九 統一王の霊廟
神殿の入口は外から見ると真っ暗だったが、いざ中に入って進んでいくと廊下の両側にはきちんとランプが等間隔でかけられ、用意してきた松明を焚く必要もなかった。
最も戦闘力が高いライガとハヤトが先頭に立ち、残りのオオカミたちは二人の周囲を守るように警戒しつつ進んでいく。
「アスカ、気づいた?」
ユニが小声で訊ねたると、アスカは小さくうなずいた。
「ああ。私たちが歩き出してすぐ、背後の気配が消えたな。どこか別に通路があるのだろう」
「大神官はやけに素直に〝最下層〟だって教えたわね。観念したのかしら?」
「どうだろうか。一筋縄ではいかなそうな気がするが……」
アスカの疑念はすぐに現実のものとなった。廊下の距離はあまり長くなく、角を二つ曲がるとすぐに下に降りる階段が現れたが、その前にやはり白いローブを着た別の神官が立っており、ユニたちの進路を阻んだのだ。
「お前たち、誰に断ってこの神殿を穢すのだ?」
居丈高な物言いは何故か少し芝居がかって聞こえる。
アスカは落ち着いた態度でそれに応えた。
「私は第四軍のノートン少将、蒼龍帝フロイア・メイナード様の命による火急の要件である。
すでに大神官殿へは事情を説明し、最下層へ進めとの指示を受けてのことだ。そこを通してもらおう」
神官は胡散臭げな視線を周囲のオオカミたちに向けた。
「軍務であるならばやむを得まいが……この獣たちは何だ?
統一王の霊廟に対して、いくら何でも無礼が過ぎるだろう」
これにはユニが答える。
「私は二級召喚士のユニ・ドルイディア。見てのとおりオオカミたちはいずれも幻獣で、ただの獣ではありません。
彼らには人間に劣らぬ知性と感情がありますから、ご迷惑はおかけしないとお約束しましょう」
男はしばらく逡巡したが、「むう……」という唸り声を洩らしながら脇へどいてくれた。
「ならば仕方あるまい。通るがよい」
「最下層というのは何階なのだ?」
アスカの問いに、神官はそっぽを向いたまま憮然とした声を出す。
「地下三階だ。いいか、くれぐれも粗相のないようにな!」
無駄な時間を消費したユニたちは階段を降り、再び最下層を目指す。
不思議なことに、廊下の両側には一つも扉がなかった。霊廟とは言え、神殿には儀式や神官たちの生活に必要な部屋が存在するはずである。
やはりこの廊下とは別に、神官たちが使用する別の通路があるのだろう。
ユニたちにしてみれば、一本道であるのは迷いようがなく、かえってありがたい。
地下二階でもすぐにまた下に降りる階段があったが、その手前にも新たな神官が待っていた。
その神官は、まるで台本でも読むように聞き覚えのある台詞を吐いた。
「お前たち、誰に断ってこの神殿を穢すのだ?」
そして神官とユニたちは、数分前とそっくり同じ問答を繰り返すはめとなった。
少し苛々しながらも彼女たちは階段を降り、いよいよ大神官の言った最下層に降り立った。
廊下を少し進むと今度は階段ではなく、大きく立派な扉がユニたちの行く手を塞いでいた。
そしてその扉の前には、やはり神官が待ち構えていた。彼の白いローブの帯には金属の輪に下げられた大仰な鍵が下げられている。
神官はユニたちをじろりと睨むと口を開いた。もう半ば予想がついていた言葉が発せられる。
「お前たち、誰に断ってこの神殿を穢すのだ?」
三度目の問答をうんざりと繰り返すと、神官はやはり素直に道を譲ってくれた。
そして腰の鍵輪を外して扉の錠に差し込む。「かちゃり」という案外軽い音を立てて鍵が回った。
開錠した神官は「憐れな……」とつぶやくとそのまま立ち去り、二階へ続く階段を上がっていく。
彼が姿を消してしばらくすると、階段の上の方から重い扉が閉まるような音が響いてきた。
ユニたちが見た扉は、目の前にあるそれが初めてである。一体どこの扉が閉まったというのだろうか?
