傍観していたルーベルトはルディアを見下ろした。
「──ふんっ、いい様だなルディア。この僕を拒み続けた罰だ。……まぁ、その気位の高さも今となってはなかなかそそるな。死ぬより酷い目にあいたくなければ、精々僕と父上に媚び続けろ」
ルディアなりにルーベルトに対して心を砕いてきたつもりだったが、結局何一つ伝わっていなかった事に深い絶望と虚無感が襲う。
醜悪な笑みを浮かべこちらを見るロジャースと、もはやこちらを見ずにアリアーナの胸の谷間ばかり見ているルーベルトを下から眺め、ルディアは静かに瞼を閉じて今までの人生を振り返った。
(私の人生って、何だったのかしら……。カルカロス卿やルーベルト殿下に無理やり身体を暴かれるくらいならば、潔く死を選ぼう。神殿の教えで自死は重罪だけれど、これでライアス様の元へ逝けると思えばそう悪くないかもしれないわ)
ルディアは自身の初恋の相手で、今は亡き第一皇太子ライアスに想いを馳せた。ライアスは第一皇子にも関わらず父親の身分が低く、その上幼い頃に父親が亡くなってしまい後ろ盾がなかった。
そのためロジャースの派閥貴族に追い立てられ、十年前に皇室の代表として当時十三歳という若さで北の激戦地へと送られたのだ。
すぐに死ぬと思われたライアスの戦場での活躍はめざましく、十年近く戦場で生き残り、皇国の勝利に貢献した『戦争終結の英雄』だった。
その一方で、逆らう敵国の王族や貴族に対しての彼が執行した惨たらしい粛清は常軌を逸しており『戦場の死神』や『血塗れの悪魔』などと囁かれ、皇帝としての資質を疑う声が多いのも確かだった。
貴族の間では、血筋が確かで次期皇帝としての教育をしっかりうけてはいるが、傲慢で選民思想を持つルーベルトと、自国を勝利へと導いた英雄だが、血筋が悪く戦争しか知らないライアスかで派閥が出来ていた。
そして、皇位継承権の渦中にいたライアスは半年前に死んでしまった。敵の残党に囲まれて、毒矢で心臓を撃ち抜かれたそうだ。教皇庁からの報せのため、その死を疑うものは誰もいなかった。
ライアスの訃報に、ルディアはあまりの悲しみにより立ち直る事が出来ず、何日も枕を濡らした。それに比べてルーベルトは兄の死に対して、全く興味がないようだった。
ライアスの死の知らせを受けて、ルディアは塞ぎ込み続けていたが、ライアスがその命を賭してまで守った皇国民に尽くすために、皇后として立ちあがろうと思った矢先にこの状況だった。
(ルーベルト殿下の至らない部分は私が補えばいいと考えていたけれど、そもそもその考え自体がひどい思い上がりね。私一人が頑張ったって、たかが知れているはずなのに……)
ライアスは、彼の父親に似たという艶のある黒髪に、女皇から譲り受けた為政者たる鋭さのある青灰色の瞳。性格は自分に厳しく他人にも厳しかったが、ルディアに対しては本当に優しく、まるで本物の妹に接するように甘かった。
(清らかな身体と貴方を想うこの心があれば、きっと向こうでも会える……)
ルディアはずっと蓋をしていたライアスへの淡い想いを解放しどこか清々しい気持ちになり、拘束されているにも関わらず少し気分が上向いた。
心に余裕が少し出たルディアは、自身を拘束している騎士の力があまりにも弱いことに気がつく。非力な貴族令嬢のルディアでさえ、それなりに力を加えれば簡単に拘束が外れてしまいそうだ。
戸惑いながら騎士を見上げると少し困ったように微笑まれたあと、耳元に唇を寄せられ警戒心から体が強張る。
「……ルディア様、この様な事態になり、大変申し訳ございません。我が君が到着なさるまで、今しばらくの辛抱でございます」
よく見ると、その彼は近衛騎士団長で侯爵位を持つアルフレッド・ドノヴァンだった。
彼は元々下級貴族の末子だったが剣の腕をライアスに認められた事でその才能をさらに開花。北の激戦地への出兵も自ら志願したという。
その後、ライアスの右腕として十年間戦場を駆け続けたが、半年前にライアスが亡くなったという知らせを教皇庁を経由して皇宮へと届け、そのまま近衛騎士団長として侯爵位を叙爵した人物だった。
