第5話 一週間の始まり
翌朝、悠美が目を覚ますと、襖から日の光が漏れ、時計を探して見ると6時をさしていた。
早朝にもかかわらず、春吉やキクは、とっくに起きているようだった。
耳を澄ますと、庭を掃除している音や、台所の方でお湯を沸かし、朝食の支度をしている気配がする。
ふと自分の布団の中を見ると、春彦が気持ちよさそうな顔をして悠美にくっつくようにして気持ちよさそうな顔をして寝ていた。
(あはは、私ったら、あのまんま寝ちゃったんだわ。
春ちゃん、温かいんだもの。
気持よさそうな顔をして可愛いこと。)
悠美は、よく寝ている春彦を起こさないように、そっと、布団から抜け出すと、パジャマを脱ぎ、枕元に置いておいたブラウスを羽織り、その上に薄いピンクのトレーナーとジーンズパンツという普段着に着替え、そして髪をブラシで梳かし、静かに部屋を抜け出した。
廊下に出ると季節柄ひんやりと感じた。
(うー、さすが田舎。
冷えてきたわぁ。)
そう思って腕を組むようにして朝日の指す方向に歩いて行った。
朝日は、玄関のところのガラス窓から入ってきていた。
ガラスは曇りガラスだったので、外は見えなかったが、その明るさからいい天気なことが容易に想像できた。
(今日もいい天気って、天気予報で言っていたわね。
晴れの天気が一番好き。)
悠美は洗面所に入って、手と顔を洗った。
洗面所はお湯が出たので冷たい思いをしなくて済んだ。
春吉の家は、山間の平地にある農村地帯で、畑が広がり、隣の家までは、かなり離れている。
洗面所の横の窓を開けると、想像していた通りの青空で、遠くに山並みが見え、秋が深まって来たせいか畑の枯れた草が朝日を浴びて黄金色の絨毯のように光り輝き、それが山裾に向かって広がって見えた。
(わぁー、絵に描いた田園風景!!
でも気持ちいわ。)
悠美は自然と顔をほころばせ、窓から流れ込んでくる澄んだ冷たい空気を、大きく深呼吸をして吸い込んだ。
(あはは、美味しい!!
やっぱりいいな、こういうところ。)
悠美はしばらく窓から身を乗り出すようにして風景をながめてから、ニコニコしながら軽やかな足取りで台所に向かって行った。
台所に近づくと、キクがお茶を入れているのが見えた。
「おはようございます。」
悠美がそう言って台所に入って行くと、キクが驚いた顔をして悠美の方を見た。
「あら、起こしちゃった?
ごめんなさいね。」
キクは家の中の生活音で悠美を起こしてしまったと思っていた。
「いえ、ぜんぜん気にならなかったですよ。」
悠美はにこやかに否定した。
「そう?
うちは、朝早いのよ。
朝ごはんなんて、6時ごろに食べるんだから。」
「まあ、早いですね。」
「そうなのよ。
もうあの人ったら夜明けとともに起きて庭掃除が日課で。
それに、8時ごろには、もう仕事場に出ちゃうんだから。」
「え?
8時にですか?」
「でも、悠美さんも、学校行くから、早いんじゃないの?」
「そうですね。
いつも6時半ごろ起きて、7時半には家を出ます。」
「学生さんもたいへんよね。
じゃあ、お母さんも早く起きて皆のご飯と、お弁当作りを?」
キクは、そう聞くと、悠美はこっくりと頷いた。
「じゃあ、たいへんよね。」
「あ、でも、たいていはおばあちゃんが作ってくれるんです。
母も働いているので。」
「まあ、サキさんが?」
「はい。
だからいつも私も手伝って。」
「あら、いいわね。
悠美さんが手伝ってくれるなんて、サキさん、喜んでいるんじゃないの?」
「ええ、まあ。」
悠美は照れ笑いをした。
「だから、キクさん。
手伝います。」
そう言うと悠美は持っていた黒い髪ゴムで長い黒髪を後ろで束ねた。
「まあ、いいわよ。
昨日は、疲れたでしょ。
もっとゆっくりしていれば?」
「いえ、大丈夫です。
何しましょう?」
「そう?
