雛と歪な願い
1つの伝説がある。
獣達がヒトに変わる頃、同じく神が獣に変わった。戯れに、獣になった神は、美しい鬣と美しい毛並みを持ち、澄んだ声で歌い、万里を駆けた。
ある時、獣になった神は、一人のヒトに恋をする。やがて二人の間に子が産まれ、子は獣にもヒトにも変われるようになった。
未曾有の災厄が世界を被い、ヒトが滅びかけた時、神とヒトの子が世界を救った。
神とヒトの子は、人を救い続けたが、慢心したヒトは周りを傷付けるようになってしまった。哀しんだ神とヒトの子は、森に隠れてしまった。
迷った旅人を気まぐれに癒し、誰も知らない山奥で、誰にも邪魔されずに過ごしている。
その獣の名は『神天の子』
今でも、誰も知らない山奥で、澄んだ声で歌いながら過ごしている
アエカの幸せな空間は、母親と暮らした十歳までの、10年間だけだった。
母親は、美しい人だった。
白銀の長い髪と輝くサファイアの瞳、白いきめ細かな肌、柔らかな目元は優しく私を見ている。
髪や目の色は同じだけど、全然自分とは違う。
森の奥の泉の側で、小さな家に二人でずっと住んでいた。
月に一度来る年老いた商人以外、時折、大きな体をした黒髪の男の人が、訪ねて来る位だった。
アエカはこの男の人が大好きだった。
金色の縁取りの黒い目を柔らかに緩ませて、優しくていつも肩車をして遊んでくれる。
彼がやって来ると、めったに声を出して笑わない母親が、よく笑っていた。
街を治める頼もしい公爵様だと、お母様は悪戯っ子の目をして言っていた。
幸せな空間だった。
そして、お母様は、流行り病で亡くなってしまった。
涙も、出てこなかった。
横で、大人の男の人が、わあわあ泣いている。
ベッドの上で、お母様は眠っているみたい。
亡くなっても、とても綺麗。
「アエカ、貴方は必ず私が、幸せにするからね」
男の人が涙を流しながら、私の肩を抱きしめ、震える声で言ってくれる。
「はい・・・・、お義父様」
私が、お母様が亡くなって、初めて涙を流せたのは、お義父様と暮らしだして三ヶ月後だった。
窓の外から、子供の笑声が聞こえる。
二階からそっと覗くと、アエカがメイド達と一緒に中庭で花遊びをしている。
男は微笑むと、疲れたように椅子に座った。
アーシッド=ダグス・ラズル公爵であるが、彼は民衆からダグラズ公爵と呼ばれていた。
金黒目の虎目石色の瞳を持ち、柔らかな黒髪で、ロジム国の貴族と分かる大きな犬歯は、形のよい口元の下隠れている。獣を祖先を持つ生活を大柄であったが、長身なのですらりとした印象を与える。耳には特産の虎目石のピアスをつけている。
『黒獅子』と呼ばれ、穏やかな人徳者として知られていた。
初老と言うには早すぎだが、黒髪は、ここ数ヶ月で少し白くなっている。彼は、ロジム国の辺境地シロイシの街を治めていた。
山に囲まれ、良質の石を産出するため、辺境といってもそれなりに発展していた。
前代が嫌気がさして、王都から移住したのだ。
アーシッドは激しく咳き込んだ。
近頃、気管支も弱くなってきたらしい。
アエカに弱い自分を見せるわけにいかず、極力二階で過ごしている。
「調子はいかがですか?ラルズ公爵」
「お前は・・・・・・」
誰も居ないはずの、自分の暗い部屋の中に、誰かが立っていた。
フードを被っている。
うっすらと見える影は短く、成人では無いように見えた。