「閉じ込められた、というより退路を断たれた……のかな?」
アスカがあまり気にしない素振りでつぶやく。
「どう思う? 神官たちはあからさまな時間稼ぎをしていたように見えるけど」
ユニも自分の疑念を口にした。だが、アスカはやはり気にしていないようだった。
「まぁ、大神官もかなり脅していたし、何かの罠を仕掛けてあると思った方がいいだろうな。
多分、その準備で大忙しだったんだろう」
「あたし、宗教って好きじゃないわ。神聖統一教の僧侶もそうだけど、どう見ても〝聖職者〟って柄じゃないもの」
そしてユニはオオカミたちに視線を向ける。
「いい、あんたたち。油断すんじゃないわよ!」
ユニは扉の取っ手に手をかけ、慎重に手前に引いた。
よほど精巧に造られているのか、まったく隙間なく閉じられた巨大な扉は、微かな軋み音すら立てずにすっと動く。
『うわっ!』
部屋の中に首を突っ込もうとしたライガとハヤトが同時に叫び、後ろに飛び下がった。
同時にアスカが抜刀し、ユニは腰のナガサ(山刀)を抜いて身構える。
ほんのわずかに開いた空間からは白く煙った空気が漏れ出てくる。
「何、この匂い! お香……?」
「――のようだな。霊廟とはいっても、またずいぶん焚き染めたものだな……」
ライガとハヤトはしきりに顔を振ってくしゃみをしている。
ハヤトがユニには理解のできないオオカミの言い回しで悪態をついたあと、涙目で横のライガに向かって叫んだ。
『酷え臭いだ! 鼻がバカになりそうだぜ……! だが――ライガ、気づいたか?」
ライガも怒鳴り返す。
『ああ! 馬鹿みたいに香を焚いても誤魔化しきれないくらい、吐き気のするような悪臭だ!』
そして二頭は同時に振り返ってユニに警告を発する。
『気をつけろ、ユニ! 何かやばい奴がいるぞ! それも一つや二つじゃない!』
「何の臭いなの? 〝やばい奴〟じゃ分かんないわよ!」
『初めて嗅ぐ臭いなんだ、分かるわけがないだろう! ――だが……赤城市で遭った吸血鬼どもと感じが似ている!」
ユニの表情が青ざめる。冗談じゃない、こんなところであんな化け物と再戦するなんて御免蒙る。
「アスカ! オオカミたちが部屋の中に何かがいるって言ってるわ! それも一匹二匹じゃないって。
しかもそいつら、吸血鬼かもしれないわ! 気をつけて!」
半分悲鳴混じりのユニの叫びに対し、アスカはあまり動揺しなかった。
「そうか。――ならば先陣は私の役目だな。ライガたちはユニを守れ!」
彼女はそう命じると、背中の方に跳ね上げていた兜を前に戻し、「がちゃり」と面頬を下ろした。
青白い光を放つミスリルの宝剣を両手でしっかりと握ると、彼女はいきなり扉を引くと中へと踊り込んだ。
「ちょっ! 何無茶してんのよっ!」
ユニも慌ててその後に続き、遅れまいとオオカミたちが鼻に皺を寄せながら突っ込んでいく。
ユニとオオカミたちが部屋に飛び込むと、香の煙で白く霞んだ視界の中ではすでに戦闘が始まっていた。
アスカが剛剣を振り回して、群がってくる敵の剣を弾き返し、返す刀で胴体を真っ二つに両断している。
彼女の巨大な体躯を覆った銀のプレートアーマーが、野猿のように地に伏せたかと思うと飛び跳ね、踊るようにくるくると動き回る。
襲い掛かっている敵たちもまた、アスカと似たような鎧を身につけている。女騎士よりも体格はわずかに劣るものの、いずれも大柄な騎士である。