じゃあ、お味噌汁のお出しを取るから、お鍋に水を張って、煮干しを入れてもらおうかしら。
そうそう、ちょっと待ってて。
エプロンがないと、洋服が汚れるといけないから。
私のエプロンでいいかしら?
舞さんのエプロンもあるんだけど、すぐに出てこないと思うから。」
「はい。」
そして、キクの持ってきたエプロンをすると、悠美は手際よく味噌汁用の両手鍋に水を入れ、火にかけ、キクから渡された缶から煮干しを取り出し、頭とはらわたを器用にとって、鍋の中に入れていった。
「煮干しは、5,6匹でいいですか?」
「そうね、今日は大勢で水の量も多いからそれでいいわ。
あら、頭とワタを取ってくれているの?」
「はい、おばあちゃんに頭とワタのところは取らないと苦くなるって言われて。」
「まあ、本当にサキさんの手解きがいいのね。」
キクは感心していた。
「じゃあ、お味噌汁は大根にするから、お任せしていい?」
「はーい。」
「朝は、目玉焼きとアジの開きを焼いて、悠美さんや春彦君にはウィンナーも炒めましょう。
あと、トマトとお漬物。
それと…」
「キクさーん、もうそれだけで十分ですよ。」
悠美は笑いながら答える。
いつしかにぎやかになった台所に春吉が顔を出した。
「なんかにぎやかな声がしていると思ったら、悠美さん、もう起きていたんだ。」
「あ、おはようございます。」
悠美も笑顔で返した。
「うむ、おはよう。
よく寝られたかな?」
「はい、ふかふかのお布団がとっても気持ち良くて、朝までぐっすりです。」
「そうかそうか。
それは良かった。
おい、お茶をくれ。」
春吉は笑顔で答え、キクの方に向かってお茶の催促をした。
「はいはい。
じゃあ、居間で待っていてくださいね。」
「うん、頼む。
そう言えば、春彦はまだ寝ているのかな?」
「はい、爆睡中で、まだまだ夢の中です。
春ちゃんは、昨日はいろいろ頑張ったので、疲れていると思いますよ。」
「そうだな。
君は、大丈夫なのか?」
「はい、このとおり。」
悠美は細い腕を曲げて、力こぶを作る振りをして見せた。
「そうか、そうか」
春吉は、そんな悠美を見て、ニコニコしながら台所を出て居間に向かった。
「まあ、あの人ったら、悠美さんにメロメロね。」
「え?」
「ほら、うちは子供は春繁だけで女の子いないから。
だから、悠美さんみたいな素敵な女の子が家の中にいると、家の中がぱっと明るくなったみたい。」
「まあ。」
悠美ははにかんだ。
「でも、舞ちゃんもよく来るんじゃないですか?」
「そうね。
その時も家中、華やかというか賑やかになって、うちの人ったら一升瓶を抱えて右往左往するのよ。」
キクが可笑しそうに話すと、悠美もつられて笑い出した。
「その姿が目に浮かびます。
あははは。」
「そうそうお茶を入れなくちゃ。」
「あっ、私、持っていきますね。」
「そう?
じゃあ、お願いね。」
悠美が居間にお茶を運ぶと、春吉は嬉しそうに顔を崩した。
「すまんな。」
「いえいえ。」
そう言って、お茶を春吉の前に置くと、後ろで人の気配がした。
「!?」
悠美が振り向くと、パジャマ姿の息を切らした春彦が立っていた。
「悠美ちゃん、帰っちゃったかと思った。」
春彦は目を覚まし、悠美の姿が無かったので、半分寝ぼけながら探しに居間に来たのだった。
「何言っているのよ。
荷物、あったでしょ?」
「あ…。」
春彦は頭がハッキリしたようだった。
「もう、男の子でしょうに。」
悠美は笑いながら言うと、春彦はほっとした顔をした。
「さあ、折角目が覚めたのだから、起きるよね?