「ダルムと申します。ミレイの一族の長を任されております。貴方が保護してくださった故ミレイの子供アエカを、迎えに」
ずるりと、フードを外した。
美しい長い銀髪にエメラルドの瞳をした性別不明の人間がそこに立っていた。
白い肌は、まるで陶器のように滑らかだ。
子供だが、これは普通の子供ではない。
幼い姿だか、瞳は大人のそれで、無表情にアーシッドを見つめている。
アーシッドは椅子の後ろに手を廻した。
隠し刀を握りしめる。
「渡さない」
短く答えると、ダルムは真っ直ぐにアーシッドを見つめた。
「・・・・・ええ、分かっております。貴方が、アエカが出ていかないように、屋敷や別館に様々な結界石を設置して、飛べないようにしましたね。書物も全て処分した。替わりに人を買い与え、文字に興味がそれるようにした」
「それがどうした?アエカに最高の場所を提供している」
冷たい眼差しでアーシッドが笑う。
ダルムは少し怒気を孕んだ声で言った。
「結界石は我々にとってとても有害です。幼いアエカは緩やかに、精神に異常をきたすでしょう。知らないはずはない」
「・・・・・・」
気を落ち着けるように一息つくと、ダルムは言う。
「貴方の罪は、ミレイの遺体を隠したことで、すでに重罪です」
「ミレイは私のものだ。誰にも渡さない」
「では、ミレイの遺体の件を不問にする替わりに、アエカをお渡しください。私たちも、彼女の心に傷を残したくありません。貴方は優しい養父として信頼を勝ち取っている」
「アエカはとても可愛い。ミレイにそっくりだ」
「・・・・・・」
「あの子はここに留まる」
「返せと言っている」
ダルムが叫んだ。
アーシッドが嘲笑った。
「お前たちの威嚇など、気にならない。貴方は大分、力が強いようだ。でも、今は力を削がれてはただの人を変わりませんね。呼べば、すぐ私の部下達が、貴方を血祭りにあげるでしょう。あの子は土地に護られる」
「・・・・・狂人が。アエカの人生を潰すのか」
「お前らが追い出したくせに、何を言う。アエカは私の、この場所で幸せに暮らすんだ。一生だ」
ゲラゲラとアーシッドが笑いだした。
ダルムが睨み付けたが、人の気配が廊下からすると、後ずさった。
「必ず、貴方からアエカを救います。必ず」
白い鳥が窓から飛び出した。
家人達が、アーシッドの寝室を開けると、穏やかな瞳をした主人が、不思議そうな顔をして自分達を見ていた。
アーシッド=ダグス・ラズル公爵は、肺を煩い、半年後に亡くなった。
沢山の弔問客の中、憎々しげに自分を睨み付けている青年にアエカは気付いた。
故アーシッド公爵とよく似た姿をした青年だった。アエカは涙で濡れた眼差して、青年を見つめた。
オリオンと名乗る青年は、お義父様の一人息子だと言う。
オリオン=ダグス・ラズル。
初めて見たけれど、本当にお義父様そっくり。
そう思った瞬間、アエカの瞳から、涙が滝のように流れた。
彼は泣くアエカを、怒鳴り付けた。
「お前と婚姻するのは、遺言があるせいだ。後ろ楯も何もない孤児と子供を作れなんて、死んでも私に嫌がらせをするのか!」
私は森に帰ることが、出来なくなってしまった。
私と子供を作らないと、彼は公爵になれないのだそうだ。
「なんだ、怖いのか?親父とやりまくっていたのだろう?ガキのアバズレが」
怖い。
こんな辛いことを、しなければいけないの?
