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幻獣召喚士2  作者: 湖南 恵
第七章 三つ首の龍
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二 参謀本部

 アスカ邸で二泊してゆっくりと疲れを取ったユニたちが、目的地である王都に着いたのはその四日後だった。

 通常ならば二日、のんびりとした旅でも三日あれば十分過ぎる距離である。

 ユニと群れのオオカミたちが、いかにロキに配慮していたかが窺える。


 例によって王都にはユニとライガだけが入る。

 群れのオオカミたちは、郊外の森で狩りをしながら待つことになる。

 ユニは宿を決めると、さっそく繁華街へ飲みにでかけた。


 翌朝、彼女は身なりを整えて参謀本部に向かった。

 もう何回この建物(王城の南塔)を訪れたのか分からない。

 当日の門衛はベテランの近衛兵で、ユニとも顔見知りであった。

 彼は形式的にユニの身分証を手に取ったが、ろくに中を見ないで返してきた。


「ユニさん、あんたこうしょっちゅう王都に来るんだったら、いっそのこと辺境から引っ越したらどうだい?」

 衛兵のからかいを、ユニは苦笑いで受け流した。


 確かに彼女は何かことあるごとに王都に呼び出されている。

 以前は参謀本部のアリストアや情報部の呼び出しが主であったが、最近はレテイシア女王の話し相手という新たな任務も増えた。


 女王は妙にユニを気に入ったらしく、何ということもない女同士のお喋りに彼女を呼びつけるのだが、その内容が猥談に流れがちになるのがユニには困りものであった。

 レテイシアとしては、それが大いにストレス解消となるのだろうが、相手をさせられるユニはたまったものではない。


 彼女は実に精力的で有能な政治家であったが、それと同時に性欲の方も旺盛で、迷惑なことにそれをユニに対してだけは隠そうとしなかったのだ。


『白虎帝エランを、どう悩殺してベッドに誘ったらよいだろうか』

 そんな相談をされて、どう答えたらいいというのだ?


      *       *


 巨大なオオカミを連れ、参謀本部の廊下を歩むユニの姿はお馴染みで、咎める者は誰もいない。

 彼女たちは通い慣れたアリストアの秘書官室を真っ直ぐに目指し、その重厚な扉をノックした。


 銀の鈴を鳴らすような声でいらえがあり、ユニが中に入ると、秘書のロゼッタが驚いた顔で出迎えてくれた。


「まあ、ユニさん!

 どうしたんですか? いらっしゃるとは聞いていませんでしたが……」


 驚いたのはユニも一緒であった。

 しばらく見ないうちに、ロゼッタの印象が全然変わっていたからだった。

 もともと彼女は〝参謀本部の華〟と言われるほどの美貌の持ち主だったが、今のロゼッタは以前より遥かに輝きを増していた。


 決して太ったわけではないのに、全体にふっくらとした柔らかな印象で、女性らしい魅力がぐっと増していた。

 肌はつやつやとしており、何よりその表情や雰囲気に自信が満ち溢れている。


 ロゼッタが上司のアリストアと付き合っていることは、もう参謀本部内でも周知の事実となっており、もちろんユニはその馴れめからよく知っている。

 誘拐されたロゼッタを、アリストアが救出したその日から、二人がすでに大人の関係になっていたことも承知していたのである。


 愛する男との充実した日々が、ここまで女性を変えるのだろうか――恋愛ごとには疎いユニには、ちょっとした衝撃だった。


 何故だかユニは赤面してしまい、普通に挨拶しようとして口ごもった。

「あっ、あの、その……ロゼッタ。……きれいになったわね?」


 言われた方のロゼッタも、その意味を悟って真っ赤になった。

 ――彼女も自分の変化に自覚があるということなのだろう。


「やっ、やぁねぇ! 年上をからかわないでちょうだい!

 本当に今日はどうしたの?

 あなたの方から来るなんて、珍しいこともあるものね」


 取り繕うロゼッタにそう質問され、ユニも我に返った。

「ちょっと相談事があってね。

 今日はアリストア様、いらっしゃるの?」


 完全に秘書の顔を取り戻したロゼッタは、艶然とした笑みを浮かべた。

「ええ、ユニさんは運がいいわ。

 今はたまたまお手すきの時間よ。

 入って驚かせてあげなさいな」


 悪戯っぽく笑うロゼッタにそそのかされたユニは、遠慮なく続き部屋の執務室の扉を開けた。


 部屋の中では、執務机の椅子に座ったアリストアが、小皿のクッキーを手に取ってもぐもぐと頬張っているところだった。


「ぶほっ!」

 ユニの顔を見て目を丸くした主席参謀副総長は、クッキーの粒を吹き出した。

 気管に入ったのか、彼はしばらくごほごほとむせ続け、目尻に涙を浮かべている。


 どうにか咳がおさまった参謀副総長は、すっかり冷めてしまったお茶をごくりと飲み干した。

「なっ、何だユニ。

 私を驚かすとは……何かの意趣返しかね?」


 ユニは意地の悪い冷笑を浮かべた。

「あらまぁ、恨みを買っているという自覚はおありなのですね?

