第8話 ”お”弁当と爆弾娘
翌朝、悠美はかなり疲れた顔をして起きてきた。
「悠美さん、大丈夫?
なんだか、顔色悪いみたい。
具合でも良くないの?」
キクは心配になって、声をかけた。
「あ、大丈夫です。
昨夜、少し寝そびれてしまって…。
具合が悪いのではないので、大丈夫です。」
悠美が作り笑いで答える。
「そう?
ならばいいけど。
そうそう、今朝は菓子パンにするつもりだったけど、ご飯の方がいいかしら?
ご飯にお味噌汁の方が食べやすいわよね。」
「そうですね。
じゃあ、ご飯をお願いできますか?
すみません、わがまま言って。」
悠美はすまなそうに頭を下げた。
「何言ってるの。
我家は毎朝ご飯だから大丈夫よ。
じゃあ、用意してくるからね。」
キクはそう言うと悠美を居間に残し台所に支度をしに戻っていった。
「悠美さん、おはよう。
今日も早いな。」
キクと入れ替わりに春吉が居間に入って来る。
「おはようございます。」
悠美はいつものように背筋を伸ばし、正座をしていて、春吉の声にゆっくりと身体を向け、微笑んだ。
「……。」
春吉の眼に飛び込んできた悠美は昨日の活気のある悠美と異なり、しっとりと落ち着いた感じで、それでいてどこか透き通ったような感じがし、また、春吉は魅入ってしまった。
悠美を学校に送り出した後、春吉は思わずキクに聞いた。
「なんか、今日の悠美さん、いつもと感じが違ったように思えるのだが。」
「そうなのよ、私も気になって“具合は?”って聞いたのですけど、なんでも昨晩寝付けなくて、寝そびれたそうよ。
それで、少し眠いって。」
「そうなのか?
何か心配事でもあるのかな。
それとも、慣れていない家で暮らしているからなぁ。
ゆっくり休めないのかな。」
「そうね、それにお年頃の娘さんですからね。
帰って来て、まだ具合が悪そうだったら、無理しないで、一度自分の家にお帰りなさいって言ってみるわね。」
「そうだな、あんまり負担を掛けちゃいけないし。
まだ、高校生だしな。」
「ええ。」
悠美が学校に出かけて行って、少しして今度は春彦が起きてきた。
「春彦、おはよう。」
「おはよう、おじいちゃん。」
春彦は今を見渡してから「おばあちゃんは?」と春吉に尋ねた。
「ん?
おばあちゃんは、台所だよ。」
「じゃあ、手伝ってこよう。」
そう言って春彦は居間を出てキクのいる台所に入って行った。
「あら、春彦ちゃん、おはよう。」
「おはよう、おばあちゃん。
パン、持っていくね。」
そう言って昨日キクと買った菓子パンで自分の食べたかったパンを手に取った。
「あれ?
悠美ちゃんは、パン食べなかったの?」
そこには、昨日悠美のためにと春彦が選んだ菓子パンが残っていた。
「え?
ええ、悠美さん、今朝はご飯の方がいいって言ってね。
ご飯とお味噌汁にしたのよ。」
「ふーん。」
春彦は少し間を置いてから「ねえ、おばあちゃん。」とキクに話しかけた。
「え?
なあに?」
「あのさ、悠美ちゃん、いつもと同じだった?」
「え?
どうして?