「おい、股を開け」
痛い。
苦しい。
苦しい。死にたい、死ニタイ。
父親の葬儀で初めて見た養女は、この世の者とは思えないくらい儚くて綺麗な生き物だった。
滴に不安そうに濡れたサファイアの瞳は、まるで本物の宝石のようだ。
ああ、この姿に父は誑かされたのだ。
そう漠然とオリオンは思った。
「そんなに、私と子供を作るのが嫌なのか!!」
怯えるアエカの姿に、オリオンは怒鳴り付けた。
アエカはいつも泣きそうな顔をして、下を向いている。
何故、私には笑ってくれないのだろう。
「そうか、では。遺言通りにすれば、お前を外に出してやる」
その言葉に、アエカが顔をあげた。
また、その姿にイライラする。
「世継ぎの男を産めば、お前は自由だ。どこへでも行ってしまえ」
離縁の証明書だった。封印がされている箱に投げ入れた。
「世継ぎを産んだと同時に封印が解ける。その時、お前はもうこの家の人間ではない」
まあ、何も出来ない女が外で生きていける訳がないからな。
ごちた言葉は、アエカの耳には入らなかった。
父親が溺愛した養女は、私が女にしたんだ。
それだけでオリオンは、愉快な気分になった。
相容れない父親だった。
聖人君子といわれていたが、自分にとってはあの笑みは作り物のようで、全くしっくり来なかった。
あいつも、あの嘘の笑みに騙されたのか。
私のほうが、何倍もマトモなのに。
あいつも笑えば、もっと可愛いのに。
ただ、笑ってくれないのだ。
何でも欲しいものを買ってやるのに、望みも言わない。
・・・・・・親父には笑いかけていたのだろう?ただ、寂しげにうつむく姿も、とても可愛らしくて綺麗だ。
夢うつつの時間。
アエカがやってくる。
いつも私を見ると、怖がっているのに、微笑んで寄り添ってくれる。
お義父様・・・・・・
ああ、私は息子のオリオンなんだ。父親には、そんなに綺麗な笑みをしてくれるのか?
父親の格好をしたら、私を見てくれるのか?
ああ、そうなのか
髪型も服装も似せた。
香水も似た香りを使ってみた。
夢かもしれないけれど、数ヶ月に数日だけ、旦那様が抱きしめてくれる。
お義父様と同じ香りがする。
草原の草木と樹木の苦味が入った香り
蔑んだ顔ではなくて、子供みたいなあどけない顔をしているの。
楽しくて、すごく幸せな気分になる。
アエカの身体はとても小さい。
まだ、幼い身体をしている。
でも、子供を身ごもった。
オリオンは飛び上がりたいほど、嬉しかった。
私とアエカの子供だ。
アエカも子供を産んだら、屋敷が安全だとわかってくれる。
「女か・・・・・・」
赤子は産着にくるまれて眠っている。
名前はユイになった。
小さいなと思う。
「世継ぎにはなりませんね」
補佐のシアが、横で言った。
オリオンが頷く。
「そうだな。いい駒が増えるのはいいことだ」
「・・・・・・」
よかった。と、オリオンは心から思った。
これで、まだ、アエカは側にいる。
何て可愛いのだろう。私の目と髪色だ。
私とアエカとの子供だ。
嫁なんか行かなくていい。ずっと三人で過ごすんだ。
『この子の首を絞めれば、もっと幸せになるのに』
ユイの髪を撫でながら、びくりとオリオンは震えた。
私は、今、何を考えた?
違う違う。そんな事、考えたことはない!
『殺してしまえば、アエカは自分を見てくれるのに』
違う。
「ユイを私の視界に入れるな。アエカと離れに放り込んでおけ」
「・・・・・・わかりました」
シアは何か言いたそうだったが、頷いた。
産後の日達が悪かったのか、アエカはますます虚弱になっていた。
ある時、ふらりとアエカは、裏口から出ていこうとした。
あわてて家人達が連れ戻したが、正気を保っていなかった。
帰ると繰り返すアエカに、オリオンは根気よく繰り返した。
「アエカ、ユイは女だから、跡継ぎじゃない。だから、まだ、屋敷に居なきゃ駄目なんだ!」
「駄目・・・・・・?」
絶望の目をしていた。