「その……ルディア様のお体に少しでも傷をつけますと私の首が飛ぶので、お辛い事は重々承知しておりますが、今しばらくこのままでいてくださると非常に助かります」
明るい金色の髪に深緑の目が印象的だが、よく見ると瞳には疲労の色が浮かび、日々の苦労が窺える。
そして、アルフレッドの言う『我が君』とは、一体誰なのか。
女皇はすでに亡くなり、皇太子もルーベルトしかもういない。あとは王配だったルーベルトの父親ロジャースだが、この状況を招いているのがまさに彼らなのだ。
騎士達が『我が君』と呼び忠誠を誓うのは皇帝がいない今、あくまで皇族のみだ。
ルディアが騎士の言葉に違和感を拭えずにいると、ホールの扉がけたたましい音と共に開け放たれた。
ルーベルト達により異様な雰囲気になっていた宴は騒然となり、そちらへと視線が集まる。
開けられた扉の前には一人の長身の男が立っていた。エルグランド騎士団の団長クラスを表す肩の意匠と、黒を基調とした軍服を纏った偉丈夫。
男は迷いなく歩みを進め、片側で留められたマントがそれに合わせて翻る。一見すると黒で統一されている軍服だが、随所に金糸で描かれた刺繍は見事で、男の全体的な造形美を際立たせていた。
会場全体が突然現れた男の動向に釘付けになっている。
ロジャースとルーベルトは突然の闖入者にぽかんと口を開けて間抜け面をしていたが、無遠慮に近づいて来る男の顔を見るなり、顔面から表情が抜け落ちた。
「……、まさか、そんな。お前は……お前は、死んだはずだっ!」
男はロジャースとルーベルトをまるで視界に入っていないかのように無視して、真っ直ぐにルディアの前へと跪き、視線を合わせた。
「……、……ラ、イアス様……?」
一見冷酷に見える青灰色の目は、とろりとした蜂蜜がごとき甘さを含み、ルディアを見つめる。
「久しぶりだな、ルディア。……こんなに濡れて、可哀想に」
記憶にあった黒髪の艶やかさは失われ、元々鋭さのあった青灰色の瞳はより険を帯びたようだが、十年前にもあった美しさは少しも損なわれることなく、それどころか危うい野生味を含んだ事により、一層美形さに磨きがかかっていた。
自分の記憶と現実の乖離に一瞬躊躇うも、ルディアを見るその優しい眼差しは間違いなくライアスのものだった。
ルディアの拘束もいつの間にか解かれており、アルフレッドは端に寄り、恭しく跪いていた。
ルディアは混乱で戸惑いつつも、ライアスから差し出された手を取り立たせてもらう。
すぐに外されると思ったライアスの手は、そのままルディアの手を包み込んで、彼はルディアの手の甲に口付けを落とした。
「……この状況ではいまいちロマンスに欠けるな。まずは皇国を蝕む鼠を排除せねば」
死んだと思っていたライアスを近くに感じて、ルディアのこれまで懸命に封印し、つい先程解き放ったばかりの恋心は一気に燃え上がり、口付けされた手と頬に熱が集まる。
「き、……きさまっ、そいつはワシの妻だぞッッ!!」
それまでロジャース達をまるでいない者として無視していたライアスは「……妻?」と小さく呟いてロジャースへと向き合った。
「ああ、ひと月前に教皇庁へと出された義父上の婚姻届は私の手元にありますよ」
ライアスは事もなげに、とんでもない事をさらりと言ってのけた。
「義父上のお相手の女性の名前が、なぜかルディアになっていたので驚いてしまって。ちょうど兵糧として献上されてまだ生きていた豚がおりましたので、そいつの名前で出しておきました。残念ながら却下されてしまいましたが」
「……ぐっ、貴様……ッッ!!」
ライアスはにこやかにロジャースを煽り、ロジャースは真っ赤になって今にも高血圧により倒れそうだ。
ルディアは信じられない気持ちで、胸がいっぱいになった。
神殿の教えにより皇族の離婚は許されていないため、一度婚姻を結ぶと縁を切る事は出来なかっただろう。
「……っ、くそっ! 騎士は何をしておる、役立たずめっ!! 次期皇帝主催である宴を穢したこやつを、早く捕まえんかッッ!!」
