第4話 悲しみの連鎖
春繁の初七日を過ぎても、諸々の手続きの残り、葬儀に参列できなかった弔問客の相手、葬儀参列者への御礼、また、春彦の学校など、舞は全く休む間もなかった。
「ごめんね。
あなたも少し休ませないと、一緒になって目が回っちゃうわね。
でも、大好きなあなたのお父さんのためだから、頑張らなくっちゃ。
…
病院もいっている時間もないわ…。」
舞は、独り言のように、自分のお腹をそっと撫でて言った。
そして、四十九日の法要に納骨と、それこそ春吉やキクが驚くほどしっかりと舞は務めを果たしていた。
法要と納骨も無事に済み、寺から帰る際、悠美が舞に話しかける。
「ねえ、舞ちゃん。
私、今日泊って行こうか?」
悠美は、舞の疲れ切った顔が心配で仕方なかった。
「ううん、大丈夫よ。」
舞の声も明らかに疲れているようだった。
「家に帰ると、寂しくならない?」
「そうね、今日からは、もっと部屋の中が、がらんとしちゃうわね。
でも、春彦が居るから寂しくないわ。
ね。」
そう言って舞は春彦にウィンクして見せ、春彦はそれに黙って頷いた。
「それに、悠美、セーラー服でしょ。
今日は、帰りなさい。」
そう言われ悠美はしぶしぶ従うしかなかった。
「わかったわ。
今日は帰るけど、明日は朝から行くわね。
ちょうど、日曜日だし、舞ちゃんも少し休まなければ。
これでも、家事は出来るから、洗濯とか、何もしなくて寝てていいからね。」
「まあ、嬉しい。
悠美が、家事全般できることは、私が一番よく知っているから。
じゃあ、待っているわ。」
舞は、笑顔でそう言った。
悠美は、舞から頼られたと思い、嬉しくなった。
高校生の悠美は、小さい頃から舞にまつわりついて見よう見まねで手伝っていたせいか、料理から掃除、洗濯と、年の割にはしっかり身についていた。
「じゃあ、今日は早く休んでね。
深酒は駄目だからね。」
「はいはい。」
舞と悠美の会話を周りで聞いていた皆は、顔をほころばせた。
翌日の早朝、悠美は舞のアパートにやってきた。
(舞ちゃん、ちゃんと休んでいるかしら。
今日は、何と言おうと寝かせておかないと。)
しかし、ドアをノックしようとした時、部屋の中から、ただならない春彦の声が聞えてくる。
「……母さん……大丈夫?」
それは一生懸命、舞に声をかける春彦の声だった。
悠美は、それにただならない気配を感じて、ドアを叩き、春彦を呼んだ。
「春ちゃん、春ちゃん、どうしたの?
舞ちゃんがどうかしたの?
ここを開けて!」
するとすぐにドアの鍵が外れる音がし、悠美は、ドアを開け部屋の中に滑り込むように入った。
そして、そこで目にしたのは、お腹を押さえ苦しがる舞の姿だった。
春彦はドアの鍵を開けると、すぐに舞の傍に戻って、大丈夫かと声をかけていた。
「舞ちゃん、どうしたの?」
悠美は急いで舞の傍に行き、舞の様子を見た。
舞は脂汗をにじませ、苦悶の表情を浮かべていたが、悠美の声に気が付き、薄ら目を開け悠美の方を見た。
「悠美…。」
「舞ちゃん、どうしたの?
お腹が痛いの?」
「お腹が…、赤ちゃんが……。」
舞の消え入るような声を聞いて、悠美は真蒼になった。
「赤ちゃん…?
たいへん!!」
悠美はそう言うと、すぐに消防署に電話をかけ救急車を呼ぶ。
「悠美ちゃん、お母さんは?」
春彦は不安そうな声で悠美の方を見た。
「大丈夫。
春ちゃん、何か毛布みたいのない?
