【092】大尉、帰国する
閣下の笑いが収まったあと、
「大尉」
「はい」
「一緒に帰国しよう」
「はい?」
藪から棒ってこういう状況だよね! 一体なにが、どしたのでしょう。一緒に帰国できるのは嬉しいのですが、話が分からない。
「以前大尉に話したが、わたしはこの年になるまで、大切な相手という存在を知らなかった。その存在が弱点になることは分かった。そこで安全な場所へ送り守ろうとしたのだが、世界は危険に溢れているな」
「ええ、まあ……」
鉄道事故、グリズリー遭遇、大佐の誘拐、戦争勃発……危険に充ち満ちていますね。
「それで分かった。大事な存在は、手元に置いておくべきだということを。共にロスカネフに戻ろう」
「…………はい!」
ブリタニアス君主国に行ってみたかったが、それは何時でもできる。
いまわたしがするべきことは、アレクセイを殺害すること。ゲームでは最悪でも生死不明のアレクセイを、必ずや殺害する。
そのためには、故国に戻ったほうが良い。
こうしてわたしの補佐武官の任は、赴任地に到着する前に解かれることとなった。
「戦争が起こる可能性が極めて高くなった。クローヴィスにはキース総司令官の護衛を任せる」
ヴェルナー大佐が解任理由を、みんなにそのように告げた。
キース中将は女性兵士を前線に送らないが、身辺警護になら使うだろうと……。男性兵士が前線送られまくるので身辺警護は女性で賄うことになりそうだとも。実際そうなりそうなんですが、それはそれで危険じゃないですか? 主にキース中将の貞操が。
……なんというか、わたしの上官、女性に襲われやすい人ばかりだなあ、本人は強いのに。
将来の危険性についていま考えてもしかたない ―― それで、わたしは知の人じゃなくて武の人だと認識されているので、
「一緒にブリタニアスに行けないのは残念だが、クローヴィスなら信頼できる。総司令官閣下を必ずやお守りしてくれ!」
ルオノヴァーラ大尉以下、一緒に旅をした人たち(メリネン二等兵のぞく)に「適材適所だ。頼むぞ」と激励され、受け入れられた。
ブリタニアス君主国へ一緒に行くはずだった女子爵閣下は、わたし抜きになったが我が国の一行と共に君主国へ向かわれるそうだ。
その女子爵閣下なのですが、デニスに興味を持ちました。
あのね、メリネン二等兵の手紙盗難未遂事件があったじゃないですか。あの日、わたしは睡眠を促す魔法の書として、デニスからの事故レポートを読んで眠ったんですよ。
翌日わたしは、キース中将からの手紙を外してカリナの封筒に押し込み、レポートはベッドの枕元に放置して出かけました。
部屋は当然掃除されますが、大公妃殿下のお部屋で再び盗難が起こったら大変。ということで、女子爵閣下がメイドたちの清掃に立ち会い、その際メイドから枕元におかれていたデニス著「地盤の種類による線路の危険性」を手渡された。わたし宛ての手紙ですが、どうしたって目に入るじゃないですか。
その目に入った一枚のデニスレポート、女子爵閣下の興味を非常に引いたらしくて。
あとで「良かったら読ませて欲しいのですが」と頼まれた。
「どうぞー」と手渡し……何故か閣下から返却されてしまったが。
レポートの出来は非常に良いそうです。ありがとうございます、閣下。閣下に褒められたと知ったら、デニスは大いに喜び、またレポートを書くことでしょう。
そして ――
「良かったら、このレポートを大公妃殿下の弟君に読んでいただきたいのですが」
女子爵閣下からレポートを手渡された。もちろん引き受けましたよ。
「大尉の弟御は特定の女性はいなかったな。ヒルデはどうだ?」
「あのーそのー閣下。デニスが今まで美しいといった相手は、すべて蒸気機関車なんですが」
良い弟ですが、生身の女性に紹介するのはちょっと……。