ロジャースは怒りにより口の端から泡を飛ばし、騎士達に向けて叫んでいるが、誰も反応を示さない。会場は不気味なほど静かだった。
ロジャースの命令などまるでなかったように、騎士は誰一人動かない。
「無駄ですよ。彼らはもう私の言う事以外聞きません。つい先ほど、教皇ミハエルからの正式な戴冠の儀を終えて、エルグランド皇帝に即位した私のね」
「な……っ?! なにを、血迷った事を……」
ライアスは懐から丸めた羊皮紙を取り出し、ポンっとロジャースへ投げて寄越した。丸められた羊皮紙の意匠を見ると、教皇庁最高指導者の教皇ミハエルが直々に認めた文書を表す鮮やかな緑色の封蝋が押されてある。
やや乱暴にロジャースが羊皮紙の封蝋を取るとその内容に青褪め、書簡を落とした。慌てて書簡を拾いあげたルーベルトとアリアーナも書簡の内容をあらためて青褪めている。
「やれやれ義父上……いくらお年を召して手元が覚束ないといっても、教皇庁からの書簡を当事者以外の人間が故意に汚したり破損すると罪になりますよ。気を付けて扱いませんと」
「だ、だっ、黙れ、黙れ黙れっっ!! 一体どんな手を……っ! くそっ!! 父親の生まれが卑しい貴様が皇帝など……許さん……っ、許さんぞッッ!!」
「は……っ! 義父上の許しなどいらないのですよ。それより貴方は、ご自身の事を心配なさる方がよろしいかと。──おい、こいつら三人を拘束しろ」
ライアスの静かな一声に騎士達は一斉に動き、ルーベルトとアリアーナそしてロジャースを拘束した。
「ロジャース・カルカロスとルーベルト・エルグランド。貴様らは、流行病に乗じて女皇の王配数人を殺害した疑い。それに留まらず女皇ですら遅効性の毒をもって弑虐し、私にも幾度となく刺客を差し向け、さらなる殺人を企てた証拠がある」
ロジャースが青筋を立てて異議を申し立てようと口を開きかけるが、騎士に上から押さえつけられ封じられた。
完全に不利な状況だと判断したアリアーナは、瞳いっぱいに涙を溜めて上目遣いでライアスを見上げた。
「……こ、皇帝陛下っ! 私は、なにもッ、何も知らなかったのです……っ! どうか、慈悲深い御心で私だけでもお許しください……ッッ!」
アリアーナはどういう顔が自分を一番魅力的に見せられるかを熟知していた。相手の比護欲がくすぐられる角度で睫毛を震わせ静かに涙を流す。
大きく開いた胸元から覗く見事な胸が、アリアーナが泣きながらしゃくり上げるたびにぷるぷると揺れる。これに陥落しない男などいないだろう。
目の前の男以外は。
「……アリアーナ・ハートナー。貴様の父マルクス・ハートナー子爵は他国と通じ、戦争を故意に長引かせた外患誘致罪に問われている。事を精査し罪が明らかとなればハートナー家は取り潰しとなり、一族連座となるだろう。三人とも罪を白日の元に晒すまで地下牢にて過ごすがよい」
ライアスは温度のない声で命令をくだし、騎士達は抵抗する三人を引き摺って、ホールを後にした。
三人の叫び声が遠くになると、会場は水を打ったように静かになる。そのタイミングで、ライアスは再び口を開いた。
「──皆の者ッ!! 聞いての通り、私が今後のエルグランド皇国を導く第十八代皇帝に即位したライアス・エルグランドである。異議のある者は名乗り出よっ!!」
ライアスの腹から出す怒号にも似た声は、会場の隅々まで届く。この声で、十年間戦線を統率していたのだろう。
そして、異議を唱える者はいなかった。
「後日、盛大な戴冠式と我が婚姻の儀を執り行い皆を招待する。今回の騒ぎの非礼を詫び、皇宮全体をあげてもてなす予定ゆえ、本日はこれにて下がらせてもらう。──アルフレッド、あとは任せたぞ」
「はっ!」
侯爵であり騎士団長であるアルフレッドが、ライアスへと最上礼をとった後に、その場にいた全ての騎士がライアスに向けて一斉に忠誠の礼を示した。それに倣い、次々と貴族が頭を垂れていくのを見てから、ライアスはルディアの腰を強めに抱いて、奥の皇族専用の居住区へと消えたのだった。