着替え、出しておいたでしょ?」
「うん。」
「じゃあ、寒くなるから早く着替えなさい。
それとも、まさか、私に着替えさせてもらおうと思っていたりして?」
悠美は悪戯っぽい目を向ける。
「そ、そんなことないよ、自分で着替えられるって。」
春彦は、今度は恥ずかしそうな顔をして言った。
「じゃあ、ちゃんと着替えてね。
私は、キクさんと朝ごはんの支度しているから。」
「うん。」
悠美がウィンクして言うと、春彦は嬉しそうにうなずいた。
そんな二人のやり取りを春吉は微笑んでみていた。
「あら、春彦君も起きたの?」
台所に戻るとキクが尋ねた。
「ええ、今、着替え中です。」
「春彦君も早いわね。
疲れていないのかしら。」
「子供ですから、疲れなんてとんでもないです。」
しれっていう悠美の顔を見て、キクは吹き出した。
「本当にあなた達は、面白いわ。」
「ええ?
そうですか?」
「そうよ、とっても素敵よ。」
にぎやかな朝食が終わり、片付けも一段落し、悠美は居間に電車の時刻表があるのを見つけた。
「春吉さん、時刻表、お借りしていいですか?」
「時刻表?
ああ、いいよ。」
悠美は、時刻表を見ながら、なにやらブツブツと独り言を呟いていた。
「ここから駅まで、10分位。
駅から、学校のある駅まで電車で1時間40分かぁ。
それで、学校のある駅から学校まで、10分位だから、6時に出て急げば6時15分の電車があるわね…。
よしっ、決めた!」
春彦は、悠美の横で不思議そうに悠美を眺めていた。
「ん?
なに、春ちゃん。
私の顔に何かついている?」
「ううん。
ただ、何しているのかなって。」
「何でもないわ。
そうそう、春ちゃん、宿題全部終わった?」
「まだだけど、もう少しで終わるよ。」
「じゃあ、お部屋に戻って片づけちゃいましょう。
私、おじいちゃんとおばあちゃんにお話があるので、終わったら部屋に行くから。
宿題が片付いたら、お母さんの病院に行きましょう。」
「お話?」
「そうよ。
後で、教えてあげるね。」
「はーい。」
春彦はどんな話か興味があったが、悠美は絶対的な存在だったので、しぶしぶ従い部屋に戻っていった。
春彦が部屋に戻っていったのを確認してから、悠美は居間でくつろいでいる春吉とキクのほうを振り返り、姿勢を正して話し始める。
「え?
しばらく、この家に春彦ちゃんと一緒に泊まらせてほしいですって?」
キクは驚いた声を上げた。
春吉は、言葉も出ずに眼を見開いて、悠美を見つめた。
「はい、舞ちゃんが退院するまで、春ちゃんの傍にいてあげたいんです。
だめでしょうか?」
悠美は真剣な顔だった。
「だって、悠美さん、学校は?」
「ええ、それなら、さっき調べたのですが、この家を朝6時頃に出れば、丁度いい電車があるので、十分、間に合います。
朝ごはんやお昼ごはんは学校の食堂で食べますので、大丈夫です。
なるべく御迷惑をおかけしないようにしますので、夕飯も済ましてきますから、寝る時だけでも春ちゃんの傍にいてあげたいんです。
だめでしょうか?」
春吉とキクは顔を見合わせた。
「それは、我家としては構わないというか、逆に春彦のことを考えると一緒に居てくれるのは願ったりなんだが…。」
春吉は、年も近く、悠美によくなついている春彦のことを考えると悠美の申し出は、もろ手を上げたいところだが、あまりにも自分の身勝手さに語尾を濁した。
「ご飯のこととか、そんなことはどうでもいいのよ。
それより悠美さんって、たしか高校3年生でしょ?
受験じゃないの?」
キクは、心配顔をした。
「はい、高校3年です。
でも、もう決まっていますので、大丈夫です。
あとは出席日数に気を付けていれば問題ありません。」
「え?
決まっているって?
じゃあ、推薦かなにか?」
「はい。
舞ちゃんと同じ大学に推薦が決まりました。」
「まあ、じゃあ、春繁も出たあの大学?
それも、推薦で?」
「はい。」
キクは、あ然とした。
春繁たちの卒業した大学は、レベルが低い方ではなく、当時、推薦で入学するのはかなりの学力がないと難しかった。
それをさらりと言って見せる悠美を見て、キクは悠美が普通の高校生ではないことを納得した。
「でも、ご両親が“うん”とは言わないでしょう?