ただ、その鎧は赤黒く錆び、振るう剣も光を失ったぼろぼろのものだった。何より彼らの身のこなしはぎこちなく、敏捷なアスカの動きにはまったくついていけない。
しかし、問題はその数だった。そう広くない石造りの部屋は、ぱっと見で十人以上の鎧騎士で充満していた。彼らは無言のまま、包み込むようにアスカに迫ってくる。
アスカはその中心で、暴風のような凄まじい勢いで剣を振るっていた。
兜ごと頭を吹っ飛ばされ、胴を一刀で両断された敵は、不思議なことに一滴の血も流さなかった。その代わり、倒された騎士たちの身体は、まるで砂のように崩れ落ち、死体も残さず消え去っていく。
「こいつら、死霊の類らしい!」
アスカのくぐもった声が兜の中から響いた。オオカミたちが〝生きた死体〟である吸血鬼を連想したのはあながち外れてはいなかったのだ。
何人かの騎士はユニの方にも向かってきたが、たちまちオオカミたちに薙ぎ倒され、兜ごと首を引きちぎられて消滅していった。
部屋いっぱいだった亡霊騎士たちは、アスカとオオカミたちの奮闘であっという間に半数以下になった。
この分ならあと数分と経たずに片付くだろう……と思われたのだが、そうはならなかった。
石畳の床のあちこちに黒いぼんやりとした渦ができたかと思うと、新たな騎士たちがまるで穴から這い出るようにして出現してくるのだ。
「何よこれ! どんどん新手が出てくるわよ!」
ユニが緩慢な動きで振り下ろされた剣をナガサで受け止めながら叫ぶ。襲ってきた亡霊は横から体当たりしてきたヨミに弾き飛ばされ、石の壁に激突して四散した。
「違うな!」
アスカが叫び返した。
「こいつら、同じ個体だ。一人ひとり鎧のデザインが違うのに、同じ奴が何度も出てくる。
新手じゃなくて、復活してくるんだ!」
アスカの言うとおり、騎士たちの鎧兜は錆びてはいるものの、いずれも凝った装飾や模様が施されていて、一人ずつ特徴があった。
今しがたヨミの体当たりで壁に激突して崩れ去った騎士の鎧は、全体に唐草模様が浮き彫りにされていた。その同じ鎧を纏った騎士が、もう部屋の片隅の床から這い出してきている。
「これじゃきりがない。今のところは良くても、直にこっちの体力が尽きるぞ!」
アスカが怒鳴る。
ユニだって『そんなことは分かってるわよ!』と怒鳴り返したい気分だった。
その彼女の鼻先を赤錆びた剣がかすめ、ぷんと血のような匂いが鼻に香ってくる。
相手は確かに亡霊なのかもしれないが、その身体は紛れもなく実体を持っており、その剣を身に受ければ、血しぶきを上げて倒れる羽目になることが確信できる。
ユニを襲ってきた騎士は、即座にヨーコが飛びかかって剣ごと腕を食い千切った。
しかし、腕をもぎ取られても亡霊は消滅しなかった。人間と同様に、即死させるようなダメージでなければ塵に変えられないらしい。
片腕の騎士はなおも残る腕を振り上げて襲ってきたが、トキが背後から押し倒し一気に頭を引き抜いた。
トキの巨体の下で、亡霊は黒い粉のようなものを巻き上げて消滅する。周囲に埃っぽい腐臭が撒き散らされ、顔を顰めたトキが怒鳴った。
「おいヨーコ、お前は無茶をするな!」
トキとしてはひ弱な人間であるユニよりも、身重の妻の方が心配なのだろう。ユニはこんな時だというのに、思わず微笑まずにはいられなかった。
そんな彼女に、ヨーコが振り返って訊ねた。
『ねえ、どうしてこの部屋にはこんなに香が焚いてあったのかしら?』
「そりゃ、亡霊の臭いを隠すためでしょ?」