お母さんのお腹に掛けてあげなくちゃ。」
「うん。」
そう言って、春彦は自分のタオルケットを持ってきた。
そこで悠美は初めて春彦がパジャマ姿であることに気が付いた。
「春ちゃん、お母さん、いつからお腹が痛いって言ってた?」
「朝、何か声が聞えてこっちに来たらお母さんが痛がっていて。」
「わかった、じゃあ、早く洋服に着替えて。
着替え、わかるわよね?」
「うん。」
春彦は、そう頷くと自分の部屋に戻っていった。
悠美は、タオルを濡らし、舞の額の脂汗を拭きながら話しかけた。
「舞ちゃん、いつからお腹痛くなったの。」
「1時間…くらい…前。
急に…具合が悪くなって…、それで、着替えて…お医者さんに、行こうと…思ったら…
お腹が急に…。」
「わかったわ。
直ぐに救急車が来るから、頑張って。」
「悠美…、ありがとう…。」
舞はそう言うのが、やっとだった。
救急車が来て、悠美は救急隊員に舞のお腹に赤ん坊がいることを告げ、舞は産婦人科のある救急病院に搬送された。
舞の処置が行われている時、悠美は春彦の手を取りながら、自分の両親に電話をかけ状況を説明し、立花の実家にも連絡する様に言伝をしていた。
大人でも動転する状況で、高校生の悠美が機転を利かせてきぱきとこなす姿を見て、救急隊員や病院の看護婦が舌を巻くほどだった。
「悠美ちゃん、お母さん…。」
「大丈夫だって。
疲れが出て、お腹が痛くなっただけよ。
直ぐに良くなるから。」
「うん。」
悠美は、舞の容態が気がかりだったが、春彦にはそんな態度を見せずに明るく励ましていた。
1時間も立たずに春吉とキクが病院に駆け込んでくる。
「悠美さん、舞さんは?」
キクが、悠美の顔を見て心配そうに尋ねた。
「はい、舞ちゃん、今処置室です。」
「一体どうしたんだね。」
春吉も心配そうに尋ねた。
「今朝、舞ちゃんのアパートに行ったのですが、その時には既にお腹が痛いってうずくまっていて。
それで、急いで救急車を呼んで、この病院に来たんです。」
「お腹……。」
キクが心配そうな顔をした。
「過労だろうな。
大事に至らなく、あっ。」
春吉は、春彦の顔を見て言葉を濁した。
春彦は、心配そうな顔をしており、迂闊に不安を掻き立てるような言葉は慎んだ方が良いと春吉は思った。
「舞さんのご両親には?」
「はい、母に電話して伝えていますので、もうすこしすればこちらに来ると思います。
家が遠いので、どんなに早くても1時間以上かかると思いますので。」
「そう……。」
そう言いながらキクは不安そうな顔をしていた。
キクは、舞のお腹の赤ん坊のことを薄々気が付いていたので、もしもの時はどうしたらいいのか、実の母親が傍にいてくれた方がと思っていた。
それから、30分ほどで舞の両親の常吉とサキ、それに悠美の母親の敏子が駆け込んできた。
「悠美、舞は?」
3人は春吉やキクへ挨拶も漫ろに、サキが悠美に尋ねた。
3人は肩で息をしており、タクシーを降りた後、速足でここまで来たのが明白だった。
悠美は、キクに話したことを同じように、サキに話した。
「舞……。」
一同、処置室の前で黙り込んでいた。
悠美は、春彦の手を握り、空いている手で肩を抱きしめていた。
それからすぐに、処置室から医師が出てきて一同の前にやって来た。
「身内の方ですか?」
医師は、誰となく尋ねた。
「はい、私が舞の母親です。
舞は、どうなんでしょうか?」
サキが一歩、医師の前に踏み出した。
「そうですか。」
それから医師は立ったまま、状態について説明を始めた。
まず、全体的に体が衰弱しており、危険な状態だったこと。
それは、迅速な判断で、病院に来たので危険な状態ではあるが、命に別状はないということ。
命は大丈夫と言われ、一同、安堵の顔を見せたが、次の一言で、皆凍り付く。
「はい、お母さんの命は大丈夫なのですが、お腹のお子さんが。」
「え?」
「残念ですが、流産です。」
「ええ!」
キクと悠美を除いて、一同、飛び上がるほど驚き、状況が把握できないでいた。
「流産……?