 でも、いきなり入ったのはアリストア様の悪戯いたずらな恋人の発案ですから、私に文句を言うのは筋違いでしてよ。

 仕返ししたいのでしたら、ベッドの上でいじめて差し上げたらよろしいでしょうね」


 ユニは顔を赤くしたアリストアを初めて見た。

 実によい気分である。留飲を下げるとはこのことだろう。


 しかし今日の訪問は、彼をからかうことではない。頼み事をしにきたのだ。

 ユニは咳ばらいをして応接のソファに腰をおろした。

 タオルで顔を拭ったアリストアも、執務机を離れてその向かいに座る。


「突然お邪魔して申し訳ありません。

 今日はアリストア様にお願いがあって来ました」


 真面目な顔になったユニに、アリストアもまた威儀を正した。

「珍しいこともあるものだね。

 話を聞こうじゃないか」


      *       *


「南部密林でオークの賢王、ダウワースから聞いた話は報告いたしましたが、覚えておいでですよね?」


 アリストアはうなずいた。

「当然だ。忘れるわけがなかろう」


「彼は一つの仮説を立てていました」


 サクヤ山麓に出現した〝穴〟が、幻獣召喚による世界の歪みを正すものであるなら、辺境に現れるおびただしいオークの説明がつかない。


 そもそも能力が枯渇した召喚士が幻獣界に転生する際、彼らの幻獣は元の世界に帰るのであるから、その時点で歪みは正されるはずだ。

 年間十人にも満たない召喚士の魂と引き換えに、あれだけ多くのオークが放り出されるのでは、アンバランスである。


 実際には召喚士だけでなく、もっと多くの人間が幻獣界に送り込まれることで、どうにかこの世界の均衡が取れているのではないか。


 その場合、召喚獣と長年行動を共にすることで、魂が同化した召喚士たちは別として、何の準備もされていない人間がいきなり幻獣界に送られたら、幻獣界の側でも不都合が起きるはずだ。


 高霊格の幻獣には不要な人間の未熟な部分――殺戮、征服、強姦といった悪しき欲望は分離され、適当な低霊格の幻獣に押し込まれた上で、人間界に送り返されているとしたらどうだろう。


 それが辺境に出現するオークやゴブリンの正体ではないか。


「――というのが彼の推測でした」


「実に興味深い仮説だったからね。それはよく覚えている。

 ダウワースの主張に一定の説得力があることも否定しない。

 だが、それはあくまでも仮説だ。誰にも証明のしようがないではないか」


 ユニもうなずく。

「そうですね。

 でも、彼の言うとおり、実際に多数の人間がこの世界から消えていることが明らかになればどうでしょう?

 彼の仮説を裏付ける強力な状況証拠となり得ると思うのですが……」


 アリストアは憮然とした表情を浮かべた。

「そのことなら、君の報告があった後、王国全土にわたって調査が行われたはずだ。

 君とて覚えているだろう。

 行方不明者自体の存在は否定しないが、少なくとも組織だって多数の人間が消えている事実はなかった――そう結論が出たはずだ」


 ユニは〝参謀本部の頭脳〟と呼ばれる男の目を直視した。

「アリストア様は〝王国全土〟とおっしゃいましたが……それは本当ですが?」


「私が嘘をついていると言いたいのかね?」

 アリストアは不機嫌そうに目を逸らそうとしたが、ユニはそれを許さなかった。


「……カシル自治領もその調査対象に入っていたのですか?」

「当然だ。カシルの評議会(カシルを治めている自治政府)に問い合わせて、明確な回答を得ている」


「ということは、現地を直接調べたというわけではないのですね?」


「何が言いたい?」

 アリストアは少し苛立った声を出した。


「カシルは高度な自治が認められた特殊な地域だ。

 われわれはあの港湾都市のおかげで、莫大な貿易外貨を獲得しているのだ。

 強権を発動して、かの地域との良好な関係を掻き回すつもりかね?」


 やや感情的ななった参謀本部の責任者に対し、ユニはあくまで冷静だった。

「おっしゃることはよく分かります。

 ですから、大上段から支配権を振りかざすことなく、こっそり裏口から調査する……。

 その必要があるのではないでしょうか?

