十三 情報屋
わずかに開いた隙間からユニが顔を出す前に、するりとライガが店内へと入る。
安全を確認した上で、ユニとマリウスが後に続いた。
あらかじめヨミから「他に客はいない」と伝えられていたが、怪我をした教訓からかユニは慎重であった。
ただし、敵がいないと分かれば、いつもの彼女に戻る。
「この店にはお客がいたためしがないわね。
どうして潰れずにいるのかしら?」
ユニはずかずかと奥のカウンター席に向かい、スツールに腰かけると、無造作に置かれている空の鍋をスプーンでガンガンと叩いた。
「お客様が来たわよー!
とっとと出て来なさい!」
その怒鳴り声に呼応するように、奥の厨房からのっそりと大男が顔を出した。
彼はユニの顔を見ると、ぎょっとしたような表情を浮かべる。
「何だ、おめぇ! 生きていたのか?」
ユニはにやりと笑う。
「ご挨拶だわ。
ちゃんと足だってついているわよ!
それより冷えたビールをちょうだい。
黒龍会に脅されたからって、毒を盛るのはなしよ」
「抜かせ!」
主人は真剣な表情で顔を寄せ、低い声で訊ねた。
「あの日、何があった?
それを聞くまでは一滴たりとも酒は出さんぞ」
彼はカウンターの向こうで腕を組む。
ユニは素直に答えた。
「あんまり思い出したくないけどね……。
深夜に宿を襲われたわ。あたしとマリウスに二人ずつ、計四人よ。
全員手首に奴隷の入れ墨と、黒龍の彫り物があったわ。
宿のご亭主は黒龍組の〝暗殺奴隷〟だって言ってたわね」
「そいつらに襲われて……おめぇ、無事だったのか?」
主人は信じがたいものを見る目でつぶやいた。
「当然よ! ――って言えたら格好いいんでしょうけどね。
残念ながら情けない羽目になったわよ」
ユニはそう言って、右手でシャツの襟もとをぐいと引き下げた。
白い胸元が露わになり、きつく巻かれた包帯が見える。
「一人はライガが首を引っこ抜いたわ。
もう一人は腕を食いちぎって取り押さえたけど、そいつは毒を飲んで自害したの。
マリウスを襲った二人組も同じ運命だったそうよ」
「暗殺奴隷を四人もか……。
なるほどな、合点がいったぞ」
一人うなずく主人に、ユニは首を傾げた。
「どういう意味かしら?
それより、あたしたち襲われた後に宿を引き払ってここに来たのよ。
そしたら黒龍組の奴らが待ち伏せていて、あなたを脅していたわ。
今はもう見張られていないようだけど、大丈夫なの?」
店の主人はふてぶてしい笑いを浮かべる。
「ああ。
黒龍組の奴らは、お前たちが現れたら料理に毒を仕込めと言いやがってな。
もし、気づかれた場合は暗殺奴隷に襲わせるっていう、二段構えの作戦だったらしい。
それが、明け方になったら黒龍組の使いが来て、あっさり引き上げていきやがった。
『俺たちはこの件から手を引くことになった。このことは忘れろ』ってな。
だから安心していい。もう黒龍組はお前らを見つけても何もしてこないさ」
彼はそう言いながら、ユニたちの前に陶製のジョッキを〝どん〟と置いた。
もちろん、中にはきれいな泡が立ったビールがなみなみと注がれている。
ユニは待ちかねたようにビールを呷る。
彼女の白い喉が生き物のように上下して、あっという間にジョッキは空になった。
毒が入っていることなど、微塵も疑わない見事な飲みっぷりだった。
「ぶっはぁ~っ!
効っくわぁーーー!」
涙目になったユニは、空のジョッキを店主に押しつけると、少し怖い顔で訊ねた。
「どうして黒龍組はそんな簡単に諦めたの?
腑に落ちないわ」
主人は樽からビールを注ぐと、ユニの前に乱暴に置いた。
そして、もう冷めてしまった芋の揚げ物を素手で掴んで皿の上に積み上げた。
「適当に塩を振って食え。
あー、奴らが手を引いたのは単純な話だ。
赤字が確定したからだよ」
「赤字?」
ユニのオウム返しに、店主は愉快そうな笑い声を上げた。
「そうだ。
お前らの暗殺は、どこぞのお偉いさんからの依頼だろう。
そのために虎の子の暗殺奴隷を四人も使ったんだ。
それが全員返り討ちに遭ったとなりゃ、依頼料を数倍上回る損害を出したはずだ。
黒龍組は、狙った相手がヤバい奴らだと覚ったんだろう。
成功報酬目当てに、これ以上の戦力を投入したら、どれだけ損害が広がるか分かったもんじゃない。
手を引いてこれ以上の損をしない――あいつらはその辺の損得計算にはシビアなんだよ」
「暗殺奴隷って、そんなに高価なの?」
主人は目を剥いた。
「何だ、知らなかったのか?