舞さんが退院するまでって、最低でも一週間はかかるって言ってたわよ。
いくら私たちの家でも女の子が、そんなに何日も家を空けるなんて、お父さんやお母さんが心配なさるんじゃないの?」
「はい、でも、修学旅行と思えば何ともないと思います。
昨年、修学旅行で一週間家を空けましたし、それに今回は春ちゃんと一緒なんで。」
「ええ…。」
キクもいろいろな意味で悠美にいてほしかったが、南雲の両親のことを考えると自分のわがままで引き留めるのも筋違いと言いよどんだ。
「じゃあ、両親がうんと言ったら、いいですか?」
「え?
ああ、ご両親がいいというなら、我家としては構わないが…。
なぁ、お前…。」
「はい、こんな田舎で良ければ…。」
悠美の真剣な眼差しに春吉とキクは首を縦に振るしかなかった。
結局、春吉もキクも悠美がいてくれるという誘惑に勝てなかった。
「じゃあ、ちょっと電話をお借りしますね。」
悠美は、すぐに居間にある電話を借り、自分の家に電話をかけた。
呼び出し音が鳴っている最中、春吉たちに言ったが、両親にはどう説明しようかと受話器を耳に当てている悠美の顔は真剣だった。
「もしもし、悠美ですけど…。
あっ、おばあちゃん?」
サキの声を聞いて悠美の顔は一気にほころんだ。
サキは悠美のよき理解者であり、厳しいが悠美のことを目に入れても痛くないくらいに可愛がっていた。
また、南雲家は常吉が家長だったが、サキの発言力は強く、サキが「こうしなさい」というと常吉も反論できなかったし、サキも無理難題を押し付けるわけでもなく、ちゃんと正しく納得できることしか言わなかったので、悠美の両親もサキの言うことには首を縦に振るしかなかった。
それと、サキも外孫だが春彦のことを可愛がっていたので、最初にサキに話せることは悠美にとっては好都合だった。
悠美は電話口で一生懸命状況を説明し、自分の考えを説明する。
ただ、漏れ聞こえる話の内容から立花の両親に迷惑がかかることが問題になっていて、サキも状況的に悠美の言うことに理解を示していたが、簡単には承諾できていなかったようだった。
ある程度、話しが終わってから悠美は受話器を耳から外し通話口を掌で覆って、春吉たちの方を見た。
「すみません。
おばあちゃんがお話ししたいとのことなので、代わっていただけますか?」
済まなそうな顔をして受話器を春吉の方に差し出す。
「うむ…。」
春吉が難しい顔をしながら受話器を受取ろうとしたその矢先、
「あ、あなた、私が代わりますね。
女は女同士って、ね。」
そう言って、横からキクが受話器を受取り、挨拶もそぞろにサキと話し始めた。
それを聞きながら、春吉は安どのため息をついた。
(よかった。
儂が代わっても何を話したらいいか、わからんかった。)
そう思っている春吉を横目にキクは、サキと親しそうに話をしていた。
「いえ、迷惑なんてとんでもないですわ。
悠美さんからお話を頂いて、うちの方は万々歳なんですよ。
やはり、こういう状況ですので春彦ちゃんが一番慕っている悠美さんが居てくれた方が、こちらとしてもどんなに心強いか。」
「……。」
「はい、こちらとしても、是非お願いしたい次第です。
それに、悠美さんがいてくれると、家の中も明るくなって。
今朝も、料理を手伝ってくれたんですよ。
女の子のいない我が家では、もう、うれしくて。」
電話口のキクの話を聞きながら、少し話が反れているのではと、春吉は思ったが、声をかけるわけにはいかず横からハラハラしながらキクを見ていた。
受話器の先のサキの声は聞こえなかったが、キクは散々サキと話をし、途中からは笑いながら話をしていた。
そして話しが一段落すると、受話器を悠美に戻した。
「サキさんが、悠美さんにお話ししたいって。」
悠美は黙って頷くと受話器を受取り耳にやった。
「おばあちゃん?」
「悠美、だいたい状況は分かったし、立花さんも是非にと言ってくださったので、清志と敏子さんに話をしておくわ。」
「わあ、サキちゃん、ありがとう。」
悠美の顔はパッと明るくなり、家でいつもサキのことを“おばあちゃん”ではなく“サキちゃん”と呼んでいる口癖が出ていた。
「でも、今日は、一度戻ってくるんでしょ?
