羽がきえる
2年生の教室の前には、私たちの自慢の制服に身を包んだ巴原さんがいた。
「よく聞いて。奈津がね、危ないの。」
私たちは言葉が出なかった。
「えっ。」
巴原さんはきっと私たちを睨むように見つめた。そして、「急ぐわよ」と短い声で言った。
白いヒポクラテスの像がキラッと光った気がした。
昨日まで実習をしていた病院へ入ると、大島さんのご両親がいた。この間、解決するといいね、と言っていたその影はもうどこにも見えない。意識も無さそうだった。私たちを見ると短く会釈して、「ともちゃん、どうぞ。」とベッドの横を譲った。巴原さんは静かに、「ハルヒちゃん、もう大丈夫よ。ゆっくり休んでね。」と言いながら痩せた腕を撫ぜていた。
私たちも「今まで、ありがとうございました。」「優しくしてくれて嬉しかったです」と言った。みんなで穏やかな時を過ごしていた。
よく見ると点滴が漏れてブツブツと内出血斑が出ていた。「痛かったねぇ、よく頑張ったねぇ。」だんだん巴原さんは涙声になってきていた。私の隣ではそれを見たハルヒが、ハンカチを目に当てている。私も巴原さんの様子が霞み始めた。
「忘れないでいてね。この子は、最後まで頑張ったのよ。あなたたちは、いい医療従事者になってね。」私は頷いた。
私はそれまでひとが死ぬところなんて見たことがなかった。
でも、なんて穏やかな時間なんだろう。
悲しいけど不思議な時間だ。
モニターがその場に相応しくないけたたましい音を立てた。
「奈津!」
巴原さんと、大島さんのご両親の声が重なった。
最後は、やっぱり、これを着せてあげたいの。
医師が死亡確認をした後、巴原さんは言って、持ってきていた紙袋を渡した。中身を確認したご両親は、「そうね。私たちも沖縄から色々用意したけれど、やっぱりこれがいいわね。」と微笑んだ。
看護師さんは、巴原さんの紙袋の中身を見て、「あぁ、あそこの学生さんだったのね。綺麗な制服ね。」と言った。そして、手際よく着せられて、やっと久し振りに私たちと同じ制服になった。ただ、3ヶ月前にはぴったりだったジャンパースカートやブレザーが、痩せてぶかぶかになっていたけれど。
それから、髪を結ってあげなくちゃ、と巴原さんは言った。もう、大島さんにはほとんど髪の毛が残っておらず、帽子を被っていた。
「どうするんですか?」
私は思わず聞きそうになった。
「奈津はね、いっつもこうやって作ってたのよ。シニョン。いいわねー、奈津!久し振りでしょー。」
巴原さんは努めて明るくウイッグを取り出した。部分的にお団子になったやつだ。それを慣れた手つきでやって、あっという間に私たちと同じようになった。
看護師によって含み綿をされて、化粧をされたら、あの時に会った時と同じようになった。
全てが終わった時、巴原さんは、ブチっと糸が切れたように床に座り込んだ。
ああ、ああ、ああ。
スカートなのも気にせずへたり込んで泣いた。ハルヒはその肩を抱いて、泣いた。悲しかった。ただ悲しかった。
私は大島さんの両親に、一冊の日記帳を渡された。「あなたでしょう。いつも奈津があなたのことを褒めていたわよ。医療従事者に向いている、って。」
私は「そんな、ハルヒは准看持ってるし、私なんか何も……」と言った。
「いや、きっとそういうことじゃないの。資格とかなんとかじゃなくて、向いているの。その日記にきっと書いてある。日記というより備忘録のようなものだけれど、読んでほしい。」
私は思わず受け取って読み始めた。