そうね…、ちょっと寝不足って言ってたけど普通だったわよ。
どうしたの?」
春彦は、言っていいのか悪いのか迷ったような顔をしたが言葉を続けた。
「うん、昨日の夜、一人で泣いていたみたいだったから。」
「まあ、本当?」
「でも、わかんない。
見ちゃダメと思って、眼を閉じていたから。
でも、普段と変わらないなら勘違いだったね。」
そう言って、春彦は菓子パンを持って居間に戻っていった。
「春彦ちゃん、すぐに牛乳持っていくからね。
先に食べていなさい。」
キクは、春彦の背中に向かって行った。
「はーい。」
春彦の変事を聞きながらキクは思った。
(やっぱり、春繁のことを思い出したのね。
大丈夫かしら…。)
キクは2階の春繁の部屋の方をうらめしそうに見上げた。
午後、小学校の帰りにキクは春彦を連れて舞の病院に見舞いに寄った。
「お母さん、具合はどう?」
春彦は病室に入ると舞の方にまっしぐらに駆け寄り、ベッドに両手をつき、舞の顔を覗き込んだ。
「こらぁ。
ここは病室で、他の患者さんもいるから走っちゃダメよ。」
舞は、春彦の自分を思う気持ちがそうさせたとわかっていたので、苦笑いしていった。
「はーい。」
素直に返事をする春彦の頭を撫でながら、舞はにっこり笑った。
「お母さんね、どんどん元気になって来たわよ。
うまく行けば、今週、土曜日位に退院出来るかなって、お医者さんが言ってくれたのよ。」
「まあ、本当?」
春彦に遅れてキクが病室に入って来る。
「あ、お義母さん、毎日すみません。」
「そんなこといいから、さっき言ったこと、本当なの?」
「ええ、ただ、退院しても、自宅でしばらくは静かにって。」
「でも、退院できるんだ。
お母さんと一緒に居られるんだ。」
春彦は万遍の笑みを浮かべて言った。
「あら、あんた、悠美と一緒の方がいいんじゃないの?」
舞は、半分意地悪そうに聞いた。
「え?
うーん。」
春彦は少し考えてから
「悠美ちゃんもいいけど、お母さんもいなくちゃ嫌だ!」
と言うと、舞は
「はい、100点の回答、ありがとう。」
と笑って春彦を抱きしめる。
それから春彦は、一生懸命、舞に学校でのことを話して聞かせ、舞は、ニコニコしながら聞いる。
(やっぱり、母親がいいのよね。)
嬉しそうな春彦の態度を見てキクがしみじみと思った。
キクたちが家に帰り、春彦がおやつを食べているころ、悠美も帰って来る。
「ただいまー。」
悠美の声は、朝とは別人のように明るい声に聞こえた。
「あっ、悠美ちゃん、帰って来た。」
春彦は、玄関の方から聞こえた悠美の声に反応し、おやつの菓子パンをテーブルに置いて玄関に走って行く。
「悠美ちゃん、お帰りー。」
「春ちゃん、ただいま。」
春彦は、悠美に抱きつかんばかりの勢いだったが、悠美は、春彦の手についている菓子パンのチョコレートを目ざとく見つけた。
「ちょっ、ちょっと春ちゃん待って、止まってー!
手にチョコがついてる。
口の周りも!
私の制服にチョコがついちゃうって!!」
しかし、春彦は止まらず勢いそのままで、ニコニコしながら悠美に抱きついてしまった。
「あーあ、制服がチョコだらけ。
ま、後で拭けばいいか。
ただいま、春ちゃん。」
そう言って悠美は苦笑いしながら抱きついている春彦の頭を撫でた。
「まあ、まあ。
お帰りなさい、悠美さん。
いつも、たいへんね。」
「あ、キクさん、ただいま帰りました。」
悠美はそう言って、キクに笑顔を見せた。
キクは、悠美が元気になっているのを見て、内心、ほっとしていた。
(よかった。
いつもの元気な悠美さんに戻っているわ。)
「ねえ、悠美ちゃん、今日ね、学校帰りにおばあちゃんとお母さんのところに行ったんだよ。」
「え?
本当?
で、舞ちゃん、どうだった?」
春彦は、舞のことを悠美に伝えたくて仕方なかった。
「お母さん、凄く元気になって。
このままなら、今度の土曜日に退院できるって。」
「まあ、本当?」
悠美は、ちらりとキクの方を見た。
キクは、“本当よ”と言いうように頷いて見せた。
「良かったね。
じゃあ、今週だけ頑張ればいいのね、春ちゃん。」
「でも、春彦ちゃん、お母さん言っていたじゃない。
退院しても、しばらくはお家で安静にしていないといけないって。」
キクが春彦の説明に付け加える。
「そうだった。」
悠美は笑いながら春彦の頭を、もう一度撫でた。
「さあ、じゃあ、私着替えて来るね。
それから、舞ちゃんが、どんなに元気だったか、それと今日、学校どうだったかいろいろ教えてね。」
「うん。」
「あと、宿題もね。」
「あちゃー。」
そう言うと春彦は居間の方に逃げて行った。
「もう、あの子ったら。」
悠美は笑いながらため息をつき、春彦の後姿を見送った。
「まあまあ、いいじゃないの。
舞さん、本当に顔色も良く、元気になっていたわよ。」
「そうですか、よかった。
私も明日の帰りに寄ってみようかしら。」
「そうね、悠美さんが顔を出せば、もっと元気になると思うわよ。
それより、悠美さん、お腹は?