「大尉の弟御がもっとも気に入っている車両は?」
「ブリタニアス式653Eだったと思います」
すんげー語られた記憶があります。
「ヒルデも、その型をもっとも気に入っている。相性は良かろう」
そ、そうですか。そういう世界の住人同士なら、上手く行くかも。というわけで、文通から始めましょう ―― 内容はレポートですが。
あと一応写真で容姿を確認してもらいましたが「素敵な男性ね。こんなに格好良かったら、わたしなんて」って……彼女がいなかったことを、しっかりと伝えておきました。
ブリタニアスを目指す一行は当初の陸路ではなく、海路に変えて旅立っていった。わたしたちも、船で帰国しますがね。
ブリタニアス一行が旅立ってから一週間後、わたしたちは帰国の途についた。
ただ普通に北東を目指して進むと、新生ルース帝国近辺を通過することになり、厄介事に巻き込まれる可能性もあるので、ドネウセス半島へ渡り陸路で北上して、我が国がほぼ直線上にある港から帰国することになった。
「今日も背負ってるのか、イヴ」
「当たり前じゃないか、エサイアス」
故国へと向かう最後の船旅の間、わたしは閣下より貸していただいたトランクを背負い続けている。
なにしてるんだ? お前 ―― ヴェルナー大佐の視線はそう物語っていたが、海難事故というのは、突然訪れるもの。浮きになるトランクを客室においたまま甲板を歩いている時に、何らかの事故により船が沈没になった時、わざわざ部屋まで戻って取ってきて……などはできない。
あれですよ、災害時の持ち出し袋は手入れして枕元に置いておけ! それを実践しているだけです。目立つけど、そこは気にしない。
毎晩トランクの中身を確認している姿を見られ、ディートリヒ大佐に笑われたが、それも気にしない。無事に到着したら無駄だった……だが、その無駄は必要な無駄だからね。
なにせ乗組員と乗客の数だけ浮き輪を揃えるという概念が存在しない時代なので、助かりたかったら自分でしっかりと揃えていないと。
「イヴと一緒に帰ることになるとは、思っていなかったな」
「わたしも思ってなかったよ」
「キース中将の護衛ってことは、一緒に仕事することになるな」
「そうなるんだろうなあ」
エサイアスと話をしながら甲板を歩いていたら、男のものと思しき怒声と、甲高い女性の悲鳴が聞こえた。なにごとか? と、銃を手に走って声のするほうへと向かう。
「……! 大佐」
開けた船後方に出ると男が二人、端でもみ合っていた。そのうちの一人がディートリヒ大佐。賊の手には刃物らしきものも見え……ああ! 二人とも体勢を崩して船から落ち……銃を捨て背負っているトランクを下ろして、
「大佐!」
わたしは助走をつけてトランクを海へと向かって投げた。我ながら見事な放物線を描きトランクは海へ。
二人が落下した所まで走り海を見ると、襲撃者……ランゲンバッハじゃないか! 恋敵殺しに来たのか? 後で詳しく聞かせてもらうが!
「遠投し過ぎた!」
わたしが強肩過ぎたのか、落下した二人の向こう側にトランクがぷかぷかしてる!
大佐の浮き代わりに投げたのに! わたしの馬鹿! だが反省はあとだ。大佐を救助せねば!
救助は船員がしたんですけどね。
もちろん引き上げなどの手伝いはしましたけど。
閣下からお借りしたトランクですが、無事手元に戻ってきました。大佐がわざわざ泳いでトランクのところまで行ってくれたのです。
まったく役に立たなくて済みませんでした。
海水に濡れたトランクですが、ベルナルドさんが手入れしてくださるとのこと。エサイアスたちは襲撃者であるランゲンバッハの見張りを。
わたしはというと、トランクをわたしに手渡したあと意識を失った大佐に付き添い ―― 船は予定より三時間ほど遅れて故国に到着となりました。