着替えとか勉強道具とかないでしょうから。」
「うん。」
「それに、立花さんに何か手土産を持って行かないとね。
ご迷惑をおかけするのだから。」
「はい。」
「でも、約束よ。
勉強を決して疎かにしないこと。
また、立花さんに決して迷惑を掛けないこと。
わかった?」
「わかった。
サキちゃん、大好き!!」
悠美はにこやかな顔で何度も頷き受話器を置いて、春吉とキクの方を向いた。
「無理やりこんなことをお願いして、すみません。
ご迷惑と思いますが、よろしくお願いします。」
悠美は畳の上で三つ指をついて深深とお辞儀をする。
「そっ、そんな、
そんなことしないで、顔を上げて。」
「そうだ。
顔を上げなさい。」
春吉もキクも悠美の丁寧な態度を見て狼狽してしまった。
その時、居間に春彦が入って来た。
春彦は部屋で宿題をやっていたのだが、悠美の来るのが遅かったのと、居間の方が騒がしかったので気になって来たのだった。
「あ、春ちゃん。
ちょうどよかった。」
悠美が笑顔で春彦に話しかけた。
「え?」
「うん、今日から舞ちゃんが退院するまで、私が春ちゃんと一緒にここにお泊りすることになったのよ。」
「え?
悠美ちゃんが一緒に?」
「そうよ、嬉しい?」
「本当に、一緒に居てくれるの?
本当に、お母さんが退院するまで一緒に居てくれるの?」
春彦の声は興奮で一段階高い声になっていた。
「うん。
でも、昼間は学校があるから、学校行っている間は除いてね。
いいでしょう。」
「…。」
「え?
春ちゃん…?!」
キクは、春彦を見ながら春吉の手を引いた。
「あなた…」
「あ、ああ。」
一同の視線の先の春彦は、気を付けの姿勢で両手の拳を握り締め、顔をくしゃくしゃに歪め、その目からは涙が零れ落ちていた。
「春ちゃん。」
悠美が優しく春彦に声をかける。
「お父さんがいなくなって、寂しかったけど、悲しかったけど…。
でも、お父さんの代わりに僕がお母さんを守らないと…。
そう思ったのに、お母さんまで…。
ぼくは、ぼくは…」
春彦の我慢は、自分でも気が付かないうちに、すでに限界を超えていたのだった。
悠美は、立ち膝で春彦ににじり寄ると、春彦の両肩に手をやり、そっと、自分の胸に抱き寄せる。
「がんばっていたもんね、春ちゃんは。
すごく、すごく、がんばったもんね。
立派だったわよ。」
「悠美…ちゃん…。」
悠美にやさしく抱かれ、春彦は、悠美に齧りつくように抱きつくと、わんわんと泣き出した。
「大丈夫、私が春ちゃんについていてあげるから。
一緒に、舞ちゃんが元気になって退院するのを待ちましょうね。」
そう耳元で囁くと、春彦はしゃくり上げながらも、泣くのを止め、悠美を見上げて頷いた。
「あなた…。」
キクが春吉の方を向く。
「ああ、わかっている。
我慢していたんだろうな。
どんなに心細かったか。」
「ええ、そうね。」
「儂たちだけだったら、どうなっていたんだろう。
春彦は、ああ見えても、我慢強い方だけど…。
悠美さんに感謝だな。」
「ええ。」
春吉とキクの視線の先には、悠美の傍で笑顔になっている春彦の顔があった。
悠美の機転から、立花家で春彦と悠美の同居生活が始まります。
我慢し続け、春彦本人も気が付かないほど壊れかけていた春彦の心を優しくいたわります。
同じように身も心も疲れ果てている舞。
舞の心を癒そうとする春彦と悠美。
そして、舞の目に前に、思いもよらぬ人物が現れます。