お腹、空いていない?」
「えへへ、実はペコペコなんです。」
「じゃあ、朝出そうとしていた菓子パンがあるわよ。
あと、お饅頭も。
早く着替えて、居間にいらっしゃい。」
「はーい。」
悠美は嬉しそうに返事をした。
「でも、制服、チョコレートが付いちゃっているわね。」
キクは、悠美の制服についているチョコレートを目ざとく見つけた。
「春彦ちゃんね。
さっきチョコレートのかかっていた菓子パンを食べていたから。
後で、タオルをお湯で湿らせて持っていくわね。」
「すみません。
お願いします。」
悠美は笑いながら、客間の方に歩いて行った。
(汚い手の春彦ちゃんを避けもせず、ちゃんと受け止めて。
怒った顔一つしないのね。
本当に、感心な娘ね。)
キクはそう思いながら目を細めて悠美の後姿を見ていた。
しばらくして悠美はいつものようにジーンズパンツに水色のカーディガンという普段着に着替え居間に入って来る。
テーブルの上には、悠美の好きな板チョコが挟んである菓子パンにミカンのジャムが入っているジャムパン、それに、お饅頭が置いてあった。
春彦は、菓子パンを食べ終わったのか、座布団に座っていた。
「あら、春ちゃんはもう食べたの?」
見ると春彦の前にはチョコレートがかかっている菓子パンの空袋に、お饅頭が包んであった袋が2つほど散らかっていた。
「うん、お腹いっぱい。」
悠美は座って(これか、私の制服をチョコだらけにしたパンは)と思いながら、春彦が食べた菓子パンの空袋やお饅頭の包みを片付けた。
「大丈夫?
こんなに食べて、夕飯、食べられるの?」
「う、うん。」
春彦は一瞬戸惑ったが、お腹をぽんと叩き頷いた。
「春彦ちゃん、大丈夫よね。
育ち盛りなんだから。」
キクがそう言いながら、悠美のお茶を持って居間に入って来た。
「あ、すみません。」
そう言って悠美はキクから茶を受取る。
「悠美さん、好きなのを食べてね。
菓子パンは、春彦ちゃんが悠美さんの好きなものって選んだのよ。」
「どうりで。
春ちゃんは、私の好きなパンを知っているから。」
「そうよ。
だから、食べてね。
あと、そのお饅頭も美味しいから。」
「はーい。
いただきます。」
そう言って悠美は、ジャムパンに手を伸ばした。
「そういえば、悠美さん、いつもお昼どうしているの?」
「え?
あ、はい。
いつもは、お弁当を作って持っていくのですが、昨日今日は、学食でパンを買って食べています。」
「まあ、それだとお腹空いちゃうでしょ。
お弁当作ってあげましょうか?
でも、私、若い娘のお弁当作ったことないから、気に入ってもらえないと困るし。」
キクは、眉間に皺を寄せて考えこんでいた。
春吉は、いつも昼は作業場で皆と一緒に出前の弁当を食べているので弁当は作ったことがなく、春繁が学生時代に、育ち盛りの男の子用にこれでもかとご飯を詰め込んだお弁当を作っていたキクには、悠美の様な年頃の娘の“お”弁当のイメージがわかなかった。
「キクさん、大丈夫ですよ。
そんな、心配しないでください。
学食で、普通に定食とかご飯ものもありますから、大丈夫です。」
悠美は考えこんでいるキクを見て、慌てて手を左右に振ってみせた。
「そう?
でも、お腹すかして帰って来るのじゃ、何か可哀想だわ。」
「キクさん、本当に大丈夫ですって。」
悠美は笑いながら、ジャムパンを食べた後、お饅頭に手を伸ばしていた。
「そうそう、春ちゃん、お母さん、どうだった?
