十一 二人旅
街道に戻ったヨーコたちは、向きを変えて北上していった。
白城市に向かうには、いったんカイラ村に戻ってそこから西のトカイ村を目指すことになる。
トカイ村はカイラ村よりさらに歴史が古く、辺境最初の開拓村だった。
トカイ村と白城市や蒼城市を結ぶ街道は、脇街道とはいえ本街道並みに整備が行き届いた、半舗装の立派な道となる。
ヨーコたちがカイラ村を出立したのと同じ日、サイジ村の肝煎であるケネルは村の共同墓地に立っていた。
彼は二人の息子と三人の娘に恵まれたが、そのうちの末娘を三年前に亡くしている。
末娘はその二年前に嫁ぎ、孫娘を生んだのであるが、大変な難産でどうにか出産したものの、血を失い過ぎてそのまま亡くなったのだ。医療体制の貧弱な辺境では乳幼児の死亡率が高かったが、出産で命を失う女性も珍しくない。
孫娘は跡取りにならない女だということもあり、夫側ではなく妻の親であるケネルが引き取って育てている。
今日はその末娘の月命日だった。
三年も経ったというのに、彼は毎月の命日に墓参りを欠かさなかったのだ。妻も付いてきたがったが、彼女は膝を悪くしていたのでいつもケネル一人だった。
その方が娘との会話を邪魔されないような気がして、彼はかえって喜んでいた。
いつものように、ケネルは末娘の墓で長々と祈っていた。日々成長する三歳の孫娘のことを、事細かに報告しているとあっという間に時が経つのだ。
満足した彼は立ち上がり、何の気なしに周囲を見回した。すると墓地の隅の方がいつもと違っている感じがした。
不思議に思って近づいてみると、リーアムとアシュリン夫妻が葬られた墓の一帯に、色鮮やかな野の花が敷き詰められていた。
花はまだ萎れていないから、今朝早くに摘まれて撒かれたものだろう。変化はそれだけではなかった。ささやかな土饅頭の上には、真新しい木札が立っていた。
しっかりとした厚い木の板は土に深く刺さっている。
その削られた表面には、きれいな筆跡で「リーアムとアシュリン、ここに眠る」と記され、シロツメクサの花で編んだ小さな花輪が三つ掛けられていた。
つい先日、召喚士のヨーコが訪ねて来た時、帰り際に彼女はその墓で祈っていたが、その翌朝には同じようにたくさんの花が捧げられていた。
また彼女が訪ねてきたのだろうか……ケネルはそう思いながら、頭を振って帰っていった。行方不明になっていたエーファが戻ってきた――とは、考えもしなかったのだ。
それはそれで幸せなことであった。
* *
ヨーコたちはカイラ村で旅支度を整えて出発した。
西にあるトカイ村までは一日、さらに西の白城市までは三日もあれば着くのだが、ヨーコはトカイ村から北上して蒼城市に向かうつもりだった。
トカイ村から蒼城市までは丸一日の距離である。
「蒼城市に友人がいるのよ」
彼女はエーファにそう説明しただけで、蒼城市で何をするかまでは言わなかった。
ヨーコは旅の間にエーファの教育をすると言っていたが、実際の道中ではロキに乗りながら、王国の主な都市の歴史や産業を解説するくらいだった。
ただ、定期的にロキから降りて休息をとる際には、時間をかけて身体を伸ばしたり、負荷をかけて動かしたりする運動をさせられた。
辺境の人間はよく歩くが、エーファは重い荷物を持ち、枝郷間を常に移動しながら暮らしていたので、かなり身体が鍛えられていた。しかし、下腹には贅肉がついていたので、それを引き締めるための運動である。
彼女自身、気にしていたことなので、この運動はその後も続いて習慣化された。
トカイ村に着いた時には夕方の遅い時間だったので、二人はすぐに宿をとった。
この村は辺境最古と言われるだけあって、村というよりは大きな町だった。立ち並ぶ建物も石造りの大きなものが目立つ。屋根も瓦葺きが多く、わずかに残る萱葺きの家も大きな屋敷ばかりである。
二人が泊まった宿屋も歴史のある落ち着いた雰囲気で、内装や家具も凝った上品なものだった。食堂で出された料理も美味しく、ヨーコは上機嫌であった。
食後のお茶も上等な茶葉が使われており、お茶好きなヨーコは大喜びしていた。エーファにはよく分からないが、都会でもなかなか手に入らない銘柄らしい。
一方のエーファも食事を楽しんでいたが、どこか不満げな表情を浮かべている。
「どうしたの、エーファ? 頭の上に疑問符が浮かんでいるわよ」
「……料理はあたしが作るんじゃなかったんですか?