「そうだ。お前は、私と男の子を作るんだ。まだ、身体が本調子じゃないから、作るのは後からでもいい。そ、その間に、ユイの乳母をすればいい。お前も側に居れるから嬉しいだろう?」
「・・・・・・はい」
こくりと頷くアエカを、オリオンは言い聞かせた。
「世継ぎを作ったら、お前の言うとおりになるのだから」
数年後、アエカが二人目を産んだ。
男の子だった。
家中の人間が喜んだ。
オリオンは勿論喜んだが、何故かジクジクと嫌な気分がした。
長女のユイとは、数回しか会っていない。
会うと何故か、イライラするのだ。
では、見なければいい。
アエカも私が側にいると、恐がるみたいだ。
アエカが久しぶりに笑っている姿を見た。
オリオンは窓から、そっと息を潜め、その姿を見ている。
ユイとイツもいる。
二人とも可愛い。とてもアエカに似て可愛い。
「・・・・御館様、隠れてばかりだと奥様が悲しまれますよ」
シアが呆れたように言うと、嫌そうに睨み付けた。
「私が姿を見せたら、よほど悲しむ。可愛いなぁ。イツをあやしているぞ」
「お元気になられて良かったです。一時は、御館様をどうやって、懲らしめてやろうかと家人達が言っていましたから」
「私をか?」
不思議そうな顔に、補佐のシアはますます嫌そうに言う。
「心当たりはあるでしょう。奥様は控えめな方だ。乱暴ものの御館様に、いつも怯えてらっしゃる」
もう怒鳴ったりしていないのに、昼間のアエカはいつも怖がっている。
私を見るなと言ったせいだろうか。
「子供の世話をしたら、ずっとここにいてくれるかな」
耳元の父親の形見触りながら、オリオンはぼんやり呟いた。
早く夜にならないかなといつも思う。
夜に会うアエカは、私の事を父親と思っているのか、とても嬉しそうに寄り添ってくれる。
会いにきてくれる。
私を呼んでくれる。
深いどろどろとした闇が優しく自分を包んでくれる。
近頃、ぼんやりとすることが増えた。
「?奥様は、行く場所はここしかないでしょう」
故ラズル公爵が惚れ込んだ母子は、身寄りが無かったと聞く。
「そうだ。そうだな。あいつの役目は終わったんだ。何か好きなものを買ってやろう。庭・・・・・・庭の模様替えをするか。石が邪魔だな。花が好きだから、全部花だらけにしよう」
中庭から別館に続く通路には、父親の趣味で大小様々な石や置物が綺麗に配置されていた。
アエカには、石よりも花が似合うと思った。
「花畑ですか。取りかかりましょう」
すぐに中庭から裏庭にかけての岩は、すべて取り除かれた。替わりに樹木と薔薇苑が増設された。
アエカは、気にいったのか、薔薇苑の中の東屋に座っている姿をよく見た。
いつも青白い顔をしているのに、近頃は血色もよくなっているような気がした。
オリオンは幸せだった。
自分の姿を見たら、すぐに逃げてしまうけれど、子供達に囲まれて、アエカは嬉しそうだ。
ただ、自分の事を『母様』とも『ママ』とも呼ばせず『アエカ』と呼ばせようとしていると、報告があったのが気にかかったが。
引け目を感じているのか、乳母役だと言ったのを覚えているのか、後で訂正しておこうとオリオンは思った。
よく晴れた雲一つない日だったと覚えている。
「いつ、出ていけばよろしいのですか?」
オリオンは顔面蒼白だった。
アエカは無邪気に少し嬉しそうに、オリオンを見上げている。
アエカが着ているドレスは、石も飾りもついて居ないシンプルなドレスだ。
いつも同じ水色の服だ。
何も欲しがらなかったから、何も渡さなかった。欲しがったら、何でも買ってやるつもりだった。
子供を産んだせいか、アエカの眼差しは大人びている。
「あまり子供達と一緒に居ると、親と思ってしまいます。早く出ていかないと」
「アエカ、出て、いくの、か・・・・・?」
オリオンは、周りが不安になるくらい、挙動不審になった。
だからこそ、この二人の間で交わされていた約束が本当の事だと理解した。