お前、〝剣闘〟ってのを知っているか?」
ユニはうなずく。
「ええ。
確か、奴隷同士の殺し合いを見物して賭けをするって悪趣味な娯楽でしょ?
そこで戦うのが剣闘士って言われる奴隷だって聞いたことがあるわ。
南方諸国では昔から盛んだって話だけど……」
「そのとおりだ。
だがな、剣闘士は死ぬまで戦わされるわけじゃない。
十戦を勝ち抜いたら、この死の競技から抜けられるんだ。
そうして生き残った奴は、とびきり高い値段で売れるからな。
用途は貴人の護衛、傭兵とさまざまだが、その中の一つが暗殺者だ」
彼は自分のジョッキにビールを注ぎ、ぐいっと飲み干す。
「三つ首の龍の三つの組は、それぞれに暗殺奴隷を何人も抱えている。
奴らは奴隷の喉を酸で焼いて声を出せないようにするんだ。
そして組にとって邪魔な者、敵対する者、あるいは金で請け負った殺人のために差し向ける。
ただし、それは絶対に失敗が許されない重要案件に限った場合だ。
万が一にも返り討ちに遭ったら、投資した莫大な金が泡と消えるんだから当然だろう」
店主は口元の泡を手の甲でぬぐうと、にやりと笑った。
「それを一晩で四人も失ったんだ。
黒龍組が慌てふためくのも無理はない。
同時に、奴らはとてつもなく冷静になる。
金勘定の前には、面子なんて糞喰らえ――それが三つ首の龍の流儀なんだよ」
* *
ひとしきり飲み食いした後で、店の主人は改まった感じでユニに訊ねた。
「……で?
まさかビールを飲むためだけに、危険が待ち受けているカシルに戻ってきたわけでもないだろう。
何が目的だ?」
「そりゃあ、あなたが情報屋だからに決まっているじゃない。
お客はもっと丁寧に扱うものよ」
ユニがにやにやとしてからかうと、主人は溜め息をついた。
「そいつは毎度あり。
当店の品揃えは豊富でございますが、何をご所望ですか?
この腐れマ〇コめ!」
ユニは吹き出した。
この程度の下品な物言いなど、笑って流せる程度に彼女は世間を渡ってきたのだ。
「あたしたちはカシルの行方不明者の調査に来たんだもの、どうせ予想はついているんでしょ?
自治政府が三つ首の龍とグルになって、孤児や売春婦を使って何を企んでいるか――大方の調べがついているわ。
それに関して、まだあたしたちの知らない情報を買いたいの」
店主はあからさまに顔をしかめた。
「ほう……そこまで言うんだったら、お前らの調査結果とやらを晒してみろ。
いいネタだったら、こっちの方から買い上げてやるぞ」
ユニは自信満々に言い放つ。
「いいわ。
金貨の用意をしておくことね!」
* *
ユニは孤児院で感じた不審、そして救済教団の教会で聞いた話から始め、サクヤ山麓で見つけた人間の痕跡、その道の果てにあった〝悪魔の舌〟という名の転送陣、さらにはハーピーの群れに襲われたことなどを掻い摘んで語った。
腕を組み、不機嫌そうな表情で聞いていた店主は、話が終わると「ふん」と鼻息を洩らした。
「自治政府が組織的に人間を幻獣界へ送り出しているという疑いは分かった。
だが、そんなことをして、政府に何のメリットがあるんだ?」
ユニはその質問を当然予想している。
「あたしたちがハーピーに襲われたことは話したでしょう?
その群れのリーダーは、召喚士が呼び出した幻獣だったのよ。
恐らく、カシル政府は生贄を捧げることによって、召喚技術を手に入れようとしているのだと思うわ」
しかし、主人はその答えに納得しなかった。
「それこそ何のため――だ?
お前さんの言葉を借りれば、『王国の召喚士は、ハーピーなんていう低霊格の幻獣を呼び出さない』そうじゃないか。
毎年数十、数百人の生贄を差し出して、二級召喚士以下の出来損ないを誕生させたことがその対価なのか?」
マリウスがユニの話を引き取って説明し始める。
「恐らく、ハーピーの召喚は実験段階の産物だったのでしょう。
王国が全ての一歳児に実施している適正検査は、当然カシルも対象にされています。
見つかった子どもは、六歳になると王都の魔導院に送られることはご存知ですよね?
カシルが独自に召喚士を育てることなど、はっきり言って不可能です」
主人は彼の話を肯定するように、黙ってうなずいた。
「毎年ある程度の人間を差し出すことによって、本来召喚士の適性を持たない人間に幻獣召喚を可能にさせる。
カシル政府がそう持ち掛けられたとしたら――どうでしょう?
話の辻褄は合うのではありませんか」
店主は譲らなかった。
「馬鹿馬鹿しい!