てっきり自炊するんだと思っていたのに……」
ヨーコは彼女の抗議を笑い飛ばした。
「ここくらいの宿になると自炊はできないのよ。明日には辺境を抜けるけど、そうなったら自炊宿の方が珍しいの。
あなたにお料理を頼むのは、蒼城市に着いてからよ。しばらく滞在するから部屋を借りるの。もちろん外食もするけど、朝や夜はちゃんと作ってもらうわ」
辺境の宿屋にも食堂はあるが、素泊まりが基本であり、宿には泊り客が使える自炊用のスペースが用意されているのが普通だった。
そういう意味では、トカイ村はもはや辺境ではないのかもしれない。
「ヨーコさんは結婚……してないのよね?」
蒼城市では料理させてもらえると聞いて安心したのか、エーファは話題を変えた。多分、これはずっと聞きたいことだったのだろう。
「そうよ」
ヨーコはこともなげに答える。
「どうして? ヨーコさんくらいきれいでスタイルがよかったら、男なんて簡単に捕まえられると思うけど……」
「……そうか、エーファは知らないのね。
私たち召喚士――特に女性は一生結婚しないのよ」
ヨーコは目を丸くして驚いているエーファを、面白そうに見ながら説明した。
「これは別に規則ではないの。実際、結婚して子どもを設ける召喚士もいるけど、ほとんどが男性ね。
私たちは六歳の時から王都に集められて、王立魔導院という学校で十二年も教育されるんだけど、そこで徹底して叩き込まれるの。
『召喚士が結婚すると必ず不幸になる』ってね。特に女の子は『絶対に子どもを作るな』って、何度も何度も繰り返し言われるわ。
信じられないかもしれないけど、六歳の子どもに『どうすれば子どもができるのか』ってことまで具体的に教えるのよ」
「子どもを産んじゃ駄目って……なぜ、そんな酷いことを?」
「酷い? ……そうかしら。少なくとも私は納得しているわ。
あなたにもそのうち理由が分かるわよ。
あっ、でも私、別に未経験ってわけじゃないのよ? 魔導院ではね、ちゃんと避妊法まで教わるの。凄いでしょう」
ヨーコは悪戯っぽく笑った。
「ああ……このお茶、美味しいわぁ。エーファはコーヒーの方が好きなのよね?」
「え? ええ……」
エーファはヨーコが突然話を変えたことに戸惑ったが、すぐに〝これは触れられたくないこと〟なのだと察した。
「それじゃ、コーヒー豆がどこで穫れるか知っている?」
「それは……どこかで栽培しているんだと思うわ」
「どこで? 少なくとも辺境じゃないわよね」
「そんなの気にしたことないわよ。中央平野じゃないの?」
ヨーコは「うんうん」とうなずく。
「そうよね。そんなこと気にしてコーヒーを飲む人はいないわね。
正解は南方諸国よ。お茶は王国でも穫れるけど、コーヒーの木は育たないのよ。
コーヒー豆は南方で収穫されると沿岸諸国に集められ、それが船でカシルまで運ばれるの。カシルは大森林より東にある港町のことよ。
そしてボルゾ川を遡って黒城市を経由、さらに運河を通って白城市に届き、そこでやっと小分けにして王国全土に広まっていくのよ」
「えっと……ヨーコさんの話していることは理解できるけど、位置関係が全然分からないわ。
でも、そんなに遠くから運んでくる割にはコーヒー豆って安くない? そりゃお茶よりは高いけど、辺境の人でも買えるんだもの」
ヨーコは両手を「ぱん」と叩いた。エーファはきょとんとしている。
「いいわ! 知識はなくてもいいのよ。そういう疑問を持つのがいいの!
いい? あなたのお客さんが裕福な商人だったとするわ。コーヒーを淹れてあげた時に、今のような疑問を尋ねてみなさい。
きっと感心して、その後で商品の値段がどうやって決まっていくのか、得意げに解説してくれるはずよ。
男の人は自分の専門知識を教えるのが大好きだから、あなたを『賢くて面白い女だ』って気に入るようになるわ。それがお得意さんを増やす第一歩よ」
* *
翌朝、二人が朝食後に支払いを済ませて宿を出ると、厩で寝ていたはずのロキの姿がなかった。
代わりに宿の前では馬車が待っており、馬丁が愛想よく出迎えて二人の荷物を積み込んでくれた。
ヨーコに促されて馬車に乗り込んだエーファは、続いて席についたヨーコが扉を閉めるなり、腕を掴んで捲し立てた。
「ヨーコさん! これ、どういうこと?