「はい。旦那様が我慢してくださって、やっとイツが出来ました。これで家に帰れます」
「・・・・・・まだ、身体が本調子じゃないんだ。元に戻ってから、帰ればいい」
「大丈夫です。早く家に帰らないと。小さな家だから、壊れてしまいます」
手には、封印が解かれた箱からでた離縁届。
絶対効力の羊皮紙と、炎鳥のペンで書かれたサイン。
教会に渡せば、すぐに遂行される。呪術が折り込まれた契約書は、破られたらすぐに執行される。
シアが中身を確認すると、アエカのダグス・ラズル家との絶縁と子供の親権剥奪だった。アエカは一年間、屋敷に近付く事も子供に会うことも出来ない。署名者の横には、二人の血判が押されていた。
嬉しそうに幸せそうに、オリオンをアエカが見つめている。
「何てものを、渡してるんですか・・・・っ!」
横で、誰かが何か言っている。
オリオンの目の前が、真っ暗になった。
ああ、なんて事だ。
アエカは、私と別れると言っているのに、今まで見た中でも、一番美しい顔をしている。
それから、アエカはよく覚えていない。
ただ慌ただしく、時間が過ぎていった。
夜、目を覚ますと旦那様が泣いている夢をよく見ていた。
ぽたぽたと自分の頬に涙が落ちる。
優しく頭を撫でられる夢だ。
そんな事あるわけないので、アエカはいつもそれを見ると少し笑ってしまう。
旦那様は、自信満々に笑ってる姿がとても素敵なのに。
その日、子供たちが、泣き叫んで寝てしまうまで、アエカはずっと横にいた。
この子達は、旦那様が大切にしてくれるから。
出来るなら、大きくなったら、イツの髪の色や瞳が旦那様と同じ色になればいいのに。私の色で嫌われないように。
アエカは祈った。
大きく日が傾いた頃、ようやく外に出れた。
少し歩いただけで息切れがするから、ゆっくりと歩いた。
家に着いたのは、日が陰りだしていた。
森の家は、ずっとそこにあった。
変わらない。
アエカは嬉しそうに、ドアを触った。
劣化した場所を補修した跡があったので、誰かが来たのかも知れない。
母親がまじないを掛けたこの場所は、認められた人しか来れないはずだけれど、きっと風化してしまったのだろう。
床は抜けてないかしら?と、下を向いていると、ぽたぽたと水が落ちてきている事に気付いた。
雨漏り?
見上げると、天井には水滴はない。
そこで初めて、アエカは自分が泣いていると理解した。
「・・・・・・っ!」
座り込み、様々な感情がアエカの中に流れ込み、アエカは号泣した。
ずっとずっと泣き続けた。
泣きつかれて、寝て、起きて、泣いた。
どれくらい時間がだったのだろう。
目の前に、とても綺麗な見たことのない綺麗な人が立っていた。
長い銀色の髪が揺れてキラキラ光っている。
「貴方はだあれ?」
少し幼い口調になっているアエカにダルムは少し微笑んだ。
「貴方のお母様の友人だよ」
「お母様?」
「そうだよ。アエカをよろしく頼むと言われたから、迎えに来たんだ」
優しく一言一言ゆっくりとダルムが言う。
「迎え・・・・・?」
ダルムの後ろに控えているクロウが、悲しげな顔でアエカを見ていた。
封印石から解放されて、アエカの精神は混乱している。
この森の中の家にたどり着いたのは、アエカの最後の希望だったのだろう。
服も着替えず、食べ物も食べず、アエカは部屋の中心で、ぼんやりとうたた寝をしている。
荷物は入り口に置かれたままだ。
ダルムは、ゆっくりとアエカの横に膝を付き、床に座った。
「クロウ、お前は大きすぎるから、外で待ってて」
クロウが下がる。
「もっと早く迎えに来るつもりだったんだ。ごめんね、遅くなって」
「・・・・・・?」
頭を下げるダルムに、アエカはきょとんと見つめ返した。
「アエカ、アエカのお母様の生きた場所に行くかい?」
「・・・・・いきたい」
この場所から、誰も知らない場所に行きたい。
「そう。では、私の所に来るかい?」
「・・・・・・」
こくりとアエカは頷いた。
きっとこの人は、神様なんだ。