舞のお腹に赤ちゃんが?」
サキは寝耳に水という顔で尋ねた。
「はい。
ご存知なかった?」
「ええ…。」
「そうですか……。
本人は、今、麻酔で眠っていますので、どなたか目が覚めるまで傍に着いていてあげてください。」
医師はそう言うと、後を看護婦に託し、皆に一礼してその場を去っていった。
サキたちは、呆然自失で医師にお礼を言うことすらできなかった。
「私のせいだわ。」
いきなりキクが涙ながらに話し始めた。
「先月、舞さんが産婦人科に行ったことを知っていたんです。
ただ、本人の口から教えてもらうまではと、聴けなかったんです。
春繁が逝ってから、舞さん、大忙しで、身体のことをずっと心配していたのに。
結局何もできなくて……。」
「なんで、そんな大事なことを言わなかったんだ!」
春吉がキクに向かって声を荒げた。
「ごめんなさい。」
キクはそう言って、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「春吉さん、キクさんのせいじゃないですよ。」
サキは、その中に割り込み、キクの傍にしゃがみ込んで肩に手を回し、そっと撫でる。
「こればっかりは、本人のことですって。
どうか、ご自分を責めないでください。
舞が、誰にも言わなかったのは、何か思うことがあってでしょうから。」
「サキさん…。」
眼に涙をいっぱい溜めてキクがサキの方を向いた。
サキは、そんなキクに頷いて見せた。
「春吉さんも、どうかキクさんを責めないでください。
逆に、私共の方が、申し訳なくて。
大切な春繁さんの子を…。」
あんなに春彦の次の子供を待ち望んでいた春繁が、知ってか知らずか他界し、今、その後を追うように小さな命が消えてしまった残酷な現実に、皆言葉を失っていた。
春彦も、うすうす、どういうことか理解していて、ただ悠美の手を握り黙っていた。
一同の前をストレッチャー上で意識なく目をつぶっている舞が通り過ぎていく。
人形の様に無表情で蒼白な顔をしてストレッチャーの上で寝ている舞に、皆、何か声を掛けようとしたが、かける言葉が見つからなかった。
「あの、病室にご案内します。」
看護婦がそう言って歩き出すと、悠美は春彦の手を取ったまま、舞の乗っているストレッチャーの横に付いて歩いていた。
「母さん…。」
春彦は、小さな声で舞を呼んだが、舞は眼を閉じたままだった。
舞はナースセンターのすぐ傍の部屋に運び込まれていった。
それから、サキが付き添いで残ることになり、キクも最初は自分も残ると言い張ったが、ショックの大きい春吉のことを考え、帰ることになった。
春彦も舞に付き添っているつもりでいたが、いつ目が覚めるかわからないのと、子供なのでいつまでも病院に置いておくのはと、一度家に帰すことになった。
「お母さん、私、春ちゃんに付いているね。」
悠美が敏子にそういうと、敏子は頷いた。
「そうしてあげて。
あなたが付いていれば、安心だから。」
「悠美さん、あとで春彦君を連れてうちに来て。
ご飯とか用意するからね。」
キクがそう言って悠美の手を取った。
「そうね、舞は、しばらくの間入院だろうから、その間、春彦ちゃんをどうしようかしら。」
「え?
我家じゃないの?」
悠美は驚いた顔をした。
「だって、悠美、春彦君だって学校があるでしょ。
そんなに休んでいられないじゃない。」
「学校か…。」
悠美も春彦の学校のことを考えると強く言えなかった。
その時、横から春吉が口を挟んだ。
「春彦の学校なら、私どもの家から少し遠いけど通えないことはないし、我家であずかります。
大事な春繁の忘れ形見だし、な、キク。」
「はい、それは是非そうさせていただきます。」
キクも、一も二もなく頷いた。
そう言うことで、春彦は舞が退院するまで立花の実家で預かることになった。
「悠美、春彦君の荷物、わかる?」
敏子は、春彦の寝泊まりする荷物や学校に行く荷物のことを悠美に尋ねた。
「うん、大丈夫。」
「じゃあ、立花さんの家で生活できるように、荷造りをお願いね。」
「それでは、舞が目を覚まし、お医者様から今度のことのお話を聞いたら、連絡しますから。」
サキのその言葉で、皆、病院を後にした。
「悠美、私、お義父さんを送ってくるから、あなた、舞さんの着替えとか入院の準備もできる?」
「うん、大丈夫。
看護婦さんに、何がいるか聞いて用意するから。」
「じゃあ、買い物とかしてから、私が舞さんのアパートに寄って、入院道具を持って病院に戻るから。」