なんでロキがいないの? なんで馬車がいるの? あたしたち馬車に乗っていくの? あたし馬車になんか乗っていいの?」
エーファの目が少女のようにきらきらとして、頬は上気して赤くなっている。
辺境育ちのエーファにとって、馬車はお伽話の世界にのみ登場する乗り物だった。それはお姫さまや王子さまが乗るものであって、彼女のような平民が乗ることなど許されるはずがないと思い込んでいたのだ。
「ちょっとエーファ、落ち着きなさい。痛いから手を離して!
ロキはね、ちょっと用事があって出かけてるの。しばらく戻らないみたいだから、昨日のうちに宿に頼んで馬車を手配してもらっていたのよ。
これは貸切だから、もちろん乗っていいのよ。蒼城市へはこれで行くんだから。
あああ! お願いだから、そんなに窓から身を乗り出さないで!」
まだ馬車は動いていないのに、子どものように窓の外を見回しているエーファの浮いたお尻を「ぺちん」と引っぱたいておいて、ヨーコも自分側の窓から顔を出した。
「御者さん、やってちょうだい」
「へい! そっちのお嬢さんが窓から落ちないよう、捉まえていてくだせえまし」
馬丁は振り返って笑い、馬の尻にぴしりと鞭をくれた。
* *
トカイ村と蒼城市を結ぶ脇街道は、煉瓦を埋め込んで突き固める簡易舗装がされていたので、二人乗りの馬車はカラカラという軽快な車輪の音を立てて快適に進んでいった。
舗装がないとあっという間に轍ができ、水溜まりができる。この街道では一日に一度、路上の馬糞を回収する荷馬車が通るのだが、大抵はその前に沿道の農民が堆肥用に持ち去ってしまうので、悪臭を伴う埃も舞わなかった。
エーファの興奮はなかなか収まらなかったが、さすがに一時間もすると落ち着いてきた。何しろ窓外の景色は農地が延々と続くばかりで、これといった珍しいものは現れない。
だが、こののどかな田園風景も、百年前はタブ大森林の一部だったのだ。ヨーコは馬車の中で、エーファに辺境開拓の歴史を話して聞かせた。
国策で始まった開拓が、財政事情から大貴族や豪商による民間資本に取って代わられ、現在の親郷―枝郷システムが確立し、収奪構造が出来上がっていく過程は、辺境に住んでいたエーファが初めて知ることばかりだった。
「あたし――いいえ、辺境の人たちは何も知らずに働いていたのね……。
あたしたちの暮らしが貧しいのには、ちゃんとした理由があったんだ」
エーファはかなりショックを受けていた。
「そうね……。でも、少なくても肝煎クラスの人たちは知っているはずよ。
知っていてもどうにもならないから、みんな奪われる側から奪う側に回ろうと必死にあがいているの。
……ちょっと悲しい話よね」
エーファは思わず反論しようとした。〝悲しい話〟で済まされたら、苦労して、働き続けて死んでいく者はどうなるのだ。自分の父は、母は、救われないではないか――そんな怒りが胸の内にふつふつと湧いてくる。
だが、彼女は出かかった言葉を呑み込んだ。ヨーコの顔が、苦し気にゆがんでいることに気づいたのだ。
軽快に進む馬車の中には、爽やかな風が吹き込んでいたが、ヨーコの額には脂汗がじっとりと浮かんでいる。
「ヨーコさん……ひょっとして具合が悪い? 馬車に酔ったんじゃないの?」
しかし、ヨーコは無理やりな笑顔を浮かべてかぶりを振った。
「平気よ。あまり調子がいいとは言わないけど、心配するようなことはないわ」
「――でも、顔色が悪いわ。汗だってかいているし……」
エーファはエプロンのポケットから布巾を取り出し、ヨーコの汗を拭こうとした。
ヨーコはその手を押しとどめ、自分のハンカチを取り出して額に当てた。縁にレースのついた、白く可愛らしいハンカチだった。
「本当に大丈夫なの。もう……あなたも女なんだから分かるでしょ?
私、ちょっとアレが重い方なの」
「あ……ごめんなさい」
エーファは行き場を失っていた手を慌てて引っ込め、ポケットにハンカチ代わりにしていた布巾を突っ込んだ。
自分は生理が軽い方なので気づけなかったことと、ヨーコがちゃんとしたハンカチを持っていたことが二重に恥ずかしく、彼女は顔を赤くしてうつむいてしまった。
「こっちこそ、ごめんなさい」
ヨーコがぽつりと洩らした言葉を、エーファは「心配させてごめん」という意味だと受け取った。この女召喚士が、嘘をついたことを詫びていたのだとは、夢にも思わなかった。