アエカは、ぼんやりとダルムを見つめた。
こんなに綺麗な人、見たことないもの。
「アエカを、長らく保護して頂きありがとうございます。今までかかった費用全て、こちらで出させて頂きます」
そういって、きらびやかな服と姿をした男が手に持っていた麻袋をテーブルにひっくり返した。
子供なのかも大人なのかもわからない。男かもしれないが、こんなに綺麗な銀髪とエメラルドの瞳をした人間を、オリオンは見たことはなかった。
周りの家人たちも、呆けたように見つめている。
後ろに控えている護衛と思われる人間たちは、深くフードを被り、性別さえ判別できない。ただ、かちゃりと音がしたので、下に刃物を忍ばせているのだろう。
彼らは玄関ではなく、庭に立っていた。
誰も気付かなかった。
家人達が殺気立ち、庭に集まったが、中央の男がケープを外し、微笑んだだけで、その場の空気が一変した。
オリオンは、全く心に響かなかった。
おかしな真似をするなら、そのまま斬るつもりで近づく。
ただ主と思われる人間の容貌は、居なくなったアエカと同系列に思えて、オリオンの胸はざわざわしていた。
「何用だ!」
「ダルムと申します。アエカの里の長を務めております。この度、アエカがダグス・ラズル家から解放されたと聞き、これまでのお礼を兼ねて参上いたしました」
テーブルの上に、ざらざらと砂金の山が出来る。
「この量を、後3つ用意します。ミレイの保護、アエカの保護、今後、アエカに関わる事の無いよう、その手切れ金も含まれます」
「何を言って・・・・・・」
「アエカは、〝神天〟の子供になります。ご存じの通り、神天は国で保護される存在です。一介の貴族が匿えることはできません」
ざわざわと家人達に戸惑いが拡がったが、どこか納得していた。
アエカはあまりにも、異質過ぎた。
ただ、それを聞いても、オリオンの心は動かなかった。
アエカの消息が掴めない。
森に消えたと報告があった。
付けていた間者は、全員たどり着けずに戻ってきた。
あんなに弱っていたのだ。
無理を押して、外に出たのだ。
もしかしたら、倒れているかもしれない。
そう思うと、いてもたってもおられず、連れ戻そうとして、オリオンはシアに軟禁されていた。
これ以上は、奥様の心が離れますと。
何を言ってるのだろう。
アエカが一人で怖がっているかもしれないのに。
今、この目の前の男は、少し薄ら笑いを浮かべているように思えた。
まるで全部を見透かしているようだ。
胸がざわざわする。
「夫婦生活を解除されたと聞き、これで晴れてアエカを、こちらに迎えることが出来ました」
「アエカは、まだ、私の妻だ!」
ダルムが少し首を傾げる。
「書類と契約しか信用しない貴方が、おかしな事をおっしゃる」
ダルムが胸元から、丸まった羊皮紙を出した。
「・・・・・・っ!」
「こちらに、教会から控えを頂いております。心変わりをされて、無かったことにされても困りますから」
「・・・・まさか、そんな」
書類は差し替えたはずだ。
「使いの者に渡した書類は、別の書類だったのに?お間違えのようでしたので、貴方の執務室に大事に隠されていた絶縁状は、私の方でちゃんと出しておきました」
「嘘だ・・・・・・」
「期限は、一年でしたね。ちゃんとした絶対呪術の誓約書でした。真面目なダグラズ家の仕事らしい。もしも、アエカが屋敷に近づくなら、呪術は速やかに刑を執行し、一時の激しい嘔吐が襲い、彼女の瞳は使い物にならなくなる」
ざわざわと家人達が信じられないものを見る目で、オリオンを見ていた。
「それは出すつもりはなかった。初めの頃に、たまたま作っただけだった」
オリオンは、顔が真っ青だった。
「たまたま作って、アエカは貴方に盲目にさせられるのですか?」
ダルムは静かに問いかけた。
「で、出ていかなければ、そんな物必要ない!」
ダルムが、瞬間、隣にいた男性の腰から剣を鞘事抜くと、オリオンをそれで殴り倒した。
鈍い音が響く。