どんなお話ししたの?」
悠美がそう春彦に問いかけると、春彦は舞と話したこと、学校のことなど、悠美に話して聞かせた。
悠美は、笑顔で話を聞いて、たまに頷いたり、笑ったり、驚いたりと春彦の話の内容に合わせいろいろな表情をして見せていた。
春彦は、それにつられ、一生懸命話をする。
(まあ、悠美さんて、なんて聞き上手なこと。
春彦ちゃん、あんなに一生懸命悠美さんに聞かせようとしてるわ。
だから、春彦ちゃん、悠美さんが好きなのね。)
キクは二人のやり取りを聞きながら感じた。
夕方、いつものように春吉が仕事から帰って来て、元気そうな悠美を見て、胸をなでおろした。
「よかった、悠美さん、元気になっているようだが。」
「はい、学校から帰ってきたら、元気になっていましたわ。」
「何かいいことでもあったのかな?」
「さあ。」
キクは、悠美の春繁を慕う心と、気持ちの切り替えができる娘であることをサキや舞から聞いていたが、春吉に話しても仕方ないことと思い、あえて知らないふりをした。
「何にせよ、悠美さんが明るい顔をしていると、家の中が明るくなるな。」
「まあ、あなたったら悠美さんにぞっこんなんだから。」
そう言ってキクは笑うと、「何を馬鹿なことを」と春吉はばつの悪そうな顔をしながら咳払いをした。
翌朝、いつものように悠美が起きて来ると、キクがなにやらそわそわしていた。
「おはようございます。
キクさん…?」
どうしたんだろうと悠美は気になって声をかけると、キクは驚いたように悠美を見る。
「あ、悠美さん、お、おはよう。
よ、よく寝られた?」
「はい…。」
悠美はいったいどうしたんだろうと気になって仕方なかった。
「テーブルに菓子パンと、卵焼きを出しておいたから食べてね。」
「はい。」
悠美はそう答え、居間に行くとテーブルの上に菓子パンや卵焼きの横にお弁当箱が入るような花柄のピンクの巾着袋が置いてあった。
「?」
悠美は一瞬何かわからなかったが、すぐに思いつき、巾着袋をあけると、アルミホイルに包まれたおにぎりとその下はおかずの入っているタッパーがあった。
タッパーの蓋を開けると、綺麗に渦を巻いた卵焼きに鶏のから揚げ、黒豆の煮ものにプチトマトとカラフルで美味しそうなおかずが入っていた。
「キクさん!」
悠美が振り返ると、居間の入口でキクが心配そうな顔して立っていた。
「悠美さん、お弁当作ってみたんだけど、どうかしら。
若い娘向けじゃなかったら、置いて行ってくれてもいいんだからね。」
悠美は、首を左右に振った。
「そんなことないです。
色合いが綺麗だし、とっても美味しそう。
それより、いいんですか?
こんなおいしそうなお弁当、頂いちゃって。」
悠美の嬉しそうな顔と言葉を聞いて、キクの顔が華やいだ。
「いいのよ、持って行って食べて頂戴ね。
女の子のお弁当を作るのは初めてだったから、どうかなって思ったんだけど。
でも、だめね。
可愛いお弁当箱が無くて。
せめて可愛い袋だけでもと思って、昨日、買っておいたのよ。」
キクはニコニコしながら居間に入って来て、悠美の横に座り込んだ。
「本当、この巾着袋、可愛いです。」
悠美が広げたタッパーやアルミホイルに包まれているおにぎりを巾着袋に仕舞直しながら、まじまじと見て言った。
「よかったー。
これなら若い人でもいいわよねって、お店の若い店員さんに聞いてみたのよ。」
「そんなことまで?」
「それでね、おにぎりだけど、中身は梅干しと昆布を1つずつ入れたの。
足りるかしら?」
おにぎりは、悠美ようにとそれでもキクとしては小さめに作ったつもりだったが、もともと春繁に持たせていたおにぎりがソフトボールのように大きかったので、結構な大きさだった。
それでも、悠美は意外と食が進む方だったので、嬉しそうに頷く。
そんな悠美の嬉しそうな顔を見てキクは舞い上がりそうだった。
自分にも女の子供がいたらと可愛いお弁当を作って持たせたいと常日頃思っていただけあって、長年の夢がかなったようだった。
悠美は、そのお弁当をさも大事そうに鞄に仕舞った。
「キクさん、本当にありがとうございます。
行ってきまーす。」
悠美が嬉しそうに手を振って家を出ると、キクのところに春吉が近づいて来る。
春吉は、昨夜、遅くまでキクがお弁当のおかずをどうしようかと、散々悩んでいたのと、朝早くから一生懸命揚げ物までしている姿を見ていた。
「どうだった?