その話を〝持ち掛けた〟のは誰なんだ?
幻獣界から手紙が来たとでも言うつもりか。
そもそも、カシル政府がそこまでして召喚士を手に入れようとする動機は何だ?」
マリウスは肩をすくめた。
「幻獣界とどうやって交渉したのか……それは僕たちにも見当がつきません。
ですが、自治政府が召喚士を欲しがる理由なら説明できますよ」
「言ってみろ」
店の主人は再びビールを呷る。
「カシルは〝力〟を欲しがっています。
それはイゾルデル帝国の東方政策と無縁ではありません。
帝国は、近年コルドラ大山脈以東への軍事力を目に見えて増強させています。
それは、もっぱらリスト王国に対する圧力を強める目的ですが、同時に北カシル占領への布石でもあるのです」
「北カシルは自治権を認めさせる引き換えとして、相当の金額を上納しているはずだ。
恭順を誓っている地域を制圧することに何の意味がある?」
店主の反論に対して、マリウスは冷静に情勢を分析してみせた。
「北カシルには外洋港がありません。
海岸が遠浅の砂浜ですから、沖合に停泊した外洋船には艀を使って荷物の積み下ろしをするしかありません。
現実には、ほとんどの外洋船が南カシルで荷物を降ろし、そのままボルゾ川を遡る川船に積み替えているのが実情です」
「それで何か困ることがあるのか?」
主人はじろりとマリウスを睨んだ。
「大ありです。
帝国にしてみれば、せっかく手に入れた外洋貿易の拠点だというのに、物流の要を王国支配下の南カシルに握られているのです。
面白くないわけがありません。
帝国は北カシル北部海岸の島嶼部を浚渫して、新たな外洋港を築きたいはずです。
北カシルの独立を守りたい自治政府が、それを承諾するはずがありません。
王国に庇護された南カシルの港が、帝国に対する人質になっている現状を変えたくないですから」
「お前、ずい分と詳しいな……。
まぁ、おおむね間違っちゃいねえ。
それで、それと召喚士の話がどうつながるんだ?」
マリウスは人懐っこい笑顔を浮かべる。
「簡単な話です。
カシルは軍を持っていません。
東部軍が増強された帝国は、その気になればいつでも北カシルを占領できます。
貿易の実務を熟知した市民はもちろん、港湾施設や倉庫に至るまで無抵抗でまるまる手に入れられるのです」
彼は少し芝居がかった表情で、いったん間を置いた。
「ですが、カシルにそれなりの戦力があって、占領しようとした帝国軍を一定時間食い止めることができたらどうでしょう?
帝国は馬鹿ではありません。彼らは損得勘定をするはずです。
自軍に被害を出し、抵抗を受けている間に住民が南カシルに逃亡し、焼野原となった北カシルを手に入れても意味はないのです。
カシルが自衛のための戦力を欲するのは自明の理です」
「ふん」
主人は鼻を鳴らしたまま黙っている。
「ですが、帝国に対抗できるほどの軍事力を持つことは、現実的には不可能です。
そのためには莫大な軍事費が必要となるからです。
この二律背反を解決したいいお手本が、すぐ間近にあります」
「リスト王国だと言いたいのか?」
主人の問いかけに、マリウスはにこりと笑った。
「ええ。
王国は人口や国力に比べて、呆れるほど小規模の軍しか保有していません。
四神獣という一軍に匹敵する巨大戦力を有しているという事情は別にして、それを可能にしているのが国家召喚士です。
彼らは単独で大隊規模の敵に対抗できます。複数人いれば、一個軍でも相手にできるでしょう。
国家召喚士だけではなく、二級召喚士も半数は軍に所属していますから、王国軍は見た目の数十倍の兵力を擁していることになります」
彼は小さな溜め息をついて話を続ける。
「国家召喚士を数人揃えさえすれば、笑えるほど少ない経費で帝国軍に対抗できるのです。
捨てられた奴隷、病気で長くはない街娼、家族に見捨てられた障害者、そして引き取り手のない孤児……。
そんな人たちを集めて生贄に捧げるだけで、召喚士を手に入れられるなら安いものだ――カシル政府がそう考えたとしても、僕は驚きませんね」
* *
長い沈黙の後、ようやく店の主人は口を開いた。
「一つだけ質問させろ。
なぜ、お前たちはこの問題に首を突っ込むんだ?」
今度はユニが答える。
「あたしは辺境を襲うオークの真実を探りたいの。
この件はそれと重要な関りを持っている――今はそれしか言えないわ。
それで、どう?
あたしたちの情報はいくらで買ってくれるの?」
店主は空になっていたユニのジョッキを手に取ると、樽からビールを注ぎ、彼女の目の前に黙って置いた。
そして、不機嫌そうな顔で吐き捨てた。
「悪いが今の話、一銭にもならん!」