どこにその力があるのか分からないが、オリオンは飛ばされ地べたに尻餅をついた。
口の中を切ったのか、鉄錆の味がした。
「ロジムの屈強な男を自分の手で殴ると、私の手が壊れてしまう。本当なら、貴方はアエカに刺し殺されても文句は言えない」
「ア、アエカは?アエカはどこにいる?あいつは身体が弱いんだ」
「・・・・貴方は、未熟過ぎる。アエカは、貴方を傷付ける事を望まなかった。我々の民に、このような辱しめをして、このまますむと思わないでください」
「・・・・・・」
「本当なら、このダグラズ家と貴方が統べるシライシの街全て、消すつもりでした」
神天を汚すことを赦さない。
ダルムはゆっくりと呟いた。
「でも、精神が壊れ掛けたアエカは、貴方を許した。あの子の望むものは、殺戮ではない」
「貴方が故アーシッド公爵と疎遠で良かった」
いきなり父親の名前が出て、オリオンはかっとなった。
「父は関係ない!」
「貴方が石をひっくり返してくれたお掛けで、アエカは屋敷を出ることが出来ました。彼女は新しい人生を歩めます」
「何を言って・・・・・・」
「親子揃って、鬼畜と思っておりました。親は、ミレイの遺体を隠し、アエカを屋敷に閉じ込めた。子は、幼いアエカを脅して孕ませ、跡継ぎを産ませた」
「ち、違う!脅してなぞ、いない!」
子供が欲しいとアエカだって、望んでいたんだ。
「男が産まれたら、外にでていい。貴方はそう約束したけれど、外に出すつもりはありませんでしたね」
「・・・・・・」
「学を奪い、子供が足枷になることを望んでいた。貴方は、アエカが結界石で、精神を蝕まれていたことを気付いていなかったようだ。生来の薄弱だと、思っていたようですね。貴方が庭を壊してくれたお陰で、アエカの存在が皆に知れた」
「ア、アエカはどこにいるんだ」
「私の庇護下に」
「身体が弱ってるんだ。早く屋敷で休ませないと。屋敷が一番、安全なんだ」
壊れた人形のように、オリオンが繰り返した。
ダルムが怪訝そうにオリオンを覗きこんだ。
「ああ・・・・そうか」
オリオンの金黒目の焦点は合っていない。
「貴方も、故ダラス公爵に操られているのか。同じ髪型、同じ顔、同じ服、同じ香水、同じ体格。あれは、とことん狂っていたのだね。息子を自分に仕立てあげるなんて」
「・・・・・・何を」
ダルムがオリオンの額に手を当てた。
「ヒイッ!」
メイドの一人が悲鳴をあげた。
オリオンの耳から黒い何かが出てしたのが見えたのだ。
見えなかった者たちはキョロキョロと周りを見回す。
触手のようなモノは、ダルムに引っ張り出された。ずるりと蠢く。
「アアアアアアア」
オリオンが呻く。
「これは、なさけだ」
ダルムが引きずり出した黒いものを、手の中で潰した。
ぱらぱらと破片が落ちていく。
オリオンが付けていた虎目石のピアスの破片だった。
「御館様から離れてください!」
シアが鋭く言った。手には剣が構えられている。
ダルムは、両手を軽くあげ、丸腰をアピールした。
「オリオンの補佐。貴方は優秀な様だ。オリオンがおかしくなっていくのを、気付いていただろう」
優しく笑う。
「・・・・・・」
「故アーシッド公爵に瓜二つになって行く様は、周りは、人徳者と言われた親を真似していると好意的に見ていた。でも、貴方は思っていたはずだ。あれだけ反発していた主人が、いきなり真似をするだろうかと」
図星だったのか、シアが目を逸らした。
「私は、幼い頃から御館様に仕えてきました。学友でもあります。御館様は、旦那様に反発して外に出ていましたが、決して遊んでいたわけではないです。経済を廻す事を学んで、成功していました。この屋敷に戻って、御館様はおかしくなりました。こんなに理不尽に、奥様をお子を邪険に扱う方ではないし、あれだけ嫌っていた旦那様の真似をしだした」
「何かがおかしいけれど、原因がわからなかった?」
「・・・・・・薄々、旦那様が何かをしたのではないかと。もしくは、御館様が重圧に耐えれなかったのか」