♦︎♦︎♦︎
二人で廊下に出るとすぐに数人の女中に囲まれた。ルディアの体は濡れたドレスにより冷えてしまっており、湯浴みをさせるために準備していたらしい。
「ライアス様……私の、父と弟は……っ」
「安心しろ、すでに手を回し保護してある。……それよりも」
ライアスの言葉により心底安心し、ホッと息を吐いたルディアの頬をライアスは優しく包み、上へ向かせた。
「君の方が心配だ……唇が青く、震えているぞ。体が冷えて大事になっては大変だ。湯浴みをして温まってくるといい」
「で、でも……」
ルディアはライアスと今、離れてしまうのが不安だった。彼がまたどこかへ行ってしまう気がして。そんなルディアの不安を汲み取ったのか安心させるようにライアスは微笑んだ。
「……大丈夫だ、ルディア。もし、湯浴みし終えたら、俺の部屋へおいで」
至近距離で優しく微笑まれた後でライアスはルディアの耳元に唇を寄せ「その時は、俺が君の全てをもらう」と、色をこめて低く囁かれた。
その意味がわからないほどルディアは子供ではなく、恥ずかしさで顔を真っ赤にした彼女を満足そうに眺めてからライアスはルディアを女中達に引き渡した。
湯浴みが終わり、ルディアは薄い下着とカーディガンを着て、女中から案内された部屋へと入室した。
そこは元々女皇が使っていたという部屋で、執務室と寝室を兼ねている。
女皇が崩御してからこの部屋は使われていないはずだが、綺麗に清掃されており、すぐにでも使用できる状態だった。
促されるまま室内にきたルディアは沈んだ顔をしており、ライアスが心配げにルディアの顔を覗き込んだ。ルディアは、近づいてきたライアスの顔をすかさず小さな手で優しく包みこんだ。
「……ルディア?」
ルディアは形のいい銀色の眉を寄せながら、ライアスの顔をまじまじと覗き込んだり、首、肩、腕に両手と、まるでライアスが本当にここに存在しているかを確かめるかのように触れていく。
ライアスは、ルディアの小さく細い手が自分の体の隅々を触れていくのを嬉しそうに眺めていたが、彼女の肩が小さく揺れているのを見て、泣いている事に気が付いた。
「ルディア……どうした?」
「ふっ、うっ、……ッ、ど、どうしたじゃありません……っ! ライアス様がっ、せ、戦死されたと聞いて……私が、どれだけ……っ!!」
ルディアは、貴族令嬢として感情を出す事ははしたない事だと教わっている。どんな時でも常に冷静に、感情を露わに怒るなど以ての外。
しかし、先ほどの怒涛の出来事とライアスに対して自覚した恋心や、別離による悲哀による感情がない混ぜになり、とても抑えきれなかった。
「ひとこと……無事だと、伝えてくれていたら……」
まるで、ライアスを責めるような言い方になってしまい、言った瞬間心底自己嫌悪をした。そんな資格、自分にはないのに。
ライアスが死んだと聞いた時にルディアは嘆き悲しむのみで、その知らせが真実なのかどうかをアルフレッドに問い詰めたりはしなかった。
ライアスが一体どんな最期だったのか、今際の際に言い残した言葉などがなかったか……聞くのが怖くて逃げていたのだ。
ルディアが罪悪感と後悔から固く拳を握ったのを見て、ライアスはそっと腕を回しルディアを抱きしめた。
「ルディア……つまり、君は"また会えて嬉しい、大好き"と言ってくれてるんだな」
含み笑いをしながら囁くライアスの声は、艶めいていてどこか嬉しそうだった。
「……ッ! ひどいわ、そうやってからかって! もう、知りません……っ、……あっ」
十年の歳月によりすっかり大人の男へと変わってしまったライアスと対峙するのが気恥ずかしいのと、揶揄われた事が悔しくて、ルディアは距離を取ろうとしたがライアスにさらに力強く抱き締められた。
「俺も……ルディアに会えて嬉しい。ずっと……ずっと君を愛していたんだ」
抱きしめられた腕から温かい熱を感じて、ルディアの瞳にまた涙が集まる。
(ああ、生きてる……ライアス様が生きてる……っ!)
