【097】大尉、扉を隔てて聞く
ヴェルナー大佐の家は、聞いていた通り殺風景。キース中将の自宅と大差はないくらい。その簡素な内装の家は、コーヒーのいい香りが漂っている。
「作ってきてくれたのか」
「はい。リーツマン中尉の話では、コーヒー以外は存在しなさそうでしたので」
「朝食はありがたくいただく。ヴェルナーは突き当たりの部屋にいる。ドア越しに話をしてくれ」
「はい」
無駄を極限まで排除した家のテーブルにサンドイッチを広げ、キース中将に言われた通りに突き当たりの部屋へと向かい、ドアをノックした。
「クローヴィスです」
声を掛けると、部屋の奥からこちらへと近づいてくる気配が。
ヴェルナー大佐の気配は当然閉ざされたドアの前で止まり、しばらく沈黙が続く。
榛色の壁紙にウォールナット色のドアには鍵穴らしきものはない。ドアを開けることはできるのだが……。
ドアの向こう側からヴェルナー大佐の低い声が聞こえてきた。
「クローヴィス」
ドアが内側から少し押され微かに軋む音が上がる。むろんノブは動いていないので、ドアが開くことはない。
「はい、ここにおります」
「一昨日のことだが……頭に血が上ってな」
「そうでしたか」
なんだろう? そんな会話してたっけ?
あの時ヴェルナー大佐には、なんら関係のない話しかしていなかったような……。
「俺はルースが嫌いなんだ」
「あ……」
キース中将と同期で三歳年上のヴェルナー大佐だ。
ルース帝国嫌いなことくらい、そしてその感情を胸裡に秘めていることくらい、想像できたはずだ。
「リヒャルト・フォン・リリエンタールがルース人ではないことは分かっている。次期皇帝になった理由もな……だが俺はあの男が嫌いだ」
「……」
「国の命運を背負っている相手に言っていい言葉ではない。そんなに嫌いならば、手を借りずに国を守るべきだろうが、才能がまるで及ばない。まさに無能の僻みだ」
ドアの木目をぼうっと眺める。
そうだ、あの時わたしは閣下とのことを話していた。
……腹立たしかったんだろうなあ。
「本当に小さい男でな、ルースの皇族が幸せになるのが、許せなかった。あの時ルース皇族がイヴ・クローヴィスを娶って幸せになるということを目の当たりにして……情けない話だ」
「ヴェルナー大佐」
なんと言っていいのか。
幸せで浮かれてしまい、隣に座っていたヴェルナー大佐の心の動きが全く読めていなかった。
「不愉快な話を聞かせてしまった。……勝手な話だが明日からは、いつも通りで頼む」
「はい」
話が始まる前のような間が空いたので、終わりましたかと尋ねる。
「お話は以上でしょうか?」
「ああ」
「では失礼いたします」
ヴェルナー大佐の部屋の前からリビングへと戻ると、キース中将の用意が整っていた。
残っているサンドイッチの半分を皿に載せ、
「ヴェルナー。リビングにサンドイッチがある。早めに食え! 行くぞ、クローヴィス」
そう叫んでヴェルナー大佐の家を後にした ―― 合い鍵を所有しているらしく、普通に施錠しましたよ。
馬車に乗り込んだキース中将と共に、ベルバリアス宮殿へ。
「不愉快な思いをさせたな」
組んでいた腕を解き、キース中将が口を開いた。
「いいえ。小官も注意を払うべきでした」
「そんな注意は要らん。ヴェルナーのあれは、甘受してやるべきものではない」
「あの……」
「ヴェルナーは言う相手、言葉、機会、全てを間違っている。その間違いは昨日全て指摘し、ヴェルナー本人も納得した」
「……」
「クローヴィスは俺がヴェルナーに水を掛けた理由を知りたかった。だから教えた。それだけだ」
「はい」
たしかにあの状況の理由については知りたかったですし、教えてもらえて良かったのですが。
「明日からのヴェルナーは、少なくともクローヴィスの幸せを願えるくらいには落ち着くだろう。いつもと変わらず接してやってくれ」
「はい」
「無責任なことを言うわけではないが、クローヴィスは全く気にする必要はない。相手が主席宰相閣下という時点で、みなから祝福される結婚なんてのは無理だ。主席宰相閣下は悪意を向けられるのには慣れているが、クローヴィスには少し辛いかもしれないな」
「あ……」
「主席宰相閣下はあの性格だ”最高の女を取られて悔しかろう。わたしを恨むくらいしかできぬ敗北者ども、好きなだけ恨むがいい”と美酒の肴にするくらいの余裕はあるが、お前をかっ攫われた男たちは、複雑だろうな」
キース中将にとって閣下ってどういう位置づけなんだろう? でも、付き合いはわたしよりもずっと長いから……それよりも、
「キース閣下。小官のことを好いている男に心当たりあるのですか?」
以前なら「そんなヤツいませんよー」と流したが、閣下にも「そうではない」と言われたので、恥を忍んで聞いてみる。
「ある。すぐに思い浮かぶのだけで四人はいる」
「ええー。あの、本当ですか?」
「俺がこの手の話題で嘘をつくとおもうか?」
「あ、いえ。シュテルンも物の数に入っていたりしますか?」
「入れるか! なんで男全体の面汚し犯罪者をカウントする必要があるんだ」
「そ、そうですね」
めっちゃ怒ってる。済みませんキース中将。怒らせるつもりはなかったんです。
「そういえばクローヴィスの弟は、本当にクローヴィスの弟なんだな」
「はい?」
「連れ子同士なのだろう?」
「はい」
「それも十歳前後で」
わたしの家族構成がキース中将にまで! こういう家族構成に興味持つような人じゃないのに!