シアが項垂れた。
呆けたオリオンは応接室のソファでぼんやりと座っていた。
ダルムの前にお茶が出された。
執事を含め、部屋の中にいるダグス・ラズル家の家人たちは顔面蒼白だった。
ダルムは優雅にお茶に口をつける。
後ろには、背の高い護衛が一人だけ立っている。
オリオンは呆けている。
ダルムは、冷めた目でオリオンを見つめる。
「故アーシッド公爵は、オリオンに外法を施した。時が来たら、オリオンの魂と自分とをすげ替える予定だったのでしょう。代償は、最初に産まれた子供の命。けれど、オリオン自身が、子供を手にかけることはなかった」
「だから、自分からユイ様を遠ざけたのですか?」
執事が青い顔のまま尋ねた。
「遠ざけた?でしょうね。見たら、殺してしまうと勘が教えたのでしょう。アーシッドの誤算だったのは、オリオン自体がアエカと我が子に好意を抱いたことだ。アーシッドは息子を見くびっていた。アーシッドは息子にさえ嫉妬したのでしょうね。アエカに関わる愛の言葉を出なくした」
「御館様は、元に戻るのですか?」
シアが不安そうにオリオンを見た。
「大元は潰したけれど、侵食した心まではわからない。オリオンの補佐、彼を絶対呪術の期限が切れるまで、軟禁しておきなさい。アエカが居なくなった今、彼は狂うでしょう。息子に外法を使うなんて、イカれてる。アーシッドから受け継いだ身に付けるものを、処分されてください。毒は少しずつ抜けるでしょう」
「・・・・・・わかりました」
ダルムは哀れんだ目を、オリオンに向けた。
「可愛そうな男だ。手元にあったのに、つかまえれなかった。父親の外法に抗えず、アエカに捕らわれて、冷静な判断が出来なくなった」
「かえしてくれ。アエカは、ここに居ないと駄目なんだ」
ぶつぶつと口の中で何か呟く。
離縁届が受理され、アエカが戻って来ないことに気付いてしまったらしい。
オリオンは絶望感しかなかった。
「・・・・・では、貴方に試練を与えましょう」
「試、練・・・・・?」
「こんな辺鄙な田舎貴族を、アエカの相手なんかに認めない。のしあがってください。汚い手は目をつぶりますが、アエカが納得する形で財を築いてください。私はグラゾラの王都で貴族をしています。アエカはそこにいます」
「グラゾラ・・・・・・」
「アエカは、特別な子だ。もう、田舎貴族では手出しできないでしょう」
「特別な子・・・・・そうだ。アエカは特別なんだ」
その言葉にダルムが頷いた。
「ロジムの大貴族に、なってください。国を認めさせてください。その時、アエカに選ばせましょう。貴方を選ぶか、他の者を選ぶか」
「・・・・・・」
霧の中にいるみたいだ。
アエカがいない。
もしかしたら、また離れに行ってるのかも知れない。
行かないように、全部、崩してしまおうか。そうすれば、私の部屋で過ごすかもしれない。
アエカ・・・・・
アエカはもういないらしい。
変な男がアエカを拐っていった。
泣いているかもしれない。
アエカは人に慣れていないから、怖がってる。
皆、もう会えないと嘘ばかり言う。
私の事が嫌いになったと。元々嫌いなのだと。
うそだ。
アエカは、私の姿が好きな筈だ。
全部、父親の服や髪型や香水を真似たのに。
たまに自我が保てないアエカは、よく私と父を間違えていた。触ったら驚いた顔をしたから、添い寝をして抱きしめて眠った。
幸せだった。
いつか、アエカが自分を見てくれると思った。
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R18BL 「白銀の道」シリーズ
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の同系列のお話になっています。
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