悠美さん、お前のお弁当、持って行ってくれたかな?」
あの悠美の嬉しそうな顔を見れば聞かなくても答えはわかっていたが、それでも春吉はキクに尋ねてみた。
「はい。
嬉しいって言ってくれて。
それで、大事そうに鞄に入れてくれて…。」
キクは感極まったようだった。
「それは良かったな。
うん、良かった。」
春吉は笑顔でそう言いながら、外は寒いからとキクの肩を抱いて、家の中に入って行った。
「ねえ、舞ちゃん、聞いて、聞いて。」
「え?
なに?」
悠美は学校帰りに舞の見舞いに病室を訪れる。
舞は、日に日に元気になってきていて、その日も、ベッドの上で上半身を起こし枕をクッションの様にして座り、サキの持ってきた雑誌を見ていた。
「今日ね、キクちゃんにお弁当作ってもらったの。
すごく美味しくて、見た目もきれいだったのよ。」
「キ、キクちゃん?
悠美、あんた、お義母さんに向かってキクちゃんって『ちゃん』付けして呼んでないでしょうね。」
悠美は「舞ちゃん」「サキちゃん」と親しい人のことを相手が年上だろうと『ちゃん』付けする癖があった。
だが、舞はさすがに自分にとって義理の母親にあたるキクに『ちゃん』付けされてはと心配で聞いた。
「え?
ああ、大丈夫よ。
私だって、さすがにそこまで、失礼なことはしないわよー。」
悠美が手を顔の前で左右に振って言った。
「どうだか…。」
舞は、疑いの眼差しで悠美を見て言った。
「そんなことより、お弁当作ってもらっちゃったけど、いいのかなぁ。
たぶん、朝早くから起きて作ってくれたと思うんだけど。」
「そうね。
で、お弁当は残さず食べたの?」
「もちろん、卵焼きでしょ、唐揚げでしょ、梅干しのおにぎりでしょ、鮭の塩っぽさもちょうど良くて、全部私のすきなものばっかり。
それにね、おにぎりも一つがこんなに大きかったのよ」
そういって、悠美は両手で大きな球を作って見せた。
「まあ。
じゃあ、丁度良かったんじゃない?」
舞も悠美が良く食べるのを知っていた。
「そうなの。
おいしかったな…。」
悠美は思い出したのか、うっとりした顔をして見せた。
「て、そうじゃなくて、キクちゃんにお礼しなくていいのかな。」
そう言うと悠美は姿勢を正し、真剣な顔で舞を見た。
「いいんじゃない。
たぶん、お義母さん、悠美にお弁当作ってみたかったんだろうから。
それに、何よりのお礼は、残さず食べたってことかな。」
「えー、それでいいのかな?
それでいいなら、美味しい思いをした私は万々歳で、『大満足じゃー!』なんだけど。」
悠美はそう言って、子供番組のヒーロー戦隊の決めポーズをまねした。
「なによ、それ。」
舞は、右手で拳を作り、口元に持っていきケラケラと笑い転げていた。
元気になってきた舞と病室で楽しく話をした後、悠美は上機嫌で立花の実家に戻って来た。
「ただいまー。
キクちゃ……(わ、危ない)。
キクさーん、春ちゃーん、ただいまー。」
居間では、春彦とキクが仲良くおやつを食べていた。
「あら、悠美さんが帰って来たわ。」
「悠美ちゃん、何かご機嫌みたいだね。」
春彦は悠美の声を聞いて感想を口にした。
「本当?」
キクは、渡したお弁当を悠美が気に入ったか気がかりで仕方なかった。
キクと春彦は、玄関に悠美を出迎いに行こうと腰を上げたが、そこに悠美が滑り込むように入って来た。
「早っ!」
悠美のあまりの速さで、春彦は面食らっていた。
そんな春彦を横目に、座り込んだ悠美は、早速、鞄を開けてお弁当の入っていた巾着袋を取り出す。
「キクさん、ご馳走さまでした。
お弁当、とっても、とっても美味しかったですよ。
残さず、全部頂きました。」
悠美はそう言って、キクにお辞儀をすると、万遍の笑顔を見せた。
「まあ、本当?
嬉しい、良かったわー。」
キクも万遍の笑顔で巾着袋を受取った。
「?」
その真ん中にいる春彦は、ただ一人、何もことだかわからずにきょとんとしていた。
「それじゃ、明日は何のお弁当にしようかしら。」
キクが嬉しそうに、考えを巡らせていると悠美がすまなそうな顔をして声をかける。
「大変じゃないですか?