「はい」
「クローヴィスに家族以外の感情を持ってもおかしくはない年頃になってから兄弟になったようだが、まったくそういう素振りがないな」
「考えたこともありませんでした」
「普通の女なら俺も思わんが、お前は随分と美しいからな……男よりだが」
認めた! キース中将が認めた! わたしの容姿を男よりだと認めた!
「男よりですか」
「お前に嘘をつくのもな。ただ国一番の美貌を誇るといっても、誰も異議は唱えないだろうな……男よりの美貌だが」
「それはさすがに」
そこまではちょっと言い過ぎですよ、キース中将。むしろキース中将のほうが、儚さがあって良い感じですよ。
もちろん言えないけど。この警護対象上官に向かって「儚い」とか言ったら、脛蹴られる。馬車の中で脛を蹴られて悶絶したくない。もちろん馬車以外でも蹴られたくはない。
「お前の弟に二度ほど会って話をしたが、本当にクローヴィスの弟だ。家族思いの良い弟だな」
「そう言っていただけると、とても嬉しいです」
極度の蒸気機関車大好きですが、大事な弟です。
「俺には興味がないようで”アッシュブロンド将校さん”としか覚えてくれないがな」
シナプスが鉄道関係以外は職務放棄するのがデニスなもので。
「す、済みません。鉄道関連以外はほとんど興味がないらしくて。鉄道関連でしたら、記憶の宮殿は無制限なのです」
「そうらしいな」
「弟はリリエンタール閣下のフルネームですら言えますから」
「主席宰相閣下のフルネーム? アントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティンか?」
よくご存じですね、キース中将。わたし初めて聞いた時「うわ、長っ!」と思わず引いてしまいましたが。高貴な生まれってそういうもんですよね。
「それだけでも凄いと思いますが。弟はフルで言えるのです」
当初閣下のフルネームに頭を抱えましたが、いまはそこはしっかりと覚えております。スペルも完璧だよ! ただ、それ以上はちょっと無理。
「もしかして、神の恩寵を授かりしアントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティン、全ルースの絶対君主にしてマウゴロド、バリヤン、サブリアデオのインペラールにして福音を謳う者……というあれか?」
「それです。暗唱完璧です」
閣下の本名長いといいますか、文章なんだよね。
所々に「神の恩寵」とか「信仰の守護者」とか「絶対君主」や「皇帝」さらには「最高の君主」とか「相続人」「神の代理人の親愛なる友人」「福音を謳う者」とかさまざまな単語が入るんだ。
噛まずに間違わないで三分以内に言い切れたら、三十三万フォルトスくらいもらえてもいいんじゃない? っていうレベル。ところで三十三万フォルトスって、どういう基準で算出したんだろ、わたし。
「それは凄い。あれを諳んじることができるのか。てっきり主席宰相閣下以外、暗唱できる人間はいないと思っていたのだが」
閣下はその優れた頭脳で、ご自身のフルネームを間違わずに言える。優れた頭脳がないと覚えられない名前ってのもどうかと思うが、王族には自分のフルネームを諳んじられない人もいるとか。
「キース中将の名前を覚えるくらい、こともないと思うんですけどね」
なぜ閣下のお名前を覚えられて、キース中将の名前が頭に入らないのか? ……デニスだからなんだろうなあ。
「興味がないと覚えられないんだろうな。むしろ、クローヴィスの上官だと記憶されているだけありがたく思うべきだろう」
キース中将が声を出して笑う。色々済みません。いい弟なんです。ほぼ鉄道関連にしか頭脳が働かないだけで。