「うん、わかった。
じゃあ、用意しておくから。
買わなきゃいけないものがあったら、後で電話するね。」
母の敏子やサキをはじめ、南雲の人間は、悠美が年齢以上にしっかりしていて頼りになることを良く知っていた。
「あなた、私も、悠美さんと春彦君とアパートに行って荷物の準備とかしますから。」
キクも悠美だけに用事をさせるわけにはいかないと、春吉に向かって話しかけた。
「ああ、わかった。
荷物が多くなるだろうから、タクシーを使ってな。
儂は、家で待っているから。」
舞が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
サキからの連絡では、舞にお腹の赤ちゃんが流産したといったところ、ショックから泣きさけび、発作を起こし、精神安定剤と睡眠薬でやっと静かになったというたいへんな状態だったということだった。
サキがショックを受けたのは、それだけではなく、舞の身体が見るも無残に痩せ細っていたことだった。
「こんなになるまで、がんばって。
こんなんじゃ、赤ちゃんだって…。
なんて馬鹿な娘。」
その電話を聞き、立花家では重い空気が漂っていた。
「ねえ、春ちゃん、今日、一緒に寝ようか?」
そんな重たい空気を吹きとばすように悠美が話し始めた。
「春ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん。
今日、私、泊って行ってもいいですか?」
「え?」
「もともと、今日は春ちゃんの家に泊まるつもりで用意してきたんです。」
そう言って荷物を見せた。
「それに、ちょうど、明日、学校はお休みですから。」
「あっ、そうか、明日は旗日か。」
春吉がポンと手を叩いた。
「はたび?」
春彦がぽかんとした顔で悠美に尋ねた。
「そう、祭日のことを旗日っていうのよ。
昔から祭日は、国旗を飾って祝うの。
家の門に国旗を飾ったり、乗り物の前の部分に飾ったりするのよ。
だから、旗日っていうの。
春ちゃん、見たことない?」
「あっ、バスの前に日の丸が飾ってあった。」
「そうよ、それ。」
「へえ、そうなんだ。」
「なんだ、春彦は知らなかったのか。」
「今の子は知らないわよ。」
キクが笑いながら言うと、悠美がすかさず口を出した。
「私も『今の子』なんですが!」
「あっ、そうね。
ごめんなさい。」
そう言って、重苦しい雰囲気を笑い声で吹きとばしていった。
「でも、本当に泊まって行ってくれるの?
助かるわ。」
春吉やキクは、春彦が夜、寂しがるのじゃないかと気が気ではなかったが、春彦が一番慕っている悠美がいてくれるということで、胸をなでおろした。
「じゃあ、春彦と悠美さんは客間に寝てもらおうかしら。」
「そうだな、後で布団を運んでおこう。
二人とも、案内するから、その荷物を置いてこよう。」
「はい。
それと後で電話をお借りできますか?
母に今日はこちらに泊まると連絡を入れておきたいので。」
「ああ、もちろん、いいとも。」
「悠美さん、夕飯何がいいかしら?
苦手なものある?」
キクが嬉しそうな声を出した。
「私、好き嫌いないので、何でも大丈夫です。」
「そう、じゃあ、腕を振るいましょう。」
「悠美さん、風呂も沸いているから、良かったら食事の前に入ればいい。」
春吉も明るい声で言った。
春吉もキクも沈みがちになりそうな心が、春彦と悠美、特に悠美の笑顔を見ると、前向きな気分になり元気になってくるようだった。
「はーい。
春ちゃん、一緒に入る?」
「え?
そ、そんな…。」
困った顔の春彦を見て悠美は笑いだした。
「冗談よ、冗談。
春ちゃん、小3でしょ?
お風呂、いつも一人で入っているわよね。」
「当然。」
からかわれたとわかった春彦は憮然として言った。
(あら、半分本気だったのに)
悠美は、心の中でそう思いながら、むくれた顔の春彦を見て微笑んだ。
春繁を失い、お腹の子も流産という不幸な連鎖に見舞われた両家。
舞が入院したその夜、春彦は春吉の家に預けられます。
悠美は自ら春彦について一緒に行くと提案します。
春彦が一番なついている悠美が一緒に来るということで、春吉とキクは春彦を上手く預かれるかという不安が払拭されます。
それだけではなく、春吉やキクも悠美に元気づけられます。
春彦のみにかかわらず、春繁の両親の春吉とキクをも、その笑顔で包み込む悠美。
その悠美が、不幸の連鎖を断ち切るように周りを変えていきます。