私はうれしいですけど、あの、無理しないでくださいね。」
「何言っているのよ、こんな楽しいことって滅多にないんだから。
そうそう、おにぎりの量、足りた?
女の子だから小さく作ったんだけど、小さすぎたかしら。」
キクは眼を輝かせて悠美に尋ねた。
「はい、丁度良かったです!!」
(でも、普通の女の子の量の2~3倍はあったんですが…)
悠美は、笑いながら心の中で思ったが、悠美にとっては、丁度いい量だった。
「悠美さん、おやつ食べてね。
あ、着替えが先ね。
着替えたらお茶でも出すからね。」
「はーい。」
キクは上機嫌で巾着袋を大事そうに持ち、鼻歌を歌うように台所に入って行った。
「ねえ、悠美ちゃん。
おばあちゃん、どうしたの?」
春彦が、不思議そうな顔で悠美に尋ねる。
「え?
ふふふ、どうしたんでしょうね。
さ、春ちゃん、宿題出ているんでしょ?
着替えたら一緒に見てあげるから、早く片づけちゃいましょうね。」
悠美も鼻歌を歌いながら着替えをするために今から出て行った。
「???」
春彦は、ただ一人何のことかわからず、居間で首をひねっていた。
「なんで、悠美ちゃんと、おばあちゃん、あんなに嬉しそうなんだろう?」
その夜、春彦と悠美が寝静まったあと、キクは台所で考え事をしていた。
「どうしたんだ?
こんな遅くに。」
春吉はキクが台所に籠っていたので、気になって様子を見に来た。
「あら、あなた。
いえね、明日の悠美さんのお弁当のおかずを何にしようかと思って。」
「そう言えば、今日のお弁当はどうだったって?」
「ええ、美味しかったって、綺麗に食べてくれましたよ。」
嬉しそうな顔を見せるキクをみて春吉は眼を細めた。
「そうか、そうか。」
「ねえ、あなた。
今晩のハンバーグ、明日のお弁当に入れるのは良くないわよね。
冷凍のシュウマイもあるのだけど、せっかくだから冷凍じゃなくて手作りがいいわよね?
そうだ、生姜焼きなんてどうかしら?
高校生の女の子って、生姜焼き食べるかしら?
どう、思います?」
「え?
あ…ああ、食べるんじゃないか…。」
「そうじゃなくて、お弁当に入れていくかしら?」
「ああ、入れてくんじゃないか…。」
「そうよね!
あと副菜は何にしようかしら…。」
キクの楽しそうな顔を見て、春吉は笑いながら台所から出て行った。
次の日、春彦はキクに連れられ学校帰りに、舞の見舞いに来ていた。
「お母さん。」
春彦は、走り寄ろうとして、前回舞に叱られたことを思い出し、慌てて忍び足になっていた。
「まあ、まるで忍者ね。」
舞はにっこりと笑って春彦を見る。
舞は、まだやつれた感じがしたが、春彦の顔を見て顔に赤みがさしていた。
「あ、サキおばあちゃん。」
舞の陰にサキが座っていたのを確認し、春彦は慌てて挨拶をした。
「春彦ちゃん、こんにちは。
元気ね。」
「うん。」
サキも春彦のことが可愛くて仕方なかったので春彦の顔を見て笑顔になっていた。
そして、春彦の後ろに立っているキクに向かって、笑顔で会釈する。
キクは、そのサキの態度で舞が順調に回復していることがわかった。
「キクさん、なにか悠美にお昼のお弁当まで作っていただいてるんですって?
申し訳ございません。
あの子ったら、意外と図々しいところがあって。」
そう言ってサキが頭を下げるとキクが慌ててかぶりを振った。
「そんなことないですよ。
女の子のお弁当、作ったことが無かったので楽しくって。」
「まあ。」
そしてサキとキクは春彦と舞を置いて二人でお弁当談義に花を咲かせていた。
春彦はそんな二人を見て、舞に振り返り尋ねた。
「ねえ、お母さん、昨日ね、キクおばあちゃんと悠美ちゃん、凄くご機嫌だったんだよ。
お弁当って、そんなにうれしいものなの?」
「あら?
あんた、遠足の時にお弁当作って持たせたじゃない。
玉子焼きに、唐揚げとか、おにぎりとか。
それって、嬉しくなかった?」
舞に聞かれ春彦は慌てて首を横に振った。
「ううん、そんなことない。
凄く嬉しくて、凄く美味しかった。」
「でしょ?