『これだけ狭い部屋に十人以上いるのに? まるっきり無意味だわ。何かもっと別の理由があるのよ!』
「別の理由って……もうっ! この状況で冷静に分析なんかできないわ」
ヨーコは思慮深い目でじっとユニを見つめた。
『そうかしら……。この状況――香の匂いで何かを誤魔化しているのって、覚えがない?」
ユニは眉根を寄せた。ヨーコさんにそう言われてみると、以前同じようなことがあったような気がする。
「アルケミスだ!」
『アルケミスよ!』
ユニとヨーコは同時に叫んだ。
* *
数年前、ユニとオオカミたちは、かつて辺境の村を集団で襲撃した武装オークとの戦いに端を発した〝クロウラ事件〟の解決に尽力したことがある。
その過程で、タブ大森林の東端に狂教主アルケミスが築いた村の神舎で、彼と対峙したことがあったが、その時も神舎には過剰な香が焚き染められていた。
実はユニと向かい合って会話をしていたアルケミスは、魔法によって再現された残留思念であり、彼自身はとっくに死んでいて床下の地下室に骸を晒していたのだ。
強い香は死臭を隠すためのものであった。
「――なら、今回は……」
『そう! 死体じゃなくて生きた人間の臭いを誤魔化すためじゃないの?』
ユニは逡巡しなかった。即座に命令を下す。
「ライガ! ハヤト! あんたたち、壁添いに部屋を一周して臭いを探ってみて!
どこかにあたしたち以外の人間が隠れているかもしれないわ」
アスカを援護して亡霊騎士を次々に薙ぎ倒していた二頭は、さっとその場を飛び離れ、壁の臭いを嗅ぎながら互いに逆方向に進む。
行動は素直だが、ハヤトは不満を口にすることを忘れなかった。
『ユニ! お前、この煙と悪霊どもの腐臭がオオカミにとってどれだけの苦痛か分かっているのか?
鼻が曲がりそうだってのに、ほかの臭いを探れ? 好き勝手言ってくれるじゃないか!』
二頭のオオカミの行動は、何度か騎士たちに妨害されたが、群れの中でもひときわ巨大な彼らはその攻撃を物ともしなかった。
ライガとハヤトは部屋の奥の壁ですれ違い、そのまま一周してユニの近くに戻ってきた。
ハヤトが怒ったように吐き捨てる。
『駄目だ! 鼻がバカになって何も臭いが嗅ぎ分けられん!』
ユニはその様子をじっと見つめていた。
「ねえ、ライガ。
あんた、向こう側の壁を探り始めたとたんに襲われたわね?」
オオカミはうなずいた。
『ああ。それ以外は奴ら、こっちに無関心だったな』
「ハヤト! あんたも同じ場所で襲われなかった?」
『あ? あの壁の隅っこか――そう言えばそうだったな』
ユニは物も言わずに壁際へと走った。そしていきなり手にしていたナガサ(山刀)を向こう側の壁めがけて投げつけた。
石の壁に当たったナガサは、金属音を立てて跳ね返され床に落ちる――はずだったが、そうはならなかった。
ナガサは壁に吸い込まれるようにその姿を消し、同時に「ぐうっ」という呻き声が確かに聞こえた。
そして一瞬ではあったが、壁が透けるように半透明になり、床にうずくまっている人間の姿が見えたような気がした。
ユニはその壁の手前に駆け寄った。亡霊騎士たちが一斉に向きを変えて襲いかかってきたが、素早くユニの周囲を固めたオオカミたちがそれを許さない。
彼女は腰のベルトからもう一本のナガサを引き抜くと、壁に向かって大声で呼びかけた。
「術を解きなさい、死霊使い! いえ、大神官とお呼びした方がいいかしら?
応じないというのなら、不本意ですが――あなたを殺してでも止めて見せます!」