「……よくぞ、ご無事で」
もっと可愛らしい言葉が出てくればいいのに、まるで臣下のような言葉しか口から出てこない。可愛げのない自分が嫌になるが、ライアスは愛おしそうに大きい手でルディアの顎をそっと掴み上向かせると口付けを落とした。ルディアは何度も角度を変え、徐々に深くなっていく口付けに翻弄される。
ルディアが初めてのキスに息も絶え絶えになったところで唇を離された。羞恥に顔を赤く染めたルディアを見下ろしながら、ライアスは独り言のように「……本当は、二度と君の前に現れないつもりだった」と告げた。
「ルーベルトが君を心から愛し正しく皇帝に就いたなら、俺は戦死した事にして邪魔はしないつもりだった」
「なぜ……なぜですか? さっきは私のことを愛していると……」
ルディアは悲しくなり、ライアスを見上げた。
「愛しているから、君の幸せを尊重したかった。ろくな教育を受けられず、戦うしか脳がない俺よりも、皇帝となるべくきちんとした環境で育ったルーベルトの方が、君に相応しいと思っていたから……」
ライアスは腰のベルトに付けていた刀の一つをルディアへと見せる。使い古された刀の鞘は所々痛み、十年間ライアスが必死で戦ってきた証のように思えた。そして、その鞘にふと見覚えのある飾りを見つけた。
「ライアス様、これは……」
「君が、私の出陣の日にくれたものだよ」
擦り切れてボロボロになってしまっているが、ルディアの銀色の髪一房と瞳に似た緋色の絹糸を複雑に結い合わせ加護の玉を付けた御守り。
神殿からもらえる加護の玉は、三ヶ月間毎日欠かさず神殿に直接赴き、祈りと奉納を捧げた者のみ与えられる貴重な宝石だ。
「当時、この城で俺の味方はいなかった。皆が暗に激戦地へと赴く俺に"皇族の誇りをもって、戦地で潔く死ね"と言っていた。そんな中で、ルディア一人だけが"生きろ"と言ってくれたんだ。あの時まだ十歳にも満たない君が、頬を染めながらこれを渡してくれて、その曇りのない瞳が美しくて……眩しかった」
愛おしそうに組紐をそっと撫でるライアスを見ていると、ルディアは嬉しさで胸が張り裂けそうになった。
「悲惨な戦場で気が狂いそうになった時、これを見て何度も君を思い出したよ」
女である自分には出来る事が少なく、一生懸命作った御守りが少しでもライアスの心を癒していた事実を知って、心が歓喜に震えている。
「……ルディアが幸せならば、それでよかった。ルーベルトが自分の愚かさを自覚して君を尊重し、皇后の座をきちんと確保する分別ある男だったなら……」
ライアスの先程の穏やかさは消え失せ、拳を固く握りしめている。
「半年前に、ロジャース・カルカロスの動きに変化が出たという情報が入った。戦争を食い物に富を貪るハートナー家の娘をルーベルトが娶り、ルディアはよりにもよってあのカルカロスの後妻になるなど……そんなの、そんなの許せるはずがないッ!」
ライアスの瞳が一瞬怒りに燃えた。ライアスはその情報を掴んだ後、ルーベルトとロジャース失脚の証拠を掴むため自分が死んだと嘘の情報を流し、腹心のアルフレッドを皇宮へと送り込んで内部を探らせていたという。
「俺は今まで様々なものを奪われてきた。いつもそうだ。弱いと、全てを奪われる。──だが、もう二度と何も誰にも奪わせない。この国の民も、皇帝の座も……ルディア、君の事も」
ライアスの瞳に熱い感情がこもる。その瞳に囚われたルディアの内に湧く感情は歓喜だった。
「……私は、ずっと貴方のものです」
二人は、再度熱い口づけを交わし永遠を誓うかのように求め合う。丁寧に触れてくれるライアスに、ルディアも必死で応えていった。