それと、お、な、じ。」
そう言って、舞は春彦の頭を撫でると、春彦は嬉しそうに舞にくっ付いていた。
キクと春彦が病室を出て行ってから30分程経って、今度は悠美が昨日とは打って変わって機嫌悪そうに病室に入って来る。
「あら?
悠美どうしたの?
なんかご機嫌斜めね。」
「うん。」
悠美が舞のベッドに近づくと、サキの顔も見えた。
「舞ちゃん、サキちゃん、聞いてよ。
今日電車の中でね、同じ年位の男の子に声かけられたの。
何だろうと思って、その子の顔を見たら、急に黙って、そしてすぐに電車を降りちゃったのよ。
声かけておいて、人の顔を見て何も言わずに降りちゃうなんて失礼しちゃうと思わない。
何か顔についていたのかと気になっちゃったわ。」
その話を聞いて舞とサキは思わず顔を見合わせた。
「悠美、声掛けられた時、すました顔しなかった?」
舞が、苦笑いしながら口を開いた。
「当たり前でしょ。
見ず知らずの人に、いきなり馴れ馴れしくしないわ。」
悠美がさらに機嫌悪そうに言う。
「まあ、普通そうよね。
でも、私が言うのも変だけど、あなたのすまし顔、強烈だから。」
「え?
何が強烈なの?」
悠美が不思議そうに言う。
舞はサキの方を見て、笑みをこぼす。
「ううん、何でもないわ。
ただ、その男の子、随分向こう見ずというか、何と言うのか。」
「ただのお馬鹿さんでしょ。」
サキが横から吐き捨てるように口を挟む。
「???」
悠美の不思議そうな顔を見て舞とサキは笑いだした。
悠美は、長い黒髪、眼がクリッとし、卵型のふっくらとしているが小さめの美人顔、細身の均整の取れた体つき、背筋をピシっと伸ばした姿勢が気品をにじませ、セーラー服姿はさらに皆をため息つかせるほど綺麗だった。
笑顔は愛嬌があって取っつきやすいが、今一緒に暮らしている春吉も悠美のそのすました姿を見るたびに、何度となく言葉が出ないほど固まったほどだった。
なので、高校生位の何の免疫のない男子が悠美に見つめられ、話せなくなり逃げるように電車を降りたのは、舞やサキには頷けることだったが、悠美には全くその自覚が全くなかった。
「あんた、天然の爆弾娘だからね。」
舞は悠美をまじまじと見て、自分の姪ながら、その綺麗さにため息をついた。
「ここら辺までは、あなたの学校のお嬢さんなんていないでしょうし。」
悠美の学校は、しつけが厳しい学校で、みな姿勢よく身なりもきちんとしていて、美人が多いのも有名な学校だったので、その学校の生徒を見ていれば、ある程度の免疫も付くのだが、学校まで2時間くらいかかるこの付近ではさすがにいなかった。
「そうそう、悠美、あなたキクさんにお弁当まで作ってもらっているの?」
サキが切り出すと、悠美は叱られるのではと緊張した顔つきに変わる。
「うん…。
一応、遠慮したんだけど、作ってくれるって。
それに、すごく美味しくて……。」
「まあ、呆れた。」
サキは悠美の顔を見て苦笑いした。
「今度、何かお礼の品でも買って持って行かないと。」
サキがそう言うと、悠美が目を輝かした。
「そうなのよ。
何かお礼をしたいんだけど、サキちゃん、何がいいと思う?」
「そうね、香り袋とか…。」
「香り袋かぁ、それもいいかな。
舞ちゃんは、何がいいと思う?」
舞は、真剣に悩む悠美の顔を見て、また、笑いだす。
「悠美、今日は何しにここに来たの?
私の具合を見に来たんじゃないの?
さっきから聞いてると、私の具合とか一切聞いていないじゃない。」
「え?
だって、舞ちゃんの顔を見れば、順調に回復してるんだってわかるわよ。」
悠美は、真面目な顔をして言った。
「あなたには、本当に負けるわ…。」
そう言って舞は片手で頬杖をつき、苦笑いをして見せた。
春彦と悠美が立花家に居候するようになり、数日が経過すると、静かな田舎が少しずつ波立ってきます。
舞の経過も良く、そろそろ退院後の話がちらほらと。
話しも後半戦に入っていきます。