 そうした仕事に適任な人物を、閣下はよくご存じだと思うのですが……」


 ユニの目を見つめていたアリストアは、いきなり〝ぱん〟と音を立てて顔を両手で叩き、そのまま手を離さなかった。

 そして、しばらくすると肩を震わせて笑い始めたのだ。


「分かったよ……。

 今回は君の勝ちだ!

 それで、何を望むのだ?」


 ユニは事前に用意していた要求をすらすらと述べる。

「マリウスを貸してください。

 私一人でこの件を調査するのは荷が重すぎます。

 彼なら正式な軍人ではありませんし、そちらとしても動かしやすいでしょう。

 私の方でも互いに気心が知れていますから、その……好都合です」


「なるほど……。

 マリウスは南部密林行きからも外したし、先日のクーデター騒ぎでも手伝ってやれなかったからな。

 いいかげん恋しくて我慢ができなくなったか……。

 よかろう、私も鬼ではない。

 好きなだけ〝いちゃいちゃ〟してこい」


 さっきのお返しとばかりに、アリストアが混ぜ返してきた。

 ユニは彼のからかいを無視して聞かなかったことにした。


 もっとも、耳まで赤くなっていたので、その態度に効果があったとは思えない。


「もっ、もう一つは政治的なサポートです。

 防人村の部隊から支援を受けられるようにしてください。

 それと、カシルで自由に動けるような配慮もお願いします。

 できれば評議員の有力者と渡りをつけていただけるとありがたいです」


「委細承知した。

 カシルはサクヤ山――というより〝穴〟に近い。

 あの混沌とした魔窟こそ、賢王の仮説の舞台にふさわしいだろうな。

 君が調査に乗り出すというのなら、こちらとしても全面的に協力しよう。

 ……ほかに何かあるかね?」


「いえ特には……」

 そう言いながらも、ユニには気になっていることがあった。

 彼女はしばらく迷った後、思い切ったように顔を上げた。


「あの……。この件とは関係ありませんが、いいですか?」

「何だね?

 言ってみたまえ」


「ロゼッタが……きれいになっていました」


 アリストアは再びむせた。

「さっきの続きかね?

 悪ふざけも度を超すと――」


「いえ、そうじゃないんです!」

 ユニは慌てて彼の言葉を遮った。


「彼女の幸せそうな姿を見ていると、その……。

 私にそんなことを言う資格がないことは承知しています。

 でも、ロゼッタを泣かせるようなことは、どうかしないでいただきたいのです。

 ……と言っても無理ですよね?」


「なっ……!」

 アリストアはソファから腰を浮かしかけ、思いとどまって座り直した。

 そして顔を覆い、大きな溜め息をつく。


「君に心配されるとは、私も歳を取ったものだな……。

 言われるまでもない。

 もう残された時間がわずかであることは、私が一番よく知っている」


 彼は顔から両手を離して、天井を仰いだ。

あれ(・・)を泣かせることになるのは、どうにもできない。

 ただ、代わりに何かを残せるかもしれない……。

 最近、私はそう思うようになった。

 心配してくれるのはありがたいが、これは私たちの問題だ。

 だが、私が何も考えていないとは思わないでくれ。

 もう一度言う。君が心配することではないのだ」


 ユニは素直に頭を下げた。

「出過ぎたことを言って申し訳ありません」


 少しの間、執務室に沈黙の時間が流れた。

 そして、アリストアがぽつりとつぶやいた。


「私たちは魔導院で、人を過度に愛するなと散々叩き込まれてきた。

 あれは一面の真実を突いた教えだった。

 だがね、ユニ。

 私はロゼッタを愛したことを微塵も後悔していない。

 例え彼女を泣かせるような結果になろうともだ。

 ……君も、自分の気持ちには素直になりたまえ」


 またしばらくの間、執務室が沈黙に包まれた。

 あまりの静けさに不審に思ったロゼッタが、扉をノックして中を覗くと、二人はソファで向き合ったまま、それぞれの思いに沈み込んでいた。

 彼女はお盆を持って二人に近づくと、すっかり冷めてしまったお茶を片付けた。


「熱いコーヒーでも差し上げましょうか?」

 銀縁眼鏡の奥の瞳に優し気な光を宿して、彼女が訊ねる。


「お願いするわ」

 そう答えようとしたユニを、アリストアが手で制した。


「いや、紅茶がいい。

 君の淹れる紅茶は絶品だからね。

 少し惜しい気もするが、ユニにも君の焼いたクッキーを出してあげなさい」


「ええ、喜んで!」

 花のような笑顔を浮かべ、ロゼッタが秘書室へと踊るような足取りで戻っていった。

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