ルディアはこれから行われる事は知識として教わってはいたものの、女中以外の他人に肌を晒す事がこんなにも恥ずかしいものだとは思ってもいなかった。
ライアスの上半身が裸になると、数多の傷跡が目についた。ケロイド状に赤黒く膨れたものや細かい傷は数えきれず、遠い地で行われていると思っていた戦争が一気に身近なものに感じた。
「……気持ち悪いだろう。あまり見ない方がいい」
ルディアが傷を見ているのに気付いたライアスは、自嘲するような笑みをこぼした。そんなライアスの傷跡にルディアはそっと唇を寄せる。
「ル、ルディア……?」
「気持ち悪いだなんて……そんな事あり得ません。皇国のために誇り高く戦った戦士の証です。こんなに勇敢で高潔で素晴らしいライアス様を貶める事は、例えご本人でも許しませんよ」
わざと戯けるように頬を膨らませながら言うルディアが愛おしくて、ライアスは再び口付けをした。
「……ルディアが悪い。もう止まれない」
「んんっ……、おねが、やめない……で」
ルディアが全てを言い切る前に、ルディアの唇を先程よりも荒々しく奪ったのだった。
♦︎♦︎♦︎
アルフレッドはライアスの私室の前に立っていた。
──最中だったらどうしよう……
そんな余計な心配が過って躊躇してしまい、未だに室内に入れずにいる。
しかし、これ以上遅れるのはまずい。懐中時計を確認して、ライアスから指定された時間を少し過ぎたところで「ええい、ままよ」とノックをすると、意外とすぐに入室を許可された。
「……失礼致します、陛下」
おそるおそる中へと入り、最上礼を取ってから軽く顔を上げる。
そこにはベッドの端に座り、これまで見た事がない程に優しい顔をして、布団に包まり横たわっている膨らみを愛おしそうに眺めている主の姿があった。その膨らみがおそらくルディアなのだろう。
あまり見過ぎると剣が飛んできかねないため、すかさず視線を下げた。
「アルフレッド……貴様、ルディアの耳元に口を寄せて、何やら楽しそうにおしゃべりをしてたそうじゃないか」
──ヒィッ!!!!
アルフレッドの顔が一気に青褪めるが、動揺を悟られないように視線を下げたままこたえた。
「…………恐れながら、皇后陛下が恐怖で震えていらっしゃったので"我が君がいらっしゃるまで、今しばらくのご辛抱を"と、お伝えしたのみ。他意はございません」
アルフレッドは暗に『陛下が遅れてくるのが悪いのでは』と返した。
それにしても誰だ、告げ口しやがった奴は……心当たりがありすぎる。
「ふっ……冗談だ。半年間ご苦労だった。お前が動いてくれていたから、皇宮内の事態が把握しやすく助かった」
「いえ、もったいなきお言葉でございます」
「やれやれ……それにしても、教皇庁の仕事の遅さは異常だな。書簡一つまともに発行出来んとは……ミハエルに体制の見直しを即刻進言しなくては」
ミハエルとは神殿の新しい教皇になった者で、神殿のいざこざを解決したライアスのみに許される呼び名である。
ライアスは憂いを込めて短く嘆息し、疲労により目頭を抑えた。全裸で事後の雰囲気ダダ漏れで乱れた姿がひどく退廃的に映り、アルフレッドは目のやり場に困った。
「──で、処理は?」
「はっ! 陛下のご指示の通り、滞りなく」
ライアスの下した指示は、ルーベルト、ロジャース、ハートナー子爵一族を全て粛清する事だった。
動かぬ証拠もあり、ライアスであれば貴族も教皇庁も世論すら味方につけ反対する者はいないだろうが、些か処分が早急すぎではないかと、アルフレッドと同じく他の臣下達も心配していた。
「ローレンスは"もう少し世論を味方につけてから粛正した方が混乱は少なかったのでは"と申しておりました。私もそう思います。事を急ぐと、陛下の正統性を疑う声が少なからず出てしまうかと」
ローレンスとは、ライアスの補佐に就く皇室文官長兼優秀な密偵で、アルフレッドとは幼馴染だ。
アルフレッドはそう言って皇帝を窘めたが、おそらく聞いていないだろう。ライアスの性格は、戦場で十年も一緒にいれば手に取るようにわかる。
「相変わらず、お前達は小言が多いな。皆を黙らせるだけの証拠はある、心配するな」
「……まぁ、それはそうなんですけどね」
軽口を叩いてはいるが、目の前の男がその気になれば眉ひとつ動かさず何人もの首を刎ねる事を、アルフレッドはよく知っていた。
彼を"その気"にさせる人物はこの世でただ一人。今静かに寝息を立てている非力な女性だった。
ライアスが十年も皇宮を離れて戦争に身を投じていたのは、ひとえに彼自身がそう望んでいたからだ。ルディアが皇后になった後に邪魔になりそうなものは、戦争で全て排除した。
ライアスは、臣下の目から見ていても皇帝になる気がまるでなかった。
汚い仕事を終えた後に、よくルディアからもらったという鞘飾りの組紐を愛おしそうに眺めていたのを何度も見ていた。
ライアスが、皇位簒奪に向けて本格的に動き出したのは半年前。ルディアが成人になる十八歳になり、いよいよルーベルトと結婚かという時に聞いた、きな臭い噂話だった。
その噂は、国境線沿いにあるハートナー領のうらびれた酒場で酔っ払い同士が笑い話として語られていた。
"我がクソ領主様の娘が、伝統ある名家の娘を差し置いて皇室に嫁ぐらしい"
それを聞いたライアスは、聞き流す事なく噂の真偽を確かめるため、ローレンスを動かし結果ほぼ事実だと確定した。
その後の行動は早く、まずライアスは教皇庁内部に蔓延っていた腐敗を暴き、世代交代の余波で苦しむ若き教皇へ恩を売りつけた。
次に、ロジャースが定期的に放ってくる暗殺部隊を拷問にかけ必要な情報を入手し、教皇庁を脅して自身の死亡を偽装した。
暗殺部隊に対してライアスがかけた拷問は今でもアルフレッドの夢に見るほどで、筆舌にし難いほど惨く、自分がされたとしたら思わず「いっそ殺してくれ!」と懇願してしまいそうだと思うほど凄惨で目を背けたくなるものだった。
その後も半年かけてさまざまな証拠集めに奔走し、教皇への恩を使い戴冠の儀を早急に挙げ、皇帝へとのしあがったのだ。
ライアスはロジャースが自分の父親を殺した事も、母親である女皇を殺した事も、恐らく気付いていたはずだった。
やろうと思えばいつでも皇帝の座を手に入れる事が出来たというのに、あえて動かなかったのだ。だが、ルディアが危険だとわかるとすぐさま行動に移し、あっさり頂点の座を確立してしまった。
アルフレッドはこの一連の行動力に畏れを抱いていた。
「……ここまで俺についてきてくれたお前達を労うだけの報酬は用意してある。酒も今日は好きなだけ持っていけ」
「お心遣い感謝致します」
ライアスはふっと微笑むとアルフレッドに退室を命じた。行為を再開するためなのか布団を取り、ルディアを抱きしめている。
ライアスは間違いなく皇帝の器たる人物だとアルフレッドは考えている。統率力、決断力、生命力……どれをとってもライアスに敵うものはいないだろう。しかし、同時に決して皇帝になるべき人ではないとも思う。
ライアスの天秤は間違いなく壊れている。ベッドに沈む非力な女性こそが、ライアスをこのまま歴史に残る賢王へと導くのか、狂王へと堕とすかどうかの鍵なのだ。
どうか、ライアスの天秤をこれ以上闇へ堕とさないで欲しいと願いながら、アルフレッドは皇帝の寝室を